Wonder. 02
昼間の空を飛んでいた。
春なのか秋なのかもわからないぬるい風が頬を撫でる。猫じゃらしの草原と、ひときわ目立つ城。そこから細い橋が伸び天高く聳え立つ塔が目についた。
それから葉っぱの間に猫の姿がちらちら見えるようになる。
マドカさんみたいに二足で立ってるのもいっぱいで、俺を見上げていた。
「ようこそ、猫の国へ」
微笑みながらそういわれ、俺は静かに猫たちの背からおろされた。
踏みしめた地面は土なのか、ふかふかしている。
城の前の門で大勢の猫たちが俺を出迎えた。
「どうしよう……ナル……帰らないと」
一時の感情に流されて猫の国という訳のわからない空間に来てしまった俺はさっそく後悔していた。
「来てしまったものは仕方がありません……」
リンさんはさほど俺を責めることもなく冷静で、すんとしていた。
それにしても、え、でかいな。
猫の国に来たらリンさんがでかくなっていた───ではなくて、俺がサイズダウンしていた。
寝間着にジャンパー羽織ってスニーカーを履いてた俺は、お召し物を替えましょうねと言われてマドカさんに衣装室へつっこまれた。
侍女のような服装をした雌っぽい猫たちが俺に挨拶をして、あれこれ衣装を押し付けてくる。リンさんは強い意志で私は結構ですと突っぱねるので、俺もそのくらい強くノーと言える人になりたい。
「え、え、これ、着なきゃだめ?」
「きっとお似合いになると思いますわ」
「王や王子様に会うのだから、正装でなければね」
小柄な猫は丁寧な口調で、背の高い猫は気取ったように言う。
「ねえどうやってジーン王子のハートを射止めたの?」
「?」
ここだけの話、と背の高い猫に聞かれる。
ジーンは確かに甘えん坊で俺が家に居るときはずっとくっついてきてたけど、それが何でだかは分かってない。ちゅ~るかな。もしくは一般論だが猫ってあんまり構ってこない人が好きらしいしそのせいかも。
「王子様との馴れ初めを聞き出そうなど、不敬ですわよ」
「だって、気になるじゃない。ジーン様っていったら国中の雌猫の憧れよ」
「え、へ~そうなんだ?」
うちではカーテンレールの上から降りられなくなってみゃーみゃー鳴いたり、明らかに身体より小さい箱に入ろうとして5周くらい回転したあと尻だけはみ出してたあのジーンが。
はい、着替えてらっしゃい、とカーテンの中に追いやられてもぞもぞ着替えてたが……このズボン尻に穴がある。
「あのう、これ穴開いてるんだけど」
「しっぽを出しますのよ」
「俺猫じゃないよ」
「あら、猫よ」
尻に穴開いてるの着る勇気はないな……と思っていた俺は会話をしていると腰がむずむずしてくる。そっと手をやれば、ふわふわのしっぽが生えていた。
「ええ!?」
掴んで前に持ってくると、しっぽの先がぴこぴこ揺れる。そして自分の身体の一部であるという感触が芽生えた。
「御覧になって」
小柄な猫はさっと鏡を出してきて、俺は目を丸める。
猫の耳が生えて、鼻先が少し出て、ひげがぴょこっと出た。自分の顔だが若干猫顔になったというかなんというか。
「猫になってる!?」
「ここは猫の国ですもの、当然ですわ」
「さあ、とっとと着替える!王と王子をお待たせしちゃうわ!」
俺は驚きもよそに再びカーテンの中に押し込まれた。
侍女が賓客に対してする態度じゃないような、とも思ったが、まあ猫だしな。
淡いクリーム色の上質な生地の服は裾がひらひらと足元にまとわりつく。ズボンははいているがその上に丈の長いケープを羽織っているせいだろう。
「その、リンさん巻き込んでごめんな……止めてくれてたのに」
「向こうの勘違いも大きいようですし、ああいわれては揺らぐのも無理はないでしょう」
着替えを終えたタイミングで少し時間ができたのでリンさんに話を切り出す。
侍女たちはリンさんが自称した「従者です」の言葉をあっさり信じてこの場に置いていったのだ。
「勘違い……?ああ、猫王様はジーンのことを言ってたんだよね」
「本来この国に棲む猫に血縁関係などはありません。ジーンはあくまでこの国で王の子になっただけです」
「そうだったのか。王様たちに説明して、ジーンにもわかってもらえたら帰れるかな」
その線しかないだろうけども、リンさんは煮え切らない返事をした。
しかも執事みたいな猫が迎えに来たら、会場では別行動でと言われて去って行ってしまったのだ。不安しかない。
広間には招待客みたいな猫がたくさんいて、俺はテーブル席に案内されたと思えば目の前にはごちそうが並べられた。メニューは猫の好きなごはんたち。俺も食べられなくはないが、食べたいというほどでもない。
ほどなくして王様と王妃様の猫がやってきて、俺に改めて挨拶をした。
よく考えたら猫とはいえどう対応していいかわからなくて、もごもごと、どうもと言うくらいしかできない。
「さん、どうかな、楽しく過ごせているかな」
「ええと、はい。でもあの」
「ジーンは今準備していて遅れているの」
王様とお妃様は、のほほんと俺に話を振った。
ジーンと呼ばれて、俺の猫の耳がぴくんと動く。
「ジーンはこの国で楽しく過ごせていますか……?」
「もちろんですわ」
「だからこそ、さんもジーンと一緒になってこの国で暮らさないかね」
王様はひげをゆらゆらと揺らした。
「俺、」
このままジーンに会えなくても今断って、帰してもらおうと思った。
もう十分だと思っていた。
けれど、張りのある声が「ジーン殿下のおな~り~!」と言うのでうっかり視線がいく。王も王妃もお澄ましして、会場中の猫たちは恭しく頭を下げた。
俺は、声のする方の階段を見あげて動きを止めた。
仮面をつけた猫がゆったりと歩いてくる。
そして俺の前に来て黙っていた。───ジーン、なのか?
「ジーン照れてるのか?お前の未来の妃に挨拶しないか」
王様の言葉に俺は目を丸めた。
ジーンの耳もぴくりと動いたと思えば、そこでようやく口が開かれた。
「妃───?聞いてませんが……」
「あの、おれ男ですし人間ですし」
飼い主ですし猫ですし、ともごもご言い募ってみる。
「でも今は猫同士だ。この国で暮らすならジーンの妃になるのが良い」
「ジーンもさんに会いたがっていたではありませんか。それにこの国では子を生む必要もないし、性別など気にしなくて良いのですよ」
王様とお妃様の話にジーンはまた黙り込む。
そしてゆっくりと俺に顔が寄せられる。
「」
囁くように呼ばれて、耳が動く。
仮面の奥の瞳を見つめる。
「一曲踊っていただけますか」
開かれた口から出てきたのは踊りの誘い文句だった。
ダンスのステップなんて知らない、と思いつつも案外それっぽく動き回るだけで席を離れられた。
「ナル、……おまえ、ナルだろ」
「わかっていたのか」
「飼い主だぞ」
「そうだな」
仮面の奥の瞳とか、名前の呼び方とか、なんだろう……とにかくわかったのだ。
名前に至っては一度しかこの声で呼ばれてないのに。
「───家に、帰れるのかな」
ナルが王子然として俺を誘い出したのは、きっと逃げるチャンスを窺ってのことだとすぐわかった。
「何のために僕が迎えに来たと思ってる」
「……ありがと」
「合図したら走れ。目指すのは塔の頂上だ。来るときに見えただろう」
「うん」
そんな会話をしてすぐ、ナルは俺を回転させたかと思えば、背中を押した。
「走れ!───リン、やれ」
「はい」
一目散に観覧猫たちの間に入っていく俺とすれ違いに、リンさんが現れる。
そんなリンさんはナルの指示のもと、前足を振ったかと思えば、何か嵐のようなものが巻き起こり、数多の猫たちをなぎ倒した。リンさんナニモノ……!?
にゃあにゃあいいながら床を滑っていくのを後目に俺はとにかく逃げる。
「様、こちらへ!」
「おいでませです!」
廊下をだーっと走っていると近衛兵みたいな恰好をした雄猫っぽい二匹が俺を手招きする。
「僕たちはジーン殿下付きの兵隊です」
「こっちに着てこられた服があります」
俺はなんとなく信用していいのだろうと思って彼らに招かれるまま部屋に入る。
案の定着替えが準備されていて、着てきた寝間着とジャンパーとスニーカーがあった。
とはいえ、しっぽがあるのでスウェットのズボンがもごもごするのがヤな感じする。
「その、ジーン、は」
「塔の前でお待ちです。あなたをヒトの国に帰すために」
「……帰れるの?」
「もちろんです」
メガネ模様の猫と、金色の猫は優しく俺を城の外まで送り出した。
猫兵曰く、完全に猫になってしまったら人には戻れなくなるらしい。
いよいよ二足で走るのが難しくなってきた。スニーカーを履くときに足の形が変形しかけているのをちらっと見てたので、もうなんか、想像はついてる。
人間の尊厳を捨てて四足で走った方が早いかもしれない……とも思ったけど、走り方わからなくて顔面スライディングは御免なのでやめとく。
しかしやがて、走るのが遅かったらしくリンさんに追いつかれた。
「うわあん、リンさんだあ!」
心細かった俺は、リンさんに情けない顔を晒す。
ちょっと呆れた目で見られた。
「私もいるのよ」
「えええマドカさん!」
「マドカ、何をしにきたんです」
「あら、別に邪魔をしにきたわけじゃないのよ」
ふわふわ猫のマドカさんが現れたとき、俺は若干攫われたトラウマがよみがえってリンさんの方に寄る。
「ジーン様に叱られちゃったわ。様をヒトの国に帰しなさいって」
「……だいたい、なぜこんなことになったんですか」
「だって、ことあるごとに様のお話をするし、大好きなの丸わかりなんだもの」
「あ、えへ」
「喜ばない。ナルが拗ねますよ」
だって飼い猫に大好きだって思われてたなら飼い主として嬉しいに決まってる。
「それに今日は───猫の願いが叶う日よ」
「へ……?それってどういう」
「そういう巡り合わせがあるんですよ。とはいえ、すべてが叶うわけでもありません」
「な、なるほど……?」
つまり王様とお妃さまはかわゆい倅のために、俺を猫にしたかったと言うだけの話である。
ジーンがそう望んだわけではないとわかってほっとした。
単に、俺を恋しがってくれたんだろう。それだけで俺は嬉しい。
塔につくと、兵隊たちがずらりと並んでいた。
その一番先頭に立っている猫がナルとそっくりな猫───ジーンだ。
「!」
この口の開けた顔、いつも見てた。
あの時もこんな風に俺を呼んでいたのかな。
一瞬たたらを踏んで、それでもジーンに抱き着いた。
今は俺の身体も猫に近いので感じが違うが、喉を鳴らしながら頭をぐりぐりこすりつけてくる仕草も、そのまんまだ。背中に回る前足も、俺の手首を抱きしめてた時のことを思い出す。
「おい、いつまで馬鹿みたいにじゃれ合っているつもりだ」
「あう」
追いついてきていたナルのパンチが俺たちの顔面にぶつかる。
これもいつものことだな。
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バロンはね、どうしても自分の世界観では出せなかったですね……。
ちょっとあの体型のナルも良いと思ってたんですけど、ナルは人形ではなくて猫なので断念しました。
Feb.2022