I am.


Wonder. 03


ナルが追いついて、そして城からも兵隊や臣下、猫王様と王妃様までこの場に来ていた。それでも、当のジーンが俺をきっと人の国に帰してくれるだろうと思うと、さほど不安にはならなかった。
王様と王妃様はもごもごと、ジーンに対して俺をお妃にどうかと言ったけれど、ジーンはにべもなく断る。
衆人環視の中、王様とお妃様はイカ耳になっており、失礼だけどちょっとかわいかった。
「───僕は確かににまた会いたかった。撫でてもらって、一緒に眠って、帰りを待っていたかった。でも、それをできなくしたのは、まぎれもない、僕自身だ」
後悔するような口ぶりで、ジーンは言う。
「僕がその時間を手放したのに、から時間を奪うなどしてはいけないことです」
そして、言い聞かせるように言う。
この国は自分の時間を生きられない、とリンさんが言っていた言葉を思い出す。ここは時間と言う概念のない、永久をまどろむ猫の国。
「さあ、行って」
「え」
とんっと背中を押されてつんのめる。
ちょっと立ち方がおぼつかないのは、猫になりかけているから。
「この塔の天辺が繋がってるんだ」
「あ……」
ナルが急かすように俺を引っ張り、リンさんが後ろから促す。
、僕は時々ここから、君の世界の空を見に行くことにする」
振り向いてばかりもいられなくて、猫の耳だけでジーンの言葉を聞いた。

「雨が降っている日は、僕が心配していることを、忘れないでね」



塔の中に入り上を見ると、遠くに夜空が見えた。
ジーンが最後に言っていたのはきっと、この空を見に来ると言うことだろう。
雨が降っていたら、雫が下まで落ちてくるのかな。
俺は雨の日も自転車に乗るから、よく頭や鞄を濡らして帰ってくる。
出迎えにきたジーンは玄関で濡れた俺を見て水に怯えにゃあにゃあ騒ぐ、そして俺の周りをうろうろしていたっけ。
俺を追いかけてくるのはいつものことだったのでよくわかっていなかったけど───あれ、心配してたのか。

「猫になるのは困るけど、この国に来られてよかった」
「?」
横を走っていたリンさんが目だけで続きを促す。
「ジーンが突然いなくなってしまって、俺の時間が少し止まってた部分があったんだ」
「そうだな」
ナルが頷いた。やっぱり俺がへこんでたことをナルもわかっていたんだろう。
心配してたんだろうし、呆れてもいたのかもしれない。
もう大丈夫だからといいたくて、笑いかけた。
「でもこれで、ようやく動き出せそう」
これが本当の出来事ではなくて、夢の中の、俺の空想だったとしても、それでいい。
猫の国で暮らすジーンと俺は、お別れをできたのだから。
「あなたには、この騒動も必要なことだったようですね」
リンさんに付き合ってくれたお礼をいうと、少し目を細めてこっちを見た。
「うん。───あのさ、今度うちに来てよ。ごはんだすから」
「考えておきます」
そっけないけど、微笑んでいる気さえするくらいには、リンさんと打ち解けたような気がする。これが吊り橋効果ならぬ、塔の階段駆け上がり効果ということかな。
「ナルは、なんかご褒美ほしくないの」
「別に」
「───今日は、猫の願いが叶う日なんでしょ?」
「どこでそれを……リン!」
ナルの足が一瞬止まりかけたが、澄ました顔で動き出す。
「話をしたのはマドカです。ナルの願い事までは知りませんよ」
この国に来る前に、ナルが不在だったことや準備をしていると言われてたのは、きっと何か願いがあったからじゃないかと俺はふんでいる。そして図星っぽいのでなんとか言葉が通じるうちに聞いてみたい。
「ナルの願いは、飼い主である俺が叶えるのが妥当じゃないかな?」
に叶えられる願いじゃない」
すげなく断られた。でも、とにかく願いがあることは確かなようだ。
「じゃあ俺もお願いするから!今俺も猫じゃん?パワーを2倍にしよう」
ぽっかり開いた夜空が近い。
ここを潜れば人間に戻れるはずなので、まだ猫のうちにナルに提案した。

ナルはきょとんとしてから、ひげを揺らしてそうかと呟く。
「なら、願ってもらおうかな」
ちょんっと鼻同士がぶつかった。
その瞬間ふわっと温かい空気が俺を包んだような気がする。
わかりあったような気がするのに、漠然と言葉にできない。猫は鼻同士で相手の状態を知ると言うけど、こういう感覚なんだろうか。
でも、俺とナルだから、分かり合えたのだと思いたい。
高揚感に胸が膨らみ、俺は今魔法が使えるんじゃないかってくらい、自信に満ち溢れていた。
祈るのに、言葉も特別な動作も要らない、ただ二匹で見つめ合ってゆっくりと瞬きをする。

時間にして数秒もなかっただろう祈りを終えて、俺は小さな穴ぼこから頭をにゅっと出す。
耳がぶつかってぴくんと震えた気がするけど、身体を外に出して立ち上がれば、俺の身長はみるみるうちに人間のサイズへ伸びあがる。
体格にあわず不快だった寝間着も、心地よく身体に纏う。

そこは雲に手が届きそうなくらい高い、煙突の上だった。
人工的な夜景が眼下に広がり、高いところ特有の強風が吹く。
しかも今は2月───、一瞬にして指先がかじかみ、足が棒のように固まる。
「わ、わ、落ちるう~!!!
なんの補助もなく強風の中狭い高所に立っていられず、俺の身体は宙に投げ出された。
ナルやリンさんも出てくるのに、と思いながら振り向いた途端、視界が黒い何かに襲われて阻まれる。夜の闇ではなくて、たくさんの飛行物体だ。
バサバサという羽音や、鳴き声からして、鳥───カラスだった。
「よう、おかえり~待ってたぜ」
「ギャー!」
俺は数多のカラスに身体を持ち上げられていた。
猫に運ばれた後はカラスに運ばれるのか……!
ふいに何かに手を引かれて、態勢が安定した。
腹に腕を回されて、誰かの身体にぴったりとよりそう。猫じゃない───でも、ダンスした時に密着した時と似てる。
「え……?」
体格が同じくらいの人間が、俺をエスコートするように支えていた。
漠然とこれはナルだと分かる。
猫になってた俺だけど、今度はナルが人になってるんだが、これはいかに。
「落ち着いて、足を付くんだ」
「え、は、あれ……カラス……!平気かな!?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
連なるカラスの背が空に道を作っている。
俺のそばを飛んでいるのは、猫の国に来る前に会ったカラスだろう。
ナルに促されるまま、カラスの上を歩く。
「よくこれだけ集めたな、ボーさん」
「まったくだ。カラス遣いが荒いってーの」
目を凝らすと、すでにリンさんがしれっとカラスを踏んで優雅に地上に向かって歩いていくのが見えた。


最初に逃げ出してきた公園に降り立って、飛び去って行くカラスにも手を振った。
ボーさんとやらもくるりと優雅に宙返りして見せたあと、夜明けに向かって飛んでいく。
リンさんもいつのまにか去っていて、残されたのは俺と一人の少年だけ。
急激に、今までのあったことの現実感が薄れていく。
暖かかった気候も昼間の明るさも、まったく身体に残っていない。2月の真夜中、午前2時の寒気がズキズキと耳を傷めつける。
カラスの上を散歩してきたことすらもう、俺の勘違いな気がしてきた。
あれほど、時間がかかったと思っていた猫の国の滞在も帰ってみれば1時間くらいしか経っていないのだから不思議だ。
目の前の少年だけが俺にとっては異質なことだったけど、彼がただの人であるなら何もおかしなことはないとさえ思えてきた。
「───これ、夢?」
「さあ」
シニカルに笑って見せた顔は、知らない人間の顔なのに既視感があった。
夢だとしたらどこからどこまでがそれで、朝起きたときに俺や、ナルはどうなっていて、俺たちの願いはどうなるんだろう。
少なくとも、俺はこれが夢でなければいいのにと思っていた。


ピピピピ……と、頭に響くアラーム音で、朝に気が付く。
「あれま、がまだ寝てる」
めずらし、と言いながら母が俺を見下ろしていて、代わりにアラームをとめてくれた。
そのくらい俺の目覚ましをうるさかったのかもしれない。
「なに、あんたジャンパーなんて着て寝て……寒いなら布団かけて寝なさいよー」
「はれ……」
寝ぼけた俺は、べしゃりとベッドから滑り落ちて母にしこたま笑われた。
早起きが得意な俺にしては珍しく寝とぼけているだろう。
「あ、がっこ……?」
「今日休むっていったでしょうが」
「なんで?」
「予定あるじゃないの」
なにそれ、と思いながらゆっくり意識を覚醒させようとする。
母に学校を休めと言われるほどの用事なんて、前もって言われていなかったと思うんだけど、いかんせん今、とても寝ぼけている。
正直、目覚めてすぐに学校と言ったのだって反射的に言っただけであって、平日か休日かもわかってなかった。
「てかなんでジャンパー着てんだろ」
「寝ぼけて遊びに行こうとしてたんじゃない」
けらけらと笑われて、恥ずかしくなってジャンパーを脱ぐ。
クローゼットも開けっ放しだし、心なし部屋がくちゃっとしてるんだけど俺は昨晩、どこに冒険に行こうとしたんだ……。
「ていうか予定ってなに?出かける?飯いる?」
「いいのいいの、人がくるから」
「は」
「人が、くるから」
母に言われて俺はフリーズする。
人がくるだと?なんの準備もしてない朝に言われてどうしろと?
目の前がぐるぐるしているところに、インターホンの音が鳴る。
お、来た。と母が呑気に言うので俺は慌てて頭をぐしゃぐしゃしてから手櫛でとかす。
自分だけ早起きして身支度を整えていた母の裏切りに泣きながら、顔を洗って髪とかして服を適当に着て、リビングをそっとのぞき込む。
~お客様用のお茶ってどこだっけ~」
「……お構いなく」
キッチンでごそごそやってる母と、それを眺める男の後姿。体格的に華奢な方で、少年っぽい。
「あ、どうもー、座って座って───」
へらっと笑って来客を追い越し、身内の恥を隠しに行こうとしたところで、俺は足を止める。一瞬だけ見たその顔があまりにも綺麗だったから、というだけではなくて。
「ナル?」
少年は、黙って俺を見返す。
澄ました顔をしてるが奥底では俺をつぶさに観察してくるような瞳。
俺のことをそんな風にみる───夢の中で出会ったみたいな既視感がある少年に、呼び掛けた。
母がいまだキッチンで俺を呼んでいるけど、俺たちは見つめ合っていた。
彼は少しだけ目を細めて、知らん顔で笑ったふりをする。
「……ナルだろ、俺の……俺の───」
突然、前後不覚になったような気分だ。
猫の時の色はなくなった黒い虹彩の瞳に、俺の不安げな顔が映る。
「───そう。お前の猫だ」
輝くように白い肌と、薄くて形の良い唇はこのときようやく、わずかに動き囁くようにいった。
夢だと思っていたことが朝起きて現実となっていたのなら、昨夜のあれはきっと奇跡に近い、魔法に近い、とても不思議な出来事だったんだろう。




next(おまけ)
ナルは最初から主人公の「一緒にいて」の願いをかなえてあげようと思ってて、同じ時間を生きるために人間になるつもりでした。
ジーンは時を止めてしまった猫だから、一緒にいることはできないというのを主人公もジーンもわかっていてお別れをしました。
ちなみにナルが言う「お前の猫」はお前にとって世界で一番大好きで大切で一生傍にいたい存在だぞという意味なので大変不遜。主人公の「飼い主」というのも、猫のことが好きで好きで仕方ない人間という解釈です。
Feb.2022

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