Breath.
*オリキャラ、捏造リン父が登場します。山に人が足を踏み入れたのを感じた。ここに訪ねてくる人は大抵がじじいの知り合いだから、興味なんてない。退屈と眠気を持て余しながら、樹の上で寝そべる身体の向きを少しだけ変えた。
身体の一部が枝から落ちるが、ぶらぶらと持て余す。
暇つぶしに客とじじいの話でも聞こうかと、風に乗る声を引き寄せてみた。
───だが、話し声よりも先に足音がこちらへ近づいてくるのが分かって、俺は咄嗟に身体の向きを変えた。ぎう、と樹の枝にしがみついて、頭はそろりそろりと葉の影へ忍ばせる。
声もなくこちらにくるものだから、誰が来ているのだかも判断できないのだ。
「そこに……だれかいますか?」
高い声がした。女というよりも少年のような声。───なんでここに子供がいるんだと疑問に思うも、突如俺を隠していた枝が持ち上げられた。
そしたら思いのほか至近距離で目が合って、子供はヒュッと息を吸い込み絶句した。
「「…………」」
生まれてからずっと山の中にいた俺は、ちゃんと人と会うのは初めてだった。
この姿を見てどんな反応をしてくるのだかわからなくて戸惑う。
目を見開き、困惑している子供に対し、俺はどうしたものかと身じろぎをした。
───その拍子にさっきまで抑え込んでたわんでいた枝が外れ、勢いよく元の位置に戻った。
ビュッと風を切る音の後に、パンッと弾ける音がする。
丁度子供の頭があるところに、葉の着いた枝がぶち当たった。その勢いのまま子供は尻餅をつき、痛みに呻いている。
ワァ~~~~!!ただでさえ気まずい思いをしていたというのに、俺はなんてことを~~~!?
『だいじょうぶ?ごめんな?』
俺は反射的に樹から降りた。
声をかけてみたがうまく発音ができないので、喉が「キュゥキュゥ」とか鳴き声を上げてる。
「うぅ、も、もうしわけありません」
子供は俺の鳴き声に反応して、びくりと肩を揺らした。
そして顔を抑えたまま前のめりになって、頭を低くする。そんなに恐縮しなくてもいいのに。
「ゆ、ゆるしもなく御前にまかりでた罰をおうけします、───龍よ」
震える手が地面をにじる様子はとても憐れだ。顔色も蒼褪め……てはいなくて、むしろ真っ赤になっていたが、頭を打ったせいだろう。
子供に跪いて許しを乞わせる真似をさせたくないのだが、この龍の身体はやっぱり威圧感を与えるらしい。
龍として生まれる前は人間だったので、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
俺は龍のなかでも一等若く、他の龍ほど気難しくもない。それにこの子はじじいの客であり、じじいが加護を与えている一族の子だろう。この子自身はまだ何も授かってないようだが、山に入って来た時にした気配はじじいの加護がついていた。おそらくじじいに挨拶にきたのだろう。
人間であれば手を差し出したり、土を払ってやったりしたいところだが、俺の手……っていうか足はかなり下のほうにありまして。しかも鋭い鍵爪なので子供の柔肌に触れるのは躊躇った。なので頭を使って子供の顔を上げさせる。
びく、と驚いてはいたが、俺のなすがままに顔を上げた子供はさっきみたいに俺を見つめた。恐縮はしているようだが、酷く怯えるとまではいかない。やっぱりじじいの気にかけてる一族の子なだけある。
「おゆるし、いただけるのですか?」
そんなことより、子の顔に傷がついてしまった。絶対さっき樹にビンタされたせいだろう。つまり俺のせい。
ここでも手が使えないので、俺は反射的にまた頭を使ってすりよって、頬に走った赤い筋に舌を這わせた。
べろん。
「ぃ!?」
痛かったのか、ぞわっとしたのかはわからないが、子供は小さな悲鳴を上げる。
舐めてあげるのは好意を示す行動になるのではないかと。犬猫みたいなやり方だが、今はそれでもいい。
ぺちょぺちょ……
ん?しまった唾液をつけ過ぎた……舐めとれば良いのか?ちょっと強めに……
れろぉん
「???、ぅ、……!……っ!?」
「───興徐!」
「っ」
どうしたらいいのかわからないと、硬直したまま俺に舐められてた子供だが、背後から駆けつけてきた声に反応して振り返る。
興徐というのはこの子の名前なのだろう。そして駆け寄って来たのはじじいの加護の気配がする男だ。大人の見た目をしているので、この子の父親かなにかだろう。
「いったいなにが……───!あ、あなたは……!」
男は興徐の懐にいた俺を見下ろした途端にその顔色を蒼褪めさせる。
はくりと声も出さずに喉を震わせたが、その次の言葉を紡ぐ前に興徐が「ぃたい……」と呻きながら顔を抑えて蹲った為に有耶無耶となった。
男は俺に頭を下げてから興徐を連れて走って行った。たぶんじじいの持ってる屋敷だろう。あそこは時折やって来る人用に誂えてある。
顔に傷がついてしまったが、俺が言うのもなんだけどかすり傷だ。あんな風に蹲ってしまうほどの怪我であれば、俺に顔を舐められてる間にもっと痛がっているはず。
まあ、何はともあれ生命力が枯渇しているようには見えなかったし、大丈夫だろ───と、思っていた俺はじじいに雷を落とされた。本当のやつ。これだから龍ってやつはよ。
『この馬鹿者!!!』
大きな衝撃に身体を打たれてのたうち回った。それだけじゃなく、びりびりと体中を這う刺激が継続するので、成すすべもない。
龍は声帯ではなく直接頭に意志を伝えてくるのだが、感情が高ぶってると当然それを受け取る方にダメージが来る。
じじい、カンカンである。
『なんでそんなに怒るんだよ!?』
『お前自分が何をしでかしたのかわかっておらんのか!?』
再びじじいの周りに火花が散ったと思ったら、俺の口の中で衝撃が爆ぜた。
正確に言うと俺の舌にあたる。
「!?……びゃ~~~~!びゃ~~~~~っ」
身も蓋もなく泣いた。身体の外は丈夫な鱗があるが、口の中はデリケートなので。
じじい曰く、龍の身体は鱗一枚、爪ひとかけ、髭の一本までも霊力が詰まっていて唾液もそうなんだとか。
そして俺がさっき興徐の顔を舐めた時、傷口と目から唾液が入った。
頬の傷は幸い浅かったこともあり少量しか体内に取り込まれていないが、目は繊細な気管そのもの。今、強い力を直接浴びたことによって、かなりのダメージを負っている。
『も、もしかして失明……?』
『その可能性は高いな。上手くいけばお前の霊力に触発されて、青眼が開くかもしれんが』
『青眼って?』
『本来人間には見えぬものを見る力を持つ目のことだ。稀に先天的に持って生まれることもあって、そういった人間たちは修行を積んで道士になる。あれも林の子だからある程度耐性はあるだろうよ』
言葉だけでとらえると青眼は違う意味を持ってるけど、そんな特殊な意味を持つ呼び名もあるんか……と違和感を飲み込む。
そして林の家の子ときけば、やはりじじいに長いこと加護をもらってる一族で、まばらだが道士になる子もいたはずだ。
『俺はどうしたら……?』
『どうもせん。今後は不用意に人に触れるでないぞ。それどころか愛撫するなど犬じゃあるまいし……龍としての威厳をもて』
カッと喉を鳴らしたじじいは不遜な態度でそっぽ向いた。
じじいの屋敷の中庭で行われた説教とお仕置きが終わると、興徐を運んでいった男が部屋から出てきたのが見えた。
男は俺達の姿に気が付くなり、駆け寄ってきて頭を下げる。そしてじじいにどうだと聞かれると顔を上げた。
「熱や痛みは引いて来たようです」
その言葉を聞き、じじいの後ろでややへっぴり腰になってた俺は安堵する。
「視力は今のところほとんどないようですが、かすかに明暗はわかります」
『それだけ残れば御の字だな』
「ええ」
それを御の字で済ませて良いのか……。と思ったが、龍に責任問題を問うても仕方がないんだろう。龍のやることに対する認識は天災と同じだし……。でもやったの俺だし……。
『───あれ、そういえばなんでじじいの言ってる事がわかるんだ?』
『浩然にはわたしが加護を与えたからだ』
『じゃあ俺も加護ってやつすればいいの?どうやるの?』
浩然ていうのが多分この男の名前なのだろう。俺は興味本位で意思を伝えてみようと思ったが、やはり届いてる様子はない。申し訳なさそうに浩然は肩をすくめ、じじいを見た。
そんなじじいは尾で俺をべちっと叩く。
『人に加護を与えるなんぞ三百年早い』
『え~じゃあ、じじい俺の代わりにごめんって言って』
『ハ……?お前、今なんていった……?』
『だから謝っておいてって───いややっぱ自分で言いたいから、加護の与えかた教えてよじじい』
ピシャァアン───と、雷が周囲に落ちた。
浩然と俺はびくっと震えたが、幸いにも俺たちに当たることはなかった。
じじい、動揺したからって急に雷起こすなよ……力が強い龍なんだからさ。
『お前……生まれたてのくせに……本当に龍か?』
『なんだよ』
『龍という生き物は大概が不遜で乱暴で我儘で短気だ。生まれた瞬間からな』
『ああ、ウン』
俺はじじいを見て、だろうなって頷く。
だがそんな俺の言いたいことを理解しただろうじじいに、再び尾で叩かれた。
『言っておくが、わたしは長く生きた分かなり温厚だぞ。つまり生まれたばかりの龍はかなり本能が強くて弱い生き物に配慮なんてしないのだ』
温厚……これでぇ??と思ったけどもう一回ぶたれるか雷を落とされたら嫌だから黙っておく。
『そもそも初めて人間をみたというのに、擦り寄って舐め回す時点でおかしいとは思っていたが……いやはや』
しかし、じじいもじじいで、俺に胡乱な目を向けていた。
『浩然よ、この小龍が興徐に詫びたいと言っているぞ』
「!───身に余る光栄でございます」
浩然はじじいから俺の意思を聞くと、背筋を伸ばしてから頭を下げた。
だが、詫びる必要はないと言われてしまう。なんでだ。
「おかげさまで良い目を手に入れられるのです。あの子は優秀な道士になるでしょう」
「キュゥ……」
でもぉ、と喉が鳴る。
「元はと言えば興徐がお許しもなくお目にかかったことが過ちです。老龍のおっしゃる通り、龍とは生来のご気質が熾烈な神獣……あまつさえお目覚めになったばかりだというのに、興徐を罰するどころかお心配りをしてくださったのです。どうかお気に召されぬよう」
ウンン、むじゅがゆい……。
人間じゃなくなったこと、龍になったことは少しずつ慣れてきたけど、人間に直接崇められるのは初めてだから。
結局、浩然の穏やかな口調に丸め込まれた俺は、謝ることも、興徐を見舞うこともできなかった。
興徐は具合が良くなり次第じじいに加護を授かり、山を下りるらしい。
せっかく人間にあえたのに、ビビらす、顔に怪我をさせる、喋れない、視力を奪う、そして変な力を与える、という『しでかし』をこんもりと乗せた俺は罪悪感と、不満───そして、好奇心でいっぱいだ。
こういうとこは、俺にも龍の気質に寄ってるともいえよう。
と、いうわけで三日後、───俺はこっそり興徐を訪ねることにした。
部屋の外から風を操って様子を窺うと、中には興徐しかいないのがわかる。浩然は別室で休んでいて、じじいは酒をのんで寝ていて、つまり───今夜がチャンスだ。
興徐のいる部屋の、ぼんやりと明かりの透ける窓を、尾でフサフサ撫でた。
そのまま少し待つと、影が現れ障子が開けられる。
「ンキャ」
「~~~~!?!?!?」
ばあ、と顔を出したら、同じく顔を出そうとしていた興徐が驚きのあまり飛びのいた。その隙に窓からスルンと中に入る。体躯が長いけど細いって便利だな。
「わ、たしに会いにきてくださったのですか……?」
言葉は通じないが、頷けば意図は理解された。
興徐は少し目元を和らげて微笑み、俺にお礼を言う。……お礼を言われるようなことは何一つないが、この遜った態度はもう諦めた。龍とは人にとってそういう生き物なのだと。
「父から心配してくださったと聞いております。もうすっかりよくなり、明日には加護を受けられそうで、山を下ります」
え~……つまんない。
「ンンン」
俺は四本の脚に力を入れて踏ん張った。爪がカリッと板の間に刺さるが気にしない。
興徐は俺がうねうねと身体をくねらせているので困惑している。
「……?」
「んぅ、き、ぅう」
頭をぐるんっと抱え込むようにして、身体を精一杯縮ませる。
背中に生える鬣や体中の鱗がぶわぶわと立ち、長い尾がびくびくと震えながら、ずるりと床を這う。
何をしているかというと、俺は身体を変化させようとしていたのだ。
龍はその姿を他の動物に変えられて、現にじじいも酒を飲むのに人の姿をとっている。なので俺も無理な話ではないはず。だって元はと言えば人間だし。
「───ぷはぁっ」
詰めてた息を吐き出して身体を起こすと、ふわっと鬣が持ち上がってさらさらと落ちた。
背中をくすぐるその感覚、自分の視界の高さ、興徐の驚く顔からして成功だ。
身体の使い方を思いだしながら腕を伸ばしてみると、視界に人の肌をしたそれが現れる。想像してたより小さいが、手を握ったり開いたりできるので十分である。
「みてっ、にんげんになれたーーーーゎん!」
喜びのあまり駆け寄ろうとしたら転んだ。
手足が……短い……。龍の身体とも、思ってた人間の身体とも違いすぎる。
見た感じ、三歳くらいの幼児だろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
助け起こそうとする興徐だったが、触れるのを躊躇って傍にしゃがんでいる。
痛いとか怪我をしたとかではないし、本当に幼い子供と言う訳ではないので自力で起き上がって大丈夫と答えた。
だが興徐は俺のそんな様子を見た後、何かに気づいたように立ち上がる。
「なにかお召しになった方が」
「え?ああ~……」
背を向けて荷物を漁る興徐と、自分の身体を順番に見た。
俺、素っ裸である。
「大きいかもしれませんがこれを」
興徐はやや乱暴に自分のシャツのようなものを引っ張りだしてきて、俺の背中にかけた。
そして釦をしめて、袖を丁寧に折りたたんで俺の腕を取り出そうとする。
「いい」
「あ、」
うっかり甲斐甲斐しくお世話されそうになったが、腕をあげて逃げた。
興徐は残念そうな声を零したけれど、しつこく追いかけてくることなく両手を膝の上に下ろして床に座っている。なんだかなあ。
「……やみあがりなんだから、こっちにおいで」
寝台をぺんぺんと叩くと、興徐はおずおずと近づいてきてそこに座る。俺も同じようによじ登って、柔らかい布団の上に立った。
「めをみせてくれる?」
「はい」
俺がそう願えば興徐は従順に、俺に顔を向ける。
傷があった場所はすでに完治しているようだが、目は違う。左の黒に比べると右は青緑が滲んでいた。
俺の力はほとんど抜けているようだが、じじいの言う通り霊能を宿した目になったらしい。俺が無知なばかりに……。
「お、おれぇ。……せきにんとるから……」
「責任……ですか?」
「うん、みえなくなった めのかわりに おれがなる」
「───っ、それは……わたしと契りをむすんでくださると……?」
契りを結ぶってつまり、あれだろ、じじいが数百年前に人間に仕えていたという。それが林の家の子だから今もじじいが加護を与えてるのだ。
なので俺もじじいのように、林の家の子に仕えればいいってことだな。
「そういうこと」
こくん、と頷くと俺たちの間にふわりと風が舞う。
そして俺の身体からあふれた霊力が光り、すぐ傍にいた興徐の身体に巻き付いた。
あ、あれ??
本能的に、何をすればいいのかはわかるが、本当か……?
顔を近づけると、興徐は目を閉じる。
風によって舞い上がった髪がどけられて、額が露わになっていた。
そこに、ぷちゅっと唇をつけて離れる。
本当にこれでいいのか??と見ていると、興徐の額には不思議な青い紋様が浮かび上がって、すぐに消えた。
「この上ない───喜びです……」
うっとりと微笑んだ興徐は、そう言うなりずるりと身体をたおした。
どうやら熱に浮かされているようで、原因は契りの儀式で注がれた俺の力が溢れているらしかった。
今は休ませ、馴染むのを待つしかないと分かったので、俺はそのまま一緒に眠ることにする。
人間の身体はぬくぬくに弱い。
翌朝、興徐を起こしに来た浩然が絶叫した。
俺たちはその声にようやく目覚めたし、じじいも騒ぎを聞きつけてやってくる。
怒られることはわかってたので、布団の上に二人で座って、ワナワナ震える大人二人を見上げた。
「お、お、お、おまえっ、その姿はなんだ!?」
「人のお姿をとったということは、まさか……っ」
「───!!?!つ、繋がりができているではないか……!!!」
俺が人間の姿になったことをそんなに驚くとは思わなかったが、やっぱり俺と興徐の間に繋がりがあることはじじいにはわかってしまった。今俺の力が興徐に纏わりついてるのは事実だ。
じじいはショックを受けたようで跪く。二日酔いのせいもあると思う。
「そんな……そんな……お前たちは二人ともまだ幼く未熟だというのに、なんてことを……っ!」
じじい曰く、俺は龍の中でもかなり霊力を有する種類。生まれたてなので力の制御が出来てないのは当然のこと、今後もっと力が強くなるのだとか。
それで興徐と繋がりを作った今は、興徐にもその影響がいくらしい。
「わたしは平気です。これから修練を積んできっと耐えられるようになります」
「無理だ、龍の成長に人間のお前が追い付くはずもない。……老龍、繋がりを一時的に封じることはできますか」
「ああ、そうするつもりでいた」
え~!と抗議の声をあげたが、興徐の身体が耐えられなくなると脅されては引っ込まざるを得ない。
興徐は最後まで嫌そうにしていたが、父やじじいから逃げられるはずもなく、俺との繋がりを封じられた。
一切合切の繋がりがないわけではないが、身体にじじいの枷が付いたようで俺の力が興徐の身体に通っても、勝手に逃がされるような感じだ。
興徐と俺がそれぞれ力の制御を覚えるまでは、なるべく距離をとって過ごすことが望ましいとか。
本来俺は片目が不自由になる興徐のサポートをしたかったのだが、上手くいかないものね。……まあ、誰もそんなこと望んでいなかったのだが。
───それから十年の時が経ち、俺は最後の試練として、じじいと鬼事をすることになった。
じじいの身体の一部に触れられれば合格、触れられなければ俺はまだ小宝宝ということになり、山を下りられない。
最初の内はじじいに翻弄され続けていたが、徐々に気配を読み素早く動くことに慣れたところで、じじいへの奇襲に成功して合格をもらった。
「───これで多少、見られる龍にはなったな」
と、じじいが言う。見られる龍とは?
「しかし本当に人と暮らすのか?……まだわたしの小宝宝でいる予定だったのに……」
「まだいってんのか、じじい」
「お前はほんとうに"無垢"だな。興徐はまだ幼いお前の善意を利用して力を得ようとしたんだぞ……」
「結果的にはそうだけどさ」
俺にだってわかる。視力を失って生活に不便があることを憐れんだ俺に対し、人が望んでいるのは龍から得られる能力だと。
「───いいの、興徐がそう望むのなら」
じじいは俺の笑った顔を見て、フンッと息を吐いた。
人の人生は短いし、人の願い……それこそ龍の力を利用したいという欲など、俺たちにしてみればとても些細なことなのだ。
結局龍は気に入った人間にしか力を与えない。
そして、愛した種族の形しかとれない。俺が元人間だから、などと言うつもりはなかった。
「じゃあ、時々は帰ってくるよ───爸爸」
「びゃ……」
挨拶に頭をぶつけた後、ふざけてそう言えばじじいは変な鳴き声を出して顎を外した。
厳密にいうとじじいは父親ではない。そもそも龍は自然から生まれる存在なので親と子という概念はないのだ。
でも俺が生まれてからずっと見守って来た存在なので、人間の感覚でいえばやっぱり父親にあたるのだろう。ちゃんと言ってあげるつもりはないけれど。
興徐が今住んでいるのはイギリスのケンブリッジという都市である。
俺が棲んでいた中国の山奥から行くとなると、かなりの距離になるが、そこは風を司る龍たる俺にしてみれば大した問題ではない。
そうやってケンブリッジに辿り着き、風を使って興徐を探した。
広い敷地の大きな建物の中にいるようで、おそらく浩然が言っていた興徐の通う学校なのだろう。
霊気に満ちた山ならともかく、人の気が多い場所で俺の姿が見えることは稀なので、悠々と空を飛びながら興徐に向かって飛んでいく。
辿り着いたのは研究室と書かれた部屋の中。興徐はパソコンと向き合いながら作業をしているようだ。
山から下りてからは全く会っていなかったので、大きくなったなァほんとに、としみじみ思う。
右目は髪を長く伸ばして隠しているようで、それが死角となっているのかまだ俺には気づいていないらしい。封じられているとはいえ俺と興徐は契約を交わした間柄、例え山から下りても俺の姿は見られるはずなのに。……余程作業に集中しているのだろうな。
ふと、興徐の手が動き出し、視線をやらずに何かを探し始めた。
悪戯心がわいた俺は、そこに頭をつっこんで、興徐に撫でられるのを待つ。
すると目論見通り、俺の鼻先に指が触れた。途端、興徐の手はピクリと跳ね、反射的に俺がいる場所に目を向ける。
「ンキャ」
「!?!?!?」
興徐は面白いくらい驚き、椅子から転げ落ちそうになるほど動揺した。
なんなら落ちまいと机にしがみついたせいで、脇に置いてあった飲み物や書類を倒すまでしていた。
「……何故ここに……?」
興徐は倒したコップを元に戻したが、零した飲料や汚れる床や書類をそのまま、声を潜めて俺に問う。
『驚いた?』
「当然です」
はあ、と眉を顰めてため息を吐く興徐は、神経質そうな仕草で、額に指先を引っかけて肩をすくめた。
龍の時の俺の声は問題なく興徐に聞こえているようだが、なんだかそれを喜んでいる場合ではなさそう。
『……迷惑だった?』
「いいえ」
『でも、嫌そう』
「まさかっ、そんなことはありません───っ、ここでは、あまり話せませんから気がかりで」
『今人はいないみたいだけど、一応人の姿をとっておくか』
「え───」
興徐は周囲の様子を気にしているようだった。
傍から見たら誰もいないところに一人で話しかけているように見えてしまうから。
それならと人の姿をとってみせたのだが、興徐はかなり慌てた様子で身構える。
「これでどう?」
「……あ、……ああ、……」
「なに?」
どうやら俺が人の姿をとるのを止めようと立ち上がったが、俺が人になって現れると拍子抜けしたように椅子に座った。
「その、ここには御召し物がないので……」
「あっははははは!!!」
興徐はどうやら俺が裸で現れると思っていたらしい。さすがにそれは、もう学んだから。
それだけじゃなく俗世の勉強もしたし、興徐がどうやって暮らしているかも浩然から聞いていた。だからこうして、興徐の元へやってこられたのだ。
「山から下りるのは初めてだけど、ちゃんとこっちの暮らしのことは学んできたんだ」
「そうでしたか。───、では、もう許しが?」
「うん。これからはちゃんと、俺がお前の目になれる」
俺は興徐の手を取って、顔を覗き込む。
手を伸ばして、隠した右目に触れると興徐は反射的に瞬きをした。
そして俺が"与えた"目を細めて微笑んだ。
「───ずっと、この日をお待ちしてました」
興徐はすぐに帰るといって荷物をまとめだした。
学校はいいのかと聞いたが、その辺は融通が利くのだそう。
帰りに教授と話があると別の部屋に寄ったけど、さほど時間をかけず、廊下で待っていた俺の元へやって来た。
そして手を差し出すので、繋いで一緒に歩き出す。
「あのさ、俺子供じゃないから、手なんて繋がなくてもよくない?」
「わかっています。ただ、会えた喜びに浮かれているようです」
「それならいいけど」
俺の人の姿は、三歳くらいだった以前に比べても、八歳程度にまでしか変わらなかったので、興徐が手を繋いでいるのは子供扱いなのだと思った。
浮かれてる、なんて言い方をしても、体の良い言い訳のような気がするが……まあいいやと甘受する。
興徐の家は学校からバスに乗って十分ほどにある共同住宅で、部屋は一つしかなく小さなキッチンとシャワールームの手狭な間取りだった。
「狭くない?」
「……眠るスペースはあるので十分だと思っていましたが、これからはそうはいきませんね」
「いや、俺のことは考えなくてもいいよ、人の形で過ごさなくてもいいし」
「龍の姿になったらもっと大きいではありませんか」
「そしたら外にいる」
ぐっと親指を立てる俺に対し、興徐はぐっと眉間にしわを寄せた。言いたいことはわかるけど、俺は前まで山……つまり外で暮らしてたので平気なんだぞ。
だが結局、興徐は俺が家の中にいられないというのは我慢ならないようだったので、その案は却下となった。
「まあ、引っ越すかどうかは追々な。それよりまずはすることがあるよ、興徐」
「なんでしょう」
「それは契約の更新だ!」
気を取り直して俺と興徐は、部屋の中で隣り合って座る。
寛ぐスペースがないので、ベッドの上だが問題ない。前もそうだった。
契約の更新、と言われてよくわかっていない興徐に俺はエヘンと咳ばらいをする。
更新というのは言葉の綾のような、あながち間違ってもいないような名称だ。
「興徐の身体にはまだじじいの封印が残っている。それを解こうと思ってさ」
「はい、どうやったら解けるのでしょうか」
解いて大丈夫なのか、とかはないんだな。俺が力をコントロールできるようになり、なおかつ興徐の身体も成長したのは明らかだからいいんだけどさ。
「じじい曰く日常的に俺といれば自然と力を浴びることになって弱まっていくそうなんだが、興徐に力を与えて壊すこともできるらしい」
「ではそうしてください」
「回答が早い……」
「私は十年待ちました」
それとこれとは別なような。と思いつつ興徐は昔と変わらないなあと笑う。
あの時も封じられるのは嫌がって耐えると言ってたっけ。
「前も俺の力で具合悪くなったのは覚えてるよな?」
「今はあの頃より互いに条件が良いはずです」
「普通にしてるだけならな。今回は封印を解くために少し多く力を注ぐ必要がある。だからその後熱が出たり、怠くなったり、失神するかもしれないよ」
「構いません、丁度明日は何の予定もありませんから」
「……分かりきったことを聞いたな」
もう笑うしかなかった。
林の家の子はじじいの加護を受けているが、それは全員ではなく可能性のある子だけが選ばれて、加護を受けた親族の紹介で山に挨拶にくるのだとか。
あの日、興徐はその誉を胸に山に来て、うっかり俺と出会ったことで加護は受けられなかった。その代わりにもっと強い結びつきである、龍自身との契約を結べたのは、一族としても興徐自身としても良いことではあったのだろう。
ただ、それを十年も正式なものとせずにお預けされたのは、やっぱり子供心にはショックだったはずだ。人の身の特に若かった興徐にとって、十年は永い。
「じゃあ始めよう。怠かったらそのまま倒れていいから」
「はい」
俺はベッドから降りて、座っている興徐の前に立つ。身長差の関係で、ちょっと見下ろす程度で視線が合った。
最初、俺の霊力は風となって現れる。興徐のシャツの襟や髪の毛を揺らしながら撫でた。
そして徐々に光を帯び始め、強さを増していく。
興徐の額には青い紋章───俺の印が浮かび上がった。
指先で額と眉間、鼻の頭に触れた後、顎を捉えて顔を近づける。
すうっと息を吸い込んでから止めて、興徐の結ばれた唇に、自分の唇を押しあてた。
興徐はその感触に驚き目を瞠る。そして緊張したように身体がこわばったが、俺が唇を開かせるのを受け入れて顎を上に向けた。
興徐の口の隙間に舌を滑り込ませる。
ぬるりとした感触は当然、互いの唾液が絡まる証拠だ。
より深く口づけようと角度を変えて舌を伸ばすと、興徐が身じろぎをして俺の肩に触れた。
『舌を絡ませて』
声を出す為には唇を離さければならないので頭に直接伝えると、興徐はその通りに俺の舌に自分の舌を絡めた。
同時に俺の肩を掴んでいた手が少しずつ下りてきて、腕を辿々しく握った。
『飲んで』
ぬちぬち、と少しだけ舌を絡ませた後、俺は唾液を飲むように興徐に伝えた。
ぎこちなく喉が嚥下しようとする動きを感じながら、興徐の口から舌を引き抜く。
その拍子に糸を引いた唾液が顎についたのが見えたので、指で拭って興徐の口に押し込んだ。これも一応、霊力の素であるから。
「……はぁ、は、はっ……」
興徐は荒い呼吸を整える余裕すらないようで、縋りつくように俺の腕を掴んだままだ。
「辛い?」
手が使えないので頬で興徐の額に触れて体温を測ると、かなり熱を持っていた。
だが否定するように興徐は首を振って、濡れた唇を開く。
「もっ……と」
強請る興徐の状態を見て、俺は確信する。
「───もう大丈夫、封印は壊せたから」
「……え……?」
どうやら驚いたらしく、興徐が俺の腕を掴んでいた手が落ちた。
顔が真っ赤なので、やっぱり熱はあるらしい。
「いまの、は、封印を解くための……」
そんな熱に浮かされて頭が働いてないようだ。だって俺、封印を解くよって言ったよな。
うんと頷くと、興徐はふらりと手をつき、ベッドに顔を伏せる。
「龍の唾液には霊力がたくさん含まれてる。身をもって知ってるだろ?」
「───……はい…………」
興徐はそのまま、布団に潜り込んで二日ほど寝込んだ。
……注ぎ過ぎた自覚はあった。
...
龍と契約するリンさんが見たい、という思いで書きました。
私を創った少女漫画に、聖♡ドラゴンガールというのがあるんですが。ヒーローが召喚した龍がヒロイン憑いてしまって、その龍の力を使いたいときヒーローが封印解除みたいなのをするんですが、それが略式だとキスなの……好きだった。本作では主人公が龍なので色々と変えていますが。
この後GH原作軸に行く使命感が私にはある……。
以下簡単に設定。
・小龍(主人公)
『おちび』感覚で呼ばれていて、名前ではありません。
リンがそのうち名前をつけて。リンだけが呼ぶと思うので、大抵の人たちは小龍または龍(ロン)と呼ぶことになる。
風を司る龍と書いたけど、風と雷をそのうち使えるようになる青龍という設定があったりなかったり。青緑の鱗に金の目。人間姿は青緑かかった黒髪で、目は黄土色くらいにしているけど興奮したり力を使うときは金色にかわる。瞳孔も縦割れ。
リンの式が本来五つであったことから、五行思想の一つから青龍にしたけど、明らかに他の式とは違いすぎるのでいっそのこと五つの式は持たない方向になりそう……。
一応龍としては百年くらい生きてるけど、幼少期はほぼ寝てばかりで過ごしていたので自我は曖昧だった。
普通の龍と比べたら大分人間寄りだけど、それでも人外感は年々増してきている。
・興徐(私が書くと様子がおかしくなるリンさん)
青眼が後天的なもので、主人公に与えられた霊能だったらいいなァと思いました。目を隠してない時代があったはずというところから思いついた設定。
出逢った時は十二、三歳くらい。初めて見た主人公を欲しいと思った。龍としても運命の相手としても。
視力失ったことは全く気にしてないし、青眼得られた上に龍を手に入れたハッピーボーイ。
ちなみに青眼に関する記述が見つけられなくて……、中国のことわざ?で好意的な眼差しという意味だそうですね。あとはデュエル。ぶるーあいずほわいとどらごん。
もっと専門的な資料を当たらないといけないなと思ったのですけど、それはまたいつか。
・老龍(じじい)
主人公と同じく名前ではない。パパでもない。
数百年前にリンの家の誰かと契約していた龍で、その末裔に度々加護を与えている。
三千年くらい生きていて、雷を使っているけど、一応設定としては黄(金)龍。五行思想で言うところの土。別にリンの式にする予定はない。
昔はかなりヤンチャをしていたかもしれない。色々あって丸くなった。
あと三百年くらいは面倒を見るつもりだった赤ちゃんが、突然若い人間と出て行くと言い出したので駆け落ちされたみたいな気持ち。この泥棒猫っ。
・浩然(リンの父)
読み方はハオラン。よくある中国人のお名前からとった、完全なる捏造。
興徐と主人公が契約しちゃったとき、子供同士でヤッちゃったみたいな感覚を抱いた。あながち間違いでもない(?)
それはそうとして龍と契約したのは一族の名誉であるので、末永くよろしくしたい所存。
リンと主人公は逢えなかったので、浩然が主人公にリンの近況を伝えていた。
当然ながら息子より小龍への対応の方が甘い。
Oct.2024