DADDY - Red Eyes 24
(麻衣視点)「ここにいる雛が、案内役くらいはしてくれるだろう」
さんはそう言いながら、あたしの手に何かを持たせた。
雛がいるという口ぶりからヒヨコみたいなのを想像して、あたしの手は桶を作るように丸まった。
そんなあたしの様子を見て、さんは目を細めた。───その目が、ぼんやりと緋色に光ったような気がしたけれど、すぐに視界が遮られる。さんの手だ。指先が額から鼻先に向かって軽くなぞると、あたしの意識までも帳を下ろすように、暗闇の中へと沈み込む。
まさしく、瞬く間の出来事だった。半分強制的に瞑った目をそっと開けると、あたしはどこでもない空間にぽつりと立っていて、その手の中にはさんが示唆した通り雛がいた。
雛は金色のふわふわの綿毛で、温かく手柔らかくて、鼓動がトクトクと手の中に響いてくる。
現実では見えなかったことから、普通の生き物ではないと思っていたけど、今手の中にあるのは命のぬくもりを感じる。これはきっと夢なのに、すごい。
ああでも、死ぬ夢を見るた時の、あの生々しい感触は───。
「ピィ」
背筋がゾクリと震えそうになったところで、高い鳴き声があたしの意思を平常に引き戻す。
雛はその丸い身体を捩って、あたしの手の中で立ち上がった。そして小さな羽を広げて、羽ばたこうとした。
「と、飛べるの?」
案内すると聞いていたけど、この小ささで空を飛べるのかな。
おっかなびっくり見守っていたあたしの予想に反して、雛はあたしの手を蹴って飛び始めた。
さんが案内をしてくれると言っていたことを思い出して、その雛が飛んでいくのを追いかける。
足を踏み出した先は闇の中で、何の目印もない。障害物も、風も、音もない中、雛だけが金色に光っているのが目に見える。
夢中で走っていると、いつの間にか雛の姿は闇に消えてしまったけれど、ぼんやりとドアが見え始めた。そこを開けると、暖炉の在る部屋にたどりつく。
───あたし、前にも、その部屋の隠し扉を通った。
それを思い出すと足がすくんだけれど、真砂子を探さないといけない一心で進んだ。
勘を頼りに辿り着いた部屋のドアを、勢いに任せて開ける。
廊下から差し込むほの明るい光に照らされて、蹲る真砂子の姿はちょうどあたしの位置からも見えた。
「真砂子!」
物音にびくりと身をすくませた真砂子に呼び掛ける。
「……ま、い……?」
顔をあげた真砂子はあたしの顔を見ると、ほろほろと泣き出した。
真砂子の肩には、雛が乗っていた。この子が慰めてくれたとかすかに微笑んでいたので、あたしは真砂子の気分が浮上したことが嬉しかった。───それから少しでも気休めになればと、自分の持っていたおまもり代わりの家の鍵を渡した。
物が手の中にあれば、勇気づけられると思ったからだ。雛は夢から覚めると見えなくなってしまうかもしれないし……って、思ったけど夢の中で渡した鍵を現実でも持っていられるわけないか。
でもこの時のあたしに、そういう事を考えられる頭はなかった。
壁に穴が開いたと声をかけられた時、あたしの意識はあの部屋から現実へと戻ってきた。
手の中に本当に雛がいたことをさんに言うと、彼は鷹揚に頷く。
いつだって訳知り顔なんだから、この人。
「手の中から飛んでいってね、真砂子にあえたの」
「そう」
「真砂子、待ってるって……」
あたしたちの会話を聞いていたみんなは、真砂子の話をすると驚いた。単なるあたしの夢の話だけど、それでも安堵する表情が見えたので、次の部屋に行くときは少しだけ軽い足取りになった気がする。
「今は雛、いない、よね?」
夢の中では真砂子の方に移動していたのに、なんとなく手の形をそのままにしているあたしはさんにこっそり尋ねる。
さんは返事をしなかったけど、あたしの背中を軽く撫でた。大丈夫、と言われているみたいで心強かった。
そもそもこの人って、本当に何者なんだろう。
雛の存在もそうだけど、急にここに来たことも、今までの妙に何でも分かっているような態度も謎ばかり。霊が見えるとか、PKが使えるとか、退魔法が出来るとかの疑惑はあったけど、これまでほとんど口を開くこともなかった人なので憶測すら立てることができていない。……つっても、そういうのはだいたい、ぼーさんの仕事なんだけど。
あのリンさんですら香港出身であることや、そこから道士なんじゃないかと言われてたけれど、さんは未だに苗字から出身、何ができるかは不明なままだ。あとナルとの関係も。部下ではないみたいだし、ボディーガードとか言ってたっけ? でも今はそうじゃないみたいだし。
浦戸をおびき寄せるとか、血が特殊だとかは言っていたけど、結局あたしの知識じゃ全然何にも当てはまらない。
その上更に驚かされたのが、誰も除霊出来ないと言って些事を投げた───正確に言うと、方法はあるけど霊能者がやる仕事ではないということになった───浦戸を、一瞬にして消し去ってしまったこと。
真砂子をやっと生身で助けに行けたあたしたちは、安堵する間もなく「全員、すぐに部屋から出るんだ」と、ナルに強い口調で言われる。
さん以外の全員が、見えない力に押し出されるかのように、廊下に追いやられた。
よくわからないけど、嫌な気配が足元から這い上がって来る気がしていた。部屋の中に今にも浦戸が現れるんじゃないかって。
だから一人部屋の中に残ったさんを、連れ戻そうとあたしは一歩足を踏み出しかけた。それを、ナルが腕を勢いよく掴んで引き留める。
なんで! そう思って一瞬ナルを振り返ろうとしたけど、その時にはもうナルに廊下に放り出されていた。
視界がぐるりと回っているのを、綾子に肩を支えてもらって何とか踏ん張る。
「───これより"代行者"が審判を行う」
やっと部屋の中に目を向けられた時、静かで冷淡な声が響き渡った。部屋に残ったさんの声だった。
今まで、話をすること自体少なかったけど、それでも彼の声や話し方は落ち着いていて、どこか温かい印象があった。
低い声なのに威圧的ではない、優しさみたいなのを感じて、声をかけられた時はいつも妙にドキドキしてしまっていたのは内緒の話。
それなのに、この時はなんだか違う意味でドキドキした。
あたしに向けられたわけではないけど、まるでものすごく高いところから詮議が行われるような物々しさがあって、目の前に立つことが恐ろしいと思った。───実際、彼は一人で部屋の中に残り、あたしたちに背を向けていたけれど。
発言の直後、部屋の中は突然現れた炎が広がった。さんの姿もろとも、緋色に染まってしまう。
「きゃぁあっ」
突然の発火に思わず悲鳴を上げた。綾子も、真砂子も同じように。
中には浦戸もいたけど、さんがいたのに、どうして。
「ナ、ナル! どうしよう、さんが」
「下がれ、なら問題ない!」
ドアの前の一番近くに立っていたナルに掴みかかるように言い募ったけど、ナルはあたしを抑え込む。
そこまでされなくても、あたしはこの炎の中に飛び込む勇気はなかっただろう。
「この炎はの能力だ、本人は絶対に燃えない」
「え!?」
「少しも熱くない」
ナルはそう言って、部屋の前に立ったまま炎が放つ強い光を浴び続けていた。
黒い瞳に、炎が放つ緋と黄金が反射して煌々としている。
「! ……言われてみれば、熱くない」
「ほ、ホントだ」
「───きれい」
あたしも、綾子も真砂子も次第にその炎がナルのいう通り、強烈な熱を放っているわけではないことに気づいて、落ち着きを取り戻した。
リンさんでさえ放心したように、炎に充満する部屋に近づいてきたくらいだ。
さんと浦戸らしき黒い影が二つ、炎の中に揺らめいている。
そのうち一つは徐々に小さくなって燃え尽きて、もう一つは次第にこちらに近づいてくるように大きくなる。
やがて部屋の中に充満していた炎はその黒い影に吸われるようにまとわりついて、最後は小さくなった炎を散らすようにさんが現れた。
「閉廷だ」
今までで一番良い笑顔でそう告げたさんは、どこか恍惚そうにも見えて、あたしはすぐに目を反らした。
見てはいけないものを、見てしまったみたい。
これ以上あの緋色に揺らめく瞳を見ていたら、なんだか自分が変わってしまいそうな気がした。
東京に帰って来たのは翌朝で、さらにその次の日。あたしは何事もなかったかのように、渋谷サイキックリサーチのオフィスに出勤していた。
今日が日曜日だというのもさることながら、明日から普通に学校に行くというのが、なんだか信じられない。ここでバイトをして約一年、普通では体験しないようなことを結構してきたとは思うけど、今回の調査はさんのことがなくても、群を抜いて普通ではなかった。
でも、現実なんだよね。普通、普通っていうけど、こういうことも、世の中には存在してるんだ……。
ナルとリンさんが出かけている、本当に誰もいないオフィスだと余計、考え事が捗っちゃって仕方がない。
その時不意に、ドアが開く音がして春の少し埃っぽい空気が部屋に舞い込んだ。あたしは考え事を置き去りにして、ドアの方へ駆け寄っていく。
「こんにちは~、谷山さん」
笑顔で手を振る森さんの姿があった。
オフィスの中を見回しているのでナルもリンさんもいないことを告げると、森さんは残念だと言う。どうやら、『帰る』から挨拶に来たらしい───んん??
「帰るって、ドコに……?」
「んー? ナイショ」
森さんはお茶目に笑ってあたしの質問をかわしながら、マイペースにソファに座って一息つく。
「あのー、森さん。ナルのご両親ってどんな人なんですかー?」
この質問をしたのは、ナルのプライベートが気になっていたからでもあるけど、調査中にリンさんがご両親の存在を仄めかしたからだ。
「ふつうの人よ」
森さんはなんの含みもなく答えた。いやいや、あたしはそれじゃ納得しませんからねっ。
「ふつうの人は、息子が学校にもいかずこんなことしてたら止めませんか」
「あはは、それもそうか」
森さん曰く、ナルのお父さんは超心理学の研究者をしているらしい。親子そろってすごいな……と顔が引きつる。
「あ、ひょっとして身元調査?」
「や、そんなわけでは」
「ナルは自分から話しをしない子だけど、別に秘密主義というわけではないのよ───今は、ちょっと事情があるだけ」
「事情……?」
「そう」
事情ってなんだろう。それが言えないから、自分のことを話さないわけで、あたしが今教えてもらえることは少ないのかもしれない。
なんだろう、わかってたことだけど蚊帳の外って感じで案外寂しい。その感情が顔に出ていたのか、森さんはあたしを手招く。
「これは、ナイショにしといてね」
え、教えてくれるの? そう思って中腰になって耳を傾ける。
「じつはナルとはかけおち中なの」
あたしはたびたび夢にまで見てしまった、さんとナルの寄り添い合う姿を思い浮かべた。内緒話をするための距離感だったとは思っているけど、どちらも目を引く容姿をしているせいか、強烈に印象に残っていた。
ああっ、二人の背後に薔薇の花がぶわりと咲き乱れる……!
「───とかだったらおかしいと思わない?」
「そ、そうですよね、冗談ですよね!?」
あたしの驚く顔とまくし立てる口調に、森さんは、それはもうにこにこだった。
このオネーサン、あたしの反応を見て楽しんでるんだっ。「多分ね」
ああよかった……。
安堵に胸をなでおろしているあたしを、森さんはお昼に連れ出してくれて、その後彼女は教えてくれない『どこか』へ帰るといって、渋谷の雑踏の中に消えていった。
───ん? 「多分ね」?
next.
真砂子の櫛のくだりはありません。主人公が持ってて、落とさなくて、分厚い面の皮して本人に返却しました。
リンとナルは駆け落ち中♡の方がブッ飛んでて面白かったと思うんだけど、麻衣ちゃんに脳内で二人のべったりを思い浮かべてほしかった。
まどかさんは、リンとナルなら影でいじるけど、ナルと叔父さんのことをいじったりはしないような……洒落にならなそうで……とも思ったけどそこは見逃してもらいたく。
Dec. 2025