I am.


Engage. 02

>麻衣

春休みの最終日。思えばこのバイトを始めて一年が経つんだなあと思いながら、今日も事務所でまったりとお客さんを待つ。
くあ……とあくびをしそうになって、事務所のドアが開くとベルがカランっと音を立てる。
反射的に口を閉じ、中に入ってきた人を見るとあたしと同じか少し年上くらいの少年がいた。
アイボリーのノーカラーシャツに、ストライプの入ったグレーのセットアップを着ている。学生というには洗練されていて、けれど社会人にはどうしても見えなかった。
なにより目を引いたのは、片手に杖を持っているところ。足が悪いのかもしれない。
「こんにちは」
よくいる相談者や間違えてきた人のように不安そうでもなく、たまに来るヘンなお客さんほど厚かましそうでもなく、フラットな挨拶をされて席を立った。
「いらっしゃいませ、ご依頼ですか?」
「ああ───えっと、そうか、アルバイトを雇ったんだったか」
「あ、はい、バイトの谷山です!こちらどうぞっ……大丈夫ですか?」
「そう、谷山さん……ありがとうね」
ゆったりした足取りで入って来た彼に、慌ててソファを勧める。手を貸そうかと右往左往していると、にっこり笑って介助は辞退された。
ソファに自力で腰掛けた彼は、隣に杖を置き一呼吸。
「今、二人はいないのかな、驚かせようと思ってこっそりきたんだけど」
肩をすくめる様子からして、この人はナルとリンさんの知人らしい。
「所長は留守にしてて、リンさんなら奥にいますけど……」
「じゃあ、リンを呼んでもらっても?」
きっと知り合いであることはわかってるんだけど、名前も用件もわからなかったので「失礼ですが……」と言葉を濁して様子を窺う。
「あ、ごめんなさい。───リンです」
「え?」
「林が来た、と言ってもらえればわかると思うので」
彼はすぐに言い直した……というより、あたしが反射的の驚いて声を出しちゃっただけなんだけど。
今リンさんの話をしていたから聞き間違えたのかと思ったけど、リンというのは彼の苗字らしい。
もしかして、リンさんのリンって苗字だったのかな。あたしは自己紹介なんてされないまま、呼び名だけでこの一年、一緒に働いて来たんだから。
あれ?ってことは……この人はリンさんの身内ってことか。

「今呼んできますね───あ、リンさん!ちょうどよかった、今」

色々聞きたいことが山積みだったけど、背後でリンさんのいる資料室のドアが開いたので反射的にそっちへ視線をやる。
出てきたのは案の定リンさんで、あたしが声をかけるとゆっくりとこちらを見た。
そしてあたしと、あたしの後ろにいる人を見た彼は、はたりと動きを止める。
片目しか見えないけど、その顔は驚き、目を見開いていた。
「───、……なぜ」
リンさん……じゃ紛らわしいからさん、と呼ばせてもらうけど、彼はソファの背もたれの方に振り向き顎をのせて、リンさんにひらひらと手を振っている。
あたしのことなんてもうすっかり視界から失せたリンさんは、足早に彼に歩み寄っていき、ソファの横で床に膝をつきそうなくらいに屈んだ。
背の高いリンさんが小さくなって、少年を見上げる様子は、なんだかとてもケナゲだ。
「なぜって、会いに来るのに理由がいる?」
「いいえ、でも───どうして連絡をくれなかったんです。迎えにいくのに」
「びっくりする顔がみたかったし、行くっていったら来るなと言われると思ったから」
「……当然です」
二人がどんなことを話すのかは気になったけど、お茶を入れなければと踏み出した。
そばを通り過ぎるとき、リンさんがさんの膝をさすり、その手にさんの手が重なるのが見えた。
見間違いかな?あ、でも足が悪いみたいだから労わっているのか……。


お茶を入れてさんのところに戻ると彼は電話中だった。リンさんはすっかり隣に座っていたので、お茶を入れてくればよかったかなと思いつつ、リンさんに限ってそんなことは望まないだろうと考え直す。
「今ね、事務所に来てる」
『───、……?』
「ほんとだってば。谷山さんにお茶入れてもらったもん、ありがとね」
電話口の声は微かにしか聞こえないけど、ナルが何かをしゃべってるのはわかる。
どうやら事務所に来てることを嘘じゃない、と言いたかったみたいでさんはあたしをちらっと見て話題にして、声までかけてくれた。
「あ、いえ!」
「ね?」
どうやらあたしの声を証明に使いたかったみたい。全然いいんだけどさ。
「お願いがあってきたんだけど、どのくらいでこっちに顔出せる?」
あーあ、今日は一日事務所には顔を出さないと聞いてたから、こんなふうに人に呼び出されるなんてきっと罵詈雑言の嵐なんだろうな……。

「待ってる、気を付けておいで~」

おや?あたしの予想に反して穏やかに電話が終わった。
それどころか、ナルが『来る』みたいな口ぶりじゃないの?
「え……さんって、どういう関係なんですか?ナルと」
リンさんとは身内であろうことはもうわかったけど、ナルに言うことを聞かせられるというのは何事だろう。思わず聞いてしまったあたしに、さんはきょとんとした。
「関係?普通に友人、かな?」
「ゆ、ゆゆゆ、ゆうじん?あのナルに?」
引き攣った声を上げて慄くあたしに、さんはこらえきれないと言って笑った。
だってあの『ナル』が、たとえ友人であっても、そうやすやすと言うことなんて聞くもんか!!







>ぼーさん

他の予定をキャンセルしてでも来い、だなんていつも以上の唯我独尊っぷりを発揮したナルちゃんに呼び出された。
そうして事務所に来てみりゃ、他にも霊能者がソファに腰掛けて、退屈そうに待っていた。
どうやらナルとリンは所長室で打ち合わせをしているだとかで籠っていて、まだ顔を見せやしない。
一番最後にやってきたのは、今日から学校が始まったらしいアルバイトの麻衣。
俺たちが勢ぞろいしていることや、それに対して所長の姿がないことに戸惑ってるあたり、なんにも聞いていないらしい。
「お」
ざわめきや困惑が雑談にかわろうとしていたその時、所長室のドアが開いた。
すました顔で出てくる主のナル、んでリンが続くかと思えば、見覚えのある眼鏡の少年の姿。
「え?」
綾子とジョンが思わずその顔に驚く。
「安原さん!」
「少年」
麻衣が名前を呼び、俺は思わず腰を浮かした。
「どーも」
少年こと安原は、凱旋パレードよろしく、俺たちに笑顔を振り向く。
そして少し歩いてからは何故か気遣うように後ろを見た。今度こそリンが出てくるんだろうと思っていたが、またしてもその予想は外れる。
ナルや安原と同年代くらいの、これまた少年だ。ちょっと痩せぎすで、足取りは重そうだ。その手には杖が握られていて、おそらく足が悪いんだろうってことはわかった。
すぐ後ろから出てきたリンが近距離で彼の背に手をやり支えているし、どうりで安原が気を使って振り向くわけだ、と納得。
「え、誰」
綾子の小さな疑問はごもっともだが、誰も答えないので、ただ少年をじっと見つめ続けた。
「……お、……お待たせしてしまって申し訳ないです」
その沈黙と視線に、当の本人もいたたまれなかったらしい。安原とリンに挟まれてゆっくりソファに座らされた後に頭を下げた。
俺たちが戸惑ったのは彼の動きが遅かったからじゃなくて、まったく知らない人間だったからだ。しかし不躾に視線をやってしまったので、誤魔化すように笑った。

「ぼくは林といいます。今回はナルが一度断った依頼をぼくのお願いで受けてもらいたくて、皆さんに声をかけていただきました」

ん?今『リン』っていったか?
俺は思わず自己紹介をした少年と隣のリンを見る。
元々リンのフルネームはおろか、どこに住んでいて、どんな人間かだって知らない。唯一見て取れる情報といえば結婚指輪をしていることだけだが、ある意味それさえも奴の謎を深めている。
失礼だがとても他人と結婚できるような人間に見えないもんで。
───ま、それはさておき。
隣にいるリンがやたら甲斐甲斐しく世話をしていたのは、その姓が同じであるからなんだろう。つまりは身内ってことだ。
でもって、おそらくその響きからして、日本人じゃない。
綾子や俺がええ!と声を上げるのを、リンはもちろんのことナルも黙殺し、依頼の内容を話し出す。

しかし腑に落ちないのが、ナルが所長として行くのではなく安原のことを代理に立てていくってこと。
依頼人ってのが胡散臭い霊能者連中を呼び寄せてて、マスコミが嗅ぎ付けたらひとたまりもない事件だっていっても、そこまでするかね普通。
「……自分が嫌なことを他人におしつけるわけか」
「気が進まないなら帰ってもらっても構わないが?」
「あのな、」
下手に出ることも、俺たちの納得がいくまで説明する気もなく、自分の願望が叶わないならすぐに突き放す。そういうやり方について、俺は苦言を呈しているんだがな。
「ナル、ちゃんとお願いできないなら俺が所長として行くよ?」
「駄目だ」
「いけません!」
説教でもしようかと思ったところで、遮ったのは少年だ。しかしそんな少年の発言も血相変えたナルとリンが反対する。
「……他人に押し付けてるのはぼくなんです。ナルも断った依頼だ」
少年は肩をすくめて、俺たちを見る。
それから自分の身体を見下ろして苦笑した。
「御覧の通り今はちょっと身体が万全ではないので、行けば足手まといになることはわかってます。そしてナルは顔を売りたくはない……なので、皆さんにご協力をお願いしたいんです」
俺たちは深々と頭を下げる彼に、絆されてやることとなった。
ナルのふてぶてしさは気に入らないが、そのナルがそうしてまで言うことを聞いてやるこの少年はいったい何者なんだろう。




何日か目の夜、ベースにした窓の部屋にコツンと何かがあたる音がした。
ミーティング中でああだこうだ言い合っていた俺たちは、しんと静まりかえる。
窓にはほんのりと、人の顔みたいな影が映り込んだ。
反射的に腰を上げた俺よりも先に、リンとナルが立ち上がり窓の方へ駆け寄っていく。
!?」
「こんばんは~」
俺も後からついていくと、開けられた窓の外にはニコニコ笑う少年がいた。
リンが身を乗り出してすぐさま少年の身体を支える。後ろからだと、リンの首に回ってくる腕が見え、ナルと俺は両脇に回って万が一の時のために見守った。
「どうしてこんなに危険なことを……」
「調査結果を知らせようと思って」
結局痩せぽちの少年はリンに子供みたいに抱っこされて部屋の中に引き込まれる。
「電話ですればいいことです。あなたの身に何かあったら」
「じゃあずっとここにいるう。寒かったー……」
地に足をつけた少年は恐ろしくもリンのジャケットの中に腕を入れて、懐で暖を取り始めた。
リンはため息を吐き、ジャケットを脱いで少年の肩にかけて包み込む。するともう、抱き合ってるようにしか見えないわけだが。
「とにかく座れ。話を聞く」
なんか見てはいけないものを見ている気分だ……と思っていたらナルが首根っこを掴んで引きはがした。そうして椅子に座らせると自分の上着も膝にかけてやっている。
あのリンとナルから上着を剥ぎ取るのに、一分もかからなかった。すごい、すごすぎるぞ……クン。
「にしたって、脚立まで準備してここまでよじ登るなんて……身体は大丈夫なのかい」
「そうよ、杖だってついてたのに」
「杖は念のため持ってるだけで、歩くのが覚束ないのは筋力と体力不足です───しばらく、入院してて寝たきりだったもので」
「ご病気とか、ですか?」
俺と綾子、そしてジョンが心配して話しかけると、「事故で怪我しちゃって」と極めて明るく返された。
ナルもリンもあまり話をしたくなさそうに視線を下げて黙り込む。
しばらく寝たきりというのは、穏やかではない。
しかしそれ以上俺たちが踏み込む暇もなく、ナルが報告を促し少年が集めてきてくれた情報を聞くことになった。







>安原

「───僕に不満があるんだったら帰ってもらってもいいんだが」
「忘れていただいては困ります。これは、からの依頼です」
リンさんと渋谷さんの対立を、僕たちは少し離れたところで見守る。
僕は付き合いが短いけど、やっぱりこれは珍しい事なのだと思う。
「それを放棄するなど、あってはならないこと」
渋谷さんが口を噤んだ。
僕が見ていた限り、彼が口で負けることなど滅多にないはずなのに。
その様子はさんという存在がどれほど大きいのかを、僕たちに見せつけていた。


「ええっ、そんな喧嘩したの?」
護衛の人数が足りないということで、僕がリタイアして諏訪市内にいるさんと合流した。
よくわからないままに待ち合わせ場所に迎えに来てくれた彼は、車の中で僕の話す経緯を聞いて、驚いている。
依頼を受けて欲しいと言ったのは彼だけど、その依頼が遂行できないからといって僕らやリンさん達を責めるような人ではないと思う。
「二人とも融通がきかないというか……頑固なんだよなあ」
「では最悪、依頼をリタイアしても構わないってことですか?」
「もちろんだよう」
ハンドルを握る彼を盗み見る。
その横顔は運転中だからか、表情は薄かったけど、それ以上に何か、苦いものを抱えているかのようだった。
「……悪いことをしたな、二人には」
「え?」
「俺が事故になんかあうから」
「そういえばさんが行くつもりだった、と言っていましたよね」
消え入りそうな声を僕はなんとか拾い上げる。
「それもあるけど……、目の前で、死にかけたから……」
「あ……」
思わず口を噤む。
どんな事故だったのかは聞けないけど、彼が事故のことを口にしたときの渋谷さんとリンさんの様子や、時折見せる過保護な感じからは察することができる。
『死にかけた』と、彼は言った。そんな彼が今生きていることの幸福と、失うかもしれなかった恐怖がきっと、二人には拭い去れない感情として残っているのかもしれない。



二日程経った頃、給油するというさんの宣言に従いガソリンスタンドに来ていた。
すっかり足にしてしまった彼に恩返しをするべく、運転席で待っていてもらい僕が外で機械を操作する。
満タンと言われた通りにして車内に戻ると、丁度彼は電話を終えたところだった。
「安原くん、撤収だって」
「おや、グッドタイミングですね」
長野から東京まで帰ることになるので、丁度良いと笑う。
僕らはその足でホテルに向かい、チェックアウトした。そして屋敷へは、外部とのつながりは禁止というルールがあったので念のためいつものように離れたところに車を停めて歩いて向かった。
そして僕が先に脚立を使ってベースの窓を叩くと、滝川さんが開けに来てくれる。
彼に手を借りて中に入ると、入れ違いにリンさんがやってきて、さんに手を伸ばした。
最早、見慣れた光景のそれを誰も見なくなった。
過保護な理由がなんとなくわかったからという理由も大きいだろう。

僕らを迎え入れたときの皆の雰囲気が変だったのと、原さんが居ないことに違和感を感じていると、───原さんが行方不明になったと知らされた。
その為僕らが手伝うのは荷物の運搬ではなく、壁を壊すこと。もちろん病み上がりのさんにそんなことはさせられず、谷山さんと松崎さんと一緒に周囲に気を配りながら待機してもらう。
渋谷さんは車で待っているように言ってたけど、それはご本人が固辞した。
作業は効率を重視して、測量の結果をもとに目的地を目指し壁の薄い場所を探して最低限の破壊により突き進む。すぐにでも壁を壊して助けに行きたい谷山さんをはじめとし、滝川さんや松崎さんも雰囲気がピリピリし始めて口げんかになりそう。
「そのことは謝ったじゃない!」
「緊張感が足りねんだよ!おめーは」
「二人とも、喧嘩したらもっと疲れちゃうよう。大丈夫、原さんはきっと見つかるから」
「……」
「みんなで一緒に帰りましょう。俺が運転する車、乗ってくれる人募集中」
最後はしまりのない、ふにゃんとした笑顔だけど、その実誰よりも落ち着いて前向きな言葉を強く放つ。
あてなどないのに安堵したのは、きっとみんなの希望でもあったからなんだろう。





>麻衣

真砂子が行方不明になってしまったのは、あたしが一人にしてしまったせいだ。
嫌がられてもついて行けばよかった。そう思いながらくよくよしていると、綾子とさんがあたしの両隣に座った。
「ごめんねえ、ゴタゴタしちゃって」
「え、ううん」
「少しウトウトしてたら?ついててあげるから」
綾子はぼーさんと口げんかしてるのを見せたのを、気まずいと思ってるのかも。
あたしだってモヤモヤして落ち着かない気持ちでいたから、お互い様だもん。それに、ぼーさんたちは徹夜で作業もしていて寝てないからあたし以上に疲れているはず。
「でも……」
「情報収集になるかもしれないじゃない、真砂子が無事か確かめてよ」
「が、がんばる……」
「頼んだ!」
たまに調査で寝ぼけて変な夢を見たり、ちょっと勘がよかったり、霊の目撃者になったりすることもあってあたしはナルのテストの結果ESP能力があるって言われてた。
でもそれは、自分の思い通りになる力でもないし、見てもよくわからないことが多い。
見たいと思って見れたことなんて、ない。
綾子がこうやって言ってくれるのは、あたしが気兼ねなく休めるようになんだろうなってわかってる。けど。
「谷山さん、コツを教えようか」
「───え?」
ちょっと緊張しながら息を吐き、抱えた膝に鼻先をうずめようとしたとき、今まで静かに隣に座っていたさんが、そっと身を寄せてきた。肩が軽く触れる程度だけど、顔をこちらに向けて声をかけてきたので、耳にダイレクトに言葉が入ってくる。
「上手くコントロールするコツがあるんだ」
聞き返したのは、聞こえなかったからじゃなくてどうしてさんがそれをできるのか、という疑問からだったんだけど、言い直している暇はない。あたしは食いつくように、さんの身体を掴んだ。
「ま、真砂子に会える?」
「さあそれはどうだかわからないけど───見たいものを見るためにウトウトする方法はちょっとだけ、知ってる」
「お、教えてください!」
「よしきた、頑張ってみよう」
さんは片方の膝を叩いて笑った。その様子がちょっと豪快で、お茶目で、あたしもつられて笑ってしまう。
綾子が興味深そうに見て、ナルたちが一瞥してそれきり不問にした後、さんのアドバイスは始まった。
目を閉じてと言われるがままに視界を閉ざす。それからは暗闇と、さんの声、隣にいる綾子の息遣い、少し離れているところにいるぼーさんたちの話し合う声を聞きながら、身体に力を入れたり、抜いたりを繰り返した。
次第に音が、聞こえなくなってきて、最後に残ったのはさんの「いってらっしゃい」の声。

心で行ってきますって返しながら、あたしはふっと身体が投げらるような浮遊感に目を覚ます。
地に足を着くような安定感はないまま、あたしは薄暗い場所に棒立ちになっていた。目を凝らすと、背の高い、枯れた木の垣根がそびえ立つ。
「ここ……どこ……?」
途方に暮れて周囲を見る。
真砂子の姿はどこにもない。あたし、失敗しちゃったのかも。
(いま、どこにいる?)
「……わからない」
(なにがある?)
「垣根……」
自問自答しているかのように、情報を噛みしめていく。
垣根と口にしたとき、あたしは安原さんとさんが調べてきてくれた、かつてこの家が改築されるよりも前の話を思いだす。たしか、背の高い生垣があった───と。
そうだ、きっとこの先に、家がある。
そこが美山鉦幸───浦戸の家。生に固執する、化け物の棲家。
ドアをあけたり廊下を走ったりしたつもりはないのに、風景があたしの左右を飛び去っていき、奇妙に白く光るドアの前にきた。
さっきからずっと、頭の中で真砂子を呼び掛け続けていたあたしは、ようやく動けるようになり、足を踏み出し、そのドアのノブに手をかける。
ドアの先には───一面タイルの部屋。バスタブ、そしてバケツや台が置いてある。
そして部屋の隅に蹲る黒い影は、うなじをぼんやりと淡く光らせた。
「!真砂子……!まさ、……真砂子?」
「……麻衣……?」
真砂子の姿を見つけて駆け寄る。顔を上げない様子に聴こえないのかもと落胆しかけたところで、真砂子はあたしに気づいた。
ほっとして、声をかけると話ができた。真砂子はこの部屋は怖いと、自分は死んでいるのかもと、しくしく泣いた。
「大丈夫、みんなで一緒に帰ろうね」
あたしはここに来る前の、さんの言葉を思い出した。
口から滑り出したのは、希望だった。
「迎えに来るよ。さんが一緒に車に乗ってくれる人募集中って言ってたの。乗ってみない?ナルの話とか、聞けちゃうかも」
「……ふふ、……」
真砂子の気持ちが少し浮上したのが見えて、あたしは自分のお守りを手渡す。
そうして、きっと迎えに来ると強く言って、心に決めた。
早く、早く、帰ろう───。

すると、あたしは夢から覚めていて、綾子に寄りかかった状態だった。
さんが「おかえり」と言ってくれたことで、現実に帰ってこられたんだと分かる。
そして喜び勇む気持ちでみんなに真砂子が居たことを報告した。



決意の通りにみんなで一緒に帰ることが叶った。東京に戻ってきてからは次の日は丸一日休みになって、二日目に事務所に出勤した。
その時ナルはいなくて、あたしはたまたま顔を合わせたリンさんを呼び留める。
さん、大丈夫かな」
激しい運動ができないからと調査をあたしたちに任せたはずの彼は、真砂子の救出と屋敷からの脱出に付き合うことになってしまった。逃げるときはナルが手を引いたり、最終的にリンさんが抱え上げていたけれど、病み上がりの身体に無理をさせただろう。おまけに、帰りは車の運転もあったわけだし。
そんなことから心配していたんだけど、今日はどうやら会えないみたいだから様子を聞いてみたってわけ。
「……今は寝込んでいますね」
「え!」
「しばらくは安静にさせます」
やっぱり、と思った。彼は終始にこにこしていたけど、若干身体が辛そうだったのは目に見えてた。
「そっかあ。お礼言いたかったんだけど……」
「お礼?」
車の中では結局すぐ眠っちゃったので、さんにお礼を言えなかったことが心残りだった。
運転してくれてるのに寝こけたことももちろん謝りたい。
「あのね……あたしが真砂子を見つけられたの、さんのおかげだと思うの」
「───ああ、の暗示を受けていましたね」
「!」
リンさんは思い当たることがあるみたいに言う。
あたしが夢を都合よく見られたのも、家の中を進んで行けたのも、闇の中で声がしたみたいだったのも、やっぱりあの人だったんだ。
「暗示ってナルみたいな……?」
「どちらもやっていることは同じでしょうね。の方が年季入っているのと、谷山さんとの相性はいいと思いますが」
「……あのナルよりも?」
「ナルが人に暗示をかける為に師事したのも、の実家の伝手です。は家業からして、幼いころから訓練していたので」
リンさんが思いのほか聞けば答えてくれる状況に、あたしは聞いたことを飲み込むので精一杯。
「じゃあリンさんも、暗示ができるの?」
それでも息継ぎするように口を開いて問いかける。
さんの実家や家業、と聞いて勝手にリンさんもそうなのだと思ったけれど、リンさんにはいいえと首を振られてしまった。
の実家は先見───卜部に特化した家です」
「うら、……占いってこと?」
「はい。彼には才能のある双子の姉がいて、トランス状態の彼女をアシストする役目を担っていました」
「ああ、だからあたしとの相性が良いってこと?」
「そうなります」
小さく頷くリンさんに、あたしはようやく息をつけたかのような納得を得た。
さんに双子のお姉さんがいるんだなーとか、実家が違うということはリンさんと兄弟ではないとして、結局どういう関係?とか、本当は色々聞きたいこともある。
「谷山さんが望めば、今後はの補助が付くでしょう」
「……へ?」
結局もう、キャパオーバーだったのでリンさんのその発言に、ぽかんとしてしまう。
あたしが、なんだって?

は回復したら、この事務所で調査員に加わる予定ですので」

え~~~~!?
大声を上げたら所長室から出てきたナルが、うるさい!と怒った。




next.



オチが決まらなかったので、麻衣ちゃんの宮川〇輔ばりのリアクションと、ナルの突っ込みでシメてもらいます。どうもありがとうございました。
結婚してるって気づかれない他人視点で書きたかったので、原作の展開は穴だらけです。すまんやで。
まどかさんのポジションにしたのは、まどかさんに対するリンさんの態度を見て驚く麻衣ちゃんの、反応の違いを書きたかったからというのがあります。まどかさんの場合は恋愛方面を想像したのに、こっちでは全く感じられてない(でも滅茶苦茶過保護、なるほど身内には甘いんだ~)っていうのが書きたかった。
皆が気づかないのは無意識に同性を対象外にしているのと、ナルまで主人公に過保護だから。
ちなみに、すでに結婚している設定にしたのでナルより年上を想定しています。
主人公にリンって名乗らせたい、リンさんに結婚指輪をさせたい……細かすぎて伝わらない性癖選手権~~~。
詳しい事情や経緯はいつか主人公視点で……。
Apr.2023

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