02.サマーウィンク
初夏である。春と思しき気候だが夏を感じる暑さがある。
梅雨にはまだ早い。
そんなある日、唐突に俺の頭上にだけ大雨が降った。
「あっ、すみません」
あっ、がすごくわざとらしいし、すみませんに全く心がこもっていない。
そうです、俺に大雨を降らせたのは天気ではなく人間です。
ボサボサ頭に、ぐりっとした目、不健康なくらい白い肌のすごい猫背の人がホースからびたびた水を出してこっちを見ていた。駆け寄ってこいよ、そこはさ。
「竜崎先輩」
まったく反省してない、俺に大雨を降らせた男は現在、プールを囲うフェンスの向こうにいた。
プール掃除をするなんてタマじゃないけど、あの場所でああしてるってのはそういうことだ。
しかしだからって、どうして通りすがった俺の頭上に水が降ってくるのかというと、十中八九わざとということになる。
友人たちと遊んでいて、誤ってホースを向けたというには無理がある。
俺の心配をするよりも、水を止める方が先みたいで、ぺたぺたプールサイドを歩いた先輩は蛇口をひねってから何も出なくなったホースを手放した。
俺は恨みがましく、びしょ濡れのままフェンスの前に立ち、彼の次の行動を待っている。下手に動くと何されるかわかんないんだ。
次の行動が全く想像できないこの人は校内一の天才、変人と名高い、生徒会長である。
「こんにちは」
「……こんにちは」
もしかして、水をかけた事ってアッスミマセンで終了してるの?
律儀に挨拶するくらいなら、律儀にタオルでもよこすとか心配してくれてもいいのではないか……と思ったが変人にそんなまともなことされたら風邪をひきそうなのでやっぱいい。
「副会長は?」
「ライトくんですか?今先生のところへ薬品を取りに行ってもらっているので不在ですが……やけますね」
やける?と首をかしげる。
「私が今目の前にいるのに」
「はあ」
あなたの相手をまともにしたら疲れるんですよ、とは一応言わない。上級生でもあるし、厄介でもあるし、とびぬけた頭脳に対してそれなりに敬意を払っている部分もなきにしもあらず、だ。
去年からなんだかんだ絡まれていて、光栄なんだが遠慮もしたい、そんな二律背反。こんにち、突然水をかぶったことで後者に傾きつつあるぞ。
「なんで俺に水かけたんですか?」
「どうしてそんなところにいるんですか?」
「ゴミ捨ての帰りだよ!!」
勢いよく言葉を吐いたので髪の毛から雫がいくつも落ちるのがわかった。
フェンスをぐぎゅっと掴んで憎しみを体現する。
「私の視界に入っていてくれればかけないのに」
「見えててかけたでしょ!ぜったい!!勢いよく!」
「まさか、見てください生徒会役員には水をかけていません」
フェンスの向こうから、両手を握られた。いかん、逃げられない。
「会長〜、タオルいりますか〜?」
同級生で生徒会役員の松田がプールの中から騒ぎを聞きつけたようで、ひょっこり顔を出す。同じくプールやプールサイドにいた他の役員たちも竜崎先輩の行動に呆れつつ、俺に憐憫の眼差しを送っている。全員、特に竜崎先輩から洗礼を受けていないようだ。
「松田、タオルあるならかして!」
「あっ、谷山だったのか〜よかった先生とかじゃなくて」
「よくなーい」
「ハハ、ごめん。待ってて」
はしごを登って来る松田は水をかけた相手が俺だとわかって軽く笑い飛ばす。
日陰になってるベンチにタオルがいくらか積んであるのが見えて、松田はおそらくそれを取りに行こうとしてるみたいで俺たちに背を向けた。フェンスの向こうから投げてもらうか、俺が中に入るか、と考えていたところ、竜崎先輩の手が離れて行った。
「わっ、わー?!!?かいちょ、あああ〜〜!」
松田が後ろから竜崎先輩に水をかけられた。
竜崎先輩がすぐそばにあった蛇口を捻るのも、ホースを松田に向けるのも、あっという間の出来事で防ぐのは無理だった。
俺以上に水をかぶった松田はあまりのことにプールサイドにへたりこむ。
「余計なことをするな松田」
「現行犯じゃん……」
俺は竜崎先輩を指差すが、誰も彼を逮捕してくれない。
何がしたいのかわからない変人を前に戦慄き、心の底から副会長の夜神先輩と生徒会顧問の相沢先生を求めた。竜崎先輩を毎回真面目に叱れるのはこの二人くらいだ。ほかの人はね、叱れないんじゃなくてちょっと疲れちゃっただけなんだよ。
模木先輩もいい人なはずなんだけど、さすがに松田への仕打ちを見たらためらうかもしれない。ちらっと見ると、気まずそうに目で謝られた。
まるで、うちの子ともうちょっと遊んでやってくれ、みたいな。
「あれは生徒会役員用のタオルですので……くんも生徒会に入るなら貸します」
子供みたいなへりくつというか、ヤクザの手口というか。
おそらくこの人のことだから人数分きっかりしか用意してない。それで、自分は濡れていないからどうぞと譲った役員は松田のように濡らされる。
「竜崎先輩がやったんだから責任とってくださいよ」
「そうきましたか」
他の役員分ではなく竜崎先輩自身のタオルをかせ、と言ったつもりだ。どうだ、と見返すと先輩はほんの少し目を見開き指をくわえる。この考え込むような仕草は、大抵ろくなことを考えてない。
「───わかりました。ご両親への挨拶はいつがよろしいですか?」
「話が通じないよお……」
気が遠くなりそうになったが、模木先輩が後輩役員に向かって、夜神か相沢先生呼んでこいと言っているのがうっすら聞こえた。
その後やって来た相沢先生は一目見てまず俺に大丈夫か?と声をかけた。
竜崎先輩は素知らぬ顔で宇生多くんにホースを持たせ、デッキブラシに持ち替えているが、もちろん誰の仕業かと言うのはわかっているらしく、呆れた顔をしていた。あとで叱っとくからと言いながら、相沢先生は問答無用で生徒会役員用と宣われたタオルを俺にかぶせてくれたし、用務員室まで付き添ってくれた。
「制服はどうするか……体育着なんか持って来てないか?」
「あー今日は体育なかったから。でもクラスメイトに持ってないか聞いてみます」
「もう放課後だろう?いるのか?」
「何人かは。まあ、帰るだけなんでこのままでもいっすよ」
頭を拭いたら幾分か楽にはなった。Yシャツは一度脱いで絞って叩いたし、下はそこまで濡れてない。
まあ今日も暑いしな、と言いかけた相沢先生だったが、ドアのノックと失礼しますという声に言葉を止める。
入って来たのは俺が心から求めた人その2である副会長、夜神先輩だ。
「どうした?」
「着替えが必要かなと思って、僕のジャージ持って来たんですけど」
「わーありがとうございます。でも暑いし、いいですよ」
「日が暮れたらもう少し冷えるだろ」
うーん確かに。もう少ししたら暗くなるし、そうしたらちょっと寒いだろうな。
「じゃあ、借りていいですか?」
「どうぞ。少し大きいけど我慢してくれ」
先輩は背が高いので、羽織ったジャージの手が少し余った。まあ女子が着たときほどぶかぶかになる訳でもないはずなんだけど。
「……暑いぃ」
「ははは、ほら、腕まくりしたらいい」
余った袖を振りまわしていると、先輩が肩を引いて俺に背を向けさせる。そこから手を回して丁寧に袖を折るのでちっちゃい子になった気分だ。ぐしゃーっと袖をあげればいいのに、と思うが一応先輩の借り物と言うことで、本人の丁寧な手つきを拒否できずに両手をやっていただいた。
「日が落ちれば少し寒いし、風邪ひかないように」
「ありがとうございます……それにしても、夜神先輩は大丈夫なんですか?」
「なんで?」
相沢先生がゴミ箱返しとくよといってくれたので、俺は教室へ荷物を取りに行き帰るつもりで廊下に出た。
夜神先輩は制服姿で、俺にジャージを貸したということはおそらく、このあとプール掃除をするために着るジャージがないはずだ。
「だって掃除」
「あいつらにやらせるよ」
にっこり、きっぱり言い切った清々しい笑顔に、若干顔が引きつる。
いつも物腰柔らかくて優しいけど、そういうとこあるよね、頼もしいです。
「俺としては竜崎先輩一人にやらせたいです」
「それができたら苦労しない」
「たしかに」
二人で腕を組んで遠い目をした。そしてすぐに顔を見合わせて笑う。
「それにしても、どうしてあんなに竜崎に好かれてるんだ?」
「好かれてるんですか?生徒会にやたらと勧誘されるだけですよ?」
声をかけてくるたびにいたずらがあるので、つまり嫌がらせとかだと思ってる。
「心の底からふざけた奴だけど、だからって誰にでもこんないたずらしないよ」
人並みのモラルあったんだー、ただし俺には発揮されない……。
もう慣れたが夜神先輩の口ぶりは、竜崎先輩に関してだといつもの3割り増しくらいキツい。
「身に覚えがありません……」
「知り合ったきっかけは?多分何かあったんじゃないかな」
「そこで俺は何かやらかして根に持たれてるってわけですね!」
好かれてると夜神先輩は言うがそのまんまの意味で受け取れる相手じゃないのだ、あの変な人は。
「それを理解しないことには、勧誘といたずらは終わらないわけか」
むむーと過去の竜崎先輩とのやりとりを思い出してみるが、会うたびに変な人だなと思わされるだけで俺には思い至れない。夜神先輩に話してみようかなあ……といっても、何から話したらいいんだか。
こめかみを揉み揉みして唸っていると、横から笑い声がする。百面相してて面白かったらしい。
「手っ取り早く、生徒会に入ってみる?何かわかるかもよ」
「やめてください、今以上に遊ばれます」
「それもそうだな」
速攻で断ると理解してくれた。それに俺、部活も委員会も所属してるし、バイトもしててるからこれ以上課外活動はしたくない。
ましてやあの変人の相手に加えて、まっとうな生徒会役員の仕事もだと?無理だ。
「僕も、竜崎に猫可愛がりされてるくんは見てらんないし───」
苦笑まじりに夜神先輩が言う。
その猫可愛がりというのは、よく用いられる慣用句と同じ意味ではなく、ちっちゃい子が猫の尻尾を握って引っ張るような光景を思い浮かべてしまいそうになる。あと、千尋の谷に落とされるのを彷彿とさせた。
「役員たちみたいにこき使うのは嫌だな」
夜神先輩が普段役員をこき使っている事実と、自覚があることが判明して思わずそちらをみる。
そして俺と目があうなり妖しげな眼差しに色を変えて、耳元に顔を寄せた。
「君のことは、僕が大事に、可愛がってあげたい」
もともと甘い声をしている人だが、甘い囁きを甘い顔で言わせるとさらなる負荷がかかるのだなと思った。
え、どういう意味?
最近ちょっと夜神先輩に腹黒い片鱗を見つつあったけど、今日は怒涛の垣間見で俺の頭がついていかない。
言われた言葉の意味をもちろん素直にそのまんまの意味で受け取れるわけもなく、かといって言葉の裏が読めるほど先輩の心にも人の心にも察しが付く人間でもない。
「なんてね、あはは」
ぴしりと固まった俺を見て、夜神先輩は笑いながら去っていった。
next.
相手キャラ属性:不思議系(変人)と腹黒。 主人公が持ってるヒロイン属性:性格に難ある人にもめげないこころ。
竜崎さんは秘密で探偵やってて主人公がなんかあって手伝うことになるし、ライトくんは竜崎さんのことをライバル視してそうで主人公が癒すんやでな。
松田は中学が一緒でたまにカラオケとか行く仲。
Aug 2019