04.センチメンタルウィンター
影も作らないほどに暗く、青い朝だった。吐き出した白い息は俺を避けて後ろへ消えていく。
顎が自然と震えて歯がガチガチと当たるのを我慢しない。
すれ違う人なんていないけど、人目もはばからずにあくびをかまして、じんわり湧いた涙を塗るようにして目の周りを揉み込む。
手を離せば涙がすっかり冷たくなって、皮膚を少しだけ引っ張るような感覚があった。
校舎内に入れば風がないだけ大分寒さは和らいだ。それでも足の先が冷たいなとか、手袋は外したくないなとか思う。
両手に口を当てて吐息で温めながら階段を上がると、息も体温も少し上昇したかもしれない。
自分の教室のある階を通り過ぎてしばらくすると、なんとなく疲労感が増した。
屋上に続くドアの前では項垂れるほど息が上がっていて、ドアノブに手をかけながら誰にでもなく心の中で言い訳をした。寝起き、まだ寝起き。
最初は立て付けの悪そうな音をさせた。開け放たれるドアの向こうはもちろん屋上であって、外。さっきお別れしたばかりの寒気が俺を劈く。
吸い込んだ空気は肺を冷たく膨らませて、ぶるりと身体を震わせた。
多少目が冴えるけど、かといってスッキリ元気になったわけでもない。
「おはよお」
「おはようございます、思っていたより早かったですね」
「来ないと思ってた?」
絞り出した声で、すでに屋上に来ていた後輩に声をかけると、彼はなんてことない顔で立ちあがり、俺の方を振り向いた。
その腕は土いじりをするために袖を捲り上げて素肌を晒してた。
「来る来ないではなく、起きられないのでは、と」
「同じような意味だろ」
「全く違います、先輩を侮るようなことはありません」
侮ってるじゃん。そう思ったけど真面目に言っていそうなんだよな。
この話は終わりにしよう。
とにかく俺は今日、この屋上にある庭園で土いじりをするために早起きしたのだ。
後輩の黒子くんはたった一人の園芸部員であり、地味に立派な屋上庭園を維持している。
本来は部員一人じゃ部として成立しないけど、幽霊部員が多く在籍するいわゆる帰宅部の隠れ蓑となっている部活でもあった。
ある意味黒子くんの影が薄すぎて彼が一番幽霊部員なんだよな。
初めてこの屋上で見つけた時は本当にびっくりしたし、今でもその存在の儚さと校舎内で出会う確率の低さから心の中では屋上庭園の妖精さんと呼んでいる。
「今日は約束してたとおり、花の種を植えようと思います」
「わ〜」
なんの考えもなくただただ盛り上げる声をあげたら、黒子くんはくすりと笑った。彼は普段表情が薄いので笑ってもらえるとなんだか嬉しい。
「花の種って朝植えるの?」
「はい」
へ〜ふーん。
せっせと手を動かしながら黒子くんの横顔を盗み見る。
今までは雑草抜きや、水やりを手分けしてやったりしたけど、長く隣にしゃがみこんでいじいじするのは珍しいことかも。
視線に気づいたのか、俺の手元がおろそかになったからか、黒子くんも俺を見た。
「……楽しいね」
「それなら、よかったです」
独特の空気とか、薄暗いけれど徐々に明るくなって来るところとか、植物が目覚めようとしている気配とか。そこにいる俺と黒子くんとか。とにかくいろんなものが新鮮だ。
「朝って、いつもと違うな」
「はい、綺麗でしょう?」
庭は昼間や夕方に見るのとはまた違う美しさっていうのがあって、しみじみとこぼす。
「うん。わざわざ寒い時間に来た甲斐があったよ」
「……すみません。朝の庭を見てもらいたかったんです」
「へ?そうだったの?」
黒子くんの言葉に驚いて、思わず土に手をついて身を乗り出す。
「花の種を植えるのも、朝とは限りません」
「え」
少なくとも僕は聞いたことがないです、と言われて頭が混乱する。
なんですぐバラす嘘ついたんだ。いや寒い寒い言ったから罪悪感かな。
「普通に誘ってくれたらいいのに」
それなら寒いも眠いも言わないように頑張るのに。
いや手伝うと言ったくせにぶうぶう文句垂れてすんませんでしたけど。
「じゃあ……夜明けの花を、一緒に見ませんか?」
わあ、月が綺麗ですねって感じの、愛の告白みたい。
土のついた指先を、同じく土のついた指で絡め取られた。
湿った粒が肌の間で押しつぶされ、ざらっとした感触がする。
「見る見る」
いじって面白可笑しくするでも、ささやかに胸をときめかせるでもない。
わかっているし、わかっていないふりをして、なんてことなく答えた。
「……了承してくれるんですね」
今日の黒子くんはよく笑う。
夜明けの庭も、花の種を植える手伝いも、どちらも俺は好きだけど、今日一番好きなのはこれだなって思った。
日が昇るのはあっというまで、早朝の絶妙な空気はきっと一瞬しかないんだろう。
もちろんカメラなんて持って来ていなかったから、まぶたのファインダーしか切らなかったけど、そのことを後悔はしていない。ああでも、今度はカメラを持って朝焼けを撮るのもいいかもなあ、なんて。
早起きをしてゆっくり朝を過ごすのもなかなか乙で、充実したようなどこか余裕のある気分で一日が始まった。
……ところがどっこい、昼になると猛烈な眠気に襲われる。
午後一の英語の授業で映画観賞したのが悪い。
ほとんど何言ってるのかわからないまま、言葉が頭に入ってこなくて、満腹感、暗い部屋、俳優の良い声などなどが俺の緊張を解いてしまった。
正直クラスメイトも大半寝てたしな。
極め付けは6限が自習だったことだろう。先生はいなくて騒がなければ何をしてても良いという空気だったので何人かは教室を出ていたし、教室で堂々と寝るやつもいた。来週から期末テストだというのに真面目に勉強してるやつはおそらくいない。
仲の良い友達が寝てるのや、近隣の席のやつらが購買でおやつ買うとか言ってるのを見て俺も教室を出た。
「───っと、ラッキー」
小さくつぶやいて、鍵がかかっているかいないか確率が半々の教室を開けた。
第三音楽室は、普段授業に使われることはなく吹奏楽部がパート練習するときにばっかり使う部屋とされている。
部活をするときに開ける部屋なんだけど、生徒が面倒臭がって閉めなかったり、先生の管理がずさんだったりで、こうやってひっそり入り込める教室というわけだ。
保健室のベッドで堂々眠ったり、図書館の椅子をいくつも繋げて寝転がったりするのはちょっと気が引けるので、日当たりの良い人目につかない教室の床で寝転がる。
チャイムが鳴ったら起きられるかな……と。
腕を枕にして、肩や腰の骨が硬い床に押し付けられてどのくらい時間が経っただろう。
痛いような熱いようなじんじんするような、微妙な感覚でも眠気のせいで動く気にもならず、固まったまま意識だけぼんやりと浮上する。
時計を見ようと身じろぎをしたところで、被ってたブレザーが肩からおちた。
あれ、これ誰のブレザーだ。小さな違和感がある。
「ああ、起きた」
「征十郎くんだ……」
寝ぼけまなこで見上げると、ぼんやりした人影がクスクス笑う。
「ありがとう」
かけていたブレザーは彼のものだったようで、起き上がるついでに持ち上げれば受け取るように手が伸びて来た。
踏んでシワなどつけていないか確認してないけど、征十郎くんは気にした風でもなく腕にかける。
吹奏楽部のパート練習以外ではこの教室はほとんど使われてないと言ったけど、それ以外の時間は実のところ彼が頻繁に利用する教室だというのが俺の認識だ。勉強や部活の息抜きにヴァイオリンを弾くらしく、俺以外のみんなはこの教室の使用にちゃんと許可を取っている。
「今日、ヴァイオリンは?」
「持って来てない。どうしようかな、先輩の寝顔を眺めていようかと思ったけど」
ヴァイオリンケースがないなと手元を見ると、冗談が飛んで来たので笑うしかない。
たまに手ぶらで来てこの教室にある楽器を触ることもあれば、勉強して帰るところも見かけるので、利用目的は様々だけど彼にはそれが許されている。暗黙の了解の気もするけど。
うちの学校には頭が良すぎる人も、人心掌握や統率力に優れた人も、顔の良い人もいろいろといるけど、征十郎くんは全て兼ね備えた上に理事長の息子であるらしい。
入学時から一部の生徒の間では有名だったし、今や大半の生徒が何気無く様付けするほどの人だ。
それゆえに孤高の存在であるし、先輩の俺にも態度がでかい。別にいいけど。
むしろ俺にはずいぶん優しい方だというのが最近気づいたことだった。
本来ならこの部屋からさっさと追い出されてるだろうし、二度と来ないように約束させられてる。
「ところで荷物も何もないようだけど、いつからここに?」
「6限から寝てた」
後頭部を撫でて寝癖チェックをさりげなくこなす。
「荷物とって来なきゃな。HRサボったけど……ゲ」
尻ポッケからスマートフォンを出すとクラスメイトから、担任からの伝言付きのメッセージが入ってた。まあ、HRは出ろって言ってた、だそうだけど。
おまけに今朝あった黒子くんからも連絡が来ていて、コートを屋上に忘れていますよ、だそうだ。
作業するときにジャンパーを借りたので通学用のコートを置いたままにして帰って来たんだ。
「俺屋上も行かなきゃだ……、え?」
慌てて出て行こうとすると、手を掴まれてつんのめる。
「行かせたくない、といったら?」
「へ?」
「テツヤと会うんだろう?」
屋上庭園の妖精さんこと黒子くんのことを認知してる人を初めて見たけど、よく考えたら征十郎くんって大概の生徒のこと把握していたような気がした。すぐに納得して、けれど彼の動揺する理由には全く思い当たらない。
「黒子くんがいるかわからないけど、俺屋上にコート置いて来ちゃって……帰り寒いし」
その言葉を聞いた赤司くんは顔を上げて、ちょっと驚いた顔をした。
掴まれた手はいつのまにか指を絡めて握られていて、振りほどいて行く勇気が俺にはなかった。
「すぐとって帰ってくるから、待ってて」
俺はえへ、えへ、と笑って羞恥心を誤魔化しながら、自分の間抜けさを暴露した。
「待っ、てて?」
「え、うん、……あ、来ないほうが?」
「いや、───ここに帰って来てくれ」
解けそうになった指先に尋ねるように力を加えると、優しく頬がすり寄せられる。
柔らかそうな耳たぶに一瞬だけ指が触れたとき、うっかり撫でてやりそうになったのは内緒だ。
next.
相手キャラ属性:影が薄くて特定の場所に現れる妖精さんと、俺様(?)王子様。
主人公が持ってるヒロイン属性:鈍感。
この二人実は双子とかで一人は養子に出されたか生き別れたかだと美味しいなって思います。
原作でも当初兄弟?にしようかと思ってたとかいうエピソードを聞いたような。
Aug 2019