08
朝からまっすぐに教室へやってきて席についていた俺は、ホームルームが終わった後に始まる授業を受ける気も起きず、ふらっと立ち上がり屋上へ登った。屋上に出るドアは施錠されてるんだけど、一年くらい前に南京錠が壊れてると気づいてからはひっかけたままにして、勝手に出入りしている。
それを他の生徒が知っているかは不明だけど、誰とも出くわしたことはない。
Lについてこいと言った覚えはないけど、無言でついてきた。ついてくるなとは言わなかったから屋上で二人でサボタージュする光景のできあがりだ。
教室ではおそらく、『竜崎が何かしたんだろうな』っていう憶測が広まり、やがて俺たちの不在を気にかけるものはいなくなる。
「もう旧校舎へは行かないんですか」
「うん……」
小さくうなずいて、フェンスの向こうを眺める。
校庭を挟んだ向こう側にある旧校舎では、今何が行われているのか何となく想像がついていた。
「解決するだろう。───昨日、暗示をかけられた」
夜のうちに設置した椅子が動くって言ってた。
ナルの言葉ははっきり覚えてる。暗示だから脳裏に刻まれたっていうよりは、暗示だとわかってて意識しちゃったのだ。
「あの場所にいたのは旧校舎の調査に関与した人全員だと思う」
隣を見やると、俺と同じようにしてフェンス越しに旧校舎の方を見ていた。
地盤沈下説の後にポルターガイスト現象が起きたことは、麻衣ちゃんから聞いたしLにもその話はした。
「暗示によってポルターガイストを引き起こさせ、霊的現象ではなく人の−−−PKによる現象だと証明する実験ですか」
「そうです。だから渋谷さんにさえ、結果がわかればいい」
多分、麻衣ちゃんや他の霊能者たちも行っているんだろうけど。
教室に戻ってしばらく授業を受けていると、旧校舎が突然倒壊した。
もうあの場所に人は立ち入らないようにされたはずだから、心配することはないだろう。生徒たちはこぞって旧校舎を見物にいったけど、先生たちによって教室に戻された。
その後も授業は再開され、放課後には学校が手配した業者が旧校舎を取り囲んでた。
旧校舎の倒壊理由は地盤沈下ではなく、解体工事が途中だった為に校舎が通常より脆く不安定になっていたからだと説明された。
それ以上に、数日ほど霊能者たちが旧校舎の様子を見ていたこと、除霊が成功したという報告の噂、そっちの方がこどもたちの間でたくさん囁かれていた。
夕日が差し込む誰もいない廊下で、後ろから伸びて来た真っ黒い影が俺を「松田さん」と短く呼びとめた。
振り向くと、姿勢の悪い人影がある。逆光のせいか表情はわからないが、どうせ無表情に決まってる。
「この世にあれはない」
「うん」
反対に俺はへらっと笑った。自分で思ってた以上に顔が崩れた気がする。
「俺はどっちでもいいや。……平和だし」
「………………」
Lのその予感はきっと正しいだろう。
「LはLのやりたいことを。……俺はここにいるから」
いきましょう、と声をかけて再び歩き出す。
今日も俺は普通にタクシーを呼んだ。
同じタクシーに乗るかを、初めてためらった。運転手が訝しげに俺を見て、すっかり覚えられた名前を呼ばれる。
「母から頼まれごとをしていたんだった」
はたりと動きを止めて、出任せを紡いだ。
車の上に手を置いて身を屈めて覗き込み、乗らないと告げた。
「さようなら」
「…………はいさようなら」
Lは奥の席に座ってすでに靴を脱ぎ、シートの上で膝を立てたままじいっと俺を見てた。車から離れるとドアは自動で閉まり、走り去っていく。
俺たちはもう、ここが前の世界ではないと確信していた。
Lは何をもって確信したのかは知らない。むしろ、この結論に至るまで数年かかったのも驚きだ。
新宿の通り魔が心臓麻痺で死ぬまでは様子を見るのかなーとか、それまで日本にいて……俺をずっとこき使うんじゃないかなーとか、そういう可能性もあったけど、それは多分俺の希望だ。
まあ、そんな長くいるわけもないか。むしろそうならなくてよかった気がする。
俺は一緒にいればいるほど、単純にその人に愛着がわくタイプだ。
「───さびしくなるだろうな」
「どうしたんですか?」
小さいひとりごとに被せるように、問いかけられる。
俺は車を見送ったままぼさっと立ち尽くしていたんだった。
「あー麻衣ちゃん、今帰りなんだ」
「はい」
帰り道は途中まで一緒だ。一言断って隣を歩く。
「あの後……竜崎先輩、大丈夫でしたか?」
「ああ大丈夫。今日は登校してたし」
「えっ、そうなんですか?見かけなかったなあ」
「でもさっき帰った」
午前中ちょっとサボってたし、昼は旧校舎のことで学校も騒がしかったし、しょうがない。
「じゃあ、会うのは明日ですね!」
麻衣ちゃんは心底ほっとしたように胸を撫で下ろしてからにっこり笑った。
なんて優しい子なんだ。思わず頭をぽんぽんした。
***
持ち歩いているノートパソコンは記憶にあるものよりも少しだけ型が古く、重たい。けれど片手で運べないこともない。面倒を嫌い普段はそばにいる男にもたせているが、かといって一人で行動することも多く、今も片腕で持っていた。
テーブルの上に置いて、ソファに膝を立てて座る。
ノートパソコンを開きながらいつものように情報収集を行い、面白い事件はないかと目を通しながら携帯電話に手を伸ばす。
日本国内でだけ使えればいいと───否、たった一人にだけ電話ができればいいと用意したそれは、操作一つで発信可能だ。
先ほど別れたばかりの彼は、どうせ相手を確認せずに出たのだろう、間抜けな調子で「は〜い、もしも〜し」と返事をしてきた。
「さっきさよならしませんでしたっけ」
呆れた顔をしつつも薄ら笑いを浮かべて、ホテルの部屋を訪ねてきた松田はまだ制服のままだった。
居場所を確認せず呼びつけたが、彼はまだ家に帰っていなかったのだろうか。
「頼まれごとはおわりましたか」
「……あとにする」
母親に頼まれごとをしたというのは嘘だろう。車に乗らなかった時から知っていたが、今こうして後回しにすると答えた途端に確信に変わる。なぜなら、よほどの事情がないかぎり、最初から後回しにしているからだ。
Lの追うべき事件は起こらない、或いは今すべきことはここにない……そう結論を出して告げた。そして松田とLはこの場所に止まる理由を失った。
───「LはLのやりたいことを。……俺はここにいるから」
あれは決別の言葉だった。
もう何年も日本の高校に通うLを、松田がどう見ていたかくらい察しがつく。本来ならばこんな場所で学生生活を送る必要などないのに、と思っていたに違いない。
二度と会わないかもしれないが、生きようと口を揃えた時から、再び死が訪れるまでは永遠の別れではない。
車のドアのところで数秒ほど見つめあってかわしたさようならは、明日からLが学校に来ないと思っての言葉だろうが、かといって最後というわけではない重さだった。
「見せたいものがある、って?」
学生鞄をどさりと追いて、向かいのソファに腰をおろす松田に、ノートパソコンを渡す。PDF形式でまとめてあるので、するすると指を動かしてデータを確認していた。
少しして、松田はゆっくり口を開いた。しかし、「えー……」と声をあげたきりまた口を閉ざし読み進める。
今見せている資料は、旧校舎を調べにきていた霊能者たちのものだった。
初日からある程度情報は揃えていたが、麻衣が「ナル」と呼びかけた時に少しだけ気になったので調べた。渋谷一也というのが偽名であることは、彼の構えるオフィスを調べる際に気づいたし、ナルがオリヴァーの愛称として使われることは調べずともわかる。
ナルの正体−−−オリヴァー・デイヴィスは、イギリスにある心霊現象を研究する学会に所属している研究者だ。
若くして博士号をとり、著書も出版した。それは分野において高評価を得ていた。イギリスやアメリカで警察に協力するほどのESP、大々的な実験が行われるほどのPKを有す。
『単なる優秀な研究者』が『たまたま』日本にオフィスを構えていたことに興味はないのだが、松田がわざわざ彼に情報を教えようとしたり、行動を読み信用するようなそぶりを見せたことには首をかしげた。
「彼のことは知っていましたか」
「いいえ」
明らかに何かを知っているような態度だったが、松田は首を振った。
旧校舎の異変を感じたこと、心霊現象の調査員がやってくること、その正体、少女の夢───すべて松田には調べようがないはずだ。
そのことにはLも少し興味がある。
「……なぜ、オリヴァーに手を貸したんですか」
「なんとなく?」
言葉にできない違和感を感じられる素養を、松田は持っている。Lはそう考えているため、本当はなぜと問うつもりもなかった。
それでも松田はこの世で唯一、Lの望みを持つ人だった。
next.
Lはなんでも知ってそう……というのもあるけど、もちろん調べておいたんだろうなと。
わざわざ死神やノートの存在がないと告げたのは、松の様子が若干違うなと思ったから、反応をみるために。本当はもっと前から気づいていた……というか、日本でじっとしている必要はないと思っていた。
松は何かを知っているんだと気づいたけど、それ以上は深く追求しない。
興味関心があるというよりは、松の存在そのものが、Lのいる理由になっているのかもしれなかったり……。
Nov. 2017