15
香奈さんに時間あったらちょっといいか、と聞かれて何事かと思っていたら、礼美ちゃんのおやつ、クッキー作りの手伝いを依頼された。俺、お菓子作りなんてほとんどしたことないんだけどなあ。
家庭科の調理実習で家庭料理が多い中、かろうじて作ったのは簡単なカップケーキだったっけ。俺たちの班員は一つずつ食べたあと残りを全てLにあげていた。
そんなことを思い出しつつ、自信ないけどいいですよと承諾して、ただいま俺は香奈さんと並んでキッチンに立っている。改めて立つと広いキッチンだな……。
普段はお手伝いさんが色々下準備をしておいてくれるらしいが、香奈さんもそれなりに料理はするようだ。手慣れた様子で材料を準備している。
綺麗なキッチンのコンロのひとつが、小火のせいでひどいことになっているのがひどく痛々しい。
こんなキッチンで一人でお菓子作りとか嫌だよな……。
香奈さんに教えてもらいながら、クッキーの生地を作った。
ラップに包んで冷蔵庫にしばらく寝かすらしい。お昼ご飯を食べ終わった頃に出して形を作って焼くんだと。
休憩にしてお茶をいれるというので俺はエプロンを脱いだ。
「あ、あ、すごい」
「え?」
「クッキーの生地のにおいする」
手は洗ったはずなのに、ふんわりと優しい香りがした。
香奈さんは手をくんくんしてる俺を見てぷっと吹き出して、そのあと肩を震わせながら笑った。
「美味しそうなにおいですね」
「まだ食べちゃだめよ?」
香奈さんは冗談を言いながら熱いお湯をティーポットにそそいだ。
リビングでお茶をしていると、今日の予定を聞かれる。
仮眠とろうかなあと思ったんだけどなんとなくタイミングが掴めなくてそういう気になれない。
昨日の小火騒ぎとかも、全くついててあげられなかったので、昼もなかなか気が抜けないことがわかった。起きてる人間が多いからって油断できない。
「今日はリビングで課題をやろうかな」
「そう。進捗はどう?おわりそう?」
「あはは、夏休みはまだまだありますから」
香奈さんと談笑している間、何度か部屋の前を人が通った。おそらく調査員が色々やってくれてるんだろう。俺は旧校舎の件では放課後一回だけしか手伝わなかったが色々と大変そうだった。
本当なら手伝いを申し出たいとこだけど、香奈さんを置いていってしまうのも心苦しい。
課題を持ってきてやっている間、香奈さんもリビングにいて雑誌を読んだり、何か裁縫みたいなのをしていたような気がする。
警護するつもりはあるが、かといって何かが起こらない限りやることはないので、目の前の課題に集中してしまい何をしているのかまでは気にしてなかった。
昼前になると典ちゃんと礼美ちゃんもリビングに集まるようになり、そのまま昼食をとることにした。
ごはんの後はまた部屋に戻るらしい礼美ちゃんに、なんだか物言いたげな顔をされる。ひらひらと手をふるがしょんもりして典ちゃんとリビングを出ていった。
午後はクッキーを焼くのを手伝って、焼きあがったものから粗熱がとれるまでまたおいて、おやつの時間に香奈さんがお茶の準備をしてリビングを出るのを見送った。
課題はだいぶ進んだし、今日はもういっか。
部屋にノート類を片付けに行ったついでに仮眠でもとろうかなってところで、少し乱暴にドアを閉める音が聞こえた。
ちょっと廊下をのぞいてみると、香奈さんは足早に自分の寝室へ入っていくところだった。
なんだったんだ?香奈さんリビングに戻らないなら、やっぱりもういいかな?
ベッドに寝転がってうとうとしていると、廊下でまた何か声がする。
お、またポルターガイストでも起きたか。
そろうりと部屋から顔を覗かせると、ナルや典ちゃんの姿が見えた。
「だれもさわっちゃだめ!!」
礼美ちゃんの大きな声が聞こえてもう少し顔を出す。
ナルにすがりついてる礼美ちゃんが見えた。ナルの手にはミニーがあって、礼美ちゃんはそれを必死に奪い返そうとした。
「礼美ちゃん?どうしたの」
「礼美!」
あまりの形相に思わず声をかけると、礼美ちゃんは俺の部屋に逃げ込んできた。
典ちゃんが咎めるように礼美ちゃんを呼ぶが、俺の後ろに隠れてしまう。
「ミニーがどうかしました?」
大事そうにミニーを抱きしめて、追い返して!とばかりに首を振ってる礼美ちゃんを売ることはさすがにできない。俺の信用に関わる。
「礼美ちゃんとミニーは話ができるそうで」
その話を何も知らないで聞くと、どうしたお前……となるんだけど。
さすがにそこまで空気読めない子じゃないので、はあ、とビミョウな返事をする。
片手でドアを支えたまま、開いた方の手で礼美ちゃんの頭に手を乗せる。髪ゴムについた花飾りがかすかに指に触れた。
「お友達は貸せないみたい」
協力しろといいたげなナルの顔と、困り果てた典ちゃん、それから絶対やだ守ってお兄ちゃんという感じの礼美ちゃんを見比べて俺は弱者をとりました。
ぱたんとドアを閉めて、部屋の奥へ礼美ちゃんを連れていく。
「あのおにいさんが言ってたのはほんと?」
礼美ちゃんは何もいってくれなかった。
その日の晩、俺の部屋をこっそりのぞく不届き者……いや、お坊さんがいた。
「なんですか」
「悪い悪い」
まだ割と早い時間だったが、礼美ちゃんは俺のベッドで眠ってる。
ミニーは案の定連れてきてるが、寝るときは机の横に置いてあった。滝川さんはそろそろと部屋に入り込んできてちらっと視線を向けて、俺を見る。
「朝までに返してくださいね、不安がるから」
「おうともさ」
にっと笑った滝川さんはそれから数時間後に戻しにきた。
明日の朝、なにがあったのかを聞こう。
寝返りをうってミニーの置いてある机の方に背を向けて、礼美ちゃんにそっと布団を掛け直した。
*
しずかに息をしている少年の顔を見ようとして、薄暗い部屋の中で目を凝らした。
部屋の隅にあるセンスの良い間接照明は、彼の顔をわずかに照らしてくれる。
眠っている、のだろうか。滝川はブロンド髪の人形を静かに元あった場所へ起きながら、もう一度彼の顔を見ようとする。
身じろぎひとつ起こさないのは、彼の背中のところにいる小さな子供も同じだ。しかし子供は安堵しきった寝息を立てているのがよく分かる。
起きてるのかと問いかけようとしたが、指先に力を込めて押し止まった。
眠っているにせよ、起きているにせよ、水を差すのはかわいそうだと思うのだ。
ゆっくり踵を返して部屋を出た。
廊下を歩いてまた、彼の眠る部屋の方を振り向いてみたが、何も起こることはない。
先ほどまで霊能者たちをあざ笑うように動いていた人形を、彼らの部屋に置いてくるのは気が引けたが、約束なのだから仕方がない。
翌朝、滝川は階段を下りきったところで松田に会った。
軽い挨拶を交わした後、腰元を見るがそこには誰もいない。
「礼美ちゃんならもう朝ごはん食べてますけど」
「そか。昨日はよく眠れたか?」
「ぐっすり」
夜から朝にかけては礼美とずっといるものだから一人でいるのが珍しかった。しかし比較的、人が活発に賑わう時間帯は礼美を典子たちに任せているので、今日はそれが早かっただけの話だと納得する。
「俺も朝ごはんたべてこよっと」
少し濡れた前髪からして、顔を洗い終えたのだろう。松田はすれ違おうと一歩踏み出した。
「なあ」
「へ?」
思わず引き止めたが、言葉が出てこない。
松田はきょとんとしながら、律儀に体まで滝川の方と向いて次の動作を待っている。
「昼間ってなにやってんだ?」
「フツーに……しゅくだいとか」
今まで彼が高校生だということをすっかり忘れていたため、思わず笑ってしまう。
「そーかそーか、そうだよな」
昼寝をしているか、香奈や典子の手伝いをしているか、宿題をしているという松田に少しだけ安堵した。
彼のことをなぜ気にしていたのだろう。なんてことはない、普通の少年だ。
滝川はそう思いながら、朝食へ向かうと言っていた松田を追い払うように手を振った。
next.
どうして昼間の方が気を抜いているかというと、本業の人たちがいるから。
Jan. 2018