Jupiter. 06
期が変わって、気づけばこの学院に入ってから一年が経っていた。我がシルヴァン学院は何年生という学年制度はなく、下級生・上級生・最上級生の三段階で級が上がっていく。
俺の在籍する下級生は、一般的な学校のように教養やマナー、武術等の授業を受けて使者としての基礎をはぐくむ段階だ。通常二年から三年かけて、全ての科目で一級から二級のランクに上がると上級生に上がることが許される。
それを、たった一年でこなしたのがここに二人。言うまでもなく、ヴィンセンスとフェンネルだ。
「ふえー……上級生の制服きてる……」
「これからは校外実習が中心になる。お前の顔も当分見納めかな」
あはは、と珍しく笑い声をあげるヴィンセンスは、よほど俺の顔に見飽きていたらしい。ムッとしないでもないが、この一年における俺たちの思い出はだいたい激しい口論とかじゃれ合いで。
育ちの良いヴィンセンスにとっての俺は、学院で初めて出会った野生の猿。余程身に堪えたにちがいない。
「……ヴィンセンス、いままでありがとお……」
「!?」
素直にこぼれたのは、よく愛想尽かさずいてくれたな、という感謝の気持ちだ。もちろんフェンネルにもだけれど、人間関係において手抜きが出来ないのはヴィンセンスの方だから……。
「二人とも身体に気を付けてね、がんばって」
「ありがとう、アリアンも頑張って。学院に戻ったら顔を見に行くよ」
フェンネルはすっかり俺の殊勝な態度に慣れていたので、動じず俺に笑い返した。ヴィンセンスはほけっとした顔をしたまま、フェンネルに腕を引っ張られて去っていく。
いや、いい加減俺に慣れろ、ヴィンセンス。
そんなふうに二人の姿を見送ってから、ほんの三日程しか経ってないうちに、ヴィンセンスが学院に戻ってきた。と思ったら、ものすごい顔で俺に駆け寄ってくるではないか。
「───今すぐ女に化けて、俺と一緒に来い!」
「えー……なんで?」
ヴィンセンスは俺の肩をわし掴み、深刻な顔つきで経緯を語った。
なんでも、上級生になっての校外活動の前にイーストカレッジの女子部で短期間臨時講師になるよう学院長様に言われたらしい。
ところが、ヴィンセンスは以前女子部に制服を借りに行ったことで、女子学生たちに面が割れていた。
『どうして制服を?』『もしかして、自分で着たんですか?』と、詰められたヴィンセンスはその誤解を解きたいあまりに、俺を連れていくしかないと考えたようだ。
「いや俺が行ったところで、何故制服を借りたのかはこたえられないけど」
「だけど女装野郎にされるよりは余程いいだろう!?」
「俺が女体化野郎なのはいいのか」
「誰もお前が男だなんてわかりゃしない!」
「それはそうなんだけどー……」
ヴィンセンスはもはや俺の反論など聞く気がないみたい。
ヒョイと小脇に抱えるように俺の身体を掴んで、ロスマリン姫に献上した。そしてロスマリン姫はころころと笑って俺に入る。俺の意思は???
「───というわけでぇ、制服をお借りしたのは、お……私なんです~」
男子部の制服のまま、女体化した俺は女子部にまで連れて来られていた。
実際着たと宣言する女がいれば、ヴィンセンスへのあらぬ疑いは晴れる。だけれど、どうして制服が必要だったのか、というのは案の定聞かれても答えられなかった。
まあ、彼女たちにとっては騒ぐネタが欲しいだけで、女が女子部の制服を借りた理由にはかけらも興味はないようだった。
「あなたってまさか、ヴィンセンス先生の恋人?」
そう、女の子の興味はいつだったこっちだ……。
少し前にフェンネルの恋人をやり、今度はヴィンセンスか。フェンネルの場合は事情が複雑だと思ったけれど、ヴィンセンスはそうでもないし、そもそも頼まれてないし、どうしたものかな。
チラ、と少し離れたところで様子を窺っていたヴィンセンスとフェンネルが、ぴくっと肩を震わせた。
ていうか、「違う!」と絶叫してきそうなヴィンセンスが大人しいのは珍しいことだ。
「ヴィンセンス先生って、恋人にするにはちょっとなー」
「きゃははっ」
「やっぱり、恋人にするならフェンネル先生みたいな物腰柔らかで美しい男がいいわよねー」
「やぁだ、も~っ」
「あ、でも夫にするならヴィンセンス先生のような真面目な方がいいと思うのー」
ほぼ棒読みで彼女たちに明るい話題を提供することにした。
案の定、会場は沸いた。俺は盛り上げ係として仕事をしたぜ……二人とも。
「アリエルっていったわよね? せっかく来たんだからお茶でもいかが」
「おしゃべりしましょ」
「おっけーい」
女子生徒たちに囲まれながら、俺は二人にグッと親指を立ててサインを送った。何の意味もないが。
シルヴァン学院には食堂やカフェテリアなどがあるが、イーストカレッジには落ち着いたティールームが備わっているらしかった。
女子生徒たちは足りない椅子をどこからか運び込み、自分たちで紅茶の準備をして振舞う。女給でもなければ貴族の令嬢でもない、どこか伸び伸びとした様子はまさに女の園だ。
「結局アリエルは、どっちの先生がタイプなのよ?」
無邪気な質問がなげかけられ、俺は少し答えに困る。
これはどっちを言っても地獄ではないか。友情に亀裂が入り……はしないが、口に出した自分の心にひびが入りそう。
「えーっと……タイプはとくにないの。先に跪いて求愛されたら、応えてあげてもいいかな」
当たり障りなく、そして盛り上がりそうなことを答えた。
彼女たちはどこか、のぼせた顔つきになる。そのうち幾人かはどちらかに求愛されるシーンを想像してることだろう。
「でも、二人がいっぺんに求愛してきたどうするの?」
「きゃあ、夢みたぁい」
「そういう時は、どちらがよりわたしを愛し、尽くしてくれるかを考えるかなー」
「やっぱり愛情深そうなのはフェンネル先生じゃない?」
「そうかしら、案外ヴィンセンス先生の方が一人を真剣に愛しそうじゃなくて?」
きゃっきゃっ。
カナリアのような彼女たちの笑い声は、しばらく頭の中を鳴りやまなかった。
帰りの馬車の荷台で、星が散りばめられた空を眺めながら馬の蹄の音を聴く。俺、断然こっちのが好きだ。小石を踏んだ車輪が跳ねて、荷台の縁が俺の肩にぶつかるのもご愛敬。
「アリアン、なんか疲れている?」
「いやあ、年頃の女の子たちには圧倒された。パワフルで……」
「お前が圧倒されるとは、よっぽどだな」
隣に座るフェンネルは労わるように俺の肩を撫で、御者しているヴィンセンスは一瞬だけこちらを振り返る。
最初はまあ話に乗っとけばいいっしょ、と身を投じた俺だったけれど、女の身体で女の園に入ると、普段は見えないものが見えてくる。
「あのな、話題がそもそも合わないんだよ! それに男の俺が本音で意見言ったってあの場では浮くんだ……ヴィンセンスとフェンネルのどちらが良いかの話題からはじまり、男のルックス、性格、家柄、年収、俺には何も言えないよお~」
フェンネルに体当たりをすると、ころころ笑われた。
「じゃあ、アリアンの本当の答えはどっち?」
「あ?」
「恋人にするなら僕、結婚するならヴィンセンスって言ったじゃないか。詳しく聞きたいなって」
フェンネルが揶揄うように首を傾げ、顔を覗き込む。
女の子の前では答えを濁したが、これは実際男同士でもよくある会話だ。フェンネルとヴィンセンスがもし女だったら、という前置きがあるがこの場合は省略する。
「ヴィンセンスかな」
堪えた瞬間、ヴィンセンスががっくんとずっこけた。そうすると馬と荷台が跳ねて俺達の身体も揺られる。
「トキメいちゃった?」
「おまえ、この、馬鹿っ!!!!」
「フェンネルは俺とヴィンセンスどっちが好み?」
「う~ん、僕もヴィンセンスかな」
「まっ、ライバルね、負けないワ。ヴィンセンスは俺とフェンネルどっちがいいのよっ」
「やめろ!!!! 手元が狂うだろうが!!」
わいわい、ぎゃいぎゃい、と賑やかに夜道を通って学院に帰った。
結局ヴィンセンスは俺とフェンネルのどちらも選ばず、肩をいからせて寮へと戻っていく。おお、遠巻きにも怒ってますってポーズだ。
「なんだか妬けてしまうな」
「なにが?」
「一度は僕と結婚するとまで言ってくれたのに、アリアンはヴィンセンスを選ぶんだなって」
見送るように立ち止まっていたせいか、フェンネルが隣に立ったのに最初は気づかなかった。だが気を引くようにそんな話をし始めるので、子供のように拗ねているのかと思わず笑う。
「フェンネルだってヴィンセンスを選んだくせに」
「ふふ」
腕に体当たりをすると、フェンネルは大げさに身体を揺らした。
女子部から帰って来てからは、またいつも通りの日々が戻ってきた。だがその平穏もほんの数日で終わりを迎える。
ある日の昼下がり、教室に四人の教授が物々しい顔でやってきた。
同輩たちとつるんで他愛もない話に興じていた俺は、近づいてきたその塊の影に身が竦む。迫力あるぅ。
「アリアン・フォレスト、これが何だかわかるかね?」
数学の教授が先頭にたち、俺に四枚の赤いカードを見せた。
ああ……違反切符をもらう時のような、臓腑のわななき。これも似たような境遇で、学院でいうところの【落第】カードだ。赤点と言えばわかりやすかろう。
「ま、まさか」
近頃の俺は、身のふりを省みていたのですぐに思い当たった。
「そうだ───数学、化学、文学、歴史っ、全てお前のカードだ! すぐに学院長のところへ行って、カードの裏にサインをもらってきなさいっ」
ひゃー……。とうとうやっちまったー。
俺は同輩たちの優しき関心を振り切って、足早に学院内を歩いた。後回しにしたところで結果は変わらない。教授たちにいわれるがまま、学院長様に会いに行かなければと思った。
前世の記憶が戻って約三ヶ月───。人格が落ち着いたところで、十五年間で身に沁みた勉強への苦手意識はあまり改善していない。
しいていうなら、元々得意だった数学や多少の知識があった化学なんかは理解できるようになったけど、……いざ試験になると唐突に眠たくなる。
数学と科学の教授は授業態度が良くなり、質問にも答えられるようになった俺に感動していたのにこの結果だから、いっそ反動が大きく悔やまれた。
俺だって自分のこの体質をどうにかしたいわい。
「あのう、長い目で育てていただきたい生徒がここにもひとり……」
学院長室のドアのところで、恐る恐る会話に入った。
たった今、フェンネルとヴィンセンスに対して、「長い目で育てる」とおっしゃっていたから、せめて柔らかく話に入り込もうと思ったのだ。
とはいえ無礼にも盗み聞きをしたことになってしまうので、ほとんど話の内容は聞いていないと宣言した。嘘ではない。
学院長様はそのことでお怒りにはならなかったが、結局のところ俺が落第カードをいっぺんに四枚出したことで額の血管がブチ切れそうなほど息んだ。……あ、四枚じゃないんだなあ、これが。
「実は明日、地理ももらう予定です……また来ます♡」
てへ、と笑うと学院長様、そしてフェンネルとヴィンセンスは顔面の麗しい作画が壊れるほど目を瞠った。あれ、なんか俺、やっちゃいました?
「アリアン……つまり、五枚の落第カードをもらうということだね?」
こくこく、と首を縦に振る。フェンネルったら、足し算はできるぜ。
「カード五枚で特別追試があることは知っているよな?」
言葉を重ねるヴィンセンスには、今度は首を横に振って答える。
俺がこれまで、いかに何も気にしないで生きてきたかが丸わかりだな。
「その試験で一つでも落としたら、退学になることはわかっているのか?」
……え。今、誰が言った? てか、なんて???
身体が硬直している間に、少しずつ理解していく。気分は脆い土くれだ。今にも崩れてしまいそうな心象風景。
俺はすうーと目を瞑って息を吸う。持ち前の気力、根性、楽観性で精神を保とうとしたけれど、結局駄目だった。
「荷物をまとめます……」
next.
まだアリアンの素直さに慣れないヴィンセンスが楽しい。
Dec. 2025