I am.


Lily. 04

春、俺は大学の四年に進級した。
色々と忙しくなる時期ではあるのだが、研究室へは相変わらず暇を見つけて通っている。バイトという立場はそのままだが、そこには恋人がいるからという理由も含まれていた。

「ナル?いったいこれ、どうしたの」
「丁度いいところに来た。参考文献が見当たらないから探すのを手伝ってくれ、タイトルは───」
昼前にドアを開けたら珍しく研究室の方に出てきていて、本を棚から出して広げている。
『ナル』というのは本名の一部らしい。そもそも渋谷一也というのは全くの偽名で大学に通うために作った身分であるとか。
ちなみに本名は長くて忘れたとのことで、興味がないのか言いたくないのか、正直なところはわからない。
ナルは自分のことに感心があまりないので仕方がないか、と思っている。
逆に熱心なのは今とりかかっている研究で、以前昼間は身体が怠いと言っていたにも関わらず、こうして起きだしてきて本を探しているのだから呆れてしまう。いくら分厚いカーテンで遮光されてても、昼間はそれなりに部屋が明るいのに。
「これ?」
「ちがう。───あれかな、とって……そう」
「ほい」
「これだ!よくやった」
長くて厳めしいタイトルを朗々と告げられたので、慌ててタイトルを覚えながらあちこちそれらしき本を見ては床に置き、何度も聞き直しながら探した。
そして件の本と目当ての小節を見つけると、ナルは本にかじりつき始めた。
一方俺は、換気ができなくなったけど代わりに違う仕事ができた。


本棚からたくさん引っ張り出した本を戻し終えて、ほとんど動かないナルの横顔を見る。
俺の存在や行動に気づいてはいても、一切構わないというスタンスには慣れた。文句を言ってこないあたり許されているとも感じる。
よく見ていたら、長い睫毛が字を読むのでフワフワ揺れ動いてて、思わずくすりと笑ってしまった。
「俺、そろそろ行くね」
「ああ」
白い頬をじっと見つめたまま声をかける。
どこか無機質に見えた肌だったが、今は薄い皮膚の奥にある血管みたいなのが青く透けて見えた。その頬に、そっとキスをする。
「また、夕方」
「……
「ん?」
あ、やっとこっちを見てくれた。と、内心喜んで返事をすると、ナルはあっけからんとした様子で次の言葉を紡いだ。

「来るときに売店でコピー用紙を買ってきてくれ。A4のやつ、もうすぐ切れそうだ」



講義も腹ごしらえも買い出しも終えた俺は、少し早い時間だが研究室に行こうかなと考える。
あの様子だとナルも熱中して作業しているだろうし。
そうして道を歩いていると、何やら周囲が色めき立った。
声を辿り視線を辿り、ある人物の後姿に辿り着く。
黒髪の後頭部、しゃんとした姿勢、肩幅はあるけれど腰が細くて華奢な体格は、特徴的というわけではないけれど。周囲の視線を集める存在ということはもしかして、と凝視しているとその人物がゆっくりと振り向いた。
「───ナル!なんでここに!?」
その顔を見て、思わず声を上げて駆け寄る。
美貌につられた人が声をかける前でよかったが、俺がそれ以上に心配なのは、まだ日が暮れていないからだ。
「ちょっと、用があって」
「なら俺に言えばいいのに。急ぎ?」
「そういうわけじゃない」
薄手のジャンパーを脱いで、ばさっとその頭にかける。フードがついたのでその容姿も隠れて丁度いいだろう。
「ていうか、身体大丈夫なの?」
「このくらいなら平気だ」
肩を抱き寄せて、人の視線から逃れるようにその場を離れた。
そして人気のないところまできて、上着を返されたので思わず受け取る。今も火傷してないってことは平気なんだろうけど。
「俺、軽くトラウマだよ、あんな火傷さあ」
「火傷……」
「うん」
「忘れた」
いや、本当に忘れるわけないだろう、あんな大事件……と、困惑する。
「……なんか、拗ねてる??」
つまりそういうことか、と思い首をかしげて指摘する。
これを言うと断固として認めたりはしないが、それでも言う。
そしたら意外なことに、ナルの顔がきょとん、とした。むっとすると思っていたんだが。

「───っふ、ふふ……く、あはは」

それどころか、急に声を上げて笑い出した。
今までは例え笑ったとしても、こんな風になったことはない。
「ええ!?どちら様ですか!?」
普通に別人を疑い距離をとる。
ナルの偽物は、あは、あは、と短く息を吐き出して、ようやく笑うのを止めた。
そしてナルよりもいくらか優しい顔つきで俺を見た。
「ああ、ごめん。まさかナルにこんな親身になってくれる人が出来るなんて」
「もしかして、ナルのお兄さん?……滅茶苦茶似てますね……?」
「僕のことも聞いてたんだ。ジーンと呼んでほしい」
「あ、俺は谷山といいます」
兄がいるという話を聞いていなかったら、正直言って怖くて泣き出してたかもしれない。ていうか瓜二つだったならそのことも教えておいてほしい。……いや、会うとは思ってなかっただろうけどさ。
なにせ、お兄さんは亡くなったかもしれないって───。
「よかっ……た」
「何が?」
俺が思わず零した言葉に、ジーンさんは首をかしげる。
「あ、その、ナルからお兄さんが行方不明になったって聞いてて、その、亡くなってるんじゃないかと。だから、生きててよかったって。気を悪くしたらごめんなさい」
「ううん。……ありがとう」
顔はナルだけど、柔らかく微笑まれるのは落ち着かない。
ふいに伸びてきた手が俺の肩にとんっと乗せられて、指先で首にかかる髪の毛をそろりと退けた。
そしてシャツの襟の隙間に指が滑り込み、俺の首筋を突っつく。
「ねえこれって、ナルの印?」
「え?あ、どうして」
目に見える形で噛み痕がついているのは知っているけど、見せてもないのにわかるというのは、きっと彼らの種族にわかる感覚的なことかもしれない。
なぜだか俺は、ジーンさんにゆっくりと引き寄せられていく。
「そうか、あのナルが血を吸えるんだ……たしかに君ってすごくおいしそう───」
その目が青く光るので、俺はあんまりな美に圧倒されて身が竦む。
にやりと笑った唇が蠱惑的で、隙間から見える歯に『喰われる』想像をしかけたところで目の前を黒が遮った。
「ジーン!!!」
気づいたら、ジーンさんを押し返すナルの背中が俺の前にあった。
「ナル、ひさしぶり」
「ああ、随分とひさしぶり。何の用だ?」
「いい加減ナルの身体が心配になって、会いに来たんだ」
「余計なご心配をどうも」
朗らかに会話をするジーンさんと、全てにおいてつっけんどんなナルとの対比がすごい。しかもこの二人顔がそっくりというわけで、更にとんでもない絵になっているんだろうな。
でも俺はナルの背に隠されるように腕を掴まれているので、立ち位置を変えることができない。
「そうみたいだね。でも、それなら尚更僕に彼を紹介してよ」
「なぜ?」
せめて顔くらいは出すのが礼儀だろうか、とナルの肩からひょこりと覗いていた俺は、急に向けられた視線に居心地が悪くなる。
「だって僕たち、家族になるんだろう?」
───え。
思いっきり声を上げそうになって、反射的に息を吸い込む。ひくっと喉が引きつったので口を覆ってごまかした。

"家族になる。"

その言葉を飲み下せずにそろりとナルの方を見ると、さっきからずっとしかめっ面だ。
「余計なことを言うな」
「話してないの?」
聞かせたくない話みたいだ、と居心地の悪さを感じて身じろぎをする。
「必要ない」
「───っ」
だけどその拒絶の言葉が、俺のことを突き放した。
持っていた荷物を落としそうになり、堪えてぎゅっと握る。
そして意を決してナルに手を伸ばした。ちょっと震えながら、服の裾を引っ張り気を引くと、ナルは、はっとして俺を見た。
「家族で積もる話もあるだろうから、今日は帰るよ」
「いや……」
「俺がいたら話しづらいんじゃない?」
肩をすくめて笑って見せたけど、多分下手だった。
買ってきたコピー用紙を、珍しくおろおろしたナルに持たせて、ジーンさんに会釈する。
「じゃ、俺はこれで」
彼もまた口ごもりながら、俺とナルのことを交互に見た。引き留めようか見送ろうかと迷うそぶりを、見ないふりして足早にその場を去った。

距離をとり、一人になってから次第にその足取りは重くなる。
こんなに家に帰るのが億劫なのは、久しぶりだ。
ナルのお兄さんが生きていたことは喜ばしいのに、『家族になること』を否定されたのが思いのほかショックだったみたい。
家族がいるナルを羨む気持ちと、ナルが俺のことをどう思っているのかが分からない不安。
そして、家族が会いに来たナルが、もしかしたらどこかへ行ってしまうのではないかという恐怖も俺にのしかかる。

ずっと一緒にいられる保証なんてどこにもないと分かっていたのに。



next.

ジーンのおめめは青系にしました。きょぃ……。

Sep.2023

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