I am.


Lily. 05

家族に置いていかれて一人になった時、心にぽっかり空いた大きな穴に、いつも冷たい風がふきすさぶような日々を過ごしていた。
全て投げやりにはなれなかったけど、未来のことを考えられなくなったり、過去を思うと溢れだす家族の死という事実に打ちのめされた。

時々、車に乗って出かけようとする家族の夢を見る。
事故に遭った日、俺は大学にいた。だから一緒に居ることなど出来なかったわけだけど、俺は着の身着のまま裸足で駆け出すような焦燥を胸に「待って」と追いかけるのだ。
バタンって車のドアが閉まって、エンジンがかかり、走り出す音。
俺は精一杯走って追いかけるけど、足が泥にずぶずぶと飲み込まれていくようにおぼつかず、追いつくことができない。
───その夢の続きで、俺はナルの後姿を見ていた。近づこうとすると足は動かない。ジーンさんが横からきたことに気づいたナルは、顔をそちらにむけた。
そして二人でずっと遠い所へ行ってしまう。


また、置いて行かれた。

胸にこみあげるような悲しみに目を覚まして、時計を見ると深夜の2時を過ぎたところだ。
起き上がって手をつくと、自分が寝てた部分がひどく熱を持っていることに気が付く。首筋や額は汗に濡れていて、空気の動きに反応して肌を冷やす。
ベッドからおりて、冷蔵庫からペットボトルの水をとってバルコニーに面した窓を開ける。カーテンがふわりと揺れて、風が入ってくると身体の熱をたやすく奪った。
夜中でも、外は街灯や月あかりに照らされていた。だけどふいに、俺の目の前に濃い暗闇が下りてきた。
バルコニーの手すりにとん、と足をかけて降り立つ影がゆらめいて、止まる。
紫に光る対の目が見えて、一歩後ずさりかけたのを堪えた。
「ナ、ル……」
「起きていたのか」
「どうした?こんな時間に」
夜が行動時間のナルがこうして俺の家に来るのは初めてのことではないけど、俺が寝ているであろう時間に来るのは珍しいので驚く。それも、ベランダからなんて。
「ジーンにこの時間まで捕まってた」
「あは」
思わず笑ってしまった。
見た目は本当にそっくりなのに、性格が全然違うんだろうってことはあの少しの時間だけでよくわかった。
うんざりした様子のナルは、おそらく嫌になって出てきて、ついでに俺の部屋の近くを通っただけなのかもしれない。
せっかく会えたのだから、と窓を広く開けて一歩横にずれる。だけどナルはじっとしてそこから動かない。
「入らないの」
「招いてくれないと入れない」
「!そうだったんだ」
今までも何気なく部屋に招き入れていたことに、初めて気づいた。
そういう性質なのだと言われて、ならもっとちゃんと言え……と思う。
相変わらず自分の話しない男だ、と半ばあきらめのようなものを感じながら「入って」と告げると大きく一歩踏み出し、俺との距離を縮めた。
「汗をかいてる。……また、うなされてたのか」
俺の額に張り付いた髪の毛をどけるように、指の腹がなぞる。
指摘されたことも、またと言われるほど把握されてることも、居心地が悪かった。
自分が弱る原因のひとつに、ナルがいるのだと気づいたから。


「お兄さんとちゃんと話せてよかったね」
部屋の奥に入って適当に座りながら、気を取り直して話を振る。
ナルは相変わらず反応が薄くて、感動の再会というわけではなさそうだと察した。
そもそも、死んでるかも、とか勝手に言ってたくらいだし。
「これから、ナルはお兄さんとまた暮らすの?」
そう問いかけるとナルは、きょとんと首を傾げた。俺は当然のように考えていたがナルはやがて眉を顰める。
「子供じゃないんだ、わざわざ一緒に暮らす必要はないだろう。生きてることが分かったし、もういい」
「それは、そうだけど……じゃあナルは、これから先どうするの……?」
「別に、どうもしない。日本ではまだ研究したいこともあるし、もいる」
「……俺?」
聞き返しながら、おそるおそる手を伸ばして、腕をつかむ。
「俺と、いてくれるの」
「僕はおまえに別れを告げたか?」
「だって……家族になれないのに……」
触れていた腕が上がってきて、俺の顔に触れた。
ナルは小さく、「ジーンの話は……」と少しだけ口ごもる。

「あれは、───を同族にするという意味だ」

ナルの言う同族とはつまり、人ではない者になるということ。それらは、血と生命そのものから養分を採り、日の光を避け、永い時を生きる。
自分の想像の範疇を超える話に、茫然とするしかなかった。
「僕みたいな生き物は魂というものがない。生きられなくなったものは灰になって終わるだけだ」
俺のまなじりを、軽く押すナルを見つめた。
「人は死ねばその身体は大地に還り、魂は光となって集い、意志は風となり遺る───の家族もそうしてこの世に存在している」
「俺の家族が……」
「だけど同族になったら、は家族のところへは逝けない」
喉が捻じれるみたいに衝撃を受けた。
言い聞かせるようなナルの言葉遣いからして、俺のこの動揺はお見通しだったわけだ。
「それは、困る……」
「知ってる。だから言わなかったんだろう」
「はは」
今までその選択肢を提示しなかったのも、その話を一切する気がなさそうだったのも、ナルが当たり前のように俺の生き方を───魂を、尊重してくれた証なのだとわかる。
「ちなみに、どうやって同族になるわけ……?」
「僕がの魂を喰うんだ、そして、命と血を吹き込み身体を作り変える」
とても恐ろしいことなのに、酷く甘美な響きを感じてしまった。
ごくりと喉を鳴らすと、ナルは笑った。いつものちょっと、意地悪そうな顔。だけど光る紫の目は鮮やかで、それがどこか熱っぽいと思う。
「想像したのか、僕に喰われる」
「……し、した」
「僕もの魂のあじを時々想像する……」
次第にどちらともなく顔が近づいていき、唇を食む。
かかる息すら欲しくて、一度離れた唇を見つめていると、今度は深く食いつかれた。
噛みこそしないが、尖った歯にぶつかったり、舌を絡めたり唾液を飲まれたりすると、血を吸われている時のことも想像した。
ふいに、唇が離れたと思えば身体を引かれて、ベッドに座らされる。
そしてまた、圧し掛かるようにして体重をかけてきた。口づけのたびに押し倒されていき、肘をつき、背中をつき、とうとう頭をベッドについた。
首に腕を絡ませて掴まっていたが、身体を全て投げ出したことで、俺の手から力が抜けてぽとりと落ちた。
ナルは俺の乱れた髪を撫でてどかし、額や耳をあらわにしてから唇でそこをなぞっていく。
輪郭を通り俺の首に辿り着くと、甘噛みした。
「んっ」
そしてナルがつけてる痕を舐め上げられると俺は、びくんっとわかりやすく身体が跳ねてしまい、甘えた声を出す。
期待に胸を膨らませているのだとバレたのが恥ずかしく、手で口を押さえて横を向く。
するといつも噛まれてる部分がより剥き出しになり、ナルの頭が潜り込んだ。そして、はっと大きく息を吸って、俺の首筋に牙を刺す。
「……~~~~ッ」
痛みよりも、嬉しいと気持ちいが先にくる。
俺はいつから、吸血行為に背徳的な喜びを感じ始めるようになったのだろう。
それに、血を吸う最中にするキスで、自分の血の味も知った。
結構、重症だなと思いながら、愛し合いたいのと喰い喰われたいのの境目がわからなくて、この行為に耽る。
きっと、魂を喰われて血と命を与えられるのは、この先にあるのだと思う。
───その一線だけは、越えないようにしなければ。




貧血とか疲労とか眠気とかに襲われて、最終的に俺は意識を飛ばして朝を迎えた。
いつも以上にすごかった……と、力の入らない身体で昨晩のことを思いだす。
カーテンが開けたままだったので、ナルが閉めていかなかったのかな……と思いながら身じろぎすると、俺は背中で何かを踏みつぶした。
振り返って見下ろすと、少し下の方に潜り込んだ状態の、ナルが居る。
「!?」
思わず布団を引っ張り上げて被せた。俺の血を飲んで栄養がとれているとはいえ、朝日は浴びて心地の良いものではないはずだ。
ナルを布団に念入りに包み込んでからベッドを抜け出し、バルコニーに面する大きな窓のシャッターを閉めた。
「───少しはマシになったな」
振り返るとナルが布団から這い出してきた。
「なんで帰ってないんだよ……」
「随分な言い草だな?お前が明け方まで僕を離さなかったんだが?」
俺に応えてくれたことに喜べばいいのか、自分の身体を優先しろと叱ればいいのか……。
「夜になるまでここにいる」
「ああ、うん。……でもなんか不思議な感じ、ナルが昼間に俺の部屋にいるのって」
「そうか?」
不思議というか、初めて見るだけなんだろう。でもそれがなんだか嬉しいのが、この感覚の理由だと分かっている。

「俺……ナルと一緒に暮らしたいな」

同じ家に住めば、ナルが招かれないと部屋に入れないということもなく、大学を卒業した後でも会いやすいと思った。
独り言に聞こえたのか、返事がないようだったので、嫌かな、とナルに問いかける。
「ここより、もっと暗い部屋がいい」
「うん。探そう、二人の家」
静かな声で返って来た言葉に、俺はこっそり安堵した。
実は緊張してたみたいだ。だって、俺なりの永遠を誓う、プロポーズのつもりだったから。


epilogue.

家族にも同族にもなれないけど、帰ってくる家になりたいなっていう話。

Sep.2023

PAGE TOP