09
六畳だったので、男四人はぎりぎりおさまった。ずっとぬいぐるみのフリを続けているケロちゃんを枕の横に丁寧において、労いのつもりで指でお腹をくるくると撫でる。くいしんぼさんだから、夜中寝静まったころに俺の鞄の中からおやつを出して食べるだろう。なるべく音が立たないように、柔らかい素材のものをご用意致しましたぞ、ケルベロスさん。
「木之本さんって、乙女趣味な人なんですか?」
「へ?ああ〜この子、大事なお守りなんだよね」
俺の向かいで寝る準備をしていた安原さんが、きょとりと首を傾げた。さっきからずっと首にぶら下げてるのをほぼ皆スルーだったから気になったんだろう。
「原さんが言うてたんですけど、ほんまにお守りみたいに効くそうですね」
「あ、ほんと?」
隣のブラウンさんは枕をなだらかにしながら笑った。
「効くって、なんです?」
「幽霊がぎょうさんおるお屋敷で、原さんはよう見えはるお人やから具合悪くなってしもたんですけど、ケルベロスさんをお守りにお借りしたとき、随分楽になったって言うてはったんです」
「ケルベロスさん……」
可愛いぬいぐるみに厳つい名前という如何せんシュールな佇まいなケロちゃんだけど、実力は折り紙付きである。
安原さんが名前を復唱しつつ、ケロちゃんを見下ろす。お兄ちゃんの凝視に耐えて来たケロちゃんは好奇心の目には負けませんよ。
「そーいや、学校休んでまで香港に何しに行ってたんだ?旅行か?」
滝川さんは対角線で寝そべって肘をつきながらこっちを見る。
「友達が香港出身で、俺は血縁ではないんだけど実家の人にもお世話になってるから挨拶に行ってたんだ」
「仲良しなんですね」
滝川さんと安原さんは同じように枕を胸の下に抱いて、俺のなんてことない話を聞いた。
ブラウンさんも楽しそうに聞いてくれてたけど、寝転がっていいのよ、座ってないでいいのよ。
「友達だけで行ってたのか?」
「ううん、保護者ってことでお兄ちゃんと雪兎さん」
「雪兎さん?」
「ああ、お兄ちゃんの同級生」
皆は雪兎さんに一度は会ってるけど、安原さんは知らないので首を傾げた。
さらっと答えながら布団に寝転がると、皆もそれにならって寝転がり始める。香港の話をしたり、ちょこっと友達の話をしたり。それから流れで調査の話をきいたりしていると、段々と口数は減って行く。じゃ、寝るか、と誰かが言い出してからは素直に皆一言も口を聞かなくなり、やがて寝息が聞こえはじめた。
俺は眠るか否か、少し考えて暗い天井を見上げる。
「ケロちゃん、おやつ食べていいよ」
「ほんまか!」
ひそひそ声で話しかけると、黒い影がぴゅうっと飛んで行く。ごそごそと音がし始め、はぐはぐとおやつを食べているわずかな音を聞いた。
ゆっくりと起き上がり、当たりを見渡すそれぞれ楽な体勢で眠っている姿がうっすらと確認できる。
寝泊まりする部屋は校舎とは別の小さな建物なので、俺は上着を羽織ってそっと外に出た。
腕を前に出すと、ブレスレットについている鍵がするりと落ちてきて宙にぶらさがる。唇で零すだけの声量で解除して、フライを使って屋上まで飛ぶと寒さがキツくなったように思う。
ゆっくり目を瞑って、開けば、そこには少年がいた。半袖の白いシャツを着た後ろ姿を軸に、世界が変わる。
彼———坂内智明という少年は、去年の夏に自殺をした生徒だと安原さんから聞いた。
どうやら、学校に強い思いを抱いていると、原さんから聞いた。
その霊が喰われたと、渋谷さんから聞いた。
そして俺は今彼が飛び降りた屋上を伝って、彼の苦悩を覗く。
開きっぱなしで乾いた目を瞬きして潤せば、それは終わる。
「そっか」
彼がなにをしたかは知っている。
「しつれいしますよー」
「どうした」
ベースに顔を出すと、渋谷さんはこちらに目を向けて来た。
「わかったことがあった」
「なに?」
細めた黒い瞳を見つめ返す。
「ヲリキリ様という降霊術が流行ってるそうだけど」
「ああ」
降霊術によって霊が呼び出され、帰れず学校に漂っていることは分かっているけれど、降霊術に関して誰も調べることはしていないそうだ。というか、調べようもないだろう。流行りの元を探るのは途方も無く大変だし、事態が悪化していると判明したのはつい昨日のことだ。
「どうやらアレの発端は、坂内くんという生徒みたい」
「坂内くんが?それをどこで知ったんだ」
「まあ、それは後で。彼はある人に恨みを抱いて死んで行った。けれど、死ぬ前に、呪いを残した」
渋谷さんの奥に居るリンさんと目が合う。
「ヲリキリ様は使い終わった紙を神社に埋めるんだって」
そう付け足しながら、俺は神社に埋まっていた呪符という奴を、リンさんに渡す。それを見たリンさんは眉を顰めてから顔を上げ、渋谷さんに小さく頷く。
「これは、人を殺す為の呪符です」
俺はそっと目を伏せた。
リンさんが渋谷さんに解説をしているのを、コーヒーをいれながら聞いている。
はふーとコーヒーの匂いのする息を吐いて、携帯を確認した。こっち来てから携帯触ってなかったんだった。こんなんだから渋谷さんに怒られるはめになるのかもしれん。
ちなみにメールが三通来ていて、お兄ちゃんから行き先くらいちゃんと告げてけっていうねちっこい文句が一通、雪兎さんからは誘ってくれればよかったのにと一通、お父さんからはおやすみと一通。
知世ちゃんと小狼は家についたときにやり取りしてるし、俺が出掛けていることも知らないので夜連絡を寄越す事はない。むしろなんで雪兎さん知ってるんだよ……一回帰ったじゃん。お兄ちゃんってなんでも俺の事報告してんの?辞めてほしい……月にも後でぶちぶち言われるんだろうなあ。
「誰かが故意に始めたことだというのは分かったが、なぜ坂内くんだと?」
俺は急に話と視線をふられて、あったかいマグカップから口を離した。
どうやら渋谷さんは、坂内くんだと俺が言っているだけで、まだ断定はできないようだ。
「その先生坂内くんのこと、随分いじめてたみたい」
「……それを、どこで知った?それだけで坂内くんが呪ったと言う程のことか?」
「———見えたんだよ」
渋谷さんは俺が調べたとは思っていないし、この言葉を言わせたかったんだろう。
腕を組み、足を組み、小さく息を吐く彼に苦笑する。なんか最近、だんだん渋谷さんのことが分かって来たぞう。
「呪詛だというのも、俺にはとんと見当がつかないから、過去を見るしかなかったんだ」
俺は魔術師だとかいっても、呪術はおろか、他の魔術だって専門的に学んでる訳じゃない。占いは出来たり、ある程度力を使えたとしても、たとえば祓ったり人に呪をかけたりすることも無理。そのやり方を知らないし、やるような道を行くつもりはなかったから。
あくまで自分の力の制御と、カードの持ち主としてしか考えていない。
「なにを媒体にして?」
「彼の飛び降りた、屋上を縁に」
「ポストコグニションか……どんなものを見たのか聞かせてくれ」
「場面は色々と切り替わる。巻き戻って行くような形かな。まず彼の飛び降りる寸前の背中を見る」
地面からやらなくて。ホント良かったと思う。
それから、後ろ姿だけで良かった。死に逝く人の表情なんて知りたくない。なおかつ、それが自殺というのなら尚更。
「背中を軸に、校舎が映る。それから教室。周りの生徒は降霊術を楽しんでいた。すると今度は美術室になる。彼は美術部員なのかな。座っていて友達と何かを囲っている。それも、ヲリキリ様だった。それから、誰も居ない教室に佇む姿、松山先生に本を捨てられる姿、松山先生に怒鳴りつけられる姿。そこで、俺の目が乾いたので終わりにした」
「目が乾いた?」
「瞬きの間の、目が開いている時間しか見ない事にしている、こういうのは」
渋谷さんは、小さく頷いた。
next.
さくらちゃんならきっとポストコグニションだって出来るよ!多分!……と思って。
実際これで、ナルは坂内くんが犯人だと断定はしないと思います。でも呪いの正体は分かったので解決はする。他の仲間や松山先生は坂内なんだろ!?って言うけどナルだけは確証はありませんと言うし、主人公は一番確証を持ってるけれど証拠が存在しないので口を噤みそうです。
May 2016