06
ミシェーラがよく連れて行ってと強請るのは家から少しだけ歩いて、森を抜けて、舗装されていない道を通ったところにある湖のほとり。車椅子の彼女は人に押してもらわないといけない場所で、兄のレオや俺が押していくことが多かった。俺の目が見えなくなってからも、練習と称してよくそこへ連れて行かされた。
最初のうちは手こずったり、車椅子が動かなくなったり、ミシェーラを落としそうになったこともあるけど慣れて卒なくこなすようになった。
「ありがとう、見えないのに連れて来てくれて」
「風が気持ちいいよ」
湖のほとりにくるとしばらく景色を眺めるミシェーラに寄り添う。遮るものの少ないひらけた所でそよぐ風を感じる。
「それにこの景色───何度も何度も来たんだから、覚えてる」
「そうね。お兄ちゃんはもう見飽きたって言ってたわ」
笑うミシェーラの声を聞いて、俺も少し笑う。そんなこといって、嫌がらずに頼まれればミシェーラを連れていってやってるのを俺は知っている。
「私は幸せ者ね、二人も兄がいて、必ずどこへでも連れて行ってくれるもの」
街中にいるよりは少しだけ冷たい風が吹き、俺たちを撫ぜる。
水面はゆれて、足元ではちゃぷりと波打つ音が鳴る。
遠くの山はきっと青白み、澄んだ空も鬱蒼と茂る木々も全て湖に映ってるのだろう。
ふいに俺の視点は遠くに離れ、車椅子に座ったミシェーラの後ろ姿が小さくなった。
一人にするはずがない、置いて行くはずがない。それなのに俺はミシェーラとは離れたところにいるみたいだった。
となりに、ぼんやりと影ができた。
誰かがいるのだと理解して、ようやくそれの姿が見えるようになる。
どうあがいても人間ではない異形。ミシェーラよりも、俺よりもうんとでかいもの。かろうじてシルクハットのようなものが見えて頭があることはわかったが、襤褸のようなマントだかコート、節足動物のような足が見える。
ミシェーラのそばにバケモノがいるのが見えた。
それが、トビーと会った日の夜に見た俺の悪夢───いや、俺にそういったイタズラが訪れることも空想癖もないので、おそらく予知夢だ。
なにか危険が迫っている。それはミシェーラに、俺に、そしてレオに。
異界のものに関わる案件は十中八九、神々の義眼についてだ。
トビーと会った時嫌な気配はまったくなかった。むしろ俺は良い出会いだとさえ予感していたのだから間違いはないはずだ。
そしてミシェーラとトビー自身も出会って何かを感じあったらしく、あれから二人の付き合いは始まった。交際に発展するのに時間はかからなかった。
デートに毎度ついてくわけにもいかないので、ミシェーラの車椅子を押す役目は彼に譲った。
そしてある日のこと、夢ではなく現実で、迎えに来たトビーから嫌な気配を感じた。
ミシェーラとトビーの言動におかしなところはなかったけど、すぐにわかった。姿形は見えなくとも、夢で見たアイツがやって来たのだと。
ミシェーラも何か気付き始めたのか、それともたまたまか、彼らは結婚すると言い出して親族に紹介をした。その流れで「お兄ちゃんにも会ってもらいたい」と言ったのはきっと、助けを求めての発言だったのだと思う。
トビーも家族も、HLにいるレオに会わせるのは簡単なことではないと当初反対していた。でも俺は、ミシェーラの意見に賛成して肩に手を置いた。大丈夫、俺に任せろというつもりで。
俺がミシェーラの代わりに行くことに関しては納得いかないようだったけど、結局は誰かに頼るしかないということで、HLへ行く権利は俺がもぎ取った。レオには反論の余地を作らなかった。
俺が感じてわかる範囲でいうと、トビーの命は無事なようだ。言っている言葉にも嘘はない。ただどうしても意識が遠いなと感じることがある。そして妙な気配がいつでもトビーのそば、そして俺のそばに張り付いているということくらいだ。
きっと神々の義眼には奴の姿も映るだろう。
俺はまたレオを苦しめる未来を選ぶかもしれない。
でも頼れるのはレオしかいない。
「レオ!」
待ち合わせのホテルのロビーまでトビーを連れてやってきて、ドアマンに開けてもらった途端にレオが俺を呼んだ。思わず俺もレオの名前を呼んで声のする方へ駆け出す。
レオの弾む息も足音も俺の方へ近づいてくるのがわかった。うっかり転びかけたけど、手を伸ばせばレオが俺をつかまえて抱きとめる。
「わ、ちょっ……!」
「あはははは」
久しぶりにこんな無防備に走った。
レオに触るのも、何年ぶりだろう。そのままぎゅうっとハグされたので、肩に埋まったままお礼を言った。
レオはトビーの性格や言動、ミシェーラへの愛にちょっと圧倒されつつあったけど、人付き合いが上手い男なのですぐに順応していた。
それでもきっと内心では色々と戸惑ってるんだと思う。頼んでいた飲み物が来て一口飲んだところで、レオはすぐにトイレに立った。
きっとレオと奴が接触中なんだろう。でも長くかからずに戻って来た。
「───なんか、慌ただしそうだね」
「え?」
戻って来たレオは静かに俺の手を握った。そのままなに食わぬ顔で会話を続けたが、しばらくして俺は周囲の喧騒を拾う。目に見えて何か騒ぎがあるわけではなく、俺に感知できる程度のものだ。
トビーとレオが言葉を止めた途端、レオのスマートフォンがテーブルの上で震えた。
電話口からかすかに男の声が聴こえてくる。
おそらく緊急事態の発生だ。報告なんてされてないけど、牙狩りを母体としたHLに存在する秘密結社ライブラに入れたことはなんとなくわかっていた。そうでなければ俺は血界の眷属なんて名前も夢で知ることはなかっただろう。
「行って、レオ、待ってるから」
「ごめん、」
「今夜中に帰れるだろうか、レオナルド」
トビーも俺もすぐに、レオの焦った様子を察知して背中を押す。ミシェーラについて、俺とレオの目について、今後の生活について話し合うことはたくさんあるはずだから、できればすぐに戻って来てほしいと告げるトビーの言葉にはやっぱり嘘はない。
「大丈夫だよな、レオ」
「あ……うん」
手を伸ばして、レオの体に触れてから軽く押し出した。
慌ただしく走って行った音がして、俺は再び奴とトビーと置いていかれた事実を地味に重く受け止めていた。わかっていたことだけど、少ししか一緒にいられなかったのは寂しいものがある。
自分で選んだこととはいえ、この目が見えないのがひどく悔やまれた。
トビーに部屋に行こうと提案して、席を立つ。
奴の気配はやっぱりまだトビーについているが、おそらくレオにもなにか監視をつけている。
静かにフロントへ行きチェックインを済ませ、とっていた部屋に向かうエレベーターに乗った。
終始、気遣うように声をかけてくれたトビーには感謝しかない。
「それにしても不思議だなあ、どうやって声を出してるんだ?」
「───」
部屋に入った途端に声をかけると、何かが息を飲む音がした。
「驚いた、神々の義眼の担保となり盲目の君が、私の存在を捉えているとはね」
「目がないからこそ、じゃないかな」
つとめて冷静に振る舞う。
Dr.ガミモヅと名乗った異形は俺に興味を抱いたようだった。顔を寄せられたのか、そばで声がする。
「恐ろしく勘が良いそうだね。その眼窩にはまだ何かあるのかい?」
「世の中目で見るものばかりじゃない」
ふうん、と何かを考えるようでいて、憮然とした相槌をうたれる。
純粋な脅威としては以前地元で見かけた呪術だらけの男よかましだけど、俺たちを利用しようとする確固たる意思を持っているわけで、距離を取ればいいというわけではない。
Dr.ガミモヅはご親切に、神々の義眼や義肢について研究をしているという自己紹介をして、なおかつ150年ものの手作りの義眼を持っていて周囲の眼は自分の支配下にあると自慢までしてくれた。
「俺には眼がないので、関係ない話だな」
「もちろん、私が支配できるのは眼だけではない。体を捕らえ意識を奪い思考を吸い上げ、取り憑くことができる。現に彼にしているようにね」
「そうして俺たちの様子を観察し、レオのことを突き止めたわけだ?人質にトビーと俺を連れてくることでいうことを聞かせ、眼球を奪う───もしくは、レオの体を全て乗っ取るつもりで?」
「聡いね、なぜ君が義眼を得なかったんだろう?」
俺が持ったところでお前にはやらないが、と口に出さずに肩をすくめた。
しかしそうなるとやっぱり、奴の狙いはレオということになり、俺とトビーは人質らしい。いやだなあ、そういうの。
今回は義眼の取引の時ほど考える時間も覚悟を決める時間もない。レオならここに立ってなにを考えるだろう。いや考える必要はないか、前に進むに決まってる。
簡単にことが進むとは思ってないけど覚悟を決めて、口を結ぶ。Dr.ガミモヅの方へそっと手を伸ばすと俺にはなにもできないと決め込んで無防備に触れさせた。
「───な、なんだ、この炎は!?」
やがて上がる声に、ほうっと息を吐くようにして笑った。
next.
クロウカード出せなそうだから死ぬ気の炎くらい出したかった(供述)
頑張って気をつけてはいるんだけど、目に見えない人の一人称って難しいな。
July. 2019