09
(レオナルド視点)妹のミシェーラが結婚を機に家を出ることはもうわかっていたことだけど、まさかそれを見てまで家を出ると言い出すなんて思いもしなかった。
あいつは結婚するわけじゃなかったし、目も見えないまま。特技の占いを仕事にしていて少しずつ客もついて来た、というのは聞いていたけど、だからって独り立ちするほどの安定性はないと思ってた。
それに家族が援助する場合となれば、絶対にしない選択だ。
世界で一番危険な都市で一番不安定な生活をしている長男の僕は、言えた口ではないけれど、声を大にして反対した。家に帰るとまで言った。
ミシェーラや両親だって、のしっかりしたところをわかっていても反対した。
それくらい、目が見えないことは大変で、一人で暮らすには心配だったからだ。
ミシェーラは結婚のため、僕は目を戻す手がかりを探すため。そういう理由があったから、の単なる一人暮らしは普通に許されないだろうと思ってた。ところが僕は、の意志の力を舐めていた。
次にとテレビ電話をした時にはもう、あいつは見知らぬ背景の前で笑っていた。
しかも誰かしらない人がの代わりにパソコンの操作をして、カメラを確認までする。顔まではよく見えなかったけど華奢でいて骨ばった男の手。座って待っているの肩に優しく触れて、「繋がったみたい」と囁いている。
僕は開口一番に「誰それ!?!?」と大声で聞いた。
見知らぬ部屋というのも最初はそこにいる人物の部屋でやっているのかと思ったけど、よくよく聞けばはさっさと一人暮らしを始めていて、パソコン操作をしていたのは時々手伝いに来るアルバイトだという。
日本人留学生らしい彼は雪兎と名乗った。
「アルバイトって……占い師が雇えるもんなの?」
「んー占い師として雇ってるわけじゃなくて、目の見えない俺の補助だから……家政婦みたいな?」
「お買い物とか、郵便物の確認とか、お料理の手伝いとかをしています」
僕はおそるおそる、の経済状況を窺う。の力は確かに人並みはずれていて───その力を使えばどんなことでもわかるんじゃないかってくらいだけど、だからって新たに居を構え、人を雇うことができるとは思えなかったから。
「たまに散歩とかいきたいしね、雪兎さんに手を引いてもらってるんだ」
───もっと仕送りしなきゃ!
ハーフダイブ4のウォーオブフューリーとかにはしゃいで、万年床つくってゲームにしけこもうとか考えてる場合じゃなかったんだ!!なんであの時仕送り増やさなかったんだろう、結局ゲームはブッ壊されたし。家と携帯ごと。
電話の後、ライブラの事務所に出勤することになっていた。
脳裏に、相変わらず健康で元気にやっていそうな弟の朗らかな笑顔を思い浮かべて歩く。
爆風や砂塵があちらこちらで頻繁に上がる、内戦地区みたいなHLの喧騒とは無縁の、のどかな土地でシンプルでいて上品な家具を揃えた部屋に住んでいた。
僕の目には、高く高くそびえ立つオフィスビルと、平気でそこに突っ込んでいく飛行物体だとかが目に入る。
降り注いで来そうな瓦礫が怖いので、ひとまず屋根があるところや、狭い路地に入ったりして身を守った。
事務所のソファでクッションに泣きついてると、クソな先輩にソファの一部と捉えられて座られる。それでも僕の悲しみや悔しさを、凌駕するほどの怒りも痛みも湧かない。
「何やってるんですか」
「止めてくれるな魚類!こいつはもう兄として……男としての尊厳が潰されちまって、単なる陰毛に生まれ変わったんだソファにくらいいさせてやれ」
「……せめてソファに生まれ変わらせてください」
「どうしちゃったんですかレオくん」
僕が日頃、陰毛だのソファだのと一緒くたにされても抵抗の姿勢を見せていることから、ツェッドさんが心配してくれた。
「───え、ではくんは仕事を見つけて一人で暮らすようになったというわけですか?いいことじゃないですか。アルバイトの方がいて身の回りのことを補助してくださるなら、安心ですし」
僕はさっきザップさんにしくしくと語った、の現状を報告した。
ザップさんは僕を負け犬と称し、ツェッドさんは安堵した。ザップさんは分かりにくいけど、二人ともの"成功"を喜んでくれている。
「まあまあレオっちの気持ちもわかるわよ?でもあっちだってさ、自分の力で生きたいって思うもんなのよ。無償で助けてくれる家族はまた別で」
「心配なのもわかるけどこんな街じゃないんだし、兄として弟の成長を喜んであげたら?」
K・Kさんとチェインさんも事務所で話を聞いていたらしい。
「待ってください、僕はの成功が悔しいわけじゃありません!嬉しいに決まってます」
飛び起きてザップさんの尻の下から抜けだしたけど、ソファでうなだれる。
「ただ、家族以外がの身の回りの世話をして……手を引いてるのが悔しいんです!!!本当なら僕がする役目だったのに……っ」
しん、と事務所内が静かになった。
さっきまで少し離れていたところで、密やかに仕事の話をしていたクラウスさんやスティーブンさんの声もない。コーヒーを淹れて部屋に入って来たギルベルトさんも本来声をかけるであろうに、その声を失って、足音だけが1歩、2歩とぎこちなく鳴って止まる。
「レオ……おまえブラコンも大概にせぇよ」
ザップさんの絞り出されるような声で、止まっていた時が進み始めた。
そっと出されたギルベルトさんのコーヒーはいつも通り、神の御業と讃えるほどの味わいだった。
「そうだ、ちょうど少年に見てもらいたいものがあるんだった」
「はい?なんすか?」
ある日もまた、オフィスのソファに座って待機をしていたところ、スティーブンさんの言葉に顔をあげた。
「スティーブン……あれを?」
「まあ見るくらいなら害はないだろう」
クラウスさんが少しためらうような顔をした。スティーブンさんも、本当はあまり乗り気では無いらしい。
僕はおずおずと、差し出された本を受け取る。
「え、これ?」
妙な態度の割に、あっさりと素手で渡されて、スティーブンさんとクラウスさん、それから本を見比べる。
厚みのある本は思っていたほど重くない。
装丁は濃紺の革張り地に、銀糸の刺繍で"THE CARD"と記されているだけ。横向きにすると、革張りの地に凹凸が見えた。エンボス加工みたいなそれは何か図形と動物の絵が描かれているみたいだった。図形は太陽のシンボルみたいに見える。
背表紙も似たような加工で月のようなシンボルが描かれていた。
「これは遥か昔に稀代の魔術師と謳われた、クロウ・リードが作り出した魔力を持ったカードに関する本だと言われている」
「開けて見ないんですか?」
「開けられないのだ」
ザップさんの言葉につられて僕はわずかに本を閉じるベルトに指をかけていたけど、クラウスさんの言葉で指をはずした。下手に触るもんじゃないな、と。
あっさり渡してくるから油断していたけど、ばっちり曰くつきじゃないか。
目を使って透視するだけにとどめよう。
魔術師の本というだけあって、いろいろとかけられているだろうから、徐々に目を凝らしていく感じだった。
まず目に入ったオーラは、さほど強くも無いが、弱くも無い、静かでいて温かみのある太陽のようなオレンジ色。
中を見ることを拒絶されているわけでもなくて、僕はそうっと表紙の先を見た。
「ぇ、」
一瞬だけ、暗闇が僕を支配した。
使いすぎたか、抵抗にあったのかと思ったけれど、違うらしい。熱も痛みもなく、ただ、トンネルを通り抜けるような感覚。
「レオ?」
「あ、いえ」
スティーブンさんが僕の反応に少し驚いたみたいだけど、僕は声をあげて平気であることを証明した。
「これ……中身、本じゃないっすね」
「は?」
「ほら、本の形をした小物入れとか、本の真ん中くりぬいてものを隠すみたいな、あるじゃないすか。そんな感じのやつです」
僕は指で、本の小口を撫でてみる。
ぴったりとくっついていてそれが積み上げられた紙なのか、ものを囲うために巻かれた紙なのかは指の腹の感触ではわからない。
「───まさか、カードがこの本に保管されているのか?」
「レオナルド君、中に何が入っているのか見えるかね?」
「いえ、でも、長方形の穴があって……」
ふいに、親指がベルトにかかっただけだった。それなのに、ぱちっと音がしてベルトが外れた。
驚いた勢いで本を取り落としそうになって、わずかに表紙が開いた。そしてそこから溢れる光に目をくらませて、起こる風に堪える。周囲の人たちがなんだと声をあげて警戒しているのを聞きながら、僕もなんとか目をこらした。
表紙から何かがぷっくりと浮き上がり、小さな頭と耳が出てくる。それは、何やら動物みたいな、ヌイグルミみたいなフォルムの黄色い獣───。羽が生えた胴体と、短い手足、長い尻尾の先にはふさふさと毛が生えている。
「こにゃにゃちはーーー!」
ぽよんっと浮かび上がったそいつは急に目を開けて、珍妙な挨拶をした。
黄色いヌイグルミ、もといケルベロスは、この本に封印されたカードを守る、"封印の獣"の役割を担っていた。
このちんちくりんが?と指をさしたザップさんに噛み付くあたりは確かに優秀な封印の獣……といいたいところだけど。
「ないじゃないか、カード」
スティーブンさんが空洞を指差していう。
「カードは前の持ち主が死ぬと、それぞれ散らばって次の持ち主を待つんや」
封印の獣のくせにカードを封印してないじゃん、という視線が小さな体に向かうが、当事者はむむっと顔をしかめた。
「どういうことよ、災いをもたらすカードって言われてるんじゃないの?」
「選定中はそうやな。こうして本の封印が解けわいが目を覚ましたことで、またカード集めをせんと、災いは起こる───」
「また?以前もカードを集めたということですか?」
「そうや、前はクロウの後継者でカードの主がおった……」
「なんと……クロウ・リードに後継が……?」
「いったいどんな魔術師だったんだ……文献には残されていないが」
「わいは……覚えてへんのや」
「え?」
カードを扱うにはそれなりの魔力や才能が必要らしく、後継者がいたとすれば偉大な魔術師だったのだろうってことで、スティーブンさんやクラウスさんも反応したわけだけど、ケルベロスは途端に落ち込んでしまった。
「そもそもクロウの死後───わいは一度目覚めとる。本の封印が解かれ、新たな主を選定した───しかし、それだけしかわいの記憶にはあらへん」
「それって、記憶が消えたということ?」
チェインさんが聞くと、ケルベロスさんは小さく頷いた。そしてうなだれる。きっと忘れたくない記憶だったにちがいない。
「本来この本も、今はないけどカードも、違うもんやった。それを前の主に作りかえられていったんや……それをわいは、『忘れた』」
小さな手がすり……と本の表紙を撫でた。
next.
わかってるんです自分の首をキリキリ締めていることは……。
でも逆に、別々に書くほうが大変かなって……。な?
もしかして:カードキャプター・レオナルド(違います)
Nov. 2020