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あいぞめ 03(斑視点)

不思議な男がひとりいた。
いつも人間と同じような服をきて素足に下駄を履いた格好で木の上に座ってぼんやり過ごしている。
人間の匂いが一切しないものだから、妖怪かと思ったがそれも少し違う。とにかく不思議な男だった。

あるとき昼寝から目が覚めたとき懐に丸まっている塊を見つけた。
いつも見る不思議な男だ。気配に気づかず寝入っていた自分にも男にも驚き身じろぎをする。

「んあ……なんだ、おきちゃったか」

寝起きのかすれた声が耳に入る。なんたる無礼な振る舞いだと一喝してこんな小さな小僧飛ばしてやろうと思ったのだがすっと細い腕が伸びてきて私の顎をなで た。

「ねんねんころりよ、おころりよ」

クスクス笑う声と一定のリズムが眠気を誘う。春の暖かな陽気と懐のぬくもり、撫でられる感触がかつて無いほどに気持ち良い。
特殊な力でも持ってるんじゃなかろうな。

「まだ……もちょっと寝させて」

私の鼻の頭をこしょこしょと撫でたら、優しげで眠たげな顔はとろりと蕩けるように笑って目を閉じた。また懐に転がってすうすうと寝息を立てるものだから先 ほどから倍増されていた眠気がもっと増す。
こんな小さな小僧ごとき恐れる私ではない、と再び眠りについてしまった。



「は!」

いつの間にか日は暮れて、月明かりがほんのりと辺りを照らしていた。懐のぬくもりは既に消え去り、虫の音ばかりが響くだけだった。
驚いて起き上がりまわりを見渡すが何も気配がしなかった。

「おはよお」
すると頭上からカラカラと笑う声が聞こえた。随分おどけた口調でにこにこと笑みを浮かべた声の主は木の枝に腰掛けて杯を手にしていた。
「む、酒か?寄こせ」
「おいでおいで」

木の上から手招きをするので仕方なく私もそちらへ登る。枝は狭いので小さく形取り隣に座ると男から感嘆の声が上がる。
「抱っこしやすそう」
おいでおいで、とまた手招きをする男の手をぺしんとたたき猫扱いするなと叱咤する。それでも笑顔を絶やさない男。

「さっさと酒をよこさんか!」
「んん」

男は杯の酒をくいっと飲み干し新しい酒を注ぐと私に渡す。

「杯がひとつしかないんだ」

回し飲みかと思いきや男は酒を瓶ごと飲みはじめた。良い飲みっぷりだ。

「初夏とはいえ夜は寒いからねえ、お酒で体あっためないと」

聞いても居ないのに隣の男は口火を切った。

「ついでに、月見酒なんて風流なことをしてみたり」
酒を飲みながら男の話に耳を傾けた。男の声は静かで落ち着いていて聞いていて不快にならない声だった。
木の上で酒を飲み交わしながら野暮な話はせず月の綺麗な夜空を見上げるのも、たまにはいいかもしれない。

杯の酒がなくなると、飲むかいと瓶が傾けられるので晩酌をさせる。
とても穏やかな夜だった。

「君は斑さま、でしょ?有名だから知ってるよ」
「さま……などと白々しい男だ」
勝手に懐で寝たり、頭を愛玩動物のように撫でたり無礼なことをしたくせに・・と呟く。
「そうだね」
「あ、こらやめんか!」
うりうり、と言いながら少しだけ乱暴に私の頭を撫でて顎の下をさする。不思議と悪い気はしないが口だけは抵抗をしておく。

「じゃあ……おやすみ斑」

今度はお酒のおつまみも持ってくるよと言って枝から飛び降りた男は下駄で上手に着地をして杯を残して帰っていった。


それからと言うもの、私は男の置いていった杯を使って男が持ってきた酒を一緒に飲み交わすようになった。
何かと理由をつけてやってきた。暑い日は冷たい酒に限る、寒い日は温かい酒で寒さをしのごう、といつも笑顔だった。
酔うと多少いつもよりもへらへら笑うようなのだが大差なく、弱っている姿はあまり見ない。見た目は酒も飲めなさそうな子供の癖に、油断できない男だ。
しかし警戒もできず、静かな日々が過ぎて行ったが、突然やつは私の元に現れなくなった。

最後に会った日は、星も月も見えないくらい夜で互いの姿はあまり確認できなかった。夜目が効くから多少は見られたが細かい表情の機微には疎く男の表情も感 情も読み取れず別れた。
ただ声色はいつもより少しだけ静かで低かったように、今になって気がつく。

「じゃあまた、斑」

また、と手をあげた男の名前を結局私は一度も聞くことはできなかった。


風の噂でによると奴もレイコに名を取り上げられたらしい。レイコもあの男同様に付きまとってきたがある日ぱたりと来なくなった。しかし私の中で時は早く流 れるもので、レイコの孫である夏目に出会った。レイコが既に死んでいるということに、やっと人の命が酷く短いことを思い出す。
あの男は人にとても似ていたからどこぞで朽ち果てたのかもしれないし、妖のようにふらりと何処かへ出掛けてしまったのかもしれない。
相変わらず不思議な男だった。
月も星も出ない夜になると、時折名も知らぬ不思議な男のことを思い出すのだ。
丁度夏目のような学生服を着て、実際の年齢は分からないが、見た目の若さもそのくらいだった。


ある日夏目が学校へ行っている間に森の木の上で昼寝をしていた。帰りに多軌と田沼と3人で七辻屋に行くから私の分の饅頭を買わせようと思っていたので、待 ち伏せもかねていた。
そろそろ終わる頃だろうと思っていると私の木の下に人が来た。
どこかの小童だろうと捨て置いておいたが、ひょこりと顔をだす髪が肩くらいまで伸びた顔の良く見えない男。人の匂いも妖の匂いもせず、森の匂いと仄かな石 鹸の香りがする。私はこいつを知っている気がした。

「やあ、斑」
「!」
人間らしくないくせに妖にもみえず、私を堂々名前で呼ぶ。
ああ懐かしの知人ではないか。
「久々だねえ」
ガサガサと私の隣に腰掛けて、私の頭を撫でる。ちょいちょい、と鼻の頭をくすぐられ懐かしく思う。
この手の暖かさも声も香りも、久々に感じた。私にとって奴と出会ったのはほんの昨日のことのような筈なのだが、如何せん夏目と居た所為か最近は時がゆっく りと流れる。
だからこそ、この手に長い長い間会っていなかったように思えたのだ。

「久しいな……お前、やはり人間ではなかったか」
「人間だよ?多分」
「それより此処に着たということはお前酒は……む、夏目だ」
「……夏目」
「お前も知ってるだろう、レイコの孫だ」
「ああ、知ってる」
声がしてそちらを窺えば夏目と多軌と田沼が歩いてくる。隣の存在も夏目のことは知っているようだしレイコに名前を取られていると噂は本当のことらしい。

「行く?」
「ん?ああ……」
「よし」

夏目の所へ行くかと問われたので返事をするといきなり体が浮き上がった。

「にょわああぁー!」

落下していく時に思わず声を上げるがしっかり体は捕まえられているので地面には落ちなかった。
バサバサ……と葉を掻き分けて落ち、私を抱いた男はうまく着地をした。
「大丈夫かい?斑」
「飛び降りる奴があるか!ばか者!」
私の体の上半分だけを持って私に怪我が無いかを確かめる男に怒りながらジタバタする。

「ニャ、ニャンコ先生!?」
「あれ…… ?」

ぽかんと呆けていた夏目と田沼がそれぞれ呼びかける。 というのはこの男の名か。
人間なのか妖なのか全くもって分からん奴だ。歳はとっておらんが、田沼の小僧にも姿は見えているようだし。妖力が強く人に姿を見せることができるものなら ば、もっと妖の匂いがするはずなのだが。

「おや、田沼」
「よう夏目」

呆けたままの多軌は置いておいて、2人のほうを見て口を開く。

今朝光った友人帳の紙には、確か と書いてあったと夏目が読み上げた。
……とぽつりと呟いた声を私は聞いていた。
友人帳の紙は全て白で統一されているというのに一枚だけ七辻屋の包装紙の裏を使っていてレイコのずぼらもここまで来たかと思ったが、この男だったのかもし れない。

「カワイー!」

多軌は我に返るなり私のプリチーな体に目を奪われ抱きつく。夏目と田沼は驚き微妙な空気を醸し出しているため私の救助はできず、 に至っては多軌に私を受け渡した本人だ。



……、もしかして、 というのか?」
「うん、やっぱレイコにそっくりだ」
やっと落ち着いた多軌の腕の中から2人の様子をみる。
美人さん、と が笑った。夏目が掴んでいた の服はいつの間にか緩められていて、 は夏目からふっと離れた。


「じゃあね、斑……お酒はまた今度」
「な、なんだとー!?」


手をひらりと振って身を翻して は酒のお預け告げて森の中に消えていった。

が去ったあと、夏目や田沼がこちらを向いて不安げに のことを尋ねた。
「ニャンコ先生、 のこと知ってたのか?」
「……遠い昔の知人だ」

もっとも、名前を知ったのはたった今だったのだが。


その晩、 は夏目の部屋に酒瓶を持って訪ねてきた。

2011-04-25