「やーこんばんは」
風呂上りに部屋で麦茶を飲んでいた時、窓が唐突に開いたかと思えば、一升瓶を持った人影が現れた。
思わず麦茶を噴出しニャンコ先生を驚かせてしまう。
「斑にお酒持ってきたんだけど」
「っ……ゲホ……
!?」
勝手にあけた割には窓の桟から部屋に入ってこようとはしない、穏やかな笑みを浮かべる
。今日会ったばかりだというのに記憶の中で彼を見た所為か、初対面とは思えなかった。それに、なによりこの人はレイコさんと友達だっ
た。
息を整えながらようやく名前を言う。ニャンコ先生も少しだけ驚いてはいたが、酒という言葉に飛びついていった。
「むっ酒か!よこせ!」
「斑、前あげた盃持ってる?」
「あれか、……祠に置いたままだ……」
窓の桟に腰掛けて
は一升瓶を揺らす。
「じゃあこれを使おう」
前にあげた杯、というのを俺は知らなくてそのまま会話を聞いていた。
は藍色の浴衣の懐から白い盃を取り出した。染みひとつない、美しい盃だった。
「綺麗だろう……前にいた場所で買ったんだ」
「そういえばお前何処に居たんだ」
「遠くだよ」
トプトプと一升瓶から透明の酒が盃に注がれる。
俺は麦茶を飲みながら、二人の会話に耳を傾け続けた。口を出すのは野暮な気がしたから。
「色々な所を、旅しているんだ」
はまた懐から盃を取り出す。今度は真っ黒の、漆塗りの盃だった。
一升瓶に豪快に口つけていたものとは思えんな、とニャンコ先生が憎まれ口を叩いているので、盃を使うのは珍しかったのだろう。
「あまり子供の前で酒を豪快にのんだら可哀想だろう……」
「え、いや、別に」
「どうせ夏目は飲まん。そうだ、イカをあぶって来い」
ちらり、と
が俺を見てようやく会話に加わった。前髪の隙間から穏やかな眸が覗いていた。
一緒に酔いたいと思っているわけではないから、
が気を使う必要はない。
「
っていくつなんだ……?」
「え、十七歳だよ?」
ニャンコ先生に言われてイカを持ってきたあと、今度は三人で部屋の中に座った。俺は未成年だから酒には手をださないけれど、イカを一緒に噛む。
唐突に聞いてみたくなって
に年齢を尋ねてみる。百歳とかそのくらいかと思ったがあっさりと十代だと発言する。
「レイコさんやニャンコ先生と知り合いの癖に何を・・・」
でも、本当に十七歳くらいの風貌をしている。酒を持たず、制服を着ていればほとんど違和感はない。
そもそも、この人は妖なのか人間なのかわからない。人に姿を見せられる妖はいるけれど、
はどこまでも人間じみている。そのくせ昔から姿が変わっていなくて雰囲気が少し人ではない。でも妖らしくもない。
「……お前は何なんだ……」
「人間だよ」
はあ、と頭を抱えた俺の頭上に凛とした声が鈴のように響いた。反射的に顔を上げると、
は窓の外を眺めていた。
前髪が風に煽られて、ふわりと宙に浮いて顔がすっきりと見える。
彼の眸も唇も肌も耳も全て俺達と変わらない色形をしていた。月を見つめるその姿が不思議と哀愁を漂わせていて俺はふと胸が切なくなる。
「十八歳になれなくなっちゃったんだ……」
ぱっとこちらを向いて笑った
は、酷く大人びているように見えた。
は酒がなみなみに注がれた盃を煽って、畳の上に静かにそれを置いた。
「誕生日プレゼントを、毎年決まった"何か"からもらうんだけど」
誰か、ではなく、何か。その何かが何なのか俺にも、きっと
にもわからない。落ち着いた表情の
は不思議と辛そうな顔はしていない。そして諦めた顔もしていなかった。
「そのプレゼントが"十七歳"って感じかな」
暫くしていつの間にか眠っていたニャンコ先生をひとなでして
は窓から帰っていった。藍色の浴衣を翻して、軽々と下駄で地面に飛び降りる。華麗に着地してこちらを見上げて手を振って夜の闇に消えて
いった。
に、寂しくはないのかと尋ねた。
けれど
は本当にどうして、という顔をしてから笑った。
「別れもあるけれど出会いもあるから、楽しいよ」
君も同じだろう、と頭を撫でられてどうしてだか胸が浮かぶように揺れたのが分かった。
2011-08-02