まるでデートにでもやって来たみたいなセリフを笑顔で吐いて、額に汗をうっすらと滲ませていた男は、つい先ほどまでは候補生達と一緒に下っ端仕事を手伝っていた佐藤だった。シュラと雪男の傍にいる彼は、今や祓魔師のコートを着ておりどこからどう見てもれっきとした祓魔師だ。
「佐藤あらため、上二級祓魔師、です」
免許証を出しながら屈託ない笑みをゆったりとした柔らかいものに変え、だんだんと表情を引き締めて行く。
「フェレス卿より先ほど増援部隊に参加せよと命を受けて参りました」
の名前は本人がかつて所属していたイギリス支部だけではなく、世界中の祓魔師の間で有名だった。
十五歳で祓魔師の資格を取得したはたった一年で上二級となった。上級悪魔であるトム・リドル、またの名をバジリスクを使い魔にした功績を讃えた昇級と言われている。
バジリスクの意味は、小さな王、蛇の王、爬虫類の王、など様々あり、眷属は皆爬虫類に寄生する悪魔か、似た形をとった悪魔が多い。数は少ないが、下級のものでも簡単には解毒できない猛毒を持つ。総じて非常に狡猾、冷徹で暴虐な性格を有し、歴史上誰もが従えられたことはなかった。その王たるものが、たった一年の経歴しか持たない、当時十六歳の少年の使い魔になったと聞けば、騎士団中にまたたくまに噂が広まる。
彼の傍には、常に小さな王の姿があるという。
人体に憑依しているのか人型をしており、その双眸を目に入れた者は死ぬ。が初めてバジリスクを召還したときも、共にいた祓魔師は全て死に、のみが正面から見てもその邪視を凌ぎ、力と忠誠を得た。
「ご心配なく、目隠しをさせていますから」
誰もがの名を聞いてバジリスクを想像したが、当の本人はけろっとした様子で笑う。
そして片腕を前に出し、小指を少しだけ上げる。そこには華奢なピンキーリングがはめられており、赤い宝石が光る。
「」
何かの名前か、単語か、聞いてるものは誰も分からなかった。けれど、その声に呼応して指輪から影が飛び出てきて、ふわりと着地する。気づけばそこには十歳前後とおぼしき年頃の少年の姿があった。
闇色の髪や月のように白い肌は魅惑的で、うすい唇やすっきりとした輪郭は子供らしさを削ぐ。豪奢なレースのリボンにより目隠しをされており、外からはその双眸が見ることは叶わない。叶ってしまったらおそらく、天に昇ることになるのだろう。
目を隠されていても、少年の美しさは理解できた。
「」
そして薄い唇は主の名を愛撫するように紡ぐ。
ごくり、と誰かが唾を飲む音がする。明陀宗か、日本支部の祓魔師か、シュラか、雪男かは定かではない。けれど息を飲む程に綺麗な少年は、まるでこちらのことなど歯牙にもかけず、だけを見ている。
「これが……バジリスク―――」
先ほどのの言葉と、噂を照らし合わせればこの少年が、かの小さな王なのだろう。
雪男は茫然と呟き、シュラは少しだけ冷や汗を垂らした。
「そうです、って呼んであげてください」
バジリスクに名をつけているようで、を慣れた手つきで抱き上げたはにこりと笑う。
風が吹き、夜の草原は彼らを祝福するようにうたった。
戦いは圧巻といっても良いかもしれない。たった一年で上二級に昇格させる程、小さな王を使い魔にした影響は大きい。
が指を軽く振り何かを呟いた後に現れた、猛々しい橙色の炎は大蛇の形をとり、不浄王の胞子を踊るように焼いて主を守っていた。
「燃やし分けは、期待しないでくださいね」
炎に照らされて、うっそりと笑ったに明陀宗と日本支部の祓魔師たちはぞくりと身体を震わせる。
強すぎる力に酔っているとは思えないが、確固たる自信と慣れが彼にはあった。傍に居ればあの力に飲まれ、炎に飲まれ、己が飲まれる、そんな危機感を抱かせる光景である。
頼もしいけれど、―――恐ろしい。
炎の結界が不浄王を包み一時的に現状が落ち着いたが、結界を作っているのは候補生の竜士だった。
廉造と子猫丸の報告によると達磨は負傷して出雲としえみが看ているという。
「!!報告は聞こえたな?」
「はーい」
シュラに急に呼びかけられて、場違いな程に軽快な返事をしたの腰にはいまだがべったりとくっついている。
「私は一足先に勝呂・奥村の援護に、は神木・杜山の援護に行きます」
シュラが一瞥するとはこくりと頷く。
「よし……二人に話を聞いてから精鋭を組織して応援に向かわせる!」
「頼みます。―――三輪、志摩、よくやった……!」
は少し鞄の中を見てから近くの隊員にいくつか薬品の補充をさせてもらってから廉造と子猫丸を見た。
二人とも、がコートを着ていることにぎょっとし、指を差している。
「佐藤さん、そのカッコてもしかして」
「祓魔師、やったんですか」
「うん。―――じゃあ、行ってきます。お疲れさま」
柔らかな労う声を受けて、二人はうっと感動しそうになる。シュラに頭を撫でられたのも疲れた心に随分しみていたのに、追い討ちをかけられた気分だった。
「神木さんが私を嫌いでも、私は神木さんが大好きだよ」
とは戦場での青春の一ページを見て踏み出しかけた足を止めた。
「こ……こんなのんびりしてられない!早く和尚さんを山から降ろ……」
気を取り直した出雲を見て、は二人の後ろに立って声をかけようとしたが青い炎が押し寄せてきて動きを止める。
は慌てて護りをかけ、はを抱きしめたけれどしえみのきっと大丈夫という言葉を聞いて腕を緩めた。
「いやあ、杜山さんの言う通り大丈夫だったね」
「!?」
炎が熱くないと分かり、すぐには二人の肩を労うようにぽんぽん叩いた。それから倒れている達磨の容態を見てから、連絡をとって迎えを呼んだ。
「さ、さとう……?あんた祓魔師だったのね」
出雲はすぐに状況を理解し、少しだけ眉を顰めた。
任務であるだろうから文句はないが、偽られて気持ちよいものでもない。
「ああそうだ、これ着ると良いよ」
「!」
はぼろぼろになって穴が空いている制服姿の出雲に、祓魔師のコートを貸した。
「雨に降られたからちょっと湿ってるかもしれないけど、ごめんね」
「この格好よりはマシだわ」
「そうかも。――――、ありがとう、お疲れさま」
「のためなら」
しえみと出雲は、もう一度驚かされるはめになった。
子供とはいえ、少年にそっと顔を寄せて両頬にキスをする、かつての仲間の姿を見せられたのだ。
それからどこかへ消えてしまった少年の行方など聞けず、しえみは顔を赤くさせ、出雲は茫然としたまま、救護のヘリコプターがやってくるのをと共に待った。
2016-2-27