「君は魔法使いになるのじゃ」
ある日孤児院に現れた、老人……ダンブルドアと名乗っていた……がいきなり僕にそう言った。本当は僕にも魔法が使えるのではないかと思っていた。の部屋にある不思議な本はどれも空想上というには細かな説明だったし、僕の周りで起こる出来事はすこし変わっていたから。
目の前にいるダンブルドアは、ホグワーツ魔法学校の存在を僕に話す。七年生まで学ぶことや、魔法の授業があること、魔力の持たない人間の呼び名のことなど。
正直いろいろな話をされたけど、あまり聞いていなかった。
「寮生活が義務付けられ、クリスマス休暇や春休みなどしかこちらには帰らぬことになるが」
そんな呟きが一番印象的で、僕にとっては死活問題だった。
つまり、学校に行ってしまったらには会えないということだ。今までの僕なら、僕にふさわしい環境があちらから出向いてきた、とチャンスに思うところだったけど、今の僕にとってはとの楽しいひと時をつぶす邪魔な存在になっている。
「よく、考えるといい」
考える猶予を与えてはくれたが、結局ダンブルドアは僕を連れて行くに違いない。魔法を野放しにはできないからだ。魔法を学ぶためにと口では言っているが、きっと暴走したり悪用したりする魔法使いを減らすための嘘だ。
一週間したらくる、といってダンブルドアは僕の部屋から出て行った。
ダンブルドアが階段を下る音を確認してから僕はすぐに隣の部屋の扉の前に立った。コンコン、とノックをする。
さっき出てくるときにまたくる許可をもらったからいつもより緊張せずに立っていられた。けれどいつもよりマシなだけで、緊張している。
の扉をノックする前はいつも深呼吸をして、吐く息は震える。無視されたり煩わしいと思われたりしたらどうしようと、怖い。
でもはいつも決まって扉をあける。最初のうちは出てこなかったけど、何回か繰り返したときカチャリとドアノブが動くのだ。
何回も繰り返すのには相当勇気がいるんだけど、の顔から察するに、僕のノックの音は聞こえていないようだ。きちんと音を立ててノックをしないと部屋の中には聞こえない。現にの部屋の中にいるとき、誰かが外でかすかにノックをしたりするのだけど、本当にわずかな音で、しかもはぼうっとしてたり本に没頭してたりするから、小さなノック音じゃ聞こえない。
何回もを訪ねてるからこそ、僕は彼の扉を大きめの音で叩ける。
でも、やっぱり毎回不安。
今回も、は扉を開けてくれた。ドアノブを持ったまま僕が入ってくるのを待っていてくれる姿を見て、急に胸が締め付けられる。
思わずに抱きつくとふんわり香る、僕と同じにおい。だけどほのかにの良い匂いがする。これは抱きついたときにだけわかる、僕だけが知ってる特別な香り。
「どうした」
ぽんぽん、と頭をなでられる。ばれないように、ゆっくりの匂いを深く吸ってから、呟く。
「またくるって」
「そう」
すり、と頭をの胸に寄せてから、名残惜しいけど離れた。あまり抱きついていると嫌がられてしまうかもしれないから。
また、あのダンブルドアがくる日になった。その日も朝からのそばにいた。自分の部屋であのいけ好かない老人を待っているよりも、とのこの静かな環境のほうが価値があって有意義で心地よいのだ。
コンコン、とかすかなノックがの扉からした。
とうとう来た。僕を連れて行ってしまう嫌なやつ。と僕を引き離そうとする。から離れたくなくて、の背中にしがみついた。
体がくっついてるから、がかすかに苦笑いした様子がわかった。
ゆっくりとは僕をひっつけたまま、扉まで歩いた。細い指がノブにかけられて、ゆるりと手首を回すと扉は開いた。向こう側にはダンブルドアとここの職員。はやく、二人ともどっかへ行ってしまえ。
「いきたくない」
「しかしトム・・・」
しがみついて、顔を見ないまま、ぼそりと呟く。行くもんか。に抱きつく力を強めた。ダンブルドアは渋り、僕に視線を浴びせる。
困ったのう・・と呟く声。無理矢理つれていくしかなさそうだ、なんて考えているに違いない。絶対にから離れない。絶対にあんな学校なんて行かない。ぎゅうぎゅうとしがみついてると、が僕を隣に立たせようと手をまわした。
しまった、の邪魔になってしまった。いつも触ってほしいと思って焦がれていた指先が、僕の肩に触れ、ゆるく僕を突き放す。ドクン、と心臓が飛び跳ねる。
びくりと震えた僕の肩をなで、今度は隣に引き寄せる。ぴたり、と体はついたままでの腕が肩にまわされている。とても心強くて、うれしくて感動した。
「行っておいで」
耳に唇を寄せ、囁くように言う。
心臓が止まるかと思った。とにかく何もいえなかった。
からの送り出しの言葉。これは僕が魔法を学んでくることを願っていた。
僕はに魔法のことを話したりも今回のダンブルドアが誰でどういう話をされているのかも、なにも教えていない。けどにはわかっていた。僕が不思議な力を持っていて、学校に通うことを薦められていることを。
たとえ魔法を使う人が存在したとして、たとえ僕がそうだといったとして、は何かを言うだろうか。言うわけがないんだ。ならただ、そう……とだけ答えてきっとホットミルクを出してくれる。そしたらまた何も言わずにベッドに寝転がったりイスに沈み込んで本を読み耽ったりするのだ。
僕がなんだろうと、僕がどこに行こうと、はきっときっと僕を迎えてくれる。今まで心の中では恐れていて不安で、すごく大好きだったを僕はきちんとわかっていなかったのだ。
「また……こっちにもどってきても、いい?」
「もちろん」
は考える間もなくただすんなりと答えた。当然のように。
慈愛に満ちた眸を優しく細めて、綺麗な手をゆらりと振って僕を送りだした。
2010-09-03