あいしてるよって、言ってしまった。いっそう離れるのが辛いのかと思っていたけど、伝えたらどこか心が軽くなって幸せな気持ちのまま意識が薄れた。目が覚めたら当然誕生日になっていて、これまた当然十七歳だった。気持ちを切り替えて行こうと思いながら恒例のコーヒーをのむためベッドからのっそりと立ち上がる。冷蔵庫に手を伸ばしてふと気づくピンキーリング。真っ赤な宝石がきらりと光って、きゅっと胸がすぼまった。
会いたいよ。
ああ、この世界はどこなんだろう。何処だっていいや、君はもういないんだろ。
一年居ればすっかり見慣れたホグワーツの風景ではなく、生まれてから十七年毎日見ていた日本の風景が広がっていた。今度は日本か、と思いつつコーヒーをすすりながらテーブルの上にある書類に目を通す。
高校の生徒手帳とかクラス表など詳細事項が書かれていて、本来ならこれに則って登校してるんだけどなんか行く気が起きずに着替えなかった。
マンション暮らしだったらしく部屋をでてぶらぶらと屋上に上る。
空は何処も同じなのに、なんでつながってないんだろうとぼんやり思った。
馬鹿みたいだ。
納得して、考えないようにして、深入りしたとしても世界が変わったら割り切れるようにしてきたのに。一年でかわる世界とか、本当馬鹿だ。
でも一番馬鹿なのは、愛しちゃった自分なんだ。
愛さなきゃ良かったって後悔したくなかったけど、でもこんなに辛いなら愛さなけりゃよかったのに。
一ヶ月が経っても、学校に行く気にはならなかった。なんとなく誰かと新しく仲良くなろうなんてテンションじゃなかったし。でも気を紛らわそうと思ってバイトを始めた。お金を稼ぐ必要はなかったけど、これも暇つぶしってやつだ。
「いらっしゃいませ」
へらりと笑いながらお客さんに挨拶をするけど、お客さんの顔なんてまともに見ない。ご注文は何になさいますかと淀みなく流れ落ちる自分と、本当の自分はつながってなくて変な気分だ。
「せんぱい?」
呼ばれた俺もきょとんとしてしまったけど、目の前の相手はもう本当にびっくりしてますって顔していた。
黒髪で赤い眸を揺らしているところがちょっと被って泣きそうになった。
「臨也」
声にもならない声で呟いたけど後ろにまだ注文をしたい人が並んでいるから、もう一度笑顔を貼付けてご注文はと訪ねた。よくこれは魔法の呪文かなにかかと言われるメニューを咄嗟だったにもかかわらず噛むことなく頼んだ彼は財布から千円札を取り出した。
「探したんだよ、すごく」
「ありがとうございます」
おつりを受け取りながら泣きそうに震える声を聞いた。俺は心の中でもありがとう、と呟いてコップにマジックで注文内容をさらさらと書いて他のスタッフに仕事を任せてから次の仕事に取りかかった。
バイトが終わるまで臨也はずっと席でゆっくりとコーヒーを飲んでいた。そりゃあと三十分だったけど、一時間以上だったらどうするつもりだったんだろう。臨也なら遅かれ早かれ俺を見つけていたような気がするけど。
とりあえず前のよしみで声をかけてみたけど結構怒られた。急に消えたとか、急に現れたとか、自分が探しても見つからないのはなんでだとか。あとなんで成長してないのとか。
臨也は成人すっかり大人っぽくなってるのに、俺はまだあどけなさを残した十七歳で、年上の人が見れば本当に子供みたいなのだ。
俺が子供の頃から変わってない気がするって言われて逆に今更って思ってしまったけど。
新羅はすぐに気づいたけどって言うとそれはなんかむかつくと拗ねる様子にくすりと笑みがこぼれた。こんな風にきちんと笑うのは何ヶ月ぶりだろう。
学校に行かなくなって一ヶ月、バイト始めて三ヶ月くらいは経ってるのかな。心の中で暦を数えながらぼうっと臨也の隣を歩く。
「いいやもう、実は新羅からあらかた聞いていたし」
「ああそう?」
「他の人にはあったんですか?」
「いや。ぶらぶらしてたら会えるんじゃないかな」
「ここ新宿だからみんな来ないと思いますよ」
「新宿だったのかあ」
ぽりぽりと頭をかく。どうでも良かったからここが何処なのかとかわかんなかった。確かに靖国通りとか歌舞伎町とかアルタとか言われてたなと今までの無関心さに驚く。
昔の友人に会うだけでこんなに気がまぎれるとは思いもしなかった。
「なんかすごい、ひさびさだなあ」
「当たり前ですよ、七年たってるんですからね」
「え?ああ。そうか」
笑ったのが久々って意味で呟いたけど、臨也にはこっちの時間で七年会っていないんだった。俺の時間だったら何年あってないっけと数えようと思ったけど詳しくは覚えてないから無理だ。だって何年も十七歳だと関連づけて覚えられないんだって。あのころが高校二年生だったろと数えるところを何度も繰り返すんだから。
臨也に再会してから、新羅や京平、静雄にも少し会いに行った。セルティには影をぐるんぐるんに巻かれて再会の包容まがいなことをされて若干怖かったけどとりあえず楽しかった。ちょっとずつ、自分を取り戻して行くようで、ちょっとずつ、彼を忘れられるような気がした。忘れてしまえば良いんだ、次にいつ会えるかわからない彼のことも、俺のことも。辛くないように、蓋をしてしまおう。願わくば、彼もそうして少しずつ俺の居ない世界に慣れてくれたらいいなと思った。
高校にも通うようになって、新しく友達はできた。学級委員の二人は何度か足繁く俺のマンションに顔を出しにきてくれたし、その二人の友達の子も時々遊びにきてくれた。三人とも池袋に居るのに、わざわざ新宿まできてくれてたのだ。
バイトも学校生活も、昔の後輩たちと時々遊ぶのも、なんだか楽しい。そうこうしているあいだに今年も終わりに近づいた。
日本では大晦日ってことだけど、去年の俺の大晦日は彼の誕生日を祝っていた。急激に押し寄せてくる思い出と恋心に小指がぴくりと動く。
今は臨也が部屋に訪ねてきたから一緒にお酒を飲んでいたけど、少し外の風に当たりにベランダへ出ていた。俺は十七歳ってことになってるけど実際成人はとっくのとうに超えていてるから時々飲む。臨也はおしゃれなワイン飲んでるけど俺は焼酎を水割りで飲んでいた。ほんわりと身体の中から熱が発せられていて肌を突き刺す寒さはどこか心地よい。
星をみながら思い出すのはやっぱり愛していた人のことだった。
「
」
いつしか臨也は俺のことを
先輩と呼ばなくなった。そりゃ高校の先輩だった俺はすっかり歳下になってたんだから今の俺と臨也の関係上あってるんだけど。というか逆にいつまでも
先輩って呼ぶ静雄や京平はどうかと思う。ついでに新羅は
くんって呼んでくる。
敬語使われなくても、呼び捨てされても、全然気にならない俺は臨也に後ろからすりすりされても、別に驚かない。
「どうした、酔ったか?」
「うん」
絶対酔ってないだろうけど、甘えられるのは嫌いではない。今ちょうど寂しいと思っていたからちょうどいい。
後ろから腰に手を回されて、ピンキーリングの嵌っている手を握りしめられる。ぴくりと身体が反応すると、臨也はうなじに向かって囁いた。
「この指輪、誰の?」
「俺のだよ」
「うそ」
「……、貰い物だよ」
「大事そうにしてて、気に入んない」
「気に入らなくて結構。とっても大事にしてるんだ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめる力が強くなる。手は解放されたけどがっちりホールド状態。首筋に臨也の顔が埋められていて、優しくて少し色っぽい声が背筋をゆっくりと這う。
ベランダの柵に手を重ねて指輪を大事に撫でると、臨也はやっと顔を上げた。今度は耳元になっただけなので、近いことには変わりない。
「そいつのことも?」
「あいしてるよ」
「……」
ぷるぷる息が震える臨也に、なんでお前が泣きそうになってんのと思いつつ、ちょっとだけ話を続けた。
「誕生日なんだ、今日」
「そいつの?」
「うん、去年は一緒に過ごした」
「今年は俺じゃ不満?」
「まさか」
頭をぽんぽんと撫でると、その手をそっと握られて、指先にキスが落ちてくる。
「臨也のこと、大好きだよ」
「愛してよ」
「だめ、愛さないって決めた」
流れ星が、遠くできらって光った。心の中でおめでとうって呟いて少し泣いた。
2012-12-31