そうでなければ、ナルくんは日本に来なかった。麻衣や、滝川さん達にも会わず、ヴラドやえびすは悲劇を生み続けた。きっと他にもナルくんたちが助けてきたものたちがあるのだろう。それを果たす為に、ジーンは眠り続けた。
彼らがこの村の学校の調査に来たとき、仲良くしてるキャンプ場の売店スタッフさんから、死体を探しているという噂を聞いた。それから、滝川さんには、ナルくんが兄を探していると聞いた。もうそこまで来ているのだとほっとした。吉見家でナルくんとまともに会話が出来なかったのは、きっとここまで来させるためだ。つまり、この事件が終わればジーンとナルくんを会わせられるということ。
滝川さんもある程度事情を知っているのなら、と、きっと記憶を取り戻したであろうジーンに会いに来るように言った。明日もまた捜索を続けるのだろうから、会えるなら早いほうが良いだろう。
ジーンの姿に驚いたのは、ナルくんとリンさんだけではない。麻衣も滝川さんも、他の皆も目を丸めていた。
どうやら皆、俺が否定しているにも関わらず犬だと思っていたようで、驚きは倍らしい。まさかちょくちょく名前を出していたたろがナルくんの探している兄だと思わなかったようだ。俺は犬だなんて言ってないし、多分人間だとも言ってないんだろうけど、ナルくんに似てるって話しはちょこっとしたのだけど。
逆に分かりにくかったのだろうか。
ナルくん以外にあまり深く言わない方が良いと思っていたから説明をしなかったけれど。
ジーンの本名を聞いてから、ナルくんがオリヴァー・デイヴィス博士だと分かった。渋谷サイキック・リサーチがSPRと略されていたのも頷ける。トム・リドル同様に世間に顔を出していない人だから、ジーンとのつもる話はさすがに麻衣たちの前では出来ないと思って、歩いて十分程のうちに案内した。
ジーンが今までの事情を話す。
怪我はもう大丈夫なこと、眠っているときに無意識に幽体離脱をして麻衣やナルくんたちを追っていたこと、そのときは記憶が戻る事。それから、麻衣に助言をしていたこと。麻衣に才能があったのは本当だけど正しく視られたのはジーンのお陰だったのだ。
「自分が意識不明の重体のときに指導霊を気取っていたわけだな」
ふん、と呆れたようにナルくんが納得する。
「しかし、顔を見ても気づかないとは」
俺をちらりと見たナルくんは、ちょっと咎めるような口調をしていた。
確かに、この世界での俺はジーンにお見舞いを重ねていたわけだし、ナルくんをみればすぐに瓜二つだという事に気づいた筈だ。でも俺の中では、この世界に来てからジーンの居る世界だと思わずにナルくんに会ったから同じ人物か子孫だと思ったのだ。前もそういうことがあったから。
双子でもいるか、とナルくんに尋ねればすぐにジーンのことを気づけたのだろうけれど、俺はそれをしなかった。
「人の顔あまり見ないからなあ……でもあの事件が終わってからは気づいたよ」
ごまかすように笑って言えば、心底馬鹿にするような眼差しで見つめられた。
「僕が目を覚ましてから、何度も はナルに会いに行こうとしてくれていたんだよ」
東京のオフィスに行ったり、石川の吉見家へ行ったりしたのは、ひとえにナルくんに会いに行く為だった。ジーンは俺の事もちゃんと見ていたらしく、庇ってくれた。
「まあ良い……そもそもジーンが事故になんか遭うからいけないんだ」
「うん、ごめん。 も……ごめんね」
「ジーンが死ななくてよかった。麻衣もすっごく悲しむから」
麻衣が悲しむ様子を皆想像できたようで、ああ……と思い出すように視線をそらした。落ちに使ってごめんね麻衣。
それからすぐに、 を車に乗せたリンさんが家にやって来たので迎え入れる。ナルよりも厳しい口調と、少しだけ心配を滲ませながらジーンを叱る。お父さんのような人だ。
「ダイバーには捜索を取りやめる様に言っておいた。まどかと両親は明日イギリスを発つ。僕たちも明日には東京へ戻る」
はきはきとこれからのことをナルくんはジーンに説明した。
「え、明日?も、もう少しこっちに居たいな〜なんて」
以外に急な展開になったなと静かに聞いていると、ジーンが狼狽える。
「わざわざイギリスから日本に来るのに、その上長野まで来させるつもりか?」
「少しはご両親の気持ちも考えなさい、ジーン」
「じゃあ今日で最後か、寂しくなるねえ」
しょんぼりしたジーンに苦笑する。
ジーンの生活雑貨はほとんどうちの物だから荷造りにかかる時間はそうない。本当の家には自分の私物があるのだから。
「さすがに車で東京まで行くのは可哀相だから、俺と一緒に新幹線で行こうか」
「 も来てくれるの?」
「よければ、だけどね。ご両親に、連絡が遅くなってすみませんって言いたいし」
「いや、むしろお礼を言わせてもらうよ。だって僕を助けてくれたんだから」
嬉しい、とジーンは微笑んだ。
「好きにしろ」
二台の車に機材を積んで来ているというし、長野から東京までの道のりを長時間車にゆられるのが辛いということは、ナルくんも分かっているのだろう。
「そういえば本読み切れなかったでしょう、気になるのあるなら持ってってもいいよジーン」
「え、いいの?」
「俺は全部読んだし」
この家の三階は吹き抜けの書室になっており、結構大量の本が所蔵されている。世界が変わるごとにジャンルが変わっているため、今は心霊現象や超心理学なんかの本が多い。そういえばデイヴィス博士の本も置いてあった。
「ナル、すごいんだよ の持ってる本」
「 さん、見せていただいても?」
ナルくんの琴線に引っかかったのか、家の三階へ案内する事になった。リンさんは と一緒にリビングで待っているそうなので、ジーンとナルくんを連れて行った。
「すごいな……これは」
家もそこそこ広い上に、天井についてしまうくらいの大きな本棚が壁一面に立ち、ぎっしりと本が詰め込まれている。
「洋書は半分しかないけどね」
漢字はあまり得意ではないナルくんとジーンには申し訳ない。俺はやっぱり母語は日本語だし、日本に家を持っていると書物の大半は日本語になる。今は もいるし、世界が世界だけに普段よりも洋書の数が多い。
「これは、絶版になった本じゃないか」
ずいぶん貴重な本もあるらしく、それを見つけたナルくんが珍しく表情を変えた。古い超心理学の本であり、アメリカの国立図書館にしか所在が確認されていないらしい。
「好きにしてていいよ」
ジーンとナルくんを部屋に残したまま俺はリンさんや の居る客間へ戻った。俺だけが帰って来たことが疑問なのか、リンさんが視線だけで尋ねる。
「面白い本があったみたいで」
「そうですか」
納得して少し表情を和らげるリンさん。
「 、お風呂入りなさい。晩ご飯作っておくから。リンさんたちもよかったら」
「うん」
「いえ、私は―――」
「ナルくん、没頭するとどれくらい戻らない?」
「……短くて一時間、長いと何時間でも」
もう結構夜は遅い。リンさんは多分昼食もとっていないだろうし、今から夕食の準備をしようにも店はどこもあいていないだろう。
「野菜中心にしたらいいかな?」
「……すみません。ありがとうございます」
ジーンと にもまだ晩ご飯を作っていなかったし、俺も食べてないので食事を作ろうとは思っていた。 がお風呂から上がったときには食事を作り終えて、ジーンがナルを置いて客間へ戻って来た。
「あ、いいにおい」
「ちょうどいいところに。ご飯だよ、ナルくんは?」
「だめ、何を言っても生返事。ほんと学者バカなんだから」
「そう」
「お腹へったら下りてくるよ…………多分」
食事を忘れることもあるようで、自信なさそうにジーンは苦笑いを浮かべた。リンさんも同感なのか、少しして下りて来ないようだったら呼びに行くそうだ。
ナルくん以外の皆で食事を終えて、ジーンは入浴へ行った。
「リンさんも、ジーンの次にどうぞ。今日は泊まって行くと良い」
「そこまでお世話になるわけには……キャンプ場もすぐですから」
「でもナルくん、あの本読み終わるまで降りて来ないんじゃないかな」
はあ、とリンさんが困ったようにため息をついた。
この瞬間、お泊まりが決定した。
空き部屋もベッドもあり、掃除はこまめにしているけれど、布団だけ に綺麗にしてもらった。クローゼットに手をかけてパジャマパジャマと念じてから開けると、袋に入ったままの簡易パジャマが出て来た。いつぞやの冷蔵庫と同じしくみである。
さすがに、俺の服はリンさんには窮屈だろうから。
入浴前にリンさんに渡すと驚かれたけど、よく客がくるのだとごまかせば納得してくれた。
「ナルくん、ごはん」
「ああ、置いておいてくれ」
三階へ行き、野菜スープとサンドウィッチを持って行くがナルくんの目線はずっと本にむいたまま。瞬きをしなければ置物かと思うくらいに集中して読書をしていた。
かちゃん、と傍のテーブルにトレイを置いて部屋を出る事にした。
「それ食べ終わったら一旦休憩にして、お風呂入りなよね」
「ああ」
生返事は大して宛てにならないけれど、その返事に満足して部屋のドアを閉めた。
それから三十分後、お風呂上がりの俺は三階から降りて来たナルくんに遭遇した。ナルくんは空になった皿とカップの載ったトレイを持っている。
「片付けてくれたんだ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ……」
「今日は泊まって行っていいよ。リンさんはもうお風呂も入って部屋に案内しちゃったからナルくんもそうして」
「すみません」
自分が本に没頭していた自覚はあるようで、ほんの少しだけしおらしい。まあ、ここを逃したらいつ読めるか分からない本だったのだと思う。
多分俺の言ったことをぼんやりと守って、本を読みながら食事をとりトレイを下げに来たのだろう。書斎へ行けば栞のはまったままの本が置かれていた。
一度中断するくらいの理性はあったらしい。
「 さん」
ふと、お風呂上がりのナルくんに呼び止められた。俺の予備の、ダークグリーンのパジャマを着ている。ジーンで見慣れているから黒服以外を着ていてもそう違和感を感じない。
「勝手わかった?」
「ええ」
「うん、部屋は右の一番奥、その手前がリンさんだから」
「どうも」
「じゃ、」
「 」
俺の説明にそっけなくだけれど返事をしてるナルくんに別れを告げようとしたが、もう一度、今度は下の名前を呼ばれた。
「両親にも言われるでしょうが、僕からも言っておきます……ありがとうございました」
ナルくんはそう言って頭を下げた。ジーンのことを言っているのだと思う。たしかに行方不明になって見つけるのが長引いたけれど、逆に考えると俺達じゃなかったらジーンは助からなかったかもしれない。もしくは、助かって記憶を失ってもナルくんたちには会えなかったかもしれないのだ。
「どういたしまして」
少しだけ、ナルくんが微笑んだ。嫌味を言うときの笑みでも、不適な笑みでもなく、ほんのわずかな笑み。ジーンとはまた少し違う甘みがあった。
そして、僕はもう寝る、とむけられた背中に微笑んだ。
「うん、おやすみ、……ナル」
「おやすみ、 」
ぱたん、とドアが閉まった。
2014-04-18