03 甘いコーヒー
通っている大学院の傍のカフェには、かれこれ三年程通っている。周りを見回すことはあまりしないが、特によく見かける人物くらいは覚えた。いつも経済誌を読んでいる老紳士や、仲良くコーヒー豆を買いにくる年配の夫婦、また、自分の友人も時々豆を買いにくることがある。
それから、最近は若い客も増えてきた。自分もまだ学生で若い方ではあるが、よく見かけるようになった彼はあどけなさを、柔らかい頬に携えていた。
肌は白く、寒い所為か頬をりんごのように赤く染めて、淡いブロンド髪を優しくなびかせた少年だった。
一度だけ隣の席をいいかと尋ねられた記憶も、あるような気がしなくもない。ただよく店に来るのと、よく隣の席に座ることは覚えている。席があまり空いていないのだから隣に座られても特に怪しむ事はないのだが。
少し気になったのは、彼の喋り方をどこかで聞いた気がしただけだった。一度隣で電話に出て人と会話する声を聞いたことがある。多分それからなのだろう、彼のことを意識し始めたのは。
「セドリック?ああ、うん。……十九時には帰るよ」
カフェは相変わらず、ガヤガヤとひとつの生き物のような音を立てているから受話器越しの声までは聞こえてこないが、おそらく話していることからして相手は身内なのだろう。
さわやかな見た目に反して、ずいぶんゆっくりと、眠そうに喋る人物だと思った。
胸騒ぎのような、既視感のような、不思議な感覚が胸を打つ。
「 bye 」
優しく囁いて、電話をコートのポケットにいれながら、コップにそっと口をつける様子を横目で見た。視線に気づいたのかはわからないが、こちらを見るようなしぐさを感じ取り、一瞬で視線をもとに戻す。目が合うことは無かった。
それからも時々、近くの席や隣の席に座る機会があった。時折課題をやっているらしくノートにシャープペンを走らせている。ちらりと盗み見れば、一般的な高校の勉強内容だった。見当はついていたが高校生だということに確信を得た。
気にかける理由は特になかったのだが、喋り方が自分の記憶の中の誰かと被ったのと、どこか大人びた横顔に違和感を感じていた。
ある日もまた、彼は隣の席に座った。
ふわりと鼻孔をくすぐった、温かく甘いコーヒーの香り。いつもブラックコーヒーを飲んでいる私には少し甘すぎるくらいだが、色白でブロンド髪の彼にはなんだか似合いだった。
スローペースでコーヒーを飲んでいるのを、音や気配から感じとる。ページをぺらりとめくる音がして、本を読んでいるのだと気がつき盗み見ると私も読んだことのある本だった。なかなか興味深い本だったが、少し内容が難しいのではないかと隣の少年の読解力について考えたが、しっかり勉強をしている様子や、苦もなく読み進めているような横顔から察する。
しばらく読んだあと、カップの中身を一気に飲み干し、ぱたんと音を立てて本をとじた。
いつもよりも忙しなく出て行った背中をひっそりと見送った。ドアについたベルが音を立て、彼は見えない方へ消えて行く。
しばらくして気がついたのは、足下に落とし物があったことだった。
見るからに財布で、おそらく彼が落としたのだろう。
確認のため開いてみるが、案の定学生証が出てくる。名前は・ディゴリー。その隣にある顔写真はおそらく彼と合致する。写真だからなのか若干表情が死んでいたのと、普段から真正面から見ることは無いからあまり自信は無い。ただブロンドの髪は彼が彼であることを証明していた。
交番に届けるよりも、店員に届けた方が早いだろう。帰り際に店員へ持って行き彼の説明をした。彼、も常連であるのだからおそらく店員も分かるだろう。
以前仲良く喋っている様子をみたことがある。
それから数日後、店に訪れコーヒーを頼もうとしたとき、ちょうど財布を預けた店員に挨拶をされた。挨拶を返しながらいつものブラックコーヒーを頼むと、店員は手早くレジを打ちながら財布の彼なら取りにきましたよ、と教えてくれた。
安堵して頷き会計をしようと自分の財布を出すと、店員に静止された。意味が分からず、首を傾げると店員はニヒルに笑ってみせた。
「お代ならもうもらってるんですよ、彼に」
店員がウインクをして、カップに注文を書き入れながら他の店員にパスをしたとき、ようやく私は理解した。
微妙な既視感は残したい派。
Feb.2013