01 お願いの、
日曜日の昼下がり、本や服などを買いにデパートでふらふらしていた。
好きな作家の新作の小説や、欲しかった雑貨、服などを購入し終え休憩がてらコーヒーショップへ入る。季節限定のアーモンドラテを頼んで席をぐるりと見渡すとちらほら空いている。目に付いた端っこのソファ席に座ろうと思ったが、その前に視界に見知った人物が入って目を留める。
ノートパソコンを広げ、何かを打ち込みながらコーヒーを啜る黒髪の青年、レギュラスだった。仕事中だろうか、と思いつつ彼の隣の席が空いていたのでそちらに座る事にした。集中しているようで、俺が座った物音にも視線を寄越さない。邪魔をしないように、けれど挨拶しないのも憚れたのでじいっと観察する。以前パーティーで庇ってくれたお礼をちゃんと出来ていないのだ。
それから十分くらいパソコンのキーボードを叩き続けたレギュラスは、ふうと息を吐いて手を止めて、背もたれに背中をあずけ、コーヒーの入ったカップに手を伸ばした。そっと口をつけ、伏せていた眸がぱちりと開いて俺を見る。そして咽せた。
「っ、え??」
「奇遇だね」
喉の通りが悪かった程度で吹き出さなかったレギュラスにほっとして、俺は手を振る。
照れ笑いを浮かべながら少し慌ただしく、こっちきなよとレギュラスの前の席をさすので俺は荷物を持って移動した。
「いつから居た?」
「十分くらい前かな」
「そんなに?声かけてよ!」
気づかなかった自分が恥ずかしかったのかいつもよりわたわたしているレギュラス。
仕事中だと思ったから遠慮したのだと言うと、確かに仕事中だったけどとふてくされる。先ほどまで人と会って話をしていた内容をメールで報告していたらしく、それはもう終わったのだとか。
「じゃあ会社に戻るの?」
「ううん。今日は本当は仕事ないんだよ。さっきのだけ時間外労働」
「日曜日なのに大変だね」
「いや、滅多にないよ」
だから安心して我が社においで、と笑うレギュラス。待って、そこのグループは大企業だけどあんな怖いお母様が居る所に勤めたくはない。あの獰猛な目つきを思い出してぶるっと震えると、レギュラスが困ったように笑う。
「この間はごめんね。母上は……もともと気性が荒い人だけど、兄のことになるとすごくて」
もともと気性荒いんだな、とレギュラスの全然フォローになってない言い訳を聞く。確かに、昔のブラック家に言った時の"奥様"の糾弾っぷりはすごかった。
「でものことは、もうあんな対応しないから」
「そうなの?」
「マルフォイ家がバックについてるんだから、母上も、他の人たちもやすやすと君には手を出せないよ」
「あー……」
ずず、とコーヒーを飲みながらパーティーの出来事を反芻する。結構大きい事言ってくれたんだよな、ルシウスは。
ブラックもそうだけど、マルフォイは洒落にならないくらい大金持ちだ。御曹司のレギュラスや出奔したドラ息子シリウスならまだしも、ルシウスは現当主。庇ったときの影響力はとてつもなく大きい。
「僕は……、」
「あ」
レギュラスが何かを言おうとしているとき、テーブルの上に置いてあった携帯がぶるぶると震える。板に小刻みに当たるから、普通のバイブレーションよりも音が大きく、反射的に携帯を掴む。
「ごめん」
先輩でもなければ上司でもない、友達だと思っているからレギュラスの前で電話に出た。一応早めに電話は切り上げる予定だけど。
『よー、今何処に居るんだ?』
電話口で喋るのは、目の前の人物の兄、シリウスだ。
「ん?デパートで買い物してた。急ぎ?」
『いや、フランス出張の土産渡したいから会おうぜ』
「ありがと。じゃーあとで電話する」
『これから会えないのか?』
「いまレギュラスといるから」
『どこで?』
「ん?」
『どこのデパードだって?』
目の前でレギュラスがきょとんと首を傾げる。電話を指差してシリウスだよと教えると、たちまち眉をしかめた。二人に教えない方が良かった気がしてきたが、もう遅い。
シリウスは電話口で俺の居場所を聞いて来るし、レギュラスは早く電話切れって顔してる。
俺の今日の口はよく滑るようで、つい今居る場所を吐いてしまえばシリウスは電話を乱暴に切った。あの人これから此処に来るってことだろうか。
「ごめん、これからシリウス来るかも」
俺の言葉に、レギュラスは頭を抱えた。もう一度ごめんと謝る。
「会いたくないよね?帰っていいよ……というか俺がどっか行くね」
「なんで、そういうこと言うの?」
立ち上がりかけた俺は、ぽつりと零したレギュラスの声をなんとか拾って動きを止めた。レギュラスの旋毛を見下ろしてから、俺はもう一度座る。今度は顔が見えたけど、笑っているのに目の奥は泣いているみたいな変な顔をしてた。
「約束はしてないけど、今一緒に居るのは僕じゃないか」
震える、形の良い唇から紡がれる言葉を静かに聞いた。
「兄さんは好きじゃないし会いたくない。でも、は好きだし会いたいんだよ?それなのに、帰っていいとか何処か行くとか、どうして……」
そこまで言って、唇を噛んで黙り込んだ。
ないがしろにした訳ではなくて、俺なりに気を使ったつもりだった。シリウスよりレギュラスが良いとか、その逆とか、そういう気もない。二人が仲良くないのはどうしようもないことだし、俺には関係ないけど、こんな風にしてしまうくらいには無関係ではなかったんだ。
確かに、俺の言い方が悪かった。シリウスの電話に出たのも、レギュラスの名前を出したのも、場所を教えてしまったのも俺のミスだ。シリウスだって、レギュラスを良く思ってないみたいだから、友人の俺が一緒に居るのも気に食わないのだと思う。お互いに不愉快な思いをさせてしまった。仲が悪いのは当人たちだけで仲直りさせるのや友人関係が被るのは俺の所為ではないけれど、俺の配慮も足りないのだ。
「レギュラス」
黙り込んでしまったレギュラスに声をかけると、ぴくりと指先を動かした。
「ごめん」
「え?」
「いつもだったらこんなこと思っても言わないんだよ。今日の僕はどうかしてる……ごめん」
柔らかい前髪をくしゃりと握って、困った顔をしているレギュラス。俺が謝ろうとしていたのに、先に謝られてしまった。
「や、俺も悪かったよ、折角レギュラスと居るのにね」
「謝らないで……僕はもう大人なのに」
情けない、と暗い顔をするレギュラス。
「何でだろう、は年下なのに、ずっとずっと大人に見える。僕が追いつけないくらいの」
確かに俺は生きている年数で言えばレギュラスよりもうんと長い。追いつけるようなものではないと自覚してる。でも俺が身を置いている状況は、レギュラスの居る場所よりも低く、生温いところ。レギュラスを下に見た事なんて無い。
「あのさ、」
「見つけた!」
レギュラスに言いたいことが出来たから口を開けば、途端に遮られる。
デパート内のカフェにずかずかと入って来たシリウスが、どかりと俺の隣に座る。レギュラスの言葉を電話で遮り、俺の言葉をこうして遮る本当に空気の読めた男だと思う。
「よう」
「シリウス」
そしてレギュラスのことはガン無視である。
「これ土産だ。マカロンと、サブレーとワインジャムな」
「あー、ありがと」
紙袋をごそごそ渡して一つ一つ説明してくれる間もレギュラスに一瞥もくれない。あっちもそっぽ向いているだけで会話に加わろうとはしてこない。
「な、出張中の話もしたいし飯でも行かないか」
「それはまた今度」
「なんだよ、予定あんのか?夜ならいいんだろ?」
「予定はないけど———」
「送ってやるよ」
一応断ったけれど、あくまで二人とも無視を決め込んでいてこの状況がいたたまれない。レギュラスと別れた後だったらシリウスに付き合うけれどレギュラスと居る間に会った今はレギュラスを優先するつもりだ。
予定は決まっていないけど、と口ごもりながらレギュラスをちらりと見て、俺は目を丸めた。
ぽろぽろとレギュラスが泣いている。
「あー……泣かした」
「は!?」
俺の零した言葉に、シリウスがぎょっと身を引いてからようやくレギュラスを見る。まさかこの歳になって泣くとは思っていないらしいシリウスは狼狽えているけれど、レギュラスは何も言わない。
「……大人げない」
呆れて出た言葉はシリウスに言ったつもりだったけれど、レギュラスがごめんと口を開く。
「シリウスのこと。俺が誰と友達だって自由でしょ?二人の仲が悪いのは二人の所為だよ。邪魔をしてくるのはおかしい」
「うっ」
引き合わせる情報を与えたのは俺だけど、実行したのはシリウスである。俺の配慮が足りずとも、シリウスが大人であればこうはならなかったのだ。俺はレギュラスに対して謝る気はあるけどシリウスにはない。シリウスも言葉に詰まる。
「レギュラス、行こう」
お土産と荷物を持って立ち上がる。カップはシリウスに片付けさせよう。
レギュラスも目に涙をためたまま歩く俺について来た。シリウスはさすがに追いかけては来なかった。
「レギュラスって……よく泣くね」
「ごめん、大人げなくて」
「レギュラスは大人げなくなんかないよ……シリウスのほうがよっぽど子供だし」
涙を拭きながら、隣を歩くレギュラスに前を向いたまま話しかける。
シリウスの名前を出すと口を閉ざしたくなるようなので、話題を変える事にした。
「最近なんかあった?」
「え?」
「思っても言わないことを言ってしまったり、どうかしてるんでしょ」
デパートの地下駐車場に車を停めてあるのでエレベーターに乗り込む。休日なので同乗者が居る為さすがに個室の中では口を開かなかった。
「思ってること言っても良いよ。あのお母様の小言も耐えられたんだからレギュラスの愚痴や不満なんてどうってことない」
エレベーターを下りて再び隣を歩いた時に言えば、レギュラスは肩を揺らす。
「我慢させて泣かせるより、怒られた方が良い」
カツカツ、と歩く音は普段よりも優しく、ゆっくりな速度。
斜め上を見れば、レギュラスと目が合う。
車についたので、また一旦会話は辞めて車に乗り込む。
「僕は……」
「うん」
エンジンをかけて、走行してからようやくレギュラスが口を開いた。
なんでもいいんだ、シリウスの電話で遮られた話でも、俺の無神経な態度に対する不満でも。
話し始めたのは、自分の兄や周りの尊敬できる人の話し。シリウスのことは褒めているつもりはないのだろうけれど、すごい人だと認めてはいるようだ。それと同時に、自分への劣等感もあるらしい。
出来ない子呼ばわりも、実際に出来ない子だったわけでもない。自分の行くべき道を行っているし、不満もないのだろう、だけど、シリウスや周りの人たちを見るとどうしても納得ができないのだと言う。
「それに、僕はを助けられなかった」
「え?」
レギュラスは運転中だから直視のまま、俺は言葉の意味が分からず一度レギュラスの横顔を見る。
「パーティーのとき、を助けたのはルシウス先輩だった。兄さんがくるなり、ほっとして笑ってた」
確かに、あの場から連れ出してくれたのはルシウスだった。家名まで使って、俺を堂々と庇い今後もこんなことはないようにしてくれた。シリウスが来てくれたときはほっとしたし、ちょっと悪態もつきたかったし、さっさと帰りたかったからそんな態度ではいたと思う。
「は別に順位はつけてないってことは分かってるんだ。これは僕の問題、僕が何も出来なかったから悔しいんだ」
ゆっくりと話していたからもう家に着いていたが、車が停車しても、レギュラスの話を聞く為に降りなかった。
ぼんやりと、外を向いているレギュラス。俺はさっきシリウスがやってきて言えなかった言葉を言おうと思っていた。
「一番に助けてくれたのは、レギュラスだったんだよ」
俯いていたレギュラスはゆっくりと顔を上げた。
その時また俺の携帯電話が震える。静かな車内にバイブの音は十分聞こえた。一応ディスプレイを確認すればシリウスだ。またも俺たちの話の腰をおるけれど、今回はちゃんと言葉を続けたし、電話に出る気もない。
「出ないで、……誰だろうと、出ないで」
「うん」
緊急の場合だったら困るけれど、シリウスの電話の内容は分かってるし、今はこっちの方が真面目に話している最中だ。
レギュラスの手が携帯を持つ俺の手をとり、電話を切らせる。震えなくなった手は、レギュラスに包まれたままほんの少し引っ張られる。レギュラスは近づいて来て、長めの柔らかい黒髪が俺の目前に迫っていた。目に入ると思って反射的に瞑れば、鼻の脇に冷たい皮膚、頬に少し湿った皮膚、唇に温かい皮膚が触れる。押し付けるように当てて、すぐに離れたそれを自然と目で追う。
すぐにそれはレギュラスの手で隠された。
「ごめん……!あの、僕!ど、どうかしてて!」
呆然とレギュラスを見上げる。
「僕はに近づきたかったんだ。大人びてて、冷静で、でもとても心が広くて優しくてそんな人になりたかった。そして、そんな人の一番近くに居たかったんだと思う」
弁解をしているのか、ただ俺の事を褒めているのかわからないけれどレギュラスは焦った様子で言葉を紡いだ。
「他の人と一緒に居ると妬いてしまって、それが兄だともっとイライラして、それに笑うもあまり好きではなくて……笑顔のは好きなんだけど」
上手く言葉にできないのか、めまぐるしい言葉の数々で俺を讃えた。
「落ち着いて」
両手を握ってもじもじして口を閉じないレギュラスの手に、そっと俺も手を添えた。
「俺全然大人びてない。レギュラスのお母様は怖かったんだよ、あんな人と渡り合える皆がすごいと思う。そんな人に……身内なのに、俺の為にレギュラスは一番に出て来てくれたよね」
「」
少し驚いた顔をしながら、レギュラスは俺を見下ろす。
俺はやっと落ち着いたと思って小さく笑った。
「あの時のレギュラスには本当に感謝してる。レギュラスの背中に庇われたとき、すごく、ほっとしたよ。ルシウスが連れ出してくれるよりも、シリウスが迎えに来てくれるよりも、先にレギュラスが俺を助けてくれた。そこは分かって、自信もって」
魔女の爪が俺にのびて来ようとする時に現れた黒い背中。そんなに広くもないどちらかというと華奢な背中だったのに、頼もしく見えたのだ。
レギュラスは、顔をそらしてハンドルに抱きつくようにして頭を庇って悶えた。また泣くのかと思って肩を揺すり、もぞもぞと出て来たレギュラスの顔は赤い。車内が暗いとはいえあいにく今は午後三時である。夕日もまだ差し込んでいない。つまりこれは本当に顔が赤くて、照れていると言う事だ。眉をへにゃりと力なく歪め、目を潤ませ、震える唇を開いた。
「無防備すぎるよ、……っ、僕がしたこと忘れてるでしょう」
あまりにもレギュラスが狼狽えて騒がしかったから、何をされたのか記憶が飛んでいたのである。
キスされた、と思い出してようやく、顔に熱が集まる。
俺は自分に不意打ちでキスをしてきた人を必死で宥めて、励ましていたわけだ。
「お、くって、くれてありがとう」
何を言ったらいいのか、どういうことなのか分からないし、今日はこれ以上考えられないと思って車から速やかに降りてドアを閉めた。あ!お土産忘れてるよ!という、レギュラスの声を無視して家の中に駆け込んだのである。
ハンドルに覆い被さって照れるレギュラスが書きたかったんです。
Apr.2014