03 本当は
キスをするのは、そんなに好きじゃない。
触れられるのは、くすぐったくて苦手。
自分から触れるときもあるけど、あまり頻繁に手を伸ばした事は無いと思う。
でも、レギュラスの恋人になることを決めた。
両思いではないところから始まる付き合いだってある。それはレギュラスの方が言ったことだったけど、俺もその点は理解していた。でも、男同士だから、俺に前世の記憶があるから、と踏み出す事をためらった。
二年くらいまえにクラスメイトの女の子と一度付き合った。一緒に居るのが苦ではなかったけれど一人でいることや、気の置けない友人と一緒にいる方が楽しいものだった。『恋人扱い』というのが苦手なのかもしれない。
結果的に俺は好きになるどころか疲れてしまったし、彼女には寂しい思いをさせた。
レギュラスは、彼女のときよりは互いに理解し合えるのかもしれないと思った。
とても喜んでくれたので、俺もなるべくレギュラスに寂しい思いをさせないようにしたい。
キスに応えるのも、それと同じことだった。
その行為自体はさほど好きではないけど、嫌悪感は無い。不意打ちでされた時点で分かっていたことだったけど、俺はこんなに寛大で鈍い人間だっただろうか。よくわからない。
でも、自分からしたいと思っているわけではない。
恋人とキスをするのは当たり前のことだと思いながらレギュラスの唇を眺める。近づいてくるに連れて瞼が落ちて行くから、そのまま目を瞑ってしまえばキスされる。
恋人になってから初めてのキスはちょっと激しかったけど、普段のキスは本当にささやかなものだった。
男同士だからか、普段出かけるときも手はつながないし外でキスもしない。互いに恋人だと認識しているだけで、やっていることは友達のときのことと変わらない。三回に一回くらい、別れ際にキスをされて、そのときだけは友達付き合いじゃなくて恋人のデートに変わる。本当にそれだけ。
「なんか、あんまり恋人になった気がしない」
「え?」
レギュラスは勤務地の近くにマンションを借りていて、俺たちは出かける以外はそこで会うのだけど、その一室で不意にもらした言葉にレギュラスはきょとんと首を傾げた。
今は互いに同じソファにかけてはいるけど、俺はレギュラスの部屋にある雑誌を読んでいたし、レギュラスはクリーチャーにブラッシングしていた。
「どうしてそう思う?」
「んー、恋人っぽいことをしてない気がする。キス以外」
言いながら、キス以外の恋人っぽい事とはなんだろうと思った。性的なこと以外では思いつかない。
クリーチャーがレギュラスの膝からおりてきて、俺の膝に乗って落ち着いたので背中を撫でる。
「って結構鈍いよね?」
「わからないけど、鈍い?」
「うん」
怒るでもなく、困るでもなく、レギュラスは笑った。
「僕たち恋人になってから結構頻繁に会ってるじゃない」
「そりゃそうだけど」
「今までは、会おうって連絡してから会っていたよね、でも今はすぐに次に会う約束をしてる」
当たり前のことだと思っていたけど、確かに友達には用事があるときや誘いをかけられたときに約束して会っている。
「そうしたら、僕と会う約束があるから他の人とは会わないでしょう?」
「うん」
「結果的にの一番傍に居るのは、僕だ。それって特別じゃないかな」
なるほどと頷きながら、クリーチャーの耳を揉んだ。
愛を囁くことが、キスをすることが、手を繋ぐことが、恋人のやることじゃない。もちろん、それが出来るのは恋人の特権だけど。
レギュラスはとても自然に俺の傍に居て、いつのまにか特別な場所に居た。思い返してみると、レギュラスに会う事が優先になっていた。これが恋人ってやつなのだろう。
「当たり前みたいに感じてた」
「それは嬉しいね」
背もたれに頭まで預けて天井を見つめると、レギュラスは少しだけ傍によって来て、俺の膝の上のクリーチャーを撫でる。
俺は家族をとても大事にしていたけどそれは生まれた瞬間からではなくて、長い年月をかけて信頼と愛情を育んで来た。家族だからという理由と、その人達が本当に良い人だったという事実と、ちょっとした運命。彼女を好きにならなかったのは、彼女はそもそも俺の好きになれるタイプではなかったから。じゃあ、レギュラスはどうなんだろうと考えた。
———多分、このまま付き合って行けば、好きになる。
今この時が苦ではなくて、当たり前のようなことで、ある意味幸福すら感じている。
クリーチャーを撫でているレギュラスの米神が見えた。そこにそっと顔を寄せれば知っている香りがする。この香りを知っていることが、特別なのだ。
額をすり寄せて、ふっと笑うとレギュラスは少し驚いたように顔を上げた。
「どうしたの?自分から触ってくるなんて、珍しい」
「なんでもない」
はぐらかしておいたけど、レギュラスは俺が滅多に触らないことを指摘したので、少し考える。
「もしかして、遠慮してる?」
「え?」
「俺があんまり触らないから」
微笑したまま固まったレギュラスの瞳をじっと見た。
ちょっとそらされたので、多分図星なのだろう。
「って人に触られるの、そんなに好きじゃないでしょう」
「よくおわかりで」
「でもキスさせてくれるのは、なりに僕に歩み寄ってくれてるのかなって」
俺も言い当てたようだけど、レギュラスも言い当てた。
お互いにバレバレではないか。
なんだろう、我慢させているんだったら申し訳なくなって来た。
「普段あまり触れないようにするから、これからもキスしていい?」
どうしたものかと思っていたら、レギュラスの切なげな瞳が揺れていた。
「うん」
頷くのが精一杯で、降り注ぐ唇を受けて目を瞑った。ソファの背もたれにまた頭が埋まって、レギュラスがついた手に自分の手がぶつかったから無意識に裾を掴んだ。すると膝の上からクリーチャーが降りてどこかへ行ってしまった。
俺とレギュラスはそれを目で追う余裕なんかなくて、呼吸を共有することに夢中だった。
「……、好き」
キスの合間に出て来たのは声にはなっていない吐息だけど、何と言っているのかは分かった。
純粋に嬉しくて恥ずかしくなる。
舌まで絡められるキスは久しぶりで、鼻で息ができるけどどんどん苦しくなって来る。
「っ……はぁ、息つらい」
「ん、あとちょっとだけ。お願い……」
唇を吸っては塞がれて、合間に訴えれば反論する暇無くかぶりつかれた。
唾液の混じり合う音が骨の髄まで響いて、レギュラスの吐息と声が脳をゆらして、舌を吸われると同時に力が抜ける。
触るの我慢してる割にキスが激しいってどうなんだろう。正直、触れられてくすぐったくてぞわぞわするのと、息苦しくて力が抜けるのはどちらも変わらない気がした。
「あの、触っても、いいから」
「?」
ようやく解放された安堵の息とともに、吐き出した。
「お互い頑張ること、我慢することも大事だけど、許し合わなきゃね……」
じわりと汗をかいた米神を少し掻きませて、髪を耳にかける。
レギュラスが少し躊躇いがちに腕を伸ばして来て、俺はその手を見つめながら固まって待っていた。
「ありがとう、」
撫でられるのを予想していたけど、レギュラスは俺を抱きしめた。これならくすぐったくはなくて、結構平気だ。背中をさすられたら話は別だけど。
「俺も、ありがとう、レギュラス」
お礼の意味が分からなくてレギュラスは俺の首もとで少し首を傾げていた。
レギュラスと俺が恋人であることが、当たり前になってきたことを認識してから気づいたことがある。
告白された時、例えば友人の誰かに恋人になってと頼まれたら断れない気がすると言った。でも、今思うとやっぱり、レギュラスのような関係になれる気がしない。それはレギュラスを知り、他の人の事を知らないからという結果論なのかもしれないけど、レギュラスの恋人になって良かった。レギュラスが俺を好きになってくれて良かった。
俺はちゃんと人を好きになれる。それがレギュラスであったことが嬉しい。
そんなことを思いはじめたある日、三日ぶりに会ったレギュラスの口元には痣とかさぶたがあった。
「どうしたの、それ」
「え?ああ、ちょっとぶつけちゃって」
「ありえない!誰に殴られたの?」
「……う、」
すごく言いづらそうにレギュラスは顔を背けた。
「怖い人?何かあった?」
「いや、ちがう!シリウスと喧嘩しただけ!」
「そうなの」
レギュラスの身の危険を心配したけど、そこまでではなかったようでほっとした。でも殴るまでの喧嘩をする程、レギュラスとシリウスは構い合わない筈だ。
「やり返してきた?」
「ううん」
シリウスは結構手が早そうなイメージがあるからちょっと納得したし、レギュラスはシリウスに対しては負けん気が強いところがあるから聞いたのに、あっさりと首を振られる。
「今回のことは、これでいいかなって」
「なに、どういうことなの?」
かさぶたが痛々しいし、今腫れてないのは殴られたのが三日前だからのようだし、ただただシリウスに殴られて来たのなら俺的に納得がいかない。
レギュラスはまた言いづらそうにするから、すぐに俺が理由なのではと思い当たった。
シリウスは俺とレギュラスが友達だったころですら、邪魔してきたのだから。
「もしかして、俺と付き合ってるからシリウスがレギュラスのこと殴ったとか、言わないよね?」
「……そうだよ。だから良いんだ。シリウスは僕に嫉妬しただけで、結局僕の勝ちだ」
最後にはふっと笑った。
レギュラスはそれでいいかもしれないけど、俺はシリウスに対して腹が立っていた。
「わかった。じゃあ俺がシリウス殴って来るね」
「え!?」
驚いて狼狽えるレギュラスをよそに、俺は携帯を素早く操作して耳に当てる。
珍しくあっさり電話にでたシリウスに速攻で居場所を聞いたら、ポッター家に集まってお酒を飲んでいるらしい。俺も今から行くねと言うと弾んだ声で歓迎されて、迎えに行くと言われる前に電話を切った。
「レギュラス悪いけど、車出してくれない?」
「本気なの?がそんなことしなくて良いんだよ」
今日は車で迎えに来てくれていての待ち合わせだったから、シートベルトを素早く閉めてカーナビを操作してジェームズの家までの案内を開始した。けど、車は発進してくれない。
「もし俺がレギュラスの友人に殴られたら、レギュラスはどうする?」
「……殴るだけじゃ気が済まないかもしれない」
「うん。ほら、車出して」
上手く言いくるめて、レギュラスを急かしたらポッター家まで行ってくれた。
リリーにはあらかじめ乗り込むことと、ハリーは避難させておいて欲しい事を連絡しておいたので、リビングにはジェームズとシリウスとリーマスの三人だけがいた。
俺の登場によりぱっと三人の顔が華やいだが、ついてきたレギュラスをみてシリウスだけは思い切り顔を顰めた。そして俺はその顔を殴っておいた。
「え?え、!?」
ぽかんとしたシリウスと、目を丸めつつ笑ったリーマス。ジェームズはシリウスと俺を交互に見て一番狼狽えていた。
「な、なにすんだよ!」
「レギュラスの事、殴ったんだって?シリウス」
人を殴るとやっぱりそれなりに痛くて、熱をもった手をぶらぶら振って冷ます。
「そ、それは、レギュラスがと恋人になったなんて……」
「そうだよ、レギュラスとは合意の上で恋人になったよ。そこに、シリウスが殴る権利なんて無いよね」
もう一回殴ろうかなと思ったけど、呆れて力が出ない。
「……告げ口かよレギュラス、この卑怯者」
俺じゃなくてレギュラスを睨むシリウスを、やっぱりもう一発殴った。
一応掌にしてあげた。
「告げ口?顔を見ればわかるような怪我させて何言ってんの」
掴んでいた襟をぱっと離すと、シリウスは反射的にのど元に手をやって襟を正す。
「……っ、そんなにレギュラスが大事かよ」
「シリウスは大事な友達だよ、でもレギュラスは大事な恋人だ。あたりまえのことだろ」
次やったら友達ですらなくなるから、と言い捨てて、俺はレギュラスを連れて家を出て行った。リリーとジェームズとリーマスにはあとでメールで謝っておこうと思う。
家の前に停めていた車の前まで来たけど、一向に鍵があかなくて、俺の一歩後ろをとぼとぼついてきたレギュラスを振り返る。
「大丈夫?連れて来ない方が良かったかな」
「ううん、……ついて行ってよかった」
顔を覗き込むけど、夜なのであまり見えない。うっすら微笑んでるのと、声が少し笑っているので、シリウスの暴言は堪えてないらしい。
「が、僕の事恋人って……大事な人って、」
「あー、ああ」
思い出してちょっとだけ恥ずかしくなる。
俺はあの三人と本人の前で、盛大に惚気て来た訳だ。
まだ、好きってちゃんと言ってなかったのに。
「好きだよ、レギュラス」
「、っ、ぃ、いたた……はは、ほんと?いたたた……」
多分笑うと口が痛いのだろう。笑いながら痛みを訴えていた。
シリウスは当分顔を合わせてやらないことに決めた。
「本当。気づいたら好きになってたよ」
「僕と同じだ」
首に手を回してぎゅっと抱きしめた。
いつもはレギュラスからで、俺が手を回すのは背中だ。後頭部を撫でながら、髪の毛にそっと唇を寄せる。
俺の項で喋るレギュラスは、声を震わせていて、泣いてるのか笑っているのか、どちらなのだろう。
「恋人になってくれたときも幸せで死にそうだったけど、今はもう、死んでも良いくらいに幸せだ」
「……幸せにするから、死なないでね」
耳にちゅっと音を立ててキスしたら、レギュラスはちょっと鼻をすすって頷いた。
これまさに当て馬というか……、かませいぬ?すみません。
Apr.2015