25 カフェ
(奈南川視点)
「ちょ、っと!まって……!」
誰かに勢いよく腕を引かれて足を止めた。肘に近い所を掴んでいるのは勿論手。そこから繋がる腕、肩、顔に目がいく。高校生くらいの少年だった。
「これ、落としましたよ」
人混みの中、私を追って来たのか息が少し上がっている。少年が差し出したのは私の財布。カードや免許証が入っている為落としたら面倒になっていた所だと、自分のミスに肝が冷えた。
「すまない、ありがとう」
「いえ」
財布を受け取った私の腕をすぐに放し、少年は去ろうとする。
「ちょっと待ってくれ、一割渡そう」
「別に要らないです」
余裕のある大人として、そして感謝として申し出たが、少年にはすっぱり断られた。高校生だったら喜んでもらって漫画やら菓子やらにつぎ込むと思ったのだが。
「しかし走って追いかけてくれたのに。こちらの気が収まらないな」
「じゃあ……そこの自販で水買うので百円で良いです」
仕事中なんでしょ、と私の姿を見てため息を吐く。
ときは八月まっさかり。少年の細い首筋は汗で少し濡れている。水を渡せばきっと快適になるだろう。
「いや仕事は今休憩中でね。よかったらそこのカフェに入らないか。涼めるし、飲み物もケーキも付けるよ」
は?と隠しもせずに訝しげな表情を浮かべる。礼儀正しいのかそうでないのか分かりにくい。実際、仕事は移動中でありまだ余裕があった為時間をつぶそうと思っていた所だ。暑いなか動き回るのも好きではない。
「時間がないなら、無理にとは言わないが」
「水じゃあなたの気が済まないなら、それでいいです」
汗かいたし、と臆面も無く言った少年と私は近くのカフェに入った。
冷房が効き過ぎと言っても良いくらいにひんやりとした店内に入ると、少年はふうと息を吐いて水を一口飲む。
「何でも好きな物を頼むと良い」
「じゃ、オレンジジュースとミルクレープ」
メニューを見てすぐに決めた少年に頷き、自分のアイスコーヒーを付け加えて注文をする。
「私はこういう者だ」
すっと名刺を出すと、どうもと少年は受け取る。ヨツバグループ第一営業部部長、と名刺に書かれた役職をぽつりと読み上げ、大手じゃんと興味なさそうに褒めた。褒められている気はしないが。
「奈南川さん、ね。俺は夜神アラン、私立大国学園高等学校の二年生」
「へえ、あの高校か……進学校だな」
「まあ。でも私立だから入るのは簡単だし、馬鹿もいますよ。俺もそんなに頭よくないし」
少年、もといアランは私の名刺をテーブルに置いて、腕時計の時間を確認した。
「どこか行く予定だったか?時間は?」
「午後としか決めてないし、あんまり行きたくないから別にいいです」
「行きたくない?」
「友達を前提に仲良くしようとしている知人の所」
まだ友達じゃない、と頬杖をついて視線を落とす。
兄の同級生らしいが、弟の自分とも友達になりたいと言い出して呼ばれてるとのことだった。アランは中々冷めた発言ばかりする。
それから程なくして、ジュースとケーキが運ばれて来るとアランは目を細めて喜んだ。今まで笑み一つ零さなかったが、ケーキ一つで喜ぶところは十六歳らしい。
「甘い物が好きなんだな」
「うん」
唇についたクリームをぺろりと舐めとり頷く。頬が膨らんでるのが少しおかしくて笑ってしまったが、アランは気にしている様子も無く、オレンジジュースを一口啜った。
「俺が食べてる所、みんな嬉しいみたいで」
「?」
「よく食べ物貰う」
「なるほど」
彼の言っていることの意味が一瞬わからなかったがすぐに理解した。小動物のようなアランは庇護欲がそそられるのだと思う。現に私も今、もっと何か食べさせようかと思案したところだ。
「愛され体質だな、君は」
「知ってます」
アランはフォークを噛んだ。
「皆俺の事を野良猫か何かと勘違いしてる。俺は散歩好きの家猫なんですよ」
冗談なのだろうけれど、表情があまり変わらないため本気で言っているのかと思いそうになる。
しっとりとした黒髪が急に猫みたいに見え、ふっと笑った。
「じゃあ今度散歩するときは私のところにくるといい」
「美味しいご飯を出してくれるなら」
「もちろん」
すっと携帯を出して連絡先を聞けばなんの抵抗もなしに教えられる。私が言うのもなんだが、ちょっと危なっかしいと思った。
奈南川さんちょっとちょろいね、やられたね
主人公は誰にでも懐くわけじゃなくて、奈南川さんだとわかっていたから食い付いただけです。
feb-may.2014