harujion

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43 就職

大学で学んだ事を活かすか、英語を活かすか考えた末、楽な方の英語をとって、英会話教室の講師になった。外国人講師は大人に、日本人講師の俺は子供を相手にする事が多かったのだが、都内ということもあって、仕事で英語を覚えたいという大人が多く、研修を終えて正社員となった途端大人向けの授業もまかされた。そりゃあ俺も本当は外国人だけど、生徒からすれば、日本人に教わるようにしか見えず、肩透かしをくらうのではないだろうか。まあ、相手が日本人だと分かれば逆にやりやすいという小心者も多いわけで、俺が見るのも一概に悪いとは言えない。
、今晩来る人の講師お願いね」
七つ歳上のアメリカ人、サマンサが俺にファイルを渡す。外国人の多い職場なので内々では呼び捨てである。生徒の前では一応敬称をつけるけど。
「え、これ、また大人?」
「No problem!」
大雑把だなあ。サマンサは腰をゆらしながら別の部屋へ入って行ってしまった。俺はファイルにある顧客データに目を通す事にする。高田清美という二つ歳上の女性、会社員。詳しくは書いていないが、おそらく月の元彼女の清美。とっくのとうに自然消滅していると思うが、やりづらい相手である。しかし後々利用するにはちょうどいい接点だ。
ただしこのプライドの高い女王様に、俺が英語を教えてあげるという状況が継続できるのかが謎だ。
十九時、高田清美はやって来た。まだアナウンサーとしても駆け出しのようでそこまで気取った様子は見られないけど、少しプライドの高そうな大人の女性という感じ。
今日は一回目の授業というよりも、体験授業なのでさほど内容は濃く無い。しかし清美に良い印象を与えないとならないので、いつもより気を引き締めて臨む必要があった。
清美は案内された個室で待っているので、俺はすぐに挨拶に向かう。ノック後の返事を待ってから入った。
「お待たせしました、高田さんですね……どうぞお掛け下さい」
わざわざ立ち上がって頭を下げる清美に、また座るように促す。
「本日の体験授業の講師をつとめさせていただきます、夜神と申します」
「よろしくお願いします———、?」
俺の名刺を爪の整えられた指先で受け取り、目を落とした。そしてほんの少し見開く。
「変わった名前ですが偽名じゃないですよ」
嫌な感じにならないように、けれど少しフランクに笑いかけると清美が顔を上げる。よく名前を見て驚かれるから、と付け加えた。夜神という苗字も変だが、カタカナでという名前もちょっと意表をついた名前だ。まあ、下の名前に関してはハーフなのかと聞かれる程度だが。
「ごめんなさい……、その、知人にも同じ苗字が居たものですから」
「それはすごい、私の親戚かもしれませんね」
清美の前に座って、ファイルを開きながら談笑をする。
日常会話もビジネス会話も全て指導して欲しいという要望が書いてあり、なんとなく仕事の話に持って行く。やはりアナウンサーをしているらしい。

英語力、会話力、発音や聞き取りを確認する為に、それ以降の会話は英語で続ける。
「高田さんは今まで英会話をしたことはありますか?」
「学生時代の講師の方や、道を尋ねられた時には英会話をしますが、日常的に会話をする機会はありません」
「そうでしたか」
とりあえず、聞き取りやすいように喋ればちゃんと理解はしている。そして文法を構成する力はあるようだ。優秀なだけある。ただ発音や会話内容はまだつたない。
「でも、英語お上手ですね」
「ありがとうございます」
褒めれば清美は気分を良くして、ほんのりと微笑んだ。
「あなたは、どこでこんな風に英語を覚えたのですか?」
「私は四年間イギリスの大学に通っていました」
「四年間……」
「英語に囲まれて過ごせば、四年でこうなりますね」
なんて言ってるけど確証はない。英語が話せなかった事がないのだから。噂では、どんなに頑張ってもネイティブスピーカー程にはなれないというけど。
「では、あなたが教えるのは日常英語?」
「ビジネス英語……たとえば電話の対応や受付なども教えられますよ」
今も丁寧な喋り方をしていることは清美も分かっているだろうけれど、大学生の間だけイギリスにいたのでは心もとないと思ったのだろう。
「そうですか」
「高田さんは大学時代何の勉強をされていたんですか?」
「主に歴史や文学です。東応大学に通っていました」
「東応?凄い」
わざわざ大学名言ってくるあたりは、自慢だろう。一度驚いてから、思い出したように手を叩いた。
「あ、じゃあ高田さんがさっき仰ってた知人は、夜神月のことですか?」
「!」
元彼の名前を言い当てれば清美も驚き目を見張る。
「高田さんと同じ歳の兄です。東応に通っていたんですよ」
広げたままのファイルに書かれた年齢を指でつついてから清美を見る。
「夜神くんの、……弟さん」
驚いて日本語に戻った清美。
「凄い偶然ですね。兄の友人だったとは」
俺も合わせて日本語に戻して、交際をしていたことはとぼけて微笑んだ。そして、吃る清美にちょっとだけ考えるそぶりを見せてから、顔を覗き込むように首をかしげる。
「言わない方が良かったですか?知人の弟というのはやりづらいですよね」
申し訳ない、と頭を下げれば清美は否定した。月のことなんかどうとも思っていないと言いたげに澄ました顔をする。
それから、月の話を出さずにまた英会話を続けた。帰り際に外まで送ると、通うかはおって連絡しますと告げて背を向けて歩き出す清美。俺は彼女が角を曲がるまで、ぼうっと後ろ姿を眺めていた。
「どうした、惚れたか?
「粧裕の方が可愛い」
俺が律儀に見送っている理由がわからないリュークは俺をからかおうとしてくるが、そういう訳じゃないので適当に否定をして、オフィスに戻った。

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社会人として物腰もそれなりに柔らかです
feb-may.2014