harujion

Last Memento

64 深淵
(L視点)

夜神に情報を与えたのは、ボロが出るかもしれないと思ったからだ。彼に零す情報は曖昧だったが重要な内容も教えた。しかし夜神は元から余計な口を開かない人物であり、駆け引きは困難を極めた。また、とぼけるのが非常に上手いというか、もともととぼけたような態度の為、私ですら中々彼の本意を見抜けない。夜神が本当のキラであったのならば、おそらく私はキラが日本の関東に潜伏していることも掴めなかっただろう。
接して行く度に、夜神の性格や行動に関するデータは積み重なってゆくが、その接触が危険な事なのではないかと私はいつしか気づいた。
夜神を見れば、魅せられる。そして、深淵の眸を覗けば、その眸も私を見ている。
彼の真っ黒な眸は、私を確実に映し、心や考え、知れる筈のない名前すらも見透かされているようだ。この眸こそ、顔だけで人を殺せる眸なのではないかと、言いようの無い恐怖心がじわりと滲む。
だから私は、夜神に会うのをやめた。情報を与え泳がすことも、その姿を見つめ真意を探るのも。その時点で既に夜神の掌の上のようなものだが、しかしこれ以上夜神に触れれば私の考えは全て彼に破壊され、その双眸の闇に塗りつぶされるであろう。

夜神総一郎が病死した。キラによるものかと一同騒然としたが、キラが今彼を殺す意味など無い。一度過労で倒れていることもあり、おそらく丈夫な身体ではなかったのだろう。積み重なっていた心労、疲労、すべてが彼を死に至らしめた。キラの力ではないにしろ、キラに殺されたようなものだ。息子が疑われ、刑事の責任と重圧、命の危険との隣り合わせの生活、そして息子の誘拐とノートの喪失。全てキラが現れなければそうはならなかった。私にも責任が無いとも言えないが、命をかけて我々は捜査しているのだと、彼も、私も分かっている。長く悲しみにくれることや、罪悪感を抱くことが、彼への餞にはなりはしない。一刻も早くキラを捕まえることが、夜神総一郎の心からの願いだろう。
葬儀には出席できず、一分間の黙祷を、ワタリと行った。そしてその日にはまた夜神月や捜査員は本部に戻って来ており、捜査は再開された。その合間に、夜神月は口を開いた。
「竜崎、がお前に会いたがっていた」
「……なぜですか?」
珍しい、いや、初めてのことだ。夜神は自ら私に歩み寄った事は一度としてない。キラと疑う前、そして友達になろうと提案をした時も、私たちは遠い距離にいた。友達と形容するにはまだ至らない程他人である。出逢って四年経ち、誘拐後の事情聴取で一度だけ夜神は私を友人と呼んだがそれも、私の名を出さない為の仮の呼び名だろう。
「なぜって……暫く会っていない知人がいれば会いたいと思うんじゃないかな。葬儀で皆には会えたし」
「そうですか」
「でも竜崎は立場上そう会える存在ではないから、もあまり期待していないよ。とても小さな声で一人言みたいに言っていたからね」
私が夜神に会う必要というものはない。それは、捜査上でもあり、彼との関係上でもある。夜神が人との縁に頓着するとは思えず、何か狙いがあるのかもしれないとさえ思った。私は、九つも年下の青年に、こんなにも恐れを抱いている。いや、彼を年齢でくくるのはよした方が良い。精神力や思慮深さは大人にも引けをとらない。
夜神に会うのは、得策ではない。そう考えて口を噤んだ私に、夜神月や他の皆は何も言わなかった。しかし、意外な事にワタリが口を出した。
「お会いにならないのですか?竜崎」
「夜神の意図が読めない」
一人になった時、ワタリが通信してきたと思えば、こんなことをいう。
「彼は純粋に、貴方の顔が見たいのですよ……いえ、生きていると確認したいのでしょう」
ワタリは何か知っている。夜神とはイギリスでの送り迎えと、日本での送り迎えでしか会っていない。それでも大した会話はないと思っていたし、ワタリも何かあれば報告して来る。今まではただの戯れ事程度だった夜神がほんの少し吐露した会話は、今此処へ来てようやく意味をなしたのだろう。

———竜崎の死顔はとても綺麗で……、ちょっと悲しくなったよ。
ワタリは、夜神の憂いを話した。
私たちが死ぬ夢を見た。まるで子供のような言い訳だけれど、その夢を見た後に不安になる気持ちは人間ならではのものだろう。ましてや、父親が死んだのであれば。
夜神の話では夢の中で死を見た人物は父親、兄、ワタリと私。兄の姿は見ており無事を確認しているがワタリと私には会っていない。そんな理由か、いや、十分な理由かもしれない。
「我々は、夜神の懐に居るのでしょうか」
ワタリはそう言って、これ以上は要求しないとばかりに通信を切った。私たちは、夜神の掌の上ではなく、胸の内に居るとでも言うのか。確かに彼は、人を嫌悪や侮蔑しない。つれない態度の割に人に優しく、自分の身内には甘い。(夜神月に関しては愛情の裏返しというものだろう)
会うと決断するのには随分時間を要した。いや、会わないと結論づけたのに会う方向に至るのに時間がかかったのだが。
これは、ちょっとした賭けだった。
私はまた、深淵を覗こうとしている。そしてその深淵に囚われない様にする為に覚悟が要った。ワタリはほんのりと笑って夜神を迎えにゆき、彼は久しぶりに捜査本部へ足を踏み入れた。

いつもと変わらないやりとりをかわしながらも、私は頭の中で色々と考える。彼の意図、気持ち、喋る言葉の裏。何もかも勘ぐってかかるが、何も見えない。夜神の言葉は全て純粋で、透明だ。
私の姿を確認して、それで終わりにしてあっさり帰るかと思ったが、初めて、彼は私に手を伸ばした。いつも正面に腰掛ける彼が隣に座ったと思えば、脇の下と胸を腕がするりと通り、絡み付いた。優しい力加減と、微かな温度。背中では、息をする音がした。
抱き返されたくないというのは、私を選んだ理由か、背中から抱きついた理由か。おそらくどちらもだ。夜神月であれば、この後すぐに正面から抱きしめるのだろう。私は夜神の言動を見るため、静かにその場に固まった。
ちゃかしてみれば、くすくすと背中で笑う。
黙っていれば、ただ私の鼓動と温度を確かめるように、自らも黙り息をひそめた。
「生きてるね」
声にならない、唇と舌と吐息だけで作り出した言葉を、かろうじて聞き取った。ワタリの言うように、夜神は私の生死を確かめに来たらしい。たかが夢、されど夢ということか。しかし心理学上、知人が死ぬ夢というのには大した重みはないのだ。
夢で見ただけで予知夢かと不安になるような心の弱さを持っていたことを、初めて知る。
「むかしはよく……きょうだいにくっつかれてた」
腕の力が緩み、背中に響いていた声はだんだんと離れて行った。
「脇を固めててさ、両方から喋られるのが好きだったのかも」
「今でも頼めばしてくれるんじゃありませんか?」
「……今じゃ、ちがうから」
俯く横顔をちらりと見た。
饒舌とは言わないが、自分の事を話している夜神は珍しい。今までも何度か夜神家の思い出話を聞いたこともあったが、これは思い出というよりも、追想という言葉が似合う。
「あの頃はたったそれだけのことで、救われてた」
諦めたような眼差しを一瞬だけ見せて、そっと目を瞑った。そして、また開いて、私をその目に映す。真っ黒な闇がとろりと甘さを出した。私が闘っている怪物は、彼なのかもしれない。そしてその怪物と化さぬよう心がけるが、私がこの怪物になることは到底あり得ない。しかし、この怪物を愛してしまいそうだった。
「今では、救われませんか?」
深く考えずに、夜神の腕を引っ張りその体躯を引き寄せ絡めとる。私の膝の上に腰を乗せ、ずるりと倒れ込んで来た夜神。背を向けているため表情は確認できないが、驚いた様子は触れた身体を通して伝わる。衣類越しではなく、素肌に触れたのは初対面以来これが二度目だ。私の手の甲に触れて、組んでいる手を放そうとしている。
「……、いま、本当に抱きしめられたくないんだ……」
その言葉とともに、ひとつぶの滴が掌に落ちて来た。
まさか泣く程嫌だったのかとショックを受けそうになったが、大きく暴れて腕から逃れようとはしなかった。
「……だっ……」
「————、」
腕を緩めかけた。だが、それをすれば彼はこの手を逃れ、一人で泣くのだろう。勿論その方が気兼ねなく泣けるだろうし、すっきりするかもしれない。けれど、私は柄にも無く胸をうたれてしまった。
吐息と、言葉にならない声ばかりだったが、彼はどっと溢れて来た感情に押しつぶされそうになっている。おそらくそれは父親の死と、兄や……わからないが、私たちの身を案じている所為。
身じろぎをして、私の方に身体を預けたと思えば、猫の様に米神を胸板にこすりつけた。すん、と鼻をすすり、顔を隠すよう押し付け、シャツをぎゅっと握った。私には項と細い肩しか見えない。
泣いていた時間は、わずか一分程度だった。赤らんだ鼻と濡れた目の顔を上げて、夜神はぽつりと謝罪した。
「だから抱きしめられたくなかったのに」
泣いてしまったことが、申し訳なくて照れくさかったのだと思う。
笑っているところや怒っているところ、ふざけているところも見ているが、余裕が無く縋りついて来た今日、初めて夜神を人間らしい一面を自分に向けられた。得体の知れない何かが、ようやく人間に分類されて、もうすぐ夜神になろうとしている。けれど、夜神というものを確立させる前に、彼は私に別れを告げた。
「会ってくれてありがとう……身体には気をつけて」
「………………はい」
相変わらず引き際が潔すぎる彼に、何も言わず私は背中を見送った。
何か言いたいことがあったわけではない。知りたいこともなかった。ただ、彼の様子を見て判断材料を増やしたかった。
やはり夜神はキラの意志を持っていそうにない。

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ちょっと勘違い入ってる。
feb-may.2014