01
母は俺をメルと呼んだ。ラテン語の蜂蜜って意味で、ハニーと同じニュアンスだと思う。
詳しくは知らないけど母はラテン系だった。
俺の事を愛してくれたんだと思う。でも、母は弱い人だった。俺が大人びているのも、異常な体質なのも、怖がりながらなんとか理解しようとしてくれていたのを知ってる。怖がっている自分に母親としての自信を失いかけていたことも。
触れようとすると、ぴりっと走る電流。時々、発作みたいに酷くなって家中の機械をショートさせたりしてしまった。母の指先にやけどをさせたこともあった。ごめんねと謝りたかったのに、母が謝るのだ。
シングルマザーで、まだ若い母には頼れるものがいなかった。そして、俺をこんな風に生んでしまったのは自分だと悔やむ。それがどうしても悲しくてたまらなかった。
これは、仕方の無いことなんだと、俺はどこか諦めていた。母は諦めないでくれていた。
「さわらないで」
やけどしても、痛いって思っても、怖くても、何度も差し伸べられた手。きっと母はこう言いたかっただろう。でも、我慢して来たんだと思う。だから代わりに俺が言った。
俺に触れる直前に、指をきゅっと握って触れるのを止めた母。泣きそうな顔をしていた。
「いたいのだめ」
「メル……」
母は俺への恐れをひた隠しにしていた。でも、それを知られているということを、今この瞬間知ってしまった。そんなに辛いなら、捨てて良い。俺は平気だから。家族だと俺を大事にしてくれた母を、俺も大事にしたいから。
俺をメルと呼んだあなたのことを、俺も愛しているから。
俺は二歳で捨てられた。正確に言うと、捨てさせた。
俺を生んでくれた母に辛い想いをさせたくなかったから。俺が放出した電気の青白い光を浴びて、蒼白になった母の顔を見たくなかったから。
温かいショールを巻かれ、母は最後にぎゅっと俺を抱きしめた。そのときは電気も出なかった。
よかった、傷つけなくて。
とろりと涙がこぼれる。
母はもっと泣いていた。
俺たちは一緒に居たらきっと駄目になってしまうから、さよならも言わずに別れた。
母の出せる限りの金銭と、手紙をもって、孤児院の戸を叩いた。
孤児院の大人はドアを開けて、ちょこんと佇む二歳児を見て驚いてから表情を歪めた。失望と、同情と、隠しきれていない嫌悪感。子供に見せるべき顔ではない。
この孤児院はハズレだな、と思ったけれど、どこでもいいのでここにした。母の手紙には、俺になるべく触れないように、発作を起こしてしまったときは近づかないように、けれど心の優しい子だからできれば愛してあげてほしいと。愛し尽くせなかった母の後悔の滲む手紙だ。一度迎え入れた子供を手放すことは孤児院もできず、俺の処遇には困っていた。仕方なく触れないように、言葉だけで諭された。その方がありがたい。触れないでくれたほうが俺も安心できる。
子供たちにもその話はされているようで、俺は全く誰とも関わらないで過ごした。二歳の子供にそんな仕打ちをと思うかもしれないが、衣食住さえあれば別になんだってよかった。
それでも子供たちは時々言う事を聞かないから、俺に触った。雨の日とか、寝不足な日とか、体調があまり良くないときは触れた子供たちに電気をお見舞いしてしまうので、すっかり嫌われ者になった。心ない子供たちは俺に物を投げつけようとしたけれど、無意識の内に防御して稲妻が走った。投げつけられた物はバチンという音と青白い光に弾かれて地面に叩き付けられる。更に子供たちには嫌われ、怯えられた。
しっかりと、俺に触ると物理的に本気で怪我をするってことを理解させられたので、侮蔑の眼差しと陰口を叩かれても満足だった。子供用の本しかないけれど、読書を邪魔されずに済むくらいに思っていた。
本当に傷つけてしまうより、断然いい。
暇なときは、人差し指と親指でスタンガンを作る。力をコントロールする為にやっていた。ぴりぴり、ぱちぱち、と小さな音がして、稲妻が俺の指と指の間を行き来している。
「綺麗だね」
集中していたから気づかなかったけれど、俺のことを見ていたらしい少年が声をかけて来た。この孤児院に居る問題児のなかでも軍を抜いてる二人組だ。俺もそこそこ厄介だけど、二人も中々厄介だった。なにせ、見えない何かと喋っていたり、手を触れずに物を動かしたり浮かせたりするのだ。
「ユージン、と、オリヴァー」
たしか、そんな名前だったと名前を紡ぐとあたりだよと片方が微笑む。同じ顔してるのに表情が違いすぎて面白い。俺の知っている双子はもっと無邪気で、元気で、子供らしかったから。
二人は俺の隣にやって来る。俺を挟むのではなく、片方の隣に二人で座った。にこにこしている方が俺の隣。
「君は
だよね。それは、生まれつき?」
厄介者と言われている割には捻くれていなくて、人当たりがいい。進んで自己紹介をしてきたほうがユージンで、相変わらず喋ろうとしない方がオリヴァーだそうだ。
興味津々なユージンの問いにこくんと頷く。オリヴァーはユージンの向こうから俺の手をじいっと見ている。
「綺麗って、ありがとう」
最初に話しかけて来た言葉に、俺は素直にお礼を言った。純粋に見ないと、これを綺麗だなんて言えない。一度でも味わえば、この稲妻はただの人を傷つけるものだから。ユージンの心優しい言葉は俺を少しだけ癒してくれた。
愛に飢えている訳ではないけれど、孤独はいくつになっても辛いものだ。
オリヴァーとユージンは、その日を境に俺の傍に近づいてくるようになった。孤児院の問題児三傑が揃えば周りの子供たちは蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなる。
子供として遊ぶのは得意ではないから、二人に寄り添われると戸惑ったけれど、彼らは遊ぼうとはしなかった。時々話しかけて来るだけで、騒がしくはなくて、ちょっと安心した。
本当に六歳児なんだろうか、というくらい賢い。俺も人の事を言えないけれど。
May.2014