harujion

Mel

03
(ナル視点)

初めてをメルと呼んだとき、は呆然としてからぽろぽろと泣いた。
二歳でこの孤児院にきて、少ししてから話すようになって、一年くらい経ってもが泣いた所は見た事が無かったが、メルと一言呼んだだけで、泣いた。
の母はラテン系らしく、可愛い我が子という意味でメルと呼んだ。を生み、育て、愛そうと頑張った肉親だけが呼べる特別な呼び方だったのに、僕が軽々しく口にした。
すまない、と謝るがすんすんと鼻を啜る は返事をしない。
「メルって素敵な呼び方だね。愛されてたんだね……僕もメルって呼んだら、怒る?」
メルと呼んで泣かせてしまったのに、そう呼んで良いか尋ねるジーンの神経に恐れ入ったが、は拒否しなかった。
を子供と称するにはいささか不安だが、子供の扱いはジーンの方がうまい。
「僕たちの弟になってよ」
家族でも愛せなかった自分を、家族ではない者が愛せるのかという純粋な問いにも、ジーンは微笑んだ。家族というくくりに拘るのはなんだか馬鹿らしいけれど、が家族を大事にしていることをわかっているから、僕も同じように頷いた。
このときから、は僕たちの弟になった。


「メル」
四歳になった頃だろうか、僕が呼びかけると微妙な顔をしてメルが振り向いた。
「ナルが言うと、笑えて来る」
全然は笑っていないくせに、メルはそう言った。
「なぜ?」
「ハニーって呼んでるんだよ、俺のこと」
初めて会ったときから大人びているとは思ったが、四歳になれば喋るのがもっと上手になってすっかり子供らしさはなくなった。
隣に居たジーンがごほっと咽せたので、目をやれば笑っている。確かに人の事をハニーと呼ぶような人間ではないけれど、メルは愛称という認識が強いのだからそんな甘やかな気持ちは無い。
「お望みとあらば、ハニーと呼ぼうか?」
からかうようにそう言えば、メルは顔をしかめる。
「メルにして」
「全く……一度許した呼び名に文句をつけるな」
「はあい」
話しかけた内容に至るまでくだらないやりとりをしてしまった。
内容というのは、今度僕たちに会いに来るというマーティン・デイヴィス教授のことだ。ジーンと僕を引き取りたいと申し出て来た。教授は僕のサイコメトリやポルターガイスト、ジーンの霊視などを活かし学べる場を与えてくれると言う。
教授は最初僕とジーンにだけ会うつもりだったが、メルの噂も職員が漏らしたようで、今度会うときはメルもということになったのだ。
「メルのそれはパイロキネシスなのかもしれない」
「はあ」
「でもメルは発火してないよ?」
「だが、身体に帯電された静電気が電磁波となって放射という所までは近い」
「たしかに」
メルには専門知識と興味が無いためぼんやりと聞いているだけだが、ジーンと僕はメルの前で話くりひろげた。
「これから先発火しないとも限らないし、いつまでも人に触れずに過ごすというのは無理だろう」
勿論、触れれば百発百中で電気が走る訳ではないが、傷つけるくらいなら触らないという恐れによってメルは人に触れない。僕たちにも、何があっても触るなと言ってあるのだ。それは、助けるなという意味で、拒絶であり、メルの愛だ。
触れたいという訳ではないが、不便なのは確かだ。メルはもたつくし、転ぶし、動かないのだ。早くしろとせっついたって素直に頷くだけで、素直に行動はしない。何度腕を引っ張ろうとするのを我慢したことか。

数日後、デイヴィス夫妻は孤児院を訪れた。
赤茶色の髪と青い眸のマーティンと、金髪と紫の眸のルエラ。母が日系人の僕たちとは似ても似つかない、生粋のイギリス人だった。プラチナブロンドで灰色の眸をしたメルなら親子に見えなくもないかもしれない。
僕たちの能力を見て、説明をして、家族にならないかと誘いをかけられ頷いた。僕は研究がしたかったし、ジーンとメルもそれに倣った。
イギリスに移住して、孤児院よりは大分快適な生活になった。好きなだけ勉強も出来るし、うるさい子供やうるさい大人はいない。しいていうならジーンはうるさいしメルは手がかかる。
メルの力はやはりパイロキネシスに近いものだった。今後いつ発火を起こすかも分からないため、僕と同様に力を抑える為リンに気功を教わる事になった。
リンは香港出身で、日本人とイギリス人が嫌いらしく面と向かってそう言われた。結構馬鹿だなと感想を漏らして、それ以降はそんな話しはしなかった。リンが僕個人を嫌おうが僕の血筋を嫌おうがでもどうでもいい。
メルに至ってはイギリスも日本の血も入っていない上に小さな子供なので嫌悪感を向けられる事はなかった。
、寝るんじゃありません」
「んえ」
眠そうにうとうとしているメルをリンが嗜める。基本的にメルはやる気が無い。
「メル」
「はあい」
リンの注意を聞いて姿勢を正してもまた眠ろうとするメルを呼べば、しぶしぶと目を擦って返事をした。
「気になっていたのですが」
「なんだ?」
「メルとは?」
あまり自分から話題を振って来ないが、純粋に疑問に思ったようでリンが首を傾げた。
確かに、の愛称としてメルはあり得ない。
「ハニーって意味」
僕が答えるよりも先に、メルが答えた。そしてリンは思わず吹き出した。
だからあまり意味を聞かれたくなかったんだ。僕はそういうニュアンスで呼んでいるわけではないのに。
「失礼しました」
ごほん、と咳払いをしてからリンはもちなおした。
「俺の母が、そう呼んでたの。リンも呼びたかったら呼んでいいよ」
「いえ結構です。……ラテン語、でしたか?」
「うん。ラテン系だったみたい。あんまり知らないけど」
たった二年しか一緒にいなかった母の血筋などメルには分からないだろう。リンもだんだんと神妙な顔つきになってきた。純粋に僕がハニーと呼んでいるのであれば笑い事だが、小さな子供がかつて母に呼ばれた呼び方をされているなら笑えない。本人はドライなのが救いだ。
「そんなに重くならなくてもいいのに」
ため息を吐いて、メルは苦笑した。八歳になったがまだ精神年齢が噛み合ず、大人びている。僕とジーンもおちついていたが、メルのそれは僕たち以上だった。
ただし、難しい事を考えるのは苦手らしく、IQは僕らよりも低い。だからこそ、"大人"なのだと僕は思った。

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May.2014