harujion

Mel

08
(ナル視点)

メルの考えは読めない。
子供の考えは読めないというけれど、メルのそれは子供というよりも複雑怪奇だった。決して浅学ではないのだが馬鹿で、要領が悪くて、動きが遅い。
記憶力は悪くない。教えた事はちゃんと覚えているし、専門知識もきちんと理解できている。しかし興味が無いのか、自分で考えるのが面倒なのか、僕たちの研究に加わることはなかった。唯一興味を示したのはリンの教える陰陽道や呪術のことだが、それも使おうというのではなく知ることが目的らしい。
何がしたいんだアイツは、と思ったがメルに聞いても無駄だ。ジーンや周りの大人たちは好きにさせることが一番だと言ったが、僕にはどうにも解せないことばかりだった。

メルが二歳の時に、本人が大事にしていたショールから記憶を読み取ったことがあるが、それ以来メルにサイコメトリを行った事は無い。触れても流れ込んでくるような感情はないし、読もうと思ったこともない。サイコメトリは危険であり、疲れるものだからそれを抑える為の訓練もした。捜査協力は滅多にしないが時折どうしてもと頼まれて読む事があった。人を殺す記憶、殺される記憶、死ぬ直前の恐怖、犯し嬲る人間の感情、犯される嫌悪感、全て見て、聞いて、感じた。酷いときにはあたかも自分がそうであるかのようだった。
あの日も、酷い記憶をサイコメトリして、気分が優れなかった。世界中の全ての物が汚くて恐ろしくて嫌な物に見えた。眠る事も出来ず朝になり、起きるのが億劫だった。調子が悪いからか無意識にサイコメトリを行ってしまい、余計疲れる。自分の部屋の物だから嫌な記憶ではないが、流れ込んで来る情報に頭がくらくらした。
昼頃になって、ノックとともにメルが入って来た。今日はジーンでさえも放っておいてくれているというのにと、うんざりしながら咎めてもメルは聞かない。普段ジーン程うるさくない割に、完全に放っておいてくれない所はそっくりだ。
「人の心が怖くなった?」
ベッドが軋み、メルが傍に座ったことが分かる。
触るな、と言う間もなく、メルの掌が僕の視界を覆った。少し冷たい、小さくて細い手。
「読める?」
落ち着いた声が僕の鼓膜を震わせる。
視界は真っ暗で、耳に入ってくるのはメルの声だけ。流れ込んで来る思念や記憶は全くない。瞬きをすると、睫毛がメルの掌をくすぐる。
「いや……———読めない」
なぜだと聞くと、は閉心術をしているのだと言った。初めて聞く言葉に眉をひそめる。造語らしく、語源はラテン語の閉じるという意味に近い。つまり心を閉じていると言う。僕たちは、感情を制御する訓練をしたが、サイコメトリが出来ない程までにコントロールするのは容易い事ではない。しかもメルは、十歳にも満たない子供である。
流れ込んで来る記憶はなく、ただ真っ暗な視界とメルの声だけが感じられるので少し余裕ができたが、メルに対する疑問はまた増えた。
自己流だけど、とやり方を教わるが、教わったとしてもこれはすぐにできる物ではないと考えた。ただし今は助かっているので掌を甘んじて受け入れる事にして目を瞑った。
「ナルは読まなければならない立場だから大変だろうけど、覚えておくにこしたことはないね」
メルの手と声が心地良く感じられた。
すっと手が離れたので目を開けばぼんやりと明るい天井が見える。少し眩しくて、何度か瞬きをする。
「ほら、ご飯食べよう」
ずい、と食事の載ったトレイを差し出される。ふわりと温かい湯気と優しい香りがして、空腹を感じた。口にはしないけれど、多分メルが手を当ててくれたお陰なのだろう。
食べる様子をじっと見られていて落ち着かないためメルに言えば、あっさりと部屋を出て行った。あいつは本当にただ食事をとらせるためだけに来たのだろう。パタンと閉まったドアを見て、一息ついた。

僕は聞かれるまで人に自分の事を話さない。けれど、メルは聞いても答えない。僕とジーンはおそらく、一番付き合いが長くメルの事を知っているが、あの小さな身体に抱えている沢山の秘密を知らない。
数多の考え事を、小さな頭の中で広げている。だから喋っていることが支離滅裂だったり、突拍子がなかったりするのだと思う。天使みたいなプラチナブロンドの奥底の世界は、僕には到底わからないものばかりだ。

ジーンと僕の間でだけ使えるテレパシーは、メルには当然使えなかった。
弟と言っても、血のつながりはないし、波長も合わないのは頷ける。しかし、メルが言う閉心術は、おそらくテレパシーも弾いているのではないかと仮説を立てた。周りの誰一人として僕たちの波長に合う者は居なくて、それでも一番僕たちに近いのはメルだ。
遮断せずに実験させてみろと言うと、メルは仕方なさそうに目を瞑った。実験は概ね成功と言っても良い。だが、ジーン程クリアではないので期待以下ではあった。距離が離れすぎているとメルの声は聞こえないし、メルも僕たちの声が段々遠くなると言った。それに、メルは日常的に精神コントロールをしてサイコメトリやテレパシーを拒絶しているようなので上手く使う事は出来ないだろう。
それでも、僕たち以外にも使えるということが分かったのは発見だった。実際にメルと普段使えなくても良いとは思っていた。そもそもメルはゴーストハントもしなければ研究も行っていない。自分の訓練と、リンに勉強を教わっているだけだったのだから。

それなのに、メルが消えた。
僕がサイコメトリもできなければ、ジーンがテレパシーを送る事もできない。
全くの行方知れずになってしまったのだ。


あれは、メルが十歳になったばかりのころだった。メルをつれてゴーストハントに来ていた。本来ならメルは連れて来ないのだが、ルエラが実家に帰っている最中にマーティンが出張になり、ゴーストハントの調査の依頼が入ってしまったのだ。しっかりしているとはいえ、メルを家に置いて行くわけにも行かなかった。
場所はとある一家が所有している別荘。近くには池があり、それを埋め立てる工事をしようとすると事故が起きたりするのだそうだ。来た当初は特になにも現象は起こらなかったが二日目には別荘でポルターガイストが起こり、夕方には池に野うさぎの水死体が上がった。そしてその夜、池の前に設置したビデオカメラのテープを交換しにジーンとメルが行くと、地震に近い大きなポルターガイストが起こった。
「ナル、池の温度が……!」
リンがサーモグラフィを見て報告するのと、メルが転ぶのは同時だった。
『誰か来て!!メルが足を掴まれてるんだ!!』
ジーンはメルの手を掴みながらもカメラに向かって報告した。メルの足は何かに引っ張られるように池に向かってのびている。
「リンも来い!」
他の研究員にモニタを任せ、リンと僕はすぐに外に向かう。

ばしゃん、と何かが水の中に落ちる音がした。ジーンがしきりにメルを呼ぶ。
「手を掴んでたんだけど、メルが電気を流したから、手を……!」
おそらくジーンを巻き込まない為にメルが電気を放ったのだろう。そして、溺れて制御ができなくなったのか、池が青白く光り帯電している。水に触れたら感電するだろう。リンがすぐに式を使ってメルの足を掴んでいると思われるものを退けたが、メルは手の届かない所にいて、まだ藻掻いている。気絶するのを待つしか無い。
「メル!」
「よせ、ジーン!」
静止をかけたが、ジーンは構わずに池に近づいて、水に触れる。
「!!!」
おそらく感電したのだろう、声にならない悲鳴をあげた。ここでジーンに触れればきっと感電する。メルが気を失うのが先か、ジーンが感電死するのが先か。
「ジー……!」
青白い光に包まれたメルが、絶望の淵に落とされたような顔をした。おそらく、ジーンが見えたのだろう。
メルはぎゅっと目を瞑り、藻掻く身体を抱きしめ、水にもぐった。青白い光は一瞬で消え、メルの姿はどこにもなかった。ただ真っ暗闇な水面だけが激しく波打ち、月光をゆらゆらと反射していた。

ジーンは幸い気絶していただけで、朝には目を覚ました。起きるなり涙を零し、自分を責めた。
メルの映像を解析した結果、メルは水中に潜ったあと、沈んでは行かずに急に姿を消していた。

「……どういうことだ、メル」

ぽつりと尋ねても、メルはどうせ返事をしない。
この場にいても、いなくても。

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June.2014