harujion

Mel

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(生徒視点)

初めて東條さんを見たのは、入学式。入試一位だったらしく新入生代表の挨拶をしていた。
淀みなく発せられる上辺だけの祝辞で、涼やかな落ち着いた声が耳をすり抜けて行く。人と並ぶと非常に小柄で華奢だけど、姿勢がよく堂々としている所は大人みたいに見えた。

入学式後の教室では、東條さんはゴム手袋を着用していた。手術用の、手首まである短いぴっちりとした手袋。
簡単な説明だけで解散になるところだったが、帰り際に東條さんは担任に呼び止められ、職員室へ連れて行かれた。僕たちはその背中に憐憫の眼差しを向けた。
しかし次の日も、東條さんは堂々と手袋をして来た。担任の先生は何も言わない。つまり、学校の許可を得たということだ。
彼が職員室へ連れて行かれた際に、上級生の先輩が職員室に居たらしく、その時されたやり取りは僕たちに噂として舞い込んで来た。さすがに校長室へ連れて行かれた後の話は知らないけれど、彼は成績優秀者だから許されたのだろうと皆言っている。
東條さんは愛想がなくて、無駄に口を開かない。それから、ちょっと日本人離れした顔立ちをしているので、皆も話しかけ辛い。だから遠巻きにされている事が多いのだけど、それにはもう一つ理由があった。
東條さんは、この学校で一番厄介で面倒な生活指導の松山先生が顧問を務める風紀委員に所属しているのである。最初のうちは監視下に置かれていると思ったが、さすがゴム手袋着用を認めさせただけあって、松山先生にもうまく立ち回っていた。媚を売るような愛想はないが、風紀委員として僕たち生徒の模範となり……手袋してるけど……、率先的に取り締まることで信用を得ていた。東條さんに制服や髪を注意されたり、無駄な持ち物を没収されたりするので、同じクラスの僕たちは休み時間の教室でも気が抜けない。

ある日休み時間に、誰かの携帯電話がピリリと音を立てた。登下校中の防犯や緊急時の為、持ち込みの禁止はされていないが学校内では電源を切っておく決まりとなっている。実際本当に電源を切っている生徒は少ないが、決して音をならないようにはしている。教師が居るときに鳴れば没収である。もし名乗り出なければ荷物検査が始まり電源を切っていなかった全ての生徒が没収。そして一週間は戻って来ないのだ。
今は幸い教師は居ない、しかし、東條さんが席に座って頬杖をついていた。顔を隠しもせずにただ目を瞑っている。眠っているのか起きているのか分からない。起きていればおそらくこの携帯電話の音は彼の耳にも入っている。

以前授業中に携帯を鳴らした生徒がいて、教師が一瞬で機嫌を急降下させた。
「今鳴らした者は名乗り出なさい」
教師が口を開く前に、東條さんが席を立った。まるで学校の先生みたいなもの言いだ。
音のする方を見て言ったので、本人はすぐに手を挙げた。
「鈴木か!授業を中断させるとはけしからん。没収だ没収!」
「す、すみません」
鈴木と分かるなり怒鳴る教師に、皆心の中でため息を吐く。
「先生、自分が預かります。どうせ風紀委員の管轄ですから」
不愉快な怒鳴り声を遮るように、落ち着いた喋り方の東條さんが口を開いた。
没収した携帯は風紀委員が管理をしており、彼らのミーティングルームともいえる第三教室で保管されているらしい。だからこそ教師は東條さんの言葉に頷いて、鈴木の携帯を東條さんに渡した。
そして東條さんはそれを制服のポケットにしまうと、鈴木を一瞥し、次は無いと宣言する。
本来は一週間で返してくれるが、次やったら携帯を返さないという意味だと僕たちは思った。鈴木は怯えた声ではいと呟いた。同学年に敬語を使われ、さん付けで呼ばれる所以は、こんな出来事から培われて行った。

つまり、今回も聞こえていれば彼は席を立ち携帯を没収しにかかる。携帯が鳴り止み、しんとしてしまった教室内にいた生徒の視線がゆっくり、おそるおそる、東條さんに向かう。
東條さんはぴくりともせずに目を瞑ったまま、ただ呼吸をする。寝ているのかとほっとした瞬間、始業の鐘が鳴る。すると瞑られていた眸はぱちりと開いて、すぐに授業の準備に取りかかった。
寝ていなかったんだと思ったが、東條さんは携帯電話のことを気にした様子は無い。では、やはり寝ていたのか。見逃すなんてこと、する筈が無いと思った。でも、あの時は先生が居たからやったのかもしれない。
僕はあまり注意をされた事がないので分からなかった。

「東條さんさ、多分聞こえてたと思う」
「え?」
鈴木とは同じ部活だったので、部室へ向かう途中に零れた声に耳を貸す。
「無視してくれてたんだろうなあ」
「そうなの?鈴木は没収されたじゃん」
「俺のはさー、……放課後には帰って来たんだよね」
「え!」
「言うなよ?東條さんにも口止めされてるし次は無いって約束なんだから」
あのときの言葉はそう言う意味だったのかとこっそり納得する。
「助かったけど……、まあ先生の前でだけ良い格好するのかよとか思ったよ」
「ふうん」
「でもそれって普通のことかなーとか、東條さん根は普通の人かなーとか」
「あー」
「なんだろうな、あの人、分かんないんだよ」
鈴木はぐだぐだ考え事みたいに呟いて、結局分からないと締めくくった。その話を聞いて、僕もやっぱり東條さんは分からない人だと思った。一度触れただけじゃ人の事なんて分からない事は当然だから、仕方の無い事だ。
知りたいと思う気持ちと、近づいてはならない気がするという気持ちがせめぎあった。
結局僕はあまり会話する事無く、クラスが変わってしまったけれど。


いつからか東條さんは登下校中必ずマスクをするようになった。毎日見ているわけではないから分からないけど少なくとも一年の時はしてなかった。
授業や朝会や行事ではマスクは外しているけれど、校門前で取締をする時や放課後の見回り、休み時間の教室移動中なんかは必ずマスクをしていた。潔癖性で手袋をしているのだから、マスクも当たり前だと思った。一年の頃にしていなかったのは一応我慢していたのか、それとも最近悪化したのか、といった所だ。

上級生は後輩たちに、松山に関しては自分が大人になってやることとセットで"松山の犬"である東條さんには逆らうなという話をする。
入学時より身長は伸びているけどまだ全然小柄で、相変わらず華奢で色白だから強そうにはみえない。しかしぱっと見は結構怪しい。なにせ、手術用のゴム手袋と顔半分を隠すマスクである。表情が見え辛いし声も聞こえづらいし、手袋は少し怖い。しかも、同級生はおろか上級生までも東條さんと呼んでいることも相まって、彼に逆らう生徒は僕の知る範囲では居なかった。
孤高な人となりつつあるが、風紀委員とはそれなりに会話をするのだろうかと思い、同じクラスの風紀委員である岡井さんに聞いてみた。彼女は去年も風紀委員だったから、きっと東條さんのことは他の人より詳しいだろう。
「東條さんってどんな人なの?」
岡井さんは訝しげに僕を見て、一考してからおずおずと口を開いた。
「東條さんは……あんまり教えたくない人、かな?」
困ったように笑う。
僕にはそれがどういう意味なのか分からなかったし、彼女も教えたくない人と言っている通り、東條さんの事を話したくないらしく会話を切り上げられてしまった。

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June.2014