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松山は嫌な男だった。
ナルも充分性格が悪いが、人のことを貶めて喜ぶような奴ではない。
校長室から出たあと松山には散々馬鹿にされた。潔癖性のことは許してやるが、それ以外で逆らう事は許さないという話をぐだぐだと続ける。俺が孤児であり長期休暇中などにバイトをする事は許可をとっていたが、それに関しても松山はほりさげて、親の居ない子供というレッテルを貼って散々俺を未熟者扱いをした。煩くて不愉快だが、豚が啼いている程度にしか認識しないようにした。
「先生のおっしゃる通り、自分は未熟者ゆえ、ご指導よろしくお願いします」
恭しく言ってやればふんと鼻をならし、わかってるじゃないかと呟いて去って行った。
松山の背中に中指を立てようと思ったがその動作すら無駄に思えて、俺は教室へ戻った。既に生徒は下校しておりからっぽの教室にある自分の新品の指定鞄を持って家に帰った。
それからも、松山の嫌味はちくちくと俺を刺し続けた。相変わらず良く啼く豚だなあと聞き流す。こっちが大人になってやらないと駄目なんだと早々に悟った。
風紀委員に無理矢理入れられて、松山と接する機会は多くうんざりしたけれど、逆にこいつにだけ文句を言われていれば他の先生や生徒たちが何かを言ってくることもないし遠巻きにしてくれるので楽かもしれない。
友達を作るのは嫌いではないし、そこまで冷めているわけでもないが、今の体質があるとどうも億劫になる。俺の癒しは休みの日に訪れる教会の子供たちだけだ。
つまり学校ではほとんど孤立状態で、一番のお友達は松山というなんとも言えない立場に居るのである。積極的に生徒の管理とやらに協力し、筆頭となって従えば単純な松山は気を良くして少し俺を信じ始めた。しかし松山は俺を生徒とも人間とも思っていないので、甘くなることはなかった。強いて言うなら生徒を追いたてる、牧畜犬といった所か。
影では"松山の犬"だなんて渾名がついている事も知ってる。
こんな学校に入学させた中学の先生も、入学してしまった自分も、馬鹿だった。
神父様も黒木先生も山崎先生も、俺に年相応の青春を送って欲しくて高校入学を勧めてくれたのに、なんだか申し訳ない気持ちで一杯だ。まあ、俺は俺なりに楽しく生きているつもりだし、充分楽しい人生を送って来た記憶もあるので、三年間この学校で過ごす事は、社会に出て二十年働くことよりは楽だと思うことにした。それよりも、一度きりの人生の、輝かしく濃密であるべき三年間を、学校という名の家畜小屋に捧げる他の生徒たちの方が可哀相に思えて仕方がない。学校を変えてやるなんて大それた事はできないが、生徒を影から助けられるようには手を回す。これは風紀委員の特権ともいえるかもしれない。
二年生になってクラスが変わっても、俺は絶対に風紀委員になることを約束されている。委員会に顔を出せば、去年も風紀委員だった生徒が数人居た。
「東條さん、俺今年も風紀委員になったんだよ」
去年二年生だった、今の三年生である先輩も、俺の事を東條さんと呼ぶ。風紀委員は俺が居るって分かってるので他のクラスでもこの委員会に入りたいという人は早々居ないと思い、先輩にからかうように視線を向けた。
「押し付けられたんじゃないんですか?」
「風紀委員を知らない生徒たちは風紀委員になりたがらないですね」
うんうん、ともう一人去年も居た同級生が頷く。
「せっかく去年で東條さんに慣れたしな」
はは、と皆が笑うので俺も少し笑った。まあ入りたがらない生徒を入れるよりも慣れた生徒が来てくれた方が俺も嬉しい。だが結局は全員が全員元のメンバーでもないので、ぎくしゃくはする。俺の噂のせいだけど、生徒の口に戸を立てられないので仕方が無い。
放課後の見回りの際に、ペアを組んでまわる事になった一年生は緊張して身体が震えていた。俺の誇張された武勇伝の数々を聞いてしまったんだろうなとこっそりため息を吐く。しかし、誤解を解くのは大変面倒なのでやりづらい相手と一緒に放課後の校舎を一周する時間は、いつもより長く感じた。次からの見回りは去年も同じ委員会だった人に替えてもらおうと思う。
長期休暇がくると、俺は短期のバイトを入れている。今回は避暑地のホテルでウェイターの仕事。ある日、女性スタッフたちの間で、美少年が泊まりに来ていると噂になった。603号室の人、あの人、美少年、といろんな呼ばれ方をしているその人の名前は、顧客データを管理している時に知った。ユージン・デイヴィスという名前には見覚えがありすぎる。一瞬俺が日本に居ることが、ナルのサイコメトリでバレたのかと思った。だが、それならナルも一緒に来ているはずだ。ジーンだけが来ているということは、ジーンに依頼だろう。
あれから丸二年が経ち少し成長していることと、黒髪なことで見た限りでは分からない可能性があるが、なるべくジーンの前に出ないように心がけた。
ある日ジーンが出かけて、数十分したとき、強いテレパシーが俺に送られて来た。手を触れているわけでも、ジーンのものを身につけているわけでもないのに。
俺とジーンのホットラインは微弱なもののはずだった。しかも、閉心術を常に行っている為、意識しないと繋げる事が出来ない程。あれから離れて暮らしているのだからつながりが薄れていると思ったけれど、ジーンが今強く思っているから届いたのかもしれない。見えたビジョンは、交通事故。
痛みは無い。でも音が聞こえて、頭の中ではしっかりと見えて、車にはねられたことが分かった。視界もぐらりと揺れて、休憩室がぐにゃりと歪む。
ジーンが車に轢かれたんだ、と考えるより先に、ジーンの元へ向かってた。
道路に尻餅をついて、後ろに手をつけば人の身体、多分ジーンだ。目の前には迫り来る車。ジーンに覆いかぶさってこの場所から飛んで車を回避した。反射で動いていたからか、体中の血液が沸騰しているように熱く震える。
メル、と頭の中にジーンの声が響く。いつもよりも閉心術を強固にして、その声を突っぱねた。ジーンの言葉に応えることは出来ない。
でも、助けるから。
蜂蜜色のショールとジーンだけを掴み、俺の知っている近隣の病院まで瞬間移動した。人と一緒に移動するのは結構体力を使うので息が切れる。
救急搬送口にジーンを寝かせて、ドアを叩けばすぐに対応してくれた。事情を説明すれば、たちまち数人が外に出て来てジーンを取り囲む。俺はこっそり、ショールとともに消えた。
事故現場に戻れば、車は路肩に停まって居り、女性が当たり周辺をきょろきょろと探している。急に人が現れ、消えたのだから当たり前だろう。
二度も轢いて殺そうとした女に少し腹が立って、ちょっと痛いくらいの電流を流して気絶させた。俺は、女を乗せた車ごと病院へ飛ばして、病院の窓口に行き通報を頼む。女が失神してしまったことだけを告げて、今度こそ俺はホテルの休憩室へ戻った。
人や車を連れて何度も往復するのが本当にしんどかった。休憩時間は残り五分しか無かったので急いで少し血がついたシャツを着替えて、疲れた身体に鞭打ってまた仕事をして、風呂も入らずに眠った。ジーンの所へ行こうかと思ったけれど、体力が底をつきていたのでこれ以上力をつかったら気絶してしまって俺の身元がジーンにバレるかもしれないので止めた。
二日後、警察がホテルにやってきて、ジーンの荷物を撤収していった。おそらくジーンが目を覚ましてこのホテルにあると答えたのだろう。社員の人々も、話題の美少年が数日姿をくらましていたことや、事故に遭って入院していると噂していた。
一週間後ジーンがホテルに戻る事無く、俺のバイトは終了した。そして、蜂蜜色のショールを持って千葉に帰った。
ジーンはあの時、完全に意識を失っては居なかった。なるべく顔を向けないように抱きしめていたけれど、俺が瞬間移動したときにもし意識があったのだとすれば、俺の正体に気づくだろう。ぱっと見は黒髪なので分からないだろうけれど、宛てにはならない。それに、このビジョンが俺に届いたということは遠く離れたナルにも届いたかもしれない。ナルはジーンよりも疑り深いし、記憶を冷静に分析できる立場だから、違和感に気づく可能性は高い。
加害者も、気絶した状態で病院に連れて来ているし、病院の人たちには俺の顔は割れているので危うい。
これで、日本に居ることがバレたかもしれない。
俺のショールを持っていたということは、おそらく俺を探しているのだろう。嬉しいような、辛いような、微妙な気持ちだ。俺はまだ自分の事を許しきれていない。ジーンの命を助けても、次に奪うのは俺なのかもしれないのだ。
見つからないようにするためと言っては聞こえが良いけれど、あまり顔を見られないようにマスクをして行動した。日本に居ることが知られれば、まず捜索願を出すだろう。俺がこの国に来たときの捜索願は黒木先生が取りやめてくれて二年が経っているので、すぐに俺と一致はしないだろうけれど、顔を出して世間に出るのが億劫だった。十歳の写真しかないとはいえ、まだ俺は十二歳である。よく見れば気づかれてしまう可能性が高い。
幸い学校では潔癖性で手袋の使用許可を得ているので、教師たちは口を出さなかった。松山に関しては一悶着あって、時々思い出したかの用にマスクの話をされるけれど、授業や行事の最中はしていないので、文句を言う機会はあまりなかった。
June.2014