15
(ジーン視点)
メルが消えてから、丸二年が経った。その間に僕たちは成長して、実験や研究をたくさんした。ナルは博士号も取ってデイヴィス博士なんて言われるようになった。
三年目の夏、僕は一人で日本に行った。調査の依頼があったのと、古いスタイルの霊媒に会いに行くためだった。メルのショールを持って行ったのは、サイキッカー寄りの霊媒であれば何か手がかりがつかめるかもしれないから。
メルが消えた後のサイコメトリ以来、ナルは何も読めなかった。日常的に閉心術をしているのか、ショックで心を閉ざしたのか、分からない。ホットラインを送り続けても、メルが応えてくれなければ僕らには気づけない。もともとメルとのつながりはナルよりも弱く、曖昧なものだった。近くに居なければ声は聞こえない程のそれ。
事故に遭った時、ふわりと視界にメルのショールが移った。
(メル、メル、僕は君を見つけてあげたかった)
女らしき人が車を降りてきて、僕をみて狼狽える。
(メル、ごめんね)
女は車に戻って行き、後ろから音が近づいて来る。まるで、もう一度僕を轢こうとしているみたい。
(死んじゃう……僕、死んじゃうよ、———助けて、メル)
その時、ふわりと何かが覆い被さって、僕のかすんだ視界はぐるりとまわる。内臓が混ぜられるような感覚に吐き気がした。もしかして内臓破裂しているのだろうか。
思っていた衝撃はこなかったけれど、酷く気持ち悪くて、意識を失いそうだった。荒い息が聞こえて、これは僕の息ではないことが分かる。僕の息とは少しずれているから。
ぎゅっと抱きしめられて、僕は薄くて狭い肩に額を預けて、シャツに顔を埋めて息を吸う。なんだか、新品の衣類の香りがする。
一度強く肩を抱かれて、また内臓がぐるんとまわった。ようやく地面に横たえられて、呼吸が少し楽になる。
ぼんやりと目を開ければ、何かの施設の入り口が見える。そして、僕から離れて行く人物の後ろ姿。白いシャツと黒いベストとスラックス、黒髪をみて、メルじゃないと落胆する自分が居た。
そして、僕はどうやら二度も轢かれずに済んで、病院に連れて来てもらえたようだと分かると、意識を手放した。
目を覚ませば、ベッドに居た。事故現場から少し離れた所にあった病院らしい。
医師の話では、目撃者と加害者が車で直接運んで来たらしいけれど、加害者は病院に着くなり気絶していた上に目を覚ました後も、病院へ来た記憶も曖昧だった。一緒に来たらしい目撃者は治療と通報を頼むと姿を消したらしく、どこのだれかは分からないそうだった。
加害者も僕も、どちらも病院へ来た記憶が飛んでいるけれど、事故のショックだということで処理された。
僕の怪我は打撲や骨折、頭を強く打ったので出血があったけれど内臓や脳への損傷は無く検査と一週間の入院で済んだ。退院日にはまどかとナルが迎えに来てくれて、僕はようやくメルのショールを失くした事に気づいた。
警察や加害者、近隣の住民もそんなショールは見ていないと言うことで、八方ふさがりだった。もしかしたら目撃者は見ているかもしれないが、その人は行方知れずである。病院に運び通報まですれば用は無いと思ったのかもしれない。
「目撃者を見た人物はいらっしゃいませんか」
メルを探す唯一の手がかりを失くしたくはない。病院の関係者にナルが聞く。
「私が対応しました」
「どんな人でしたか、何か言ってませんでしたか?」
「顔までは覚えてないんですが……」
「構いません」
救急搬送口で対応してくれたらしい看護師に話を聞く事ができた。
「ウェイターみたいな格好をしてたから、多分仕事中だったんだと思います」
「なるほど。どこの制服だかわかりますか?」
「いえ、その、白と黒の普通のやつだったのでどこだかは」
「背丈や特徴なんかはありましたか?」
「そんなに身長は高くなかったと思います、私と同じくらいか少し低いくらい。細身でした」
彼女の背丈は160センチ程なので、男性にしては小柄だ。年頃は十代、働いている所を見ると十六歳以上だろう。
このあたりは観光地となっているが、ウェイターのような格好をするカフェなどはほぼ無いという。つまり、思い当たるのはホテルであり、僕が宿泊していたホテルも、そんな格好をしたウェイターがいた。
ナルと一緒に自分が泊まったホテルに行くと、ゴミ箱に血のついたシャツが捨てられていたらしい。そんなに血まみれというわけではなかったので、大した疑問も無く廃棄してしまったらしく、そのシャツは手に入らない。しかし日付的には僕の事故の日と近いと思われる。
心当たりのある社員は居ないということは、おそらく短期バイトの誰か。履歴書を見せてもらえないかと言ったところ、バイト終了時に返却していると言われて肩を落とす。連絡先も控えておらず、結局調査はこれ以上進まなかった。
ビザの関係で一度戻らなくてはならない為、仕方なくイギリスへ帰る事になった。けれど、ショールを諦めるのがいやで、僕はナルに日本に長期滞在したくて頼みに行くと、ナルも同意見だったらしく僕は驚いた。
ナルはメルのサイコメトリが出来ない以上帰って来る気がないのだと諦めていた。そして帰ってきたくなったらふらふら帰って来るとまで言っていたのだ。
「僕はジーンが事故に遭ったビジョンを見た」
「そうなんだ」
服を借りようとしたところを、同調したらしい。
「二度目に轢かれそうになった時、音は本当に近くまで迫っていた。そして、一瞬にして景色は変わった。これはたとえジーンの意識が朦朧としていようと、何かしら動作が見えるはずだ」
「うん」
「それに、ジーンが事故に遭った時、周りには誰もいなかった筈だ。でなければ加害者も轢き直して殺そうなんて思わない」
「そうだ……あの時は本当にまわりに人なんて居なかった。でも、見えない所に居たのかもしれない」
だとしても、助けるには姿を現さなければならないし、走ってくるにせよ飛び込んでくるにせよ、何も分からないままというのもおかしい。
僕は意識の意識が曖昧だったからかと思っていたけど、やっぱりナルからみても急に景色が変わった様子はおかしいものらしい。加害者や車も病院に来ていたので車で運ばれたと言われれば納得するしかないが、僕たちはどうしてもそれが信じられないのだ。車に乗せられた感触も、走っていた感覚もしない。事故に遭った正確な時間はわからないけれど、病院に運ばれたのは早すぎる。憶測で発言するのは嫌いだからナルはこれ以上説明をしてくれなかったけれど、僕を助けてくれた人物はサイキッカーだったのかもしれない。それも、僕を運んでしまえるほどに強力な。
ナルはもともと去る者は追わないタイプだ。でも、メルを認めていたし、居ないことを喜んでいるわけではない。メルを認めているからこそ、どこかで生きて、自分で帰って来られると思っているんだと思う。でもメルはナルに似て頑固だし、僕を傷つけて死なせそうになった以上自分から帰ってくる事は無いだろう。
ナルの理由はどうであれ、僕はメルの手がかりをやすやすと手放す訳には行かないのだ。
June.2014