17
夏の終わりから、三年生は委員会活動に参加しなくなる。それは受験が控えているからであり、至極当然な事だった。繰り上がり式に俺たち二年生が委員会を執り行うことになるのだが、風紀委員に関しては一年生の終わり頃から俺がほぼ取り仕切っているので委員会活動の人数が減った程度にしか感じられない。
ジーンを助けてからマスクつけるようになって、ますますまわりには気味悪がられた。顔の半分が見えない、手術用の手袋をした変人というわけである。
学年一位をとり続け、生徒を表立って取り締まり、松山に一番近い生徒の俺に逆らう生徒は居なかった。逆らう、といっても俺は命令なんてしないけど。
ゴールデンウィークがあけた頃、放課後の見回り中に一年の教室から松山の怒鳴り声が聞こえた。可哀相な一年生。関東でも有数の進学校で、有名大学に行く生徒や、著名人も排出している。入学したときはきっとわくわくしていただろう。そしたら、これだ。
この学校で一番最低な松山に、入学早々目を付けられてしまった可哀相な子の様子を見に、俺は教室へ入る事にした。
「松山先生?」
「なんだ、お前か」
何かを床に叩き付けた音の後、教室に顔を出し松山の後ろ姿に呼びかける。
「どうされたんですか、ものすごい音がしましたけど」
松山は苛立ちを隠さず、学校に関係ない物を持って来た生徒を管理しているのだと声を荒らげる
「……ああ、こんな本を持って来て。学校には関係ありませんね」
ゆっくりと歩み寄り、机の上に叩き付けられた、少し重い装丁をされた本を拾い上げる。
それはどうやら、呪術の専門書のようだった。リンにも似たようなものを読ませてもらった覚えがあった。もちろん日本語ではなかったけれど。
「自分が没収してもよろしいですか?統計を取っているので記録もしたいですし……先生のお手を煩わせる必要はありませんから」
「統計?ああ……構わん、記録したら捨てておけ」
毎日毎日、こんなに人を威圧して、苛々して、さぞ精神衛生が悪いのだろう。
俺も深く、うんざりとしたため息を吐く。
これは松山に向けてだけど、新入生にしてみれば自分に向けられたものだと思うだろう。
「先生は大変お忙しい身です、気をつけなさい……ねえ?」
一年生は萎縮したように縮こまり、俯く。松山を恭しく見上げると、ふんと鼻をならした。
「名前は?」
「さ、坂内です」
松山を一瞥してから、一年生に視線を合わせる。
坂内の、松山に開かれたのであろう鞄を掴み、自分の肩に掛けた。
「先生の貴重なお時間を取らせて申し訳ありませんでした。坂内、来なさい」
「、はい」
連れ出す事には成功したけれど廊下で返すのも憚れるので、風紀委員室とも言われてる第三教室へ足を運ぶ。斜め後ろをおずおずとついて来る坂内は一言も喋らないので、俺も特に声はかけなかった。
俺はイギリスでもっと装丁の甘いタイプを読んだけれど、これは大きくて綺麗な装丁をされているので三千円するらしい。裏表紙を眺めてから、パラパラとめくった。
一年生の教室からは少し第三教室が遠く、無言で歩く時間は長かった。俺が長いと思った以上に、坂内はもっと長く感じたのだろう。なんだか可哀相な事をしてしまった気がするが、松山に捨てられるよりはマシなのだと思っていただきたい。
「入って」
「し、失礼します」
緊張がほぐれるような事をしてやった訳ではないので、当然ガッチガチに固まったまま坂内は教室へ足を踏み入れる。今日は委員会がある訳ではないので風紀委員は居ない。見回りも強化週間だけで、いつも放課後ふらついているのは俺くらいだ。
部活動をする生徒の声がほんのりと聞こえる以外、誰の話し声や物音もしない、とても静かな教室。
「はい」
「え」
机に腰掛け、坂内に鞄と本を返却すると、目をまんまるにしながら受け取った。
「もう見つからないようにしなさい」
喋りづらいのでマスクを指先に引っ掛けて口を出す。
おろおろして、鞄と本をぎゅうっと力一杯抱きしめている坂内は俺よりも背が高いので見上げる形になった。
「なん、で」
「授業に関係ないのは事実だけど、人の本を勝手に捨てる程、落ちぶれてない」
ゆっくり、坂内は安堵の息を吐いた。高校一年生が三千円の本を買うのはさぞ大変だろう。そんなものを捨ててようとするなんて、松山には人間界の通貨が分からないらしい。
「それに俺は、人の将来の夢を嗤ったりなんかしないよ」
教師陣が以前こぞって吊るし上げた、将来の夢がゴーストハンターだという新入生は、きっと坂内だったのだろう。
「厳しい事をいうけど、その本はもう学校に持って来ない方が良い。次に見つかったら目の前で破り捨てられる」
人と違うことをすると、目をつけられるのがこの学校だ。個性なんてもものはない。
同志を見つけたいと思って本を持って来たのかもしれないが、この学校では諦めた方が良いのだ。
坂内は、頭を下げて、お礼を言う。
「気をつけてね」
俺は再びマスクを口に戻し、坂内を見送った。
July.2014