18
(坂内視点)
僕の将来の夢は、ゴーストハンターになること。
超心理学などの、いわゆるオカルト分野が小さな頃から好きだったけれど、僕には才能というものがなかった。けれど、ゴーストハンターは調査を行う物であり、サイキックやESPを持っていなくてもなれるものだった。その職業を知った時、僕はとても嬉しかったんだ。
ゴーストハンターになるには、勉強することが大事だと思って真剣に学業にとりくんだ。お陰で、県内でも一番と言われる進学校に合格する事が出来た。両親も喜んでくれたし、僕の夢への第一歩に繋がったと思った。
ところが、僕の将来の夢は教師たちにこぞって叩かれた。ゴーストハンターという職業をろくに知りもせず、罵られ、クズだと言われる。
胸がひどく締め付けられた。
筆頭となって僕を吊るし上げている松山は生活指導の先生、この学校でも悪名高い嫌な奴なのだそうだ。教えてくれたのは美術部の先輩だった。
松山の話と同時に松山の犬と言われる風紀委員長の話も聞いた。
委員長は、潔癖性らしくマスクと手術用の手袋をしているので、僕も見た事がある。マスクならまだしも、手袋を付けている事には驚いた。けれど、あれは許しを得て付けているらしい。
彼は、校長や松山の言う事を聞く忠犬であり、僕たち生徒を取り締まる番犬。入試のときから今までずっと学年一位に君臨し、緑陵高校の名を上げる存在として教師からは信頼されている。委員長に逆らうと松山にすぐ話が行くという噂なので、誰も彼には逆らえない。
そんな話をされても、もう遅い。僕は松山に会ってしまった。
僕をもうターゲットとして見ているに違いない。
ゴールデンウィークがあけたある日の放課後、日直の仕事で残っていた僕は運悪く松山に見つかった。何故こんな時間まで残っているのかと聞かれて素直に日直だと答えても、僕を責める理由を見つけたいのか解放してくれない。
その日、部活の友人たちに見せようと思って持って来た、呪術の本を鞄に入れていた。いきなり荷物検査が始まり、乱暴に鞄を開かれて、とうとうその本は見つかった。その本を見つけ、うんざりしたような顔をして松山は机に叩き付けてみせた。
ばん、と大きな音。
これからまた罵倒の数々が降り注ぐのだろう。
「松山先生?」
すると、そこにくぐもった声が入る。
うわ、嫌な奴が増えた。
「なんだ、お前か」
委員長が、教室にゆっくりと入って来る。大きな音がしたものだから、とそっけなく丁寧に説明する委員長に、松山は荒々しい口調で僕のことを説明する。
呆れたようなため息と共に、ゴム手袋をした細くて小振りな手がのびて来て、僕の本を拾い上げた。
「学校には関係ありませんね」
そんなことは僕だって分かってる。でも、部活のときに友達に少し見せてあげたかったんだ。授業中に勝手に読んでる訳じゃない。
これで完璧に、嫌な奴に目をつけられてしまった。ため息を吐いている間に、没収先が松山から委員長に変わる。どちらにせよ、同じことだと肩を落とした。
「名前は?」
松山には仕事があるのだから、なんて言っているが僕を貶めるのがあいつの趣味であり、勝手にやったことだ。ふん、と鼻をならす松山が憎たらしくてしょうがない。先輩たちには、こちらが大人になってやらないと駄目だといわれているので、なんとか怒りを抑える。
噂を聞く限り松山より委員長の方が怖いのだ。松山は怒鳴り散らし、人を馬鹿にし、僕たちを管理しようとしている。委員長は静かで、淡々として、大きなことや間違った事は言わないからこそ、心にダメージを負うと先輩たちはいっていた。僕が学校に関係のない本を持って来たのは確かだから、これから先が怖くてしょうがない。
名前を答えると、委員長は一度マスクの中で確かめるように小さく僕の名前を紡いだ。
「先生の貴重なお時間を取らせて申し訳ありませんでした」
松山に頭を下げ、すぐに僕の鞄と本を持って、踵を返す委員長。
「坂内、来なさい」
くぐもっている声で、僕を一瞥してから促したので、教室を出て廊下を歩く委員長を慌てて追いかけた。松山と委員長のタッグは解消されたけど、結局捕まっていることには変わりない。
あの本、高かったんだ。他の気になる本を我慢して買った新しい本で、まだ一度しか読んでないのに捨てられてしまうんだ。松山はどうして勝手に人の本を捨てていいだなんて思うんだろう。委員長は何故、頷いてしまうんだろう。
風紀委員は第三教室を借りて委員会活動をしているらしい。没収された物品は鍵のかかった棚に保管されていると聞く。せめて、そこに加わればいいのだけど、松山の犬である委員長が松山の言い付けを守らない訳が無い。
第三教室につくまで無言が続き、その時間はとても長く感じられた。ようやく到着しても、何かを言われるのだろうと思い、安心は出来ない。
だから、委員長が机に寄りかかって、鞄と本を突き出して来た時、僕はこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。
「はい」
「え」
身体は鞄と本を勝手に受け取って、ぎゅっと抱きしめている。
「もう見つからないようにしなさい」
そう言いながら、委員長はゴム手袋をした真っ白な人差し指でマスクをくいっと引っぱって顎にかけた。
くぐもった声ではなく、涼しげな声。すっきりした鼻筋と、薄い唇。今まで半分しか見えなかったから気づかなかったけど、少し彫りの深い顔立ちだった。
「なん、で」
「授業に関係ないのは事実だけど、人の本を勝手に捨てる程、落ちぶれてない」
その言葉は暗に松山が落ちぶれているという意味なのだけど、僕はそのとき言葉の裏には気づかなかった。
「それに俺は、人の将来の夢を嗤ったりなんかしないよ」
困ったような顔。眸の奥がとろけて、これは彼の苦笑いなのだと分かる。
ああ、ちゃんと彼も人間なのだ。
「厳しい事をいうけど、その本はもう学校に持って来ない方が良い。次に見つかったら目の前で破り捨てられる」
泣きそうだった。
この学校に入って、初めてちゃんと僕を助けてくれた人だ。
僕よりも小さくて、細くて、全然強そうに見えないけど、この人は噂通り本当に強い人なのだろう。そして噂に隠された彼は、ちゃんとした一人の人間で、松山の犬なんかじゃない。
「ありがとうございます。……東條さん」
他の先輩たちも、東條さんと呼んでいた。同級生すらもそう呼んでいたけれど、彼を呼び捨てに出来る気はしない。勿論僕は後輩だからそんな呼び方はしないけど。
「気をつけてね」
教室から出る時、少しくだけた口調で東條さんが僕を送り出した。
マスクを付けてしまったのでまたくぐもった声だ。どんよりとした学校に凛と響く綺麗な声なのに、勿体ないなと思いながら東條さんと別れた。
それからも、東條さんは僕を何度か助けてくれた。あまり頻繁に出逢わないけれど、運良く遭遇した際は必ず連れ出してくれる。
「またですか。……坂内、来なさい」
またか、と肩を落とすのは僕にではないことを、僕はもう知ってしまった。
第三教室へ連れて行かれるまでの道のりはいつも無言のままだったけれど、教室の中に入れば東條さんはマスクを外して僕に言葉をくれる。あのくぐもった声ではなくて、空気を撫でる優しい声で。
東條さんは人の夢を笑わないと宣言していたとおり、僕がオカルト好きなことを馬鹿にはしなかった。時には僕の話を聞いてくれて、色々な質問もしてくれた。
多分、松山に目を付けられている僕を少しでも助けようとしてくれているのだ。友達が居ない訳ではないが、東條さんが居る事は心強くて、なんでも相談してしまう。幼い顔立ちをしているけど兄みたいで、こっそり慕っていた。
クラスメイトや先輩たちの間では、僕は風紀委員長と松山に目をつけられた可哀相な生徒として認識されているのだろうけど、僕はその誤解を解こうとは思わない。
目を付けられているのは本当だし、東條さんの優しさを広めたくなかったから。
東條さんは時々放課後に僕の話に付き合ってくれるから、今日も第三教室に来ていた。
「東條さんは、松山、先生の言葉に腹を立てたりしないんですか?」
なんとなく疑問をぶつけてみる。松山は、東條さんのことは信用しているようだけど、可愛がっていると言う訳ではない。東條さんまでも下に見ているのだ。松山なんかよりよっぽど将来有望で性格が良くて出来た人間なのに。
「俺は人間だから、豚の鳴き声が理解できなくてね」
東條さんの冷めた口調と無表情から出て来た言葉に、こらえきれずに笑い出してしまった。
腹を立ててはいるんだろうな。でも、それを我慢してやれるほど大人なのだろう。
「俺はみなしごで混血だから、どんなにいい成績を取ったって、あの人たちは俺を見下すよ」
先輩がハーフだろうということは薄々思っていた。肌は白く、鼻筋は通っていて、眉の下が少しへこんでいるから。それに、絹糸みたいに細く柔らかそうな毛は日に透けると淡い色をしている。多分染めているのだと思う。授業中や朝会などの時はマスクをしていないので、素顔を隠しているわけではない為、他の生徒たちからの噂でも、ちょっと外人顔だなんて言われていた。
ただ、孤児だということはこの日初めて知った。
十五歳まで教会で過ごして、それからは生活保護と特待生の奨学金で一人暮らしをしているらしい。
「この学校は成績なんて関係ないんだよ」
ぽつり、と東條さんが零す。
「最近成績が芳しくないようだけど、ついていけそうにないなら学校を変えた方が良い」
「え」
東條さんの言葉に、愕然とした。厳しいことをずばっと言う人だから、これ以外の言い方は思いつかなかったのかもしれないけど、言われた方は結構胸に堪える。
「入学できたとき誇らしかった?でもこの犬小屋で三年間頑張ったって、何の得にもならない」
忍耐力はつくかも、とマイペースに言葉を付け加える。
言われてみると、本当にそうなのだ。僕は学校の授業について行けてないし、入学できて誇らしかったけれどこの学校で頑張ることの意味を見出せない。いつのまにか、ゴーストハンターになりたいという夢の為ではなく、なんとか学校で授業をこなす為の毎日だった。威圧的な教師に指されるのが怖くて、間違えるのが怖くて、怯えながら勉強をした。ひとたび間違えればクズのような扱いを受けた。こんな場所、居る意味が無いんだとぼんやりと思った。
「まあ、それが出来たら苦労はしないか。選ぶのは坂内自身だよ。頑張るって言うんなら、俺も手伝う。勉強を教えて欲しかったら聞きに来て良いし、悩みがあるなら何だって話すと良い」
両親の所為にしたいわけではないけど、僕が我儘を言ってこの学校から辞められる気はしなかったし。辞めた後どうしたら良いかもわからなかった。
東條さんは救ってくれて、今後もきっと手を貸してくれるはずなのに、どうしてだか僕はそれ以上の相談を持ちかけることができなかった。心のどこかで、諦めていた。
そのまま、ずるずると夏休みまで続けた。夏休みになっても、盆以外は補習授業がみっちり詰め込まれているので僕は登校だ。東條さんは受験生の補習コースがあるはずだが、生活の為にアルバイトをするらしく免除されている。メールアドレスを交換しているので、頻繁にやり取りは出来るけれど、東條さんのいない学校に登校するのがとても億劫だった。
そういえば、来年からこの学校に東條さんは居ないんだ。
補習授業の最後の日、ようやく勉強地獄から解放されたと思った矢先、僕は松山に捕まった。
夏休み中会う事が無かったから、ここぞとばかりに僕を馬鹿にした。馬鹿にされる要因は大半が成績の事。ついて行けていないのは事実で、自分のふがいなさに胃が痛む。
最近では隠し始めたオカルト趣味なんかも急に引っ張り出されたあたりでうんざりする。やっぱりこいつはクズだ。僕は駄目な奴かもしれないけど、こいつはもう、人間なんかじゃない。
「東條の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?お前の駄目っぷりもアイツならよく知っているだろうからくれるだろうよ」
周りの生徒たちは当然口を出さない。当たり前だ、こんな所で僕を庇ったら次のターゲットは自分になってしまうのだから。
「ああ、しかしアイツも半端物だからなあ。足して二で割ってもお前たちじゃ足りないな」
その時、僕の身体の中に黒くて重たい物がどろりと湧き出た。
こいつ、東條さんを、馬鹿にした———。
———殺してやりたい。
July.2014