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俺は渋谷サイキック・リサーチを校長に勧めたが、あっさりと断られて帰って来た。文句をいくつか言われて、ナルに内心悪態をついたけど、マスコミに賑わう学校には来たくないのだろう。
しかしどうやら生徒会長の安原が署名を集めてもう一度依頼に行ったらしく、俺の出る幕は無かった。
調査の案内や協力は安原が行うようで、話し上手だし、生徒たちも彼になら相談しやすいだろうと、俺はその任を譲った。しかしそうなるとヲリキリ様と坂内の呪詛のことが相談できにくいと言う事に気づいて頭を抱えた。
今起こっている事件が、坂内の引き起こした事に関係があるのだとすれば、呪詛が進行していると考えられる。つまり、松山がいずれ呪いを受けると言う事だ。随分上手にやったようで、この学校での騒ぎからして、松山は酷い死に方をするだろう。
関係がないことを祈るが、十中八九関係がある。
数日程かけて彼らは調査をしていたようだが、そんなにすぐ真相にたどり着く筈も無く、解決したとの報せは無い。
廊下を歩いてれば渡り廊下の傍で松山が少女と少年に食って掛かっていたようで、仕方なく止めに入ることにした。喋らないからナルなのかジーンなのかは分からないが、美術室の蛍光灯が割れた際、声を掛ければ笑う美少年にこっちはジーンなのかとこっそり確認をとった。
生徒たちは教室に待機させ、俺が居ると安心出来そうにないので教室を出た。あとは風紀委員に任せれば良いだろう。
その後偶然通りかかった教室でも騒ぎが起き、大きな黒い犬が机や椅子を蹴飛ばす。爪や歯で向かって来るので生徒たちは酷い混乱に陥っていた。逃げ遅れた女生徒に向かった犬を見つけて咄嗟に庇えば、差し出した腕を引っ掻かれ、痛みが襲う。腕が切れ、制服が血に濡れた。
「と、東條さん……!」
犬はひとしきり暴れると風のように消えてしまい、教室にはざわめきだけが残った。幸い大怪我した生徒は居らず、俺が一番の被害者だったようだ。庇った生徒は泣きそうな顔をして俺を見上げる。
「傷口が大きい……。救急車を呼んでいただけますか、先生」
「あ、ああ!」
授業担当をしていた教師に投げかければ携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
俺は生徒に手伝ってもらいながら学ランを脱いでワイシャツを捲る。そして運動部の生徒が持っていたタオルで圧迫して止血した。
「すみません、東條さん……私が逃げ遅れたから」
「君の所為じゃないよ」
安心させる為に目元を和らげて女生徒を見ると、彼女はよりいっそう泣きそうな顔になった。
救急車はすぐにやってきて、病院へ連れて行ってもらう。麻酔をして縫って貰い一時間後には学校へ戻って来る事が出来た。しかし戻って来て早々、安原に声をかけられ、会議室へ向かう事になった。
犬の事が知りたいのなら生徒に聞けば事足りるので、俺に気づいたか、坂内のヲリキリ様に気づいたかのどちらかだ。行ってみれば、ジーンが事故に遭ったときの話で、内心ほっとする。今回の事件で俺のことがバレるのも厭わないつもりだったが、まだ少し伸ばせそうだ。
ただし充分怪しまれている為、話をはぐらかしてきた。
それにしても、呪詛は当然ながら悪化の道をたどっている。呪詛返しの依頼をナルたちにする前に、一度坂内にも話をしようと思いその日の放課後坂内の家を訪ねた。
「あらくん、いらっしゃい」
「こんにちは。智明くんいますか?」
メールの返事があった為いる事は知っているが、坂内の母に尋ねる。その時後ろから慌てて坂内が出て来るので、微笑めば坂内も嬉しそうに笑って俺の名を呼んだ。
「東條さん!……、どうしたんですか、その腕」
「今日ちょっと事件があって」
俺の手の包帯を見るなり、坂内親子は表情を曇らせた。事件、という言葉に坂内は目を見張る。
「図書館行かない?」
「あ、はい」
「智明、あまりくんに甘えていたら駄目よ、受験生なんだから」
「大丈夫ですよ、俺はもう推薦決まってますから」
「そう?……腕、お大事にね」
「はい」
坂内の母は学校で色々問題が起きていることは知っているが、坂内が関係していることだとは知らせていないため、送り出してくれた。
坂内は押し黙ったまま隣を歩き、暫くしてからその腕、と話を切り出した。
「教室に大きな犬が現れて、やられちゃった」
「僕の所為ですよね……。ごめんなさい、東條さんにまで怪我させるなんて、何やってんだろ」
くしゃりと前髪を潰して、自責の念に嘖まれる坂内の手を取る。
「このくらい問題ない。いま、ゴーストハンターが来てくれているから、お願いするよ」
坂内はぱっと顔をあげた。そんな人々が来ているのだという嬉しさと、深刻な事態だという困惑が入り交じった複雑な表情。
「呪詛返しをしてもらおうと思う」
「でも、呪詛を行っているのは生徒たちです」
「ん。数が多くて助かったと言うべきかな」
「駄目です、ぼ、僕に返してください」
「そういうと思った」
坂内の提案に、俺は苦笑を漏らす。
「明日、ヲリキリ様の事を話して来る。それから、解決策が見つかるかもしれないから。いいね?」
「はい……もし呪詛返しを行うことになったら、僕だけにしてください」
本当は怖いくせに、身体を震わせながら、命を落とす覚悟をして俺に言った。
「わかった。生徒たちは傷つけない」
その後図書館に行って勉強をしていたが、死ぬのなら勉強は無駄だろうかと坂内は呟いた。
俺は生きる事だけを考えておけと諭し、高校受験の勉強をさせる。もちろん坂内に呪詛を返させるつもりはないのだ。
坂内と別れ、三十分後くらいに、生徒会長が坂内の家を訪れたという連絡が入った。本人同士は会っていないようで、坂内自身は何も喋っていないらしい。ただ、俺が坂内と親しい仲だということは安原に知られたようだ。
別に知られて困る事ではないけど。
俺は帰宅中だった足で学校へ向かう。学校に着く頃にはもう夜になっていた。
会議室の前まで行けば中の会話が微かだが聞こえる。
「先ほど坂内の家を訪ねたんですが、東條さんと図書館へ行ってるといわれちゃいまして」
「は?東條ってあの東條?」
滝川は素っ頓狂な声を上げるので、すんなりと俺の耳に届く。
「なんでアイツがでてくんのよ。坂内って子を退学させた張本人でしょ?」
かったるそうな女性の声。名前は知らないけど顔は見た。麻衣と真砂子ではない人だ。
「そうなんですが……どうやら東條さんが助けたという方が正しいようです」
「どういうことですか?」
ナルが、安原へ話を促す。
「坂内の事、影から守ってくれていたそうです。勉強を教えてくれたり、話を聞いてくれたり」
「あら、良い奴じゃないの」
「さんは、教会のお子たちにもよお懐かれてはって、優しいお人なんどす」
「ジョンは少年の事知ってるんだったな、そういや」
俺の話題をずっと聞いているというのも気恥ずかしいが、黙ってドアの傍に立ったまま聞いた。
安原はなおも話し続ける。
「東條さんが庇ってくれていたのですが、とある先生が彼を追いつめ続けたようで……とうとう、屋上から飛び降りようとしたんです」
安原の神妙な声色、周りの皆が息をのむ気配が、ドア越しに伝わって来る。坂内の自殺未遂は誰にも知られていないことだからこそ、皆に緊張が走る。
「東條さんが阻止して、家まで送りとどけ、ご両親に頭を下げました。学校を辞めさせてやって欲しいと。これ以上学校にいたら坂内が辛いから、どうか逃がしてやってくれと」
しいん、としている空気が気まずい。
「ま、あとは彼が矢面に立って、手続きをしてくれたのでしょう。生徒を退学させた恐怖の委員長という悪名を被ってまで」
「やるじゃないか、潔癖風紀委員長様」
俺は潔癖でもないし委員長でもないんだがな、と声に出さずに突っ込んだ。
話が丁度切れたので、会議室のドアを開けると、全員が目を丸めて俺を見た。まるで幽霊でも見たような顔をしている。
「お喋りが上手だね、越後屋」
「あ、あー東條さん」
帰った筈では、と苦笑する安原に、俺は怒っている訳ではない意思表示として笑みを浮かべるが、さらに安原の顔はひきつった。いつだったか、俺の愛想笑いは、大して安心できないと言われた事があるので、やっぱり笑わない方が良いかと思い笑みを引っ込めた。
「坂内から、家に生徒会長が来ていたというメールを貰った」
ポケットに入っている携帯を掴んでぷらぷらとぶら下げると、メル友なんですねと茶化されるので素直に頷く。
「坂内に確認をとってきたので、依頼をしようと思って来ました」
ナルとジーンとリンの居る方を見据えて、歩み寄る。
「坂内は飛び降りる直前、ある人物を呪い殺してやる、といった」
ベースにいた全員が目を見張る。
かさり、と持っていたヲリキリ様の紙を取り出す。折り畳んであるのを開きたいが片手を怪我しているので上手く出来ず、近くに居たジョンに渡す。
「開いて。これが呪符」
「はいです」
呪符という言葉にリンがはっと立ち上がり、俺たちに近づいて来る。ジョンが開いた紙を、リンは受け取って、目を見張った。俺をじっと見つめる。
「あなたはこれを知っていたのですか」
「坂内のオカルトトークのお陰で。その程度だったから、どうなるかはわからなかった。……でも、呪詛は遊びでやってはいけないことは分かっているから、見回りをして生徒から没収をしたけど、全校生徒の流行を全て奪いさることは例え俺でも出来ない」
「呪詛だあ?」
滝川はぎょっと身を引いて、声を大にしていう。
「これは呪符です……呪詛に用いられているのでしょう」
「当然殺しに用いるというから……神社の下に、生徒たちは嬉々として埋めて行ったよ」
「!」
リンだけが分かるのか、顔を顰めた。
陰陽道をリンから教わっていたことと、坂内の話を聞いていた俺には何の疑問にも思わないことだが、専門外の人からしてみれば分からないだろう。リンが簡単に説明をしてくれるのを、俺は黙って聞いていた。
「わたしなら、これ一枚で殺してみせますよ」
リンが真顔で放った言葉に、麻衣や滝川たちは青ざめた。
July.2014