28
(麻衣視点)
「お喋りが上手だね、越後屋」
くぐもっているのに、不思議とよく通る声がした。
東條さんの登場にどきりと胸が跳ねる。
あたしよりも大きく、ジョンよりも小さい東條さん。けれど姿勢がよく堂々として、きっちりと制服を着こなしているから、大人びて見えた。一歩部屋に踏み込んで、安原さんと軽くやり取りをしている。
生徒に注意するときや、ナルの質問に答えていたときはとても素っ気なくて、慇懃な口調だったけれど、今は少し柔らかくて優しい口調。
「坂内から、家に生徒会長が来ていたというメールを貰った」
「メル友だったんですね」
「ん」
坂内くんを退学させたのは東條さんで間違いはないけれど、それは学校から逃がす為の手段だったのだと安原さんが語ったのは、本当の事だったみたい。ゴム手袋をした細い手が携帯電話をちらりと示した。
「坂内に確認をとってきたので、依頼をしようと思って来ました」
そして前を見据えて、少し口調を正した。
彼はもともと気怠気な人なのか、ゆったりと語った。あたしの頭が足りないのか、彼の言葉が足りないのか、わかりづらい説明だけれど必要最低限なことは言っているみたいで、ナルは口を出さない。
ヲリキリ様の紙を差し出し、それを見たリンさんは顔をしかめる。この学校では呪詛が行われていた。いくら知識が無いといっても、調査員としてやってきたんだから呪詛くらいわかる。
「わたしなら、これ一枚で殺してみせますよ」
リンさんの放った言葉に、あたしは血の気が引いて行くのがわかった。
「梵字だから……読める人は少ないと思うけど」
東條さんの言葉に、ぼーさんも歩み寄ってヲリキリ様の紙を見る。そして顔を顰めて溜め息を吐いた。
ぼーさんは一度この紙をちらっと見てすぐに捨てているから、肩を落とす。気づかなかったと零すけど、しょうがないよ、誰だってそんなにすぐ気づかない。
「そもそも鬼で囲うなんて見るからに呪いじみてるけど」
東條さんはちょっと刺々しいけれど正論だ。
でも、ずっとこの事を黙ってた東條さんも東條さんだ。確かに坂内くんが始めたから、了承をとってきたというけど、もっと早く言ってくれれば、東條さん自身もそんな怪我をすることにはならなかったはず。
「呪詛は始めてしまったら止める事ができない、と坂内が言っていた」
「そうです、呪詛返しするしか」
リンさんは東條さんをきっと睨みつける。
「だからその依頼をしに来た」
「随分身勝手じゃないか」
「身勝手は承知の上。できないなら良い。坂内には人を殺した罪を背負って生きる様に言った」
ナルが口を挟むけれど、東條さんの態度は変わらず堂々としていた。人を殺した罪を背負う、というのは生半可な事ではない。たとえ、坂内くんが殺したい程に憎んで始めたことだとしても、実際に死んだ後それを正当化することなんて絶対に出来ないし、耐えられない。
「首謀者は坂内だけど、おそらく呪詛返しでは坂内に被害は無い。そもそも坂内は死ぬつもりだったのだから」
東條さんの言い方は、まるで人が死んでも良いみたいだったし、坂内くんに辛い思いをさせるのも吝かではないみたいだった。
そうだよね、と確認するように東條さんがリンさんを見る。そして、リンさんは頷いた。
ひくり、と喉が痙攣した。呼吸がしづらい。
あたしは無知だけど、ここまで言われればなんとなくわかるよ。生徒たちに呪いを返してってことだよね。
「六百人に呪いが行くのと、一人に行くのとではどちらが生存率が高いか考えた結果。これが、俺の依頼」
だから身勝手だと、ナルは言ったんだ。
「罪を償えというなら……坂内と俺に転嫁しても良い。この人を見殺しにしても良い。依頼を受けてくれますか?」
この人、とヲリキリ様の紙を叩いた。梵字だというから、リンさんとぼーさんしか知らないその人の名前。
東條さんはナルを見据えた。
「安原さん、どうなさいますか」
「え?」
「一番優先すべき依頼人はあなたです」
ナルが、安原さんに尋ねる。たしかに校長先生が依頼人ってことにはなっているけど、安原さんが署名を持ちやって来たんだった。それに、安原さんだってヲリキリ様をやってる。
「知らなかったとはいえ、僕たちが面白半分にやったことは事実です。東條さんの依頼を受けてください」
「ありがとう、安原」
安原さんはナルにぺこりと頭を下げて、東條さんは安原さんの背中に手をおいて苦笑した。あ、この人笑うんだ、なんて思ったけど今はそれどころじゃない。
「ちょっとまって!じゃあ安原さんたちに呪いが行くんだよね!?」
「っていうか誰が呪われてんのよ」
夢で見た、あんな禍々しい塊が、安原さんや生徒たちに行くってこと。そんなこと出来ない。
思わず止めに入ると、綾子の不機嫌な声があたしの背中に当たる。今そんなのどうだっていいけど、呪われている人のことをそういえば誰だか知らないなと思って口を閉じた。
「マツヤマヒデハル氏です」
「松山ぁ!?」
リンさんが読み上げた言葉に、あたしは素っ頓狂な声を上げる。すると、偶然廊下をさしかかった本人がいきなり無礼だなと部屋に入って来た。
外は真っ暗といえど、まだ時間にしてみれば六時前だったので、先生も校内に居たのだ。
「どうした、逃げ帰る算段でも立てていたか?」
「先生はお聞きにならない方が良い話をしています」
松山の言葉に真っ先に返したのは、以外にも東條さんだった。丁寧な口調だったけれど、温度の無い声色。なんだか冷たい雰囲気だ。
「東條?お前までこんな連中とつるむとはな……何故俺は聞かない方が良いんだ」
「先生は、学校でこっくりさんが流行っているのをご存知でしたか?」
「あのくだらない遊びか。知っているさ。何度か没収もした」
ナルが代わりに口を開くと、松山は得意気に答えた。
「これは呪符です。これをこっくりさんとして流行らせ呪殺に使われていることが判明しました」
呪殺と言われて、松山の顔はどんどん蒼白になった。そして、呪われているのは自分だと言われて更に身体を震わせる。ようやく自分の状況が理解できたらしい。
「さ、坂内か!?坂内なんだろう!?」
あいつしかいない、と慌てふためく松山に、東條さんはあっさりとそうですよと肯定した。
「な、何だって俺が!」
「わかりませんか?坂内は僕たちは犬ではないと嘆いていました。学校が僕らを犬のように飼い慣らそうとしていると、知っていました。その代表は誰だと聞かれたとき、僕でも松山先生をあげます。あなたは学校の象徴だったんです」
安原さんが、真剣な顔つきで言った。
坂内くんの言葉はおそらく、坂内くんのお母さんから聞いたのだろう。
安原さんの真剣な反論に、松山は顔を真っ赤にして怒鳴り散らそうとした。けれど、東條さんが歩み寄って、うっとりと笑った。
「でもね、先生この呪いは返してさしあげます。先生には傷がつくことはないでしょう。学校の生徒全員が、先生の代わりに呪われてくださいますからね」
言い方が悪いけど、そう言う事だ。でも、普通そう言う事言う?
ひくりと松山の顔はひくついた。一見松山を安心させるような言葉だけれど、実際遠回しに追い詰めている。
「た、たすかるんだな、……そうだよ、なんで俺が呪い殺されなきゃならんのだ」
「よかったですねえ先生」
へたり込んで、ははっと笑う松山に、お腹の中がぐるぐる怒りで渦巻く。信じられない。ここまで言われても、また自分が助かる事しか考えていないんだ。
前屈みになって、松山の前にしゃがみこむ東條さんは、ゆっくりとマスクに指を掛けて口元を露にした。始めて素顔を見たけれど、鼻筋が通っていて、色が白くて綺麗な肌をしていた。色の薄い唇は柔らかく動いて、透き通る声を出す。
「坂内が生きてて、良かったですね」
東條さんの再度重ねた安堵の言葉に、松山の顔はまた引きつった。
今までずっと自分の味方をしてて、逆らった事の無い人が、坂内くんのことを言うとは思わなかったのだと思う。
「だって坂内は貴方を呪い殺す為に死のうとしたんです。もう柵を超えるところまで、身体を空中に預けるところまで来てました。俺が居なかったら死んでた。そしたら、貴方は人殺しですね?そして、坂内が押しとどまって教えてくれなければ、あなたはとっても無惨に死んだでしょう。よかったですね?坂内が生きていて」
耳にかかっているゴムを外し、完全にマスクを取り払う。
驚く程優しい声、背筋にぞわりと這う甘い言葉。小柄で華奢な体躯と、幼い顔立ちから出て来るとは思えない恐怖。
やっぱり東條さん怖い。
「でも、今回だけですよ?助けてもらえるの。坂内のように心を殺した子、何人居たんでしょうか?皆、心優しい人たちだったんですね、だって先生、生きて来られたんですもの」
はは、っと笑って、頬に手を当てる。この言葉が無ければただ純粋な笑みに見えるのに。
「でも先生はまた同じように人を傷つけて、無意識に人を殺すから、また呪われちゃいますね」
見るからに松山は震えて、言葉も出ない。
あたしたちもあまりに東條さんが彼を責め立てるから、何も言えずに立ち尽くしていた。
東條さんは言っていた。坂内くんはもう柵を超えるところまで、空中に身を預けるところまできていたと。つまり、死んだも同然だった。松山は、そこまで坂内くんを追いつめた。
「先生はオカルトを馬鹿にしていたから……いつ呪われるか、分からないですもんね、いつか急に、死んじゃいますよ。いっそのこと、今、もう終わらせてしまいますか?」
小さく笑った。
なんてことのないように。
「た、たすけてくれ……たすけてくれぇ!」
「豚に説教をしても無駄だね」
松山が懇願する様子を見て、東條さんはすくっと立ち上がると、松山はなんとか腰を上げて、転びながら逃げて行った。
もう東條さんの顔に優しい笑みは無い。無表情。
東條さん、ナルと同じ事言ってる。
ナルは東條さんのように責め立てる言葉を長々と続けないけど、発想とか、慇懃無礼な態度とか、素っ気ないところとか、実は優しいところもあるところとか、そっくり。
ぱんぱん、と一仕事終えたように手を叩いて、はっとあたしたちは我に返る。
「渡したいものがあるから。来て」
それから東條さんはナルの方をじっと見て、会議室を出て行った。渋谷兄弟とリンさん三人そろって行ってしまい、あたし達は取り残された。
「ジョン、安原少年」
「はい」
「東條少年はいつもあんな感じかね」
「えっと……あんなに長く喋っているのは初めて見ましたね」
「
さんはお子たちにはとてもお優しいお方ですんで、初めて見ましたです」
「怒ってらっしゃったんですわね」
真砂子が納得したように、ぽつりと呟いた。
そうだよね、坂内くんの為に、あんなに怒ってくれたんだよね。ちょっと怖いけど。
July.2014