31
(ジーン視点)
メルと、目撃者の少年……これもメルだったが……彼を捜す為に日本に来た。そして、ようやく見つける事が出来た今、日本に居る必要はないのだけれど、日本の心霊現象は面白いということでナルは分室維持の申請をSPRに出していた。それの返事がまだ来ていないけれど、おそらくすぐに下りるだろう。
ナルはすぐにメルの手続きを行い、強制送還の形をとった。当時十歳だったため記憶不明瞭ということでゴリ押ししたようだ。四年もの間生き抜いて来られたメルも、しらばっくれるのは得意なので罪に問われる事なく解放された。
空港にはルエラとマーティンが迎えに来てくれて、メルは手厚い歓迎を受けた。ルエラには両方の頬、マーティンは米神にキスをしていたが、メルは苦笑してそれを受け入れた。そして心配かけたことは悪いと思っているようなので、珍しく自分からもキスを返していた。普段の愛情表現が滅多にないメルがそこまでしてくれたので、彼らは喜んだ。
「
!」
「あ、まどか」
ケンブリッジに帰るとまず真っ先にまどかが会いにやってきた。そしてメルの姿を見るなり、眸に涙をいっぱいためる。
「ごめんね、
、ジーンを止められなくて!」
「まどかも辛かったでしょ……ごめんね」
「いいのよう、いいのよう」
まどかは泣き虫だから、メルに抱きしめられてよりいっそう泣いた。
僕もメルとまどかを抱きしめて、再会を喜んだ。
「すごく懐かしい……」
「四年ぶりだもの」
自分の部屋の窓を開けて空気を入れながら、メルは外を見つめて呟いた。
部屋は四年前からそのままにしてあって、ルエラが小忠実に掃除をしていた。
ベッドに座って見渡すと、この部屋にメルがちゃんといるのが見えて、喜びに胸が満たされる。
髪の毛は黒くなっているから、ちょっと違和感があるけれど。
「髪……せっかく綺麗だったのにね」
「黒染めすぐ落ちるから元通りになるのは早いよ」
「でも綺麗なプラチナなのは子供の時期だけじゃない」
「まあ……大人で天然なのは稀だけど」
絹糸みたいな細い髪の毛が、キラキラふわふわしているのが好きだったのだけど、今は黒くなっている。悪いとは言わないけど、僕は自分の髪が黒で、メルの髪の毛が凄く綺麗に見えたから残念だった。
「俺また学校通うの?」
「どうだろう、年齢的にはそうなんだけど……学力的には大学入れると思うから飛び級できるんじゃないかな」
「もー勉強は良いよ……高校三年間ほぼ毎日勉強してたんだし」
「そういえば、日本語はどうやって覚えたの?」
「生活してれば覚える」
メルに説明を求めても無駄だと、いつだったかナルが言っていたのを、この時ふいに思い出した。
頭が良いんだろうけれど、圧倒的に言葉が足りないので伝達能力が低い。それから、本人も他人に何かを伝えようという意志が薄いので理解させてはくれないのだ。
ナルはメルを、嘘つきと言っていたけれど実際の所は嘘もつかずに口を噤む。
自分の事をないがしろにする所は、メルの悪い所だ。
「メルの馬鹿」
「はいはい」
机の引き出しから、昔授業に使っていたノートを取り出して眺めていたメルに、ぽつりと投げかければあっさりと流された。
「メル」
「なーに」
再度呼びかけても、ノートから視線は外さない。
「メル、約束しよう」
「ん?」
今度は、ぱたんとノートを閉じて、僕を見た。
表情は乏しいけれど、目の奥は穏やかで、多分これが僕と似ていると言われる所以なのだろう。辛口なところばかり目立ってナルにそっくりと言われていたけど、気性はどちらかと言うと僕に近い。
「もう、誰かを助ける為に自分を傷つけないで」
「ジーン……」
「あの時は僕が悪かったけど、でも、メルが消えた後僕たち凄く傷ついたんだ」
死んだかと思ったし、生きていると分かっても目の前に現れてくれないのは僕たちへの拒絶だと思った。メルと呼んでもいいのか問いかけ続けた。かろうじて繋がっている僕たちの絆は、特別な物だったけれど自信がなくなって、何度もそれに呼びかけたけれどメルは返事をくれない。だからやっぱり僕たちと居るのが嫌なのかもしれないと思った。
ベッドに座ったまま俯く僕の前に、メルが歩み寄って来た。ゴム手袋の外れた手を、逃がさないようにと握る。
ゆるく、細い指先に力が入って握り返される。昔よりも、手の大きさに差がない。
右腕にはまだ包帯が巻かれていて、人の為に自分の身を呈す証拠が残されていた。
「わかった、もう、おいてかない」
ゆったりと手が外れて、その手は僕の頭を撫でた。髪を梳かし、指の腹が微かに地肌に触れる。ぽんぽん、とリズムよく叩かれて、メルのお腹に額を当てた。
「ナルとジーンを連れて逃げてることにする」
「うん」
「おいてかれるのは、怖いもんね」
ゆっくりと顔をあげると、メルは遠くを見ていた。メルの考えが全てわかるわけでもないし、今、彼が何に思いを馳せているのかも分からない。でも、今は此処にいて、メルは僕たちを大事に思ってくれていることは確かだ。
くるくる、とメルのお腹が鳴って、思わず笑う僕の様子に怒る事無くおなかへったなあとマイペースに呟いた。
ナルは一度帰って来ると思ったけれど、日本に分室維持の許可が出たので戻っては来なかった。
僕はしばらくイギリスでメルと過ごそうと思ったので大学に通ったり研究室へ行ったり、メルと出かけたりと普通の日々を過ごした。
春になって、オリヴァー・デイヴィスの偽物が日本に居るということで、まどかがナルに依頼をしに行ったけど、僕は呼ばれなかった。心霊調査と言うよりも、偽物の調査だったからだ。
けれどどうやらその調査に悪霊が居たらしく、また一悶着あった。僕は麻衣の手助けに何度か夢の中に出た程度だったけれど、事件はあらかた解決した。そして偽物のナルも暴かれて終わったのだという。
その話をすると、メルは顔を顰めて日本に行くと言い出した。おそらくナルの事が心配なのだろう。
しかしメルは学校に通っている為、夏休みになったらという事で、ルエラとマーティンから許可が出た。
「すっかり元通りだな」
「ああ、うん」
夏休みに入って、渋谷サイキック・リサーチにやって来た。ナルとリンは髪色が戻ったメルを見ると、こっちの方がしっくり来るようで頷いていた。メルは大して興味がないのか、お茶を飲みながらソファーで携帯電話を弄っている。夏休み中に一度坂内くんに会いに行くと言っていたから、彼とのやり取りをしているのだろう。
「おはようございまー……お、お客さんですか?」
その時やって来たのは、麻衣。挨拶の途中で固まった。
「Hi, It’s good to see you. What are you up to these days?」
久しぶり、最近どうしていた?とメルは流暢に英会話をしてにこにこ笑いながら、麻衣に歩み寄った。
「は?え?何?」
急に捲し立てられる英語に、麻衣は狼狽えている。僕は思わずくすくす笑ってしまい、リンとナルは呆れて見ている。
「学校で習う英語なんだけどな」
「東條さん!?」
メルが日本語を喋ると面白いくらい麻衣が驚いたので、メルは満足げに頷いた。
「麻衣、お前は学校で何を学んで来たんだ」
「あ、う、だって急に言われたら聞き取れないよ〜」
「急に言われなくても聞き取れないだろう」
「ごもっともです」
ナルに言われて麻衣はがっくりと肩を落とす。
「学校のリスニング授業は緩いから」
「だ、だよね〜」
メルは苦笑しながら言ったけれど、フォローしているようでちゃんとは出来ていない気がする。
麻衣と、あとからやって来た高橋さんに事務を任せて、僕たちは所長室へ行った。
「調査には連れて行かない」
「行く」
「駄目だ」
「なんで」
ナルとメルは、互いに無表情で見つめ合い押し問答を繰り返す。
「お前には危機回避能力が無い」
「逃げるのは一番早いと思うけど?」
「一番早くとも、一番遅い人間を助けに行って死ぬタイプだ」
「ナルとジーンと一緒に逃げるってジーンと約束したから大丈夫」
「……」
ナルは僕を横目に見て、本当かと目で尋ねるので頷いて見せる。
「もうあの時みたいな事にはならないよ、約束する」
そしてメルはナルの頬にキスをした。
愛情表現に疎いナルは、急に思ってもみなかった相手、メルからのキスに固まってしまった。メルはおそらくこうなると分かっていてわざとやったのだろう。
麻衣に英語で話しかけたり、ナルを固まらせたり、相変わらず良い性格している。
メルは笑いながら所長室から出て行ってしまった。
「メル!」
そして我に返ったナルが、メルを追いかけて所長室から出て行ったのを、僕とリンは見送った。
July.2014