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(ナル視点)
瞬間移動能力があると思われたメルと目撃者の少年は同一人物だった。目的は達成された為イギリスに帰ってもよかったのだが、日本の心霊現象も興味深い為日本に残る事にした。
メルはイギリスで両親とともに過ごし親孝行をすべきだし、ジーンもそれについていたいというので僕は反対しなかった。
偽物の僕の調査も終わり、七月半ばになるとジーンから『夏休みにメルと一緒に日本へ行く』との連絡が入った。
僕の事を心配しているようだが、余計なお世話だ。メルとジーンに心配される程おちぶれていないし、むしろあの二人の方が自分の身を危険にさらすタイプだ。前科もある。
しかし夏休みに日本に来るのは既に決定事項だったらしい。メルとジーンがオフィスにやって来て、久しぶりにプラチナブロンドの頭を見た。
幼児の頃から何も変わらない見事なそれは、僕の視界にもしっくりくる。黒髪だと、どうもメルという感じがしないのだ。似合う似合わないではなく、違和感。
仕事にやってきた麻衣も、外国人の姿にびっくりしている。黒髪のメルしか見ていないのだから当然だろう。顔は変わっていないとはいえ、麻衣にも分かっていない。
それを承知の上で、メルは麻衣にあえて英語で話かける。言ってることは簡単なことだったが、麻衣は呆れる程無知だった為、目に見えて狼狽えた。にこにこ、とメルらしくない愛想の良い笑みを浮かべている所為で尚更メルだと気づけない。
しかし、メルがすぐに日本語に切り替えたので、麻衣も驚きながらもほっとした。後からもう一人雇っている事務員の高橋さんもやってきたが、彼女はメルとの面識は一度しかない為髪色が変わった事にしか驚かなかった。メルが英語で話かけなかったからというのもあるのだろうが。
所長室では、メルを調査には連れて行かないと拒否した。一度メルを連れて行った際に起こった騒動が、ようやくこの間終息したばかりなのに、またメルを連れて行く気にはなれない。それに、機材の運び込みもさせられない為大した戦力にもならない。
「お前には危機回避能力が無い」
「逃げるのは一番早いと思うけど?」
四年前は瞬間移動能力の自覚がなく子供だったからとも言えるが、そうでなくともメルは、人を助けて怪我をする性格だ。無茶をすると分かっていて連れて行ってやる程僕は聞き分けが良くない。
麻衣も充分無茶をするが、野生動物並みに危機回避能力が高く、危ない目には遭うが大した怪我をおわない。メルは危険を理解しているくせに顧みずに飛び込むから麻衣よりも質が悪い。
「二人と一緒に逃げるってジーンと約束したから大丈夫」
メルはジーンに視線をやってから、僕を見て口元を緩めた。言い付けを破る程愚かではない事は知っているが、嘘つきで自分の欲望には正直だから、果たして大丈夫なのかとジーンを見やると頷かれる。ジーンは甘いから、どうしたものかと溜め息をついた。
「もうあの時みたいな事にはならないよ、約束する」
ふいに、メルが僕に顔を寄せた。そして、柔らかいものが頬を啄み、わざと可愛らしいリップ音を耳元で鳴らした。
ルエラとマーティンにすら滅多にしなかったキスをしたのだ。
考えていた事が全てメルに吸い取られ、数秒間動きを失った。
「メル!」
すぐに我に返り、逃げたメルに対する怒りと呆れがこみ上げて来て所長室から出ると、麻衣や高橋さんだけだったはずの応接間にはぼーさんと松崎さんの姿を見つける。
メルの姿にあぜんとしていたが、僕がやってきたことにより視線は僕に集まる。
またメルは人の反応を見て楽しんでいるのか。そして、彼らは大した用も無いのに来たのか、とうんざりする。
「今日はどんなご用件ですか?」
仕事の邪魔をするなと目で語りながら二人を見下ろすと、案の定しょうもない理由で来ていた。
「ちょっとナル、楽しい話を聞いたんだけど」
「僕に聞いて欲しいわけですか?」
メルが麻衣の隣のソファーに身を沈めたので、僕も仕方なく座って松崎さんの言葉に耳を傾ける。
「そう。前の子なんていないんですって?」
おそらく、麻衣をバイトに雇う際に言った事だろう。松崎さんは揶揄したくて仕方ない顔をしている。
「嫉妬ですか」
「ちょ!……誰がっ!」
「僕は根が親切なもので」
「誰がよ!」
「おや、そう見えませんか?いつも松崎さんのくだらない話に、親切にも付き合ってさしあげてるじゃないですか」
メルはくくっと笑いを噛み殺している。メルが風紀委員長として僕たちに接していた時もこんな感じだったのだから、人の事を笑える立場ではない。
「んで、この外人さんは誰だいナル」
松崎さんとの下らないやり取りが終わる頃、ぼーさんが気まずそうに口を開いた。
前髪が伸びているにしてもさすがに見慣れてくれば分かると思ったのだが、まだメルだと気づいていない。
「なんだ、分かっていなかったのか」
「うん、ずーっとちらちら見てただけだった」
麻衣は楽しそうに笑って答えた。
「麻衣だって気づかなかっただろう」
「あ、あたしは急に英語で話しかけられたからだもん!」
酷い言い訳をしている麻衣をよそに、メルは何も口出しをしない。
「
、何か言え」
「兄がいつもお世話になっています」
ぺこり、と頭を下げて口を開けば、ぼーさんと松崎さんはようやく理解した。
「色が正反対すぎて誰だか分からなかったわよ……」
「だから黒髪だった時に地毛かって聞いたんだな……っと、そういえば名前は、
?でいいのか?」
「うん、渋谷
」
メルは見るからに西洋人なので日本名を付けず、本名のままにした。それに、
の名は世間には知られていない。
ふと、ドアの向こうから中を覗き込んでいる人影を見つけ、麻衣に出るように言う。元気よく返事をしてドアを開けに行き、明るい声で対応し始めた。
「引っ込もうか?」
「無駄な客人ばかりいるんだ……お前一人引っ込んだって意味が無い」
メルの気遣いを餌にぼーさんと松崎さんを責めるが、二人は動じない。
「こちらは一種の、霊能者さんですよね」
「霊能者とは少し違うんですけど。ご依頼ですか?」
麻衣が対応している客人は二十歳前くらいの男性と、幼い女の子だった。男性は頷いて、この子を診てもらいたいと答えた。霊能者の中には病気を治療する部類もあるが、うちの管轄外だ。
まず病院に行き医師に診せてから来いと言うと、女の子は怯えたように男性を見上げた。
「病院に行かないってことは何かあるんでしょ、診てあげたら」
傍に座っていたメルは立ち上がって、女の子の傍へ行く。
女の子はメルをきょとんと見上げていたが、メルがしゃがむと今度は見下ろした。
「首、いたい?」
ゆっくりと、柔らかい声で、メルは女の子に尋ねた。
「ううん。……お兄ちゃん、おじいちゃんなの?」
「どっちだと思う?」
不躾とも捉えられるがなにぶん子供の言う事だ。メルは気にした風もなく笑みをこぼしている。
女の子の相手をしているメルをよそに、男性の方に、どうぞとソファーを勧めた。メルも女の子の手を引いて男性の隣に女の子と一緒に腰掛けた。
「キラキラしてるから、お兄ちゃん」
「あたり」
子供らしい会話をしている二人をよそに、吉見彰文さんと名乗る男性の話を聞いた。
翌日の夕方、能登にある吉見家にぼーさんと松崎さんと麻衣とリン、それからジーンとメルを連れて訪れた。
メルは連れて行きたくなかったが、ジーンの力は必要だ。メルには、リンから離れない事と余計な事はしないように約束させた。
本当の依頼人である吉見やえさんから詳しい話を聞いてから彰文さんに、ベースとなる客室へ案内してもらう。敷地内を見て回り、機材の運び込みをしているとメルは麻衣と一緒に機材の配置をしていた。ゴム手袋をしているとはいえ触られて壊されては堪らない。
「
、……なぜリンと居ない」
「えー」
気をつけろと口を挟もうとしたが、ふと、リンの傍を離れないと約束したにも関わらずすっかり一人で行動していることに気づいた。おおかた、まだ大丈夫だと思ってのことだろう。
「だ、大丈夫じゃないの?まだ来たばっかなんだし」
「麻衣、知っているか?犬は麻衣の様に危険な目にあってもとにかく走るから回避できる。しかし猫は危険物に飛び出し逃げる事が出来ない」
「俺だってちゃんと逃げられるし危険な事は分かってるって」
「そう言う問題じゃない。ゲージに入れて送り返されたいのか?」
反論するメルのポロシャツの襟口を捕まえて引っ張る。
「リン、メルから目を離すな。移動中は手でも繋いでいろ」
「な、何故手まで繋ぐんです」
リンとジーンを見つけ、投げ捨てるようにメルを預けた。手を繋いでいろというのは極論だったが、リンはそのまま受け取ったのかぎょっと目を見開き戸惑う。
「この馬鹿猫が四年前と変わらずふらふら散歩に出かけるからだ」
二人は呆れたようにメルを見下ろしたが、メルは素知らぬ顔をして窓から見える海を眺めていた。
July.2014