33
(滝川視点)
初めて見た東條……いや、渋谷は、顔を半分マスクで隠し、手術用のゴム手袋をした小柄な人物だった。(教会で手袋をしていなかったような気がするが。)
ジョンが居たからか、教会だったからか、落ち着いた柔らかい喋り方をしていた。しかし二度目に会った時には取っ付き辛い慇懃無礼な態度だった。なんだかナルに似ていると思った。
あれは、潔癖風紀委員長様として俺たちに接していたのだろう。
事件に関わり始めるとすぐに口調を崩し、数々の悪名が偉業だったと分かった頃にはすっかり元通りの喋り方になっていた。
事件が収束した後の慰労会に、安原が東條を連れて来たが、そこで数々の疑問に触れる事になる。その末、高度な瞬間移動能力から、ナルたちの探していた弟だという事まで判明した。暴いてしまったきっかけは麻衣だが、掘り下げたのは俺であり、恨み言を漏らされた。謝った後に、家出している本人が一番悪いんじゃないかと思ったが口にするタイミングは無かった。
夏、見事なプラチナブロンドを風に靡かせる外国人の姿に驚いた。肌の白さや眸の薄さもあって、全身が明るく、柔らかく見えた。黒髪のときの印象が強かったため、口を開くまで本人だとは気づかなかった。麻衣なんかはこの顔でいきなり英語で喋りかけられたそうだから、狼狽えたのだろう。見たかった気もするが、おそらく俺も狼狽えてしまっただろうからその場に居なくて良かったと胸を撫で下ろした。
さすがはナルの弟ってことで、良い性格をしている。しかし人にイタズラを仕掛けたり、案外素直で優しい所は兄貴の方に似ていた。性格の全く違う、容姿が酷似した双子達の弟としては、ちょうど良く引き継いでいて中々良い兄弟だと俺は思った。
たとえ、血がつながっていなくとも。
「なあ、兄さんや……俺は幻を見ているのかね」
は吉見家の調査への同行をナルに反対されていたが、条件をのむならという理由でついて来たらしい。それはリンから離れないこと、だ。ところがは麻衣と一緒に彰文さんと話していたり、部屋の窓から海を眺めていたり勝手に動いていた。実際まだ来たばかりだし、そこまで口を出す必要も無いと思っていたのだがナルが一喝したらしくリンに手を引かれて車に機材をとりに向かっていた。途中、はどこかを指差してリンに何か言うが、リンは首を振り却下したあと車の方へ向かって行った。
(お父さん、いや、お母さんか?)
機材を運びながら零すが、現実だときっぱり言われてしまった。
リンの奴は、麻衣がケンジに憑依されたときより手慣れているというか、躊躇いがない。
「実は、リンはと一番仲良しなんだ」
「は?」
「子供らしくなかったし、日本人じゃないしね」
「あー」
そういえば、リンは日本人が嫌いだった。
「呪術とかの勉強も見てもらってたから、僕たちで言うとまどかみたいな」
「師匠ってわけか……っつーか、んなこともできるのか、は」
「修行はしてないから使えない。知識だけかな」
闇色の眸は柔らかく微笑んだ。
その日の晩、全員で食卓を囲んだ。リンたちは精進潔斎で肉類は食べない献立になっており、霊能者である俺と綾子はぐっと息を詰める。は普通に食事をしていたが、アイツは霊能者じゃないので何の慰めにもならない。
大家族だというからもっと賑やかな食卓を想像していたが、思っていた程の賑わいはなく静かに箸をすすめ、食事の配膳係やらで全員は揃わず、なんとも気まずい晩餐となった。
食後の麻衣と彰文さんが話していた内容に耳を傾けると、いつもはもっと賑やかだという。やはり、何かが起こっているのだ。
数時間後、カメラの角度を直しに麻衣がベースを離れていた際、母屋の方から悲鳴が上がった。全員でベースを飛び出し、母屋に走って向かう最中麻衣の姿も見つける。何かを怒鳴る声、物音、悲鳴、近づくに連れてどんどん騒ぎは大きくなった。
駆け付けた俺たちが目にしたのは、栄次郎さんが包丁を握って暴れている姿だった。羽交い締めにされ押さえられては居るが、今にも人を刺し殺しそうな勢いだ。
ナルがリンに呼びかけると、気負った感じも無くあっさりとリンが歩み出て栄次郎さんをかるく往なし、捕まえてしまった。
その後念のため縛った栄次郎さんを連れて行く。
憑依霊だろうということで、ナルも俺も見解を一致させた。ジョンを呼ぶか、綾子に出来るかと尋ねるが、綾子はあまり自信がないようだ。法力を人に向けるのは危険なため俺は辞退し、結局綾子がやってみるということで、部屋を移動させた。
綾子の祈祷が始まる頃、ナルは電話を終えて戻って来た。麻衣が尋ねれば、ジョンと真砂子をを呼んだと答えており、万全のメンバーを準備したもんだと感心する。まあ、後手にまわりたくないというのは頷ける。
綾子の祈祷を聞いて、縛られて転がされた栄次郎さんはのたうち回る。獣のように喉を鳴らし、威嚇した。
「下がってろ」
事態に気づいたナルは麻衣やの方に注意喚起する。綾子の祝詞に呼応するように、天井が軋んだ。そして、ざわつくギャラリーや麻衣たちを逃がし、も当然連れて行かれようとしているが、ナルの手を掴んだ。
「ナルも」
「、こっちに……」
リンがの肩を引こうと手を伸ばした所で、綾子は力強く言葉を吐いて指を組んだ。その瞬間栄次郎さんから獣が跳ね出て、綾子を飛び越える。リンと俺は前に立つが、俺たちが何かするよりも先に着地して方向を変えた。その延長線上にはナルと。ナルは身体を低くして構え、リンが立ち向かおうとするナルを制止し、獣が一目散にナルの方へ翔た。ナルに獣が衝突する直前、はナルの目の前に身を滑り込ませた。獣が胸の中に潜り込むように消えて行く。
あまりの衝撃に倒れたナルとに一同駆け寄って抱き起こす。ナルは顔を歪めて自力で起き上がったが、は眠ったように目を瞑り、ぐったりとしていた。
「「メル!」」
双子が同時に叫び、の肩を揺する。はすぐに、息を漏らして、目を覚ました。
メル、というのは愛称だろうか。聞き間違いではないだろうが、気に留める暇はない。
はけほ、と小さく咳き込んで、長い前髪を払った。
ナルが手を差し伸べると、その手は横から掴まれる。真剣な顔つきをしている所為でこちらもナルに見えるが、兄貴の方だ。
「まさか……」
黒い後頭部が、頷いた。
端正な顔立ちは、強ばる。
白い頭は、コホッとまた小さく咳き込んで揺れた。
「憑依されています」
「!!!」
リンの静かな声が、酷く頭に響いた。
を見ると、苦しそうに顔を顰めながら、口を歪めた。まるで、笑っているみたいだ。
何か動きがあればすぐに対応できるようにと、目を離さずに
の様子を観察する。
はぎりぎりと歯を食いしばり、自分を抱きしめるように腕を組む。身を縮め、深く息を吐いた。
ゆっくりと前のめりになり、うずくまった。その身体からはパチパチと電気の火花が上がった。栄次郎さんのときとはまた違う。
「離れろ」
ナルの指示に、全員ごくりと息をのむ。
静寂を打ち破るように、ぷはっと勢いよく詰めていた息を吐いたのは、だ。その瞬間、の身体から黒い塊が飛び出して、壁をすり抜けて消えた。
肩で息をして、ぱっと顔を上げる。その顔には疲労が浮かんでいる。
「出た」
「出たぁ!?」
薄く笑って見せたに、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
リンも双子も、どっと疲れたように溜め息をつき、頭を抱えた。
おそらくその様子からして、霊は落ちたのだろう。
「まさか自力で追い出すなんて」
身体の節々が痛むのか、首を回したり、肩を動かしたりしているをよそに、リンが呟く。
「どーいうこった?」
「は憑かれづらいタイプとは少し違います」
「タイプ?」
「きわめて意志が強く、自制心に優れているタイプ。言葉を返せば我が強いということです」
「ナルみたいな?」
「ええ……の場合は、精神力の賜物でしょう」
精神力、ねえ。
確かに十歳から四年間一人で生き抜き、学校での地位を確立してきた実績を思えば頷けるのだが、素ではのらりくらりとマイペースに生きているのだと知った俺には、どうも理解できなかった。
そのとき、ふいにぱしんと何かを叩く音がした。音のした方を見ると、が顔を傾け、ゆったりと頬を押さえる。
頬を打ったのはナルかと思っていた。に口うるさく、叱るのはいつもナルだから。
しかし、違う。
「約束したよね……誰かを守ろうとして自分を犠牲にしないと」
「したね」
叩かれても動揺を見せず、は平坦な声で答えた。
「馬鹿……!」
「だって、ナルが立ち向かおうとするから」
「僕の所為にするな馬鹿」
「ごめんね」
兄二人に馬鹿と言われて可哀相だが、俺だって馬鹿と言いたくなる。
「冷やして来る」
「あ、おい、一人で行くなって」
平気な顔をしてはいるが、打たれた頬は赤くなっている。誰の返事も聞かずに外へ出て行くので、思わず俺が追いかけてきてしまった。彰文さんも一緒に来てくれたので、保冷剤と手ぬぐいを借り、の頬にあてる。
「大丈夫か」
「それはどっちのこと?」
「どっちもだ、アホ」
驚く程柔らかい、日本人とは手触りの違う髪の毛に手を突っ込んで掻き混ぜると、少し不愉快そうに顔をしかめた。
「平気」
彰文さんは家族の元へ戻り、今は部屋に二人きりだ。畳にどかりと座り込めば、もそれに合わせて座る。話に付き合ってくれるらしい。
「お前さんはよく無茶すんなあ」
「ナルに憑かれたら、調査に支障が出る。俺だったら大丈夫でしょ」
その、俺だったら大丈夫っていうのは、自分が倒れても大丈夫だと言いたいのか、自分ならどうにか出来ると言いたいのか悩む所だ。だが、どちらもの意味を持ち合わせているのだろう。
「あのなあ……助けられる方の身にもなれ」
「助けられなかった時に後悔したくない」
身を呈すことをそつなくやってみせるってのは、とても厄介な事だ。
は酷く危うい。小柄で華奢な体躯と、全体的に白い所為で尚更、儚く見えた。
深く溜め息をつくと、また小さな声で、ごめんねと謝った。
「さてはお前さん、反省はしても直さないタイプだな?」
冗談っぽく言ってみたが、内心は真面目に問いかけた。
「そうだね」
「まぁた怒られてビンタされても知らんぞ」
「このくらい安い。……だって、———生きているんだから」
灰色の眸を、柔らかく溶かして、微笑んだ。
何故か俺には、泣いているように見えた。
July.2014