37
真砂子が霊を降ろして話を聞いた後、俺はあまりの眠さに、離脱を計った。もともと俺は調査員というよりお荷物であり、お子様なので咎められはしない。初日に霊とやり合ったことで疲労感は拭えないし、そのこともナルとジーンは分かってくれているだろう。
とん、と細い肩に手をおいて、隣の部屋に行く。昼間に入浴したし、ずっと冷房の聞いた部屋にいたから汗はほとんどかいていない。そのまま寝巻きに着替えて布団に入り、枕に頭をとすんと預けた瞬間、大きな音が母屋の方から鳴り響いた。
隣のベースではばたばたと人が駆け抜けて行く音がする。
ナルとジーンとリンが来たが、寝ていろと言われた。ジーンが傍に居ればナルも力は使えるし、リンも居ればある程度平気だろう。今の俺は足手まといだと分かっていたのでお言葉に甘えて眠った。
しかしどうやらあの火災はベースから人を散らすためだったようで、何かが俺の眠る部屋の前でどんどんと襖を叩く。包丁の刃が襖を突き抜けて、切り裂くのをじっと見つめた。綾子からの護符と、ジョンからのお祈りを貰っているため俺に触れないとは思うが、念のため身体を起こす。
途中リンと麻衣の声が聞こえ、一悶着あった後に遠くで窓が割れる音を聞いた。それから、追いかけて行く音や、リンの指示があったので俺はもう一度布団に戻って今度こそ眠る事にした。
翌日は朝から目を覚ました。
全員がまだ布団に入っていたので、傍に寝ている人たちを跨いで洗面所へ行き顔を洗う。タオルで拭き終わり顔をあげた時、目の前の鏡越しにリンと目が合った。
「おはよ、昨日はお疲れさま」
「おはようございます」
「怪我……してるの」
腕に撒かれた包帯を見つけ、少し気分が下がる。守れなかったと悔やむ訳ではないが、大切な友人だと思っているので怪我をされて良い気分にはならない。
「大した事はありません」
「他の人は?」
「吉見和泰さんが、亡くなりました」
「……そう」
おそらく昨日襲って来た人物だろう。霊に憑依され、そのまま崖に飛び込んだと聞いて、ただその事実を咀嚼して飲み込んだけど、リンが気遣うような視線を寄越したので、おもむろに口を開いた。
「仕方の無い事だった」
「ええ……」
「誰も死なせないなんて驕らないよ、俺」
俺が人助けをするのは、目の前で、それが出来るときだけだ。この世界の事を知らないのだから、そうする他ない。そして、助けたい人を選び、その人の傍にいることだけしか出来ない。
俺は和泰さんを選ばなかった。運命は、和泰さんを助けさせてはくれなかった。それだけの話だ。
「でも、そうだな……もしまた俺の大事な先生を傷つけた時は、俺の腕が火を噴くかもしれない」
半分は冗談で口にしたのだが、リンがごちんと洗面台の上の棚に頭をぶつけて動揺した。
「洒落になりませんよ……貴方火が出せるようになったんですか?」
「いや?でも気合いで」
「ごほん、イチャイチャはもう良いかね」
別にイチャイチャしていると揶揄されるような会話ではなかったけど、ぼーさんがわざとらしく咳払いをして遮った。
発火能力のことは別に隠しているつもりも、ひけらかすつもりもない。いまの話は聞かれても困らない内容だったけれど、これ以上話をするのはやめて、洗面所を出ようとした。
「兄貴の言ってたとおり、お前ら仲良いんだなあ」
すれ違い様にそういうので、きょとんと顔を見上げる。
「うん。いいでしょ」
「へーへー、どいたどいた」
すぐに、ジーンがリンと俺の事を言ったのだと理解して肯定した。
俺があまりに素直に認め、リンが口を開かなかったので、つまらなそうに俺を洗面所から追いやる。
「声かけたのは自分のくせに」
一言だけ文句を零して、大人しく皆が目を覚まし始めた部屋へ戻った。
どうやら昨日安原が調査してきたことと、奈央の証言や和泰に憑いた霊の言葉を聞いてナルはすっかり解決していたらしく、綾子が除霊をすることになっていた。
俺は彼女の力量は知らないが、皆が口を揃えて成功した試しが無いと言う。しかしそんな人にナルが任せるわけないし、今度は大丈夫だと真面目な顔で言った綾子。
まずはやらせてみようという事で俺たちは神社へ向かうことにした。
綾子がやったのは、除霊ではなく浄霊だったらしい。沢山の幽霊が姿を表して彼女に救いを求めていた。
俺は、ずたぼろの身体を引き摺って押し寄せて来る光景が怖くてリンの傍で大人しくしていた。
「ナルの言った通り、戦力は一応削いだわよ」
「どうも」
柏手を打った後言った綾子の言葉の意味を、俺は分からなかったけど口を開かなかった。しかし、隣の麻衣が話しかけてくる。
「昨日の説明聞いてなかったけど、大丈夫?つってもあたしも上手く説明できないけど」
麻衣はどうしてどうしてな女の子なので、多分俺が事情を知らないことが可哀相なのだろう。
「聞かなきゃ大丈夫じゃなくなるの?」
「え、そんなこと無いけど……気にならないの、かなーって」
「俺が気にかける必要のあることは、ナルが言う」
「必要があっても気にかけないだろうが」
麻衣と俺の会話を皆聞いていたらしく、ナルが冷めた声で言うと、どこからか笑いが漏れた。
「しかしよぉ、ナルちゃん、おこぶ様をやる必要はないんじゃないか?」
「そーよ。祀ればもう祟りは止むんでしょ?相手は神様なのよ」
滝川と綾子は不満げに言うが、ナルはそのおこぶさまを叩く理由は口にしようとしない。
「僕がやる。来なくていい」
冷たく言い放ったナル。ジーンと一緒に片付けに行くつもりなのだろう。リンは止めた方が良いと言ったが、きっぱり無視していた。何がナルをそうさせているんだろう。
「ブチ切れちゃってるなあ……こりゃ。行くだけ行ってみるか」
「邪魔だ。来るな」
「そーは言ってもな、奈央さんや和泰さんの事もある。一矢報いてやりたいって気持ちはあんだよ」
滝川はそう言ってはいるが、本音はナルを心配しているのだろう。
「別にナルの我儘に付き合わなくていいよ?」
先を歩くナルとジーンに追いついて俺が首を傾げると、滝川は目を丸めた。
「待てぃ。お前も行くのか?やめとけやめとけリンが行くとしても危険だぞ」
「俺は二人の救助要員」
ナルとジーンを指差して、滝川に返答する。
人と連れ添っての移動は難しいけれど、何度もして来た。しかし危険性はなくもない。ただでさえ今は俺も本調子ではないし、リンや滝川まで来るとなると全員つれて逃げるのが大変そうだ。いざとなったらナルとジーンをまず優先するけど。
「着いて来る気か」
「うん」
ナルが顔をしかめて俺を見る。俺の力は矢鱈と使うものではないが、これはただの保険だと思えば良い。
なにしろ俺は、一度は二人を置いて逃げたくせに、置いて行かれるのが好きではないのだ。
「自分も傷つかない、後悔しない選択をとるよ。たとえ除霊ができなかったとしても」
俺の言葉に、ナルとジーンは一度視線を合わせてから、仕方無さそうに溜め息をついた。勝手にしろ、とナルが言って歩き出したので勝手について行く事にした。
「じゃあ、僕たち洞窟の前に居ます」
全員が着いて来たのでまさか入るつもりかと思ったが、安原たちは洞窟の前で足を止めた。
「満身創痍で出て来た後に運べるように、ね」
「そう」
危なかったら自分たちは避難できるし、もし何かがあった時に彼らの元へ皆を運べば対応してくれるのだろう。俺は安原の言葉に頷いて、ナルとジーンと洞窟に足を踏み入れる。
後から、滝川とリンと、控えめに力になれればと言ったジョンが入って来た。
「始めよう」
「はいよ」
ナルの平坦な声に、滝川は一歩踏み出した。祈祷を始めると洞窟の出入り口が閉まっていくが、除霊が終わったらどうせ開くだろうと大して焦らずに居たのだが、その光が小さくなっていくのに焦ったらしい人物が、洞窟に飛び込んで来た。麻衣だ。
「麻衣さん」
「あ、あぶないって思って、つい……来ちゃった」
「大元を断てば元に戻るんだ。あんなものに気をとられるな」
ジョンは、困ったような焦ったような声色で、滑り込んで来た麻衣を起き上がらせた。
苦笑いしていた麻衣にナルの言葉が冷たくふりそそぐが、心配したんだもんと麻衣は噛み付くように声を荒らげた。
完全に閉ざされた洞窟の壁からは、鬼火がふわりふわりと浮き出て来る。
その鬼火に触れると酷く痛むようで、ジョンや麻衣は悲鳴を上げた。滝川が言葉を強めて祈祷すると、青白い鬼火は赤く染まりたちまち消えた。おそらく祈祷が効いたのだろう。
独鈷杵を祠の中の木に突き立てた瞬間、風とはまた違う何かが、滝川の身体を押し飛ばした。随分距離があったのに、俺たちの傍まで飛んで来て、背中を強く打ち付けた。
「ジョン、悪いがあの独鈷杵で割ってくれ」
「はいです!」
滝川はジョンに託したが、ジョンは独鈷杵を抜いてもう一度刺そうと振りかぶった途端、弾き飛ばされてしまった。
「この程度か」
ナルがそう言って振り向いた。ジーンはちらりとナルを見てから困ったように眉を垂れて、俺たちを見つめる。
「あったまきた!皆あんたの我儘に付き合って来てんのに何!?」
「だから来る必要はないと言ったんだ」
「自分で出来るなら最初からやればいいじゃない!」
「着いて来いとも、やれ、とも言ってないけどね」
ナルの味方をするわけでは無いけど、口添えした。麻衣が俺を睨むけど言葉が出て来ないのか不平は漏らさない。
「ナル、俺がやろうか?」
ナルの力を見せるのはどうも心配だった。ここにはナルの正体を知らない滝川も麻衣もジョンも居るのだ。
「お前の力を借りる程じゃない」
「僕たちがやるよ」
ジーンまで優しく断るので、俺は手を下ろす。そして、二人は恵比寿に向き合って、気のトスを始めた。
ゆらりと空気が重くなり、ナルの様子を見た麻衣が近づいて行くのを俺は腕を掴んで止める。
「危ないよ」
「でも!」
気を溜め終わったナルが、腕を振りかぶって狙いを定める。そして、勢い良く撃ち込むと、ものすごい騒音と、風が俺たちを襲う。
麻衣と俺は小柄なのでその衝撃に体勢を崩したが、リンが俺たちを軽く支えたので倒れはしなかった。瞑っていた目を開くと、ほこらや恵比寿のご神体である木は壊れて崩れ落ち、洞窟の入り口は開いていた。
外で待機していた人たちが入って来て、真砂子が成功したのだと胸を撫で下ろす。
ナルに平気かとこっそりと問えば、小さく頷いてから歩いて出て行った。
「はー……ナルちゃんに最初から任せりゃよかった」
「骨折り損の草臥れ儲けだったね」
「それは言うな……」
俺自身はジョンに肩を貸していたけど、リンと安原に支えられて溜め息まじりに呟く滝川に声をかける。
嫌味かよとぐったり視線を落とし、大人しく洞窟の外へ出て行った。
ジョンはかすり傷、滝川は打ち身で済み、一番酷いのはリンの腕だった。
「やっぱ俺がやりたかったな」
「馬鹿な事を言うんじゃありません」
病院に行って治療をしてもらったリンにぽつりと零せば、口調では嗜めながらも俺の頭を怪我していない方の手で撫でた。大きなそれは、俺の頭をすっぽりと包み込んでしまう。
「リンに撫でられるの初めて」
「そうでしたね」
「数えきれない程抱かれてるのにね」
俺が居眠りをしていた時はよく俺を運ばされているので、リンの腕の中や背中で目を覚ましたことも多々ある。俺のその発言が悪かったのか、リンがガタガタと挙動不審に慌てて、俺の口を塞いだ。
「!誤解を招く言い方は止めなさい!」
隣で診察を受け終わり待っていた滝川が肩を震わせて笑っている。打ち付けた背中が痛いみたいで辛そうだ。
面白がられて良い気分ではないリンはむっすりと黙り込んで俺の口から手を放す。やがて会計に呼ばれたので立ち上がり、俺と滝川は残された。
「お前さんが居ると普段だんまりなナルもリンもよく喋るな」
滝川は笑いを引き摺りながら、目に浮かんだ涙を拭った。
「……付き合い長いし、家族だし。まあリンは長くないけど」
「いつからの付き合いなんだ?」
「ナルたちは二歳、リンは八歳だったかな。十歳まで」
俺が養子だということは皆知っているので、二歳で親元を離れたということに苦笑した。
「お前さんも気功、出来んのか?」
「ん?」
「自分がやろうか、って言ってたろ」
「ああ」
滝川の言っている意味がわからず首を傾げたが、俺の言葉に引っかかりを覚えて尋ねていることがわかって納得した。
俺とナルはリンに気功を習っていたけど、実際にはPKを制御する為のものだ。
しかし、滝川の口ぶりからするに、ナルのあれも気功だと思っているみたいだ。
少し考えていた時、リンが戻って来たので帰るつもりでソファから立ち上がりながら振り向いた。滝川も立ち上がるところだ。
「俺はリンに気功を教えてもらったよ」
前に視線を戻せばリンが驚いたように目を見張った。
「言っちゃ駄目だった?リンに教わったって」
「いえ」
ナルの能力の話ではないのだから平気だろうと思って口にした。リンも大丈夫だと思ったようで頷き、俺たちは車に戻る為に歩き出した。
「そういえばナル、ちゃんと謝った?」
「あ、ああ、知ってたのか?」
「が嫌味を言ったからですよ」
「嫌味!?」
「嫌味なんて言ってないよ」
リンの溜め息まじりの言葉に驚いた滝川は打ち付けた背中が痛んだのか、いてて、と顔を歪めた。
ナルが除霊に行くと言えばお人好しの連中は心配して着いて来るだろう。それを見越さず、皆の前で宣言しまんまと着いて来させ、言葉が足りないばかりに無理をさせ、怪我をおわせ、なおかつ自分の力を見せつけたのはナルの失態だ。
滝川は、大きな大きな溜め息を吐いた。
「でも謝ったのは自分の意志だよ、自分が悪いと思わなければ謝らない人だから」
Aug.2014