38
(ナル視点)
栄次郎さんに憑いた霊が姿を現したとき、メルは逃げるのを渋った。ジーンと、僕たちと一緒に逃げると約束した為だろう。しかし飛び上がった霊はこちらを向き、飛びかかろうとしていた。ジーンが傍に居ないが、致し方なく立ち向かおうとすると、リンが凄い剣幕で僕を制した。反応が遅れ、獣が僕に触れると思った瞬間、今まで背に庇っていたメルが僕の前に立ちふさがった。そして獣もろとも僕の胸に飛び込んで来て、後ろの壁に叩き付けられる。
背中や後頭部、メルを受け止めた胸が痛む。自力で体を起こすと、僕の上にいたメルが意識をなくしてずるりと崩れた。
僕が名を呼びかけるのと、心配して駆け寄って来たジーンが口を開くのは同時だった。
すぐにメルは目を開けた。少し咳き込むが、気怠い動作で頭を掻き、大丈夫と口にしかけていた。しかし、伸ばした僕の手をジーンが掴んで遮ったことによりメルの大丈夫が大丈夫ではないことに気づいた。
「憑依されています」
ジーンが霊媒であることは僕たちと原さんしか知らない為、リンがジーンの代わりに口を開いた。メルが這いずったのと、僕たちが立ち上がったのとで、メルとは皆少し距離ができた。メルはおもむろに前のめりになって両腕で自分の身体を抱きしめる。畳に額がつくくらい背中が丸まり、力を入れている。小さな火花がメルの周りに散り、まさか、放電するつもりなのかと警戒して距離をとるように指示をした。
おそらくメルは今葛藤しているのだろう。霊に憑かれて、己の意志でどうにかする程の意識が残っているなんて到底あり得ないことだが、メルなら出来るのかもしれない。なにせ閉心術という不思議な精神コントロールを行っているのだ。
勢い良く息を吐き出したのと同時に、黒い塊がメルから飛び去って消えた。起き上がったメルは、まるで何て事のないように出たと言う。額や首には汗がにじみ、息は荒いがいつも通りの様子だ。ジーンが何も言わないという事は、本当に憑依霊をどうにかしたのだろう。
あまりの無茶にぼーさんが愕然としているが、僕はメルが昔から滅茶苦茶だったことを知っているので大した驚きは無い。疑問は沢山あるが。
リンも諦めている為、ぼーさんに簡単に説明してやっているが、正直な話メルは言葉で言い表す事の出来ない人間なので理解できないだろう。
しかし、庇うなど言語同断であり、無茶をしでかしたメルには納得が行かず口を開こうとしたとき、ジーンがメルの頬を平手打ちした。
今まで僕がジーンやメルに腹を立てる事はあったが、二人は全くと言っていい程腹を立てない性格だった。ただし、ジーンはメルが無茶をした時に、メルはジーンが無茶をした時に自分の事を棚に上げて説教をする。
こんな風に、ジーンが冷ややかにメルを見据え、ましてや平手打ちをする程に怒っているのは見た事が無い。
「だって、ナルが立ち向かおうとするから」
「僕の所為にするな馬鹿」
「ごめんね」
メルはじんわりと赤くなりつつある頬を、掌で抑えたまま僕に視線を寄越したが、ジーンとの約束を破ったことには違い無い。
メルは表情をかえないまま、おそらく反省していない平坦な声で僕とジーンに謝って立ち上がり、手当に行った。
人を助けるのと庇うのとでは、大きく違う。
当たり前の様に、あの大きな獣と僕の間に滑り込ませて来たメルは、猫のように素早かった。意図的であろうと無意識であろうと、危険だ。
人を庇うことを当たり前だと思っているのだ。
ジーンはよく他人に情けをかけたり同調しているが、無理をして身を呈すことはない。メルは同情をしない癖に、目の前で危険があれば助けようとする癖がついているようだ。厄介な性格をしている。
僕が危ないと思ったというのは余計なお世話だが。
メルが寝こけて手当から戻って来た後、僕は早急に事件解決をする為の人員を一人増やした。安原さんは沖縄でのバイトがあるようだが無理をして来てもらった。
昼にはジョンと原さんも到着し人員を確保。その日はメルをリンの傍から離さずに、なるべく僕やジーンも居るようにしたので危険も無く過ごした。ただし被害は確実に出ており、奈央さんが行方不明になり遺体となって発見された。
奈央さんを降ろして話を聞き終えたあと、先に寝たメル同様僕たちも休もうと思った。しかし、母屋の方から火が上がり、ベースを手薄にするとまたメルが襲われた。
今回はリンの式や、松崎さんの護符、ジョンの魔除けが効いていた為メルが実際に接触する事は無かったが、明らかにメルが狙われていた。おそらくメルの身体に一度入った際に、能力を知ったのだろう。和泰さんは後に、死が目的だと言ったから、メルの身体を乗っ取り一網打尽にしようとした。メルが本気で放電したら、僕たちは皆感電死するに違いない。
ぼーさんはメルに何か力があるかと感づき始めているが、僕が口を開く必要もない為答えなかった。
メルに聞けと投げたが、おそらく本人に聞いても無駄だろう。瞬間移動の事はすぐに吐いたが、メルは自分のパイロキネシスはあまり好きではない。聞かれても答えない確率が高いのだ。
一連の原因は、おこぶ様だと安原さんからの情報で分かった。奈央さんや和泰さんの言葉も決定打となり、一度休んでから除霊を行うと説明した。
相変わらず緊張感の無い自由人のメルはあっさり寝こけているが、メルに説明をする必要は無いし、おそらく話しても真面目に聞かないだろう。
次の日の朝からは、松崎さんが多くの霊たちを浄霊し数を削いだのでおこぶ様のお祓いに行くことにしたが、僕が昨日一方的にそう話したきりだった為ぼーさんと松崎さんからの不満の声が上がる。
「僕がやる。来なくていい」
本来なら手厚く祀れば祟りは止む筈だが、僕はそれだけでは腹の虫が収まらない。メルなんかに心配されたあげくに庇われるという屈辱を受けさせられたのだ。メルの後頭部や肉付きの悪い肩が胸に突き刺さった痛みは一瞬呼吸を奪った。
ぐったりとのしかかるメルは、死んだように重たかった。ぐるりと何かが腹を蠢く。怒りか、武者震いか、分からないがとにかく今はおこぶ様を破壊して全て断ち切りたい気持ちだった。
僕が行くと言えば、お人好しのぼーさんは黙っていなかった。別にやらせるつもりは無かったが、口を挟む暇もなく先に試された。
洞窟の入り口が閉まり始めると、外で待っていた麻衣が心配して飛び込んで来て、呆れる。やはり安原さんに麻衣を繋いでおいてもらった方が良かったかと思案しかけた。
ぼーさんも麻衣もメルも、口を開けば心配したと言う。大きなお世話だ。
メルに至っては自分の無鉄砲さを棚に上げて言っているのだから質が悪い。
しかし今回は、僕とジーンが二人揃っているためメルも分かっているようだ。いざと言う時に逃げる為の保険だと言って、リンの傍にちゃんと居た。
「ナル、俺がやろうか?」
ぼーさんとジョンが弾かれたのを見て落胆すれば、麻衣が煩く噛み付いて来る。僕がやるから着いて来なくて良いと言った筈なんだがと口を開く前にメルが同じ事を言い、麻衣は口を噤んだ。そして、僕を見てメルはゴム手袋を外そうとしながら首を傾げた。
ぼーさんたちに能力を見せない為に言っているのだろうが、メルの力は四年前から計測はしていないし、その能力はなるべく使うべきではない。
それに、メルにやらせたら僕の気は収まらない。
「お前の力を借りる程じゃない」
「僕たちがやるよ」
今回はジーンも珍しく協力的だった。目配せをして気のトスを繰り返すと、音が遠くなる。麻衣が寄り添おうとするが、それをメルが止める声が聞こえた。
それ以降は気にかけないことにして、ジーンから返ってきた大きな気をおこぶ様に撃った。衝撃音と、爆風のようなものが僕たちの身体を押す。破片や砂埃が入って来ないよう目を細めた。風が止み、おこぶ様の方を見れば祠は破壊され、祀られていた流木は折れていた。ジーンを見れば頷かれ、成功したことが分かる。また、洞窟が開かれており、原さんが霊場の気配はなくなったと宣言したことから、他の調査員たちも事件解決を自覚した。
「平気?」
騒がしい連中に混じって、メルが近づいて来て小さな声で問うので、頷くだけの返事をして洞窟を出た。
すっきりした、という程の開放感ではないが、腹に燻っていた感情は引いたように思う。
その後、吉見家で事件解決の報告をした。
僕とジーンとで説明を終えて母屋から店の方へ行く最中、ジーンがメルが居ると指をさした方向を見れば中庭の方に淡い色をした頭が見える。あんな頭はメルしか居ない。
「メル、リン」
「ナル、ジーン」
生け垣の傍に立ち、海を見ている様子のメルの隣にはリンも居た。一応律儀に一緒に行動はしているらしい。
「お疲れさま」
表情の機微は少ないが、口調は柔らかい為、笑っているのだと分かる。今はジョンとぼーさんが手当の最中であり、少し空気を吸いに出て来たらしい。
「ジョンは見た所そうでもなかったようだけど、滝川さんは結構強く背中を打ってたんじゃないかな」
唇をつつきながら、メルは口を開いた。
「意味の無い事をして怪我してくれるなんて、良い人たちだね」
「……」
素直な物言いに、リンが慌ててメルを嗜める。おそらくこいつは無意識で悪意のかけらもなく言っている。本当にぼーさんたちを良い人だと思っているだろう。いや、東條として生きて来たことも考えれば、一丁前に嫌味を言うようなしたたかな性格になった可能性もある。どちらにせよ、メルが言っている事に言葉を返す気は起きなかった。
「あ、リンは病院行こうよ」
「私は別に……」
「駄目」
片付けの準備に戻ろうとジーンが提案したところで、メルは一緒について来ようとしたリンの手を引いた。昨日腕を切った為だろう。
「リン、メルと病院へ行って来い」
「ですが……分かりました。行ってきます」
振り向いてリンにそう告げれば、一瞬渋ったが頷いて肩を落とした。
その後僕はぼーさんとジョンに一言悪かったと謝罪をした。
「ま、俺たちもナルの言葉を無視した訳だしな」
「さんのお言葉通りにすれば良かったんどすね」
僕の我儘に付き合う必要は無いというメルの言葉もあったのは確かだ。
一瞬驚いてから、二人は困ったように笑った。
ぼーさんは背中を強く打った為、リンとメルと一緒に病院へ行かせた。ジョンはかすり傷で本人も平気だと言うので後片付けを手伝ってもらう事にして、昼頃には病院へ行っていた三人が帰ってきた為吉見家の方々と昼食をとって能登を後にした。
Aug.2014