harujion

Mel

45

イギリスでは、両親の説教を受け、ジーン監視下で健全な学校生活を送り、ナル監修の能力測定が行われた。
二ヶ月程経ったころ、ナルとリンは日本で調査を再開する予定だと聞いて、俺も連れてってと頼んだ。学校は冬休みではないし夏に入院したばかりの俺はルエラとジーンから反対されたけれど、今度は別に調査に行くわけでもないからと説得した。
今回もジーンはつい来ようとしていたけど、依頼が入ったので予定は揃わなかった。

飛行機が遅れてモスクワで十時間程またされてから成田に着くと、ナルもリンも表情こそ変わらないがどんよりと疲労して重たい空気を漂わせていた。リンとナルはホテルにチェックインをするためにタクシーに乗り、俺は神父様が泊めてくれると言うので二人とは違うタクシーに乗って空港で一度別れた。
教会の子供達には冬以来会っていないので、俺の髪色に驚き最初は近寄って来なかった。この教会に来たばかりの頃はこの色だったがそれを覚えている子供は少ないだろう。入れ替わりだってしているし。
神父様はにこやかに俺を出迎えて、部屋へ案内してくれた。
「夏は大変だったそうだね
「ちょっと無茶しちゃった」
「ほどほどにしなさい」
宥めるように頭を撫でられ、苦笑を漏らす。
「病院へは行くのかい」
「黒木先生と晩ご飯の約束したから夜にね」
その前に、飛行機のフライトが疲れたからちょっと一眠りしたいと言うと、神父様は快く俺を部屋に置いて出て行った。

昼寝から目を覚ましたのは夕方だった。一度オフィスにも顔を出そうと思っていたので出かける準備をして神父様に挨拶してから教会をでた。
渋谷は平日であろうと休日であろうと人でごった返していたが、SPRは清閑な佇まいをしていた。
通常の人物であれば、このブルーグレイのドアの中を知らず、もしくは信用しかね、おずおずと開けるのだが俺は慣れた様子でドアを開けた。
顔見知りの事務員二人は、一瞬営業用の明るい表情を浮かべたが、俺が軽く挨拶をすると少し肩の力を抜いたような笑顔を浮かべた。といっても営業用の笑顔も普段の笑顔も大差なく明るく爽やかなものだが。

さんも日本来てたんですか」
ナルとリンは俺の事を何一つ言わなかったらしく、安原は今知ったような口ぶりで俺に笑いかけた。
麻衣は俺の後ろに誰かいないのかと少し首を傾げて、目当ての人物を捜したが居ないと答えるとほんの少し残念そうに眉を垂れた。
そんな麻衣を放って、俺はナル来たことを告げに所長室へ入った。
ノックを軽くしてから入ると俺をちらりと一瞥しただけでナルは書類に目を落とす。そのまま、やっときたかと言われて待っていたのかと首を傾げる。
「さっき依頼人が来てお前のことを聞かれた」
「俺、って」
・デイヴィスの方だ」
「……警察とか?」
「医療従事者やホテル関係者とは思えないな」
俺が・デイヴィスと名乗ったのは宿泊中と入院中、入出国審査の時くらいだ。それと、一年程前の強制送還の時。
依頼人である阿川翠という女性の従兄弟らしいがそれはどうもきな臭いとナルは言う。職業は公務員と言っているあたり、警察関係者の可能性は高い。
「強制送還の手続きってどうやってしたの」
「サー・ドリーと僕できっちり事情を説明した」
「あそう……」
俺は覚えていないとしらを切り通せば良いと言われてそうしたが、ナルやSPRはしっかり説明したらしい。ナルはイギリスで数回アメリカでも一回警察に協力しているし、名前は有名だ。SPRの重鎮であるサー・ドリーも正式に口添えをしてくれたらしいので俺は罪に問われる事は無かった。
しかしそこを変に勘ぐったり信じきれない者は少なからずいたのだろう。日本ではオカルトや超心理学の分野は浸透率も信憑性も低い。
「メル、この調査に同行しろ」
「へ?なんで?」
ナルの言葉に俺は部屋から出て行こうとしていた足を止め、振り返る。
「今回、電子機器類の故障が多く発生している」
「ナルもリンも詳しいじゃん」
「たまには役に立て」
ある程度の電子機器類なら操作できるし、電子工学の大学に通っていたこともあるのでハードとソフトともに多少の知識がある。勿論技術は常に進歩している為、俺の知識が及ばない可能性もある。ナルもリンも俺より随分詳しい筈だし、俺にはネックとなるものがあった。
「いや、壊しちゃうだろ」
役に立つ気がしないと断言するが、ゴム手袋をしていればなんら問題が無いことが最近わかってきたので通用しなかった。正直面倒くさいと思ったし、明日からの調査に急に同行しろといわれても困る。
言う事は聞かないタイプだが、これで明日すっぽかしたらどんなお叱りが待っているのか分からず、初日だけ調べるという条件で調査への同行を決めた。

黒木先生との待ち合わせはまだ先なのでのんびりとさせてもらおうとソファに身を沈めていると、麻衣と安原にも広田と中井のことを尋ねられた。ナルから聞いてはいたがとぼけておくことにした。

「あーそうだ、明日の調査に俺同行することになったよ」
「そうなの?」
吉見家の調査のときに俺は、リンと一緒にモニタの観察や事務作業をしていた為、同行することに驚かれはしない。ただし俺は調査の為に日本に来たのではなく用があって日本にきたということを安原はいち早く気づいて指摘した。
「機械類を見るから、明日限定」
「機械お詳しいんですか?」
「ナルとリンに比べたらそうでもないけど、人並みに扱えるよ……人手不足なんじゃない」
本当に俺の手を必要としているのか、実は定かではない。
広田と中井に、あえて俺を会わせて用があるなら済ませ、疑惑があるなら思う存分調べれば良いとでも思っているのか、も、不明。正直ナルの考えはわからない。
俺は結局当時十歳の子供で、記憶喪失という診断を受けていたのだからしらばっくれるしか無いのだ。もしかしたらナルはそれで引っ掻き回すのを狙っているのか。そこまで非協力的だとも思えないけど。
「じゃ、明日の朝事務所くる。おつかれ」
「お疲れさまです」
「また明日ね」
考えても無駄だと決めて考えるのをやめた。
明日約束していた坂内には明後日にしてもらい、黒木先生との食事は予定よりほんの少し早めに切り上げた。



リンとナルと麻衣と俺の、未成年が四分の三というメンツで阿川家を訪れた。
「お待ちしてました」
外で出迎えてくれた翠と母親の礼子だが、礼子は暗い面持ちで俯き気味のまま口を閉ざしていた。
一応ナルが事前に、電子機器類の調整要因として俺の存在は伝えているようだが、十四歳の外国人を連れて行くなど詳細を話していなかったのだろう。翠は俺を見るなり少し驚いたような顔をして、なんと声をかけようかまごついていた。
といいます、よろしくお願いします」
とりあえず日本語が出来る事を分かってもらった方が良いだろうと先に口を開き、それなりに柔和な態度で挨拶をすると、翠もほっとしたようだった。

家の中に案内された時、ふと口を開きかけた。
———ただいま。
しかし、幸いにも唇は動かなかった。
言い間違える所だった、と一人で照れながら、靴を脱いだ。
家に似ている作りの訳でもない、香りも間取りも全て違うというのに、我が家に帰って来たつもりになった。そして急に寂しくなった。
昔の家族の顔が頭をよぎって、最後にはナルとジーンの顔も浮かんで消えた。
「、」
、どうしたの?」
「なんでもない」
ぼうっとしている俺の顔を麻衣が覗き込んだ。丸っこい瞳を認識して、すぐに我にかえった。
礼子はすぐに部屋へ戻ってしまい、翠がベースとなる部屋に案内をした。一軒家に大人の女性二人というだけあって整っていたし、物も少なく閑散としていた。
ナルは麻衣にサイズを測るように指示して部屋を出て行ったので、俺もついて行こうとすると睨まれる。機械が壊れるから来るなということだろう。いじくるときは手先だけだが、運ぶとなると身体の色々な部分に触れる可能性がある。アイコンタクトだけでやりとりは終了し、俺は麻衣と一緒に部屋に残った。
「あれ、どうしたの」
「どうせ持てないんだから来るなって」
「うげっ甘やかされてんなぁ」
そういう意味じゃないんだけどなあと思いながら反論は飲み込む。ナルなんて変なブラコンだと思われてれば良い。翠は少し笑いを漏らして、俺たちの様子を見ていた。
「サイズはどう?」
「んーだいじょうぶかな」
メジャーを弄りながら麻衣は曖昧な返事をする。翠は不安げに瞳を揺らしたが、麻衣はなんとかするからと取り繕った。
「機材って、そんなにあるの?」
「それはもー、うんざりするほど」
麻衣は思い切りしかめっ面をしておどけてみせた。その調子で緊張をほぐしてあげられれば良いなと思い俺は余計な事は口にせず二人の会話を見守った。
手持ち無沙汰だったので既に嵌めていたゴム手袋の皺をぴちぴちと伸ばす。
途中でまどかが所長だった時の事を翠に話していたが、その人がデイヴィスさんかと問われて、俺は顔をあげた。
「オリヴァーと、、って……あれ?」
翠はふと俺を見た。
「俺が・デイヴィスですよ」
「そっか、何か聞いた事がある名前だなって」
「その名前、どこから聞かれたんです?」
麻衣が遠慮がちに尋ねるが、翠はえっと麻衣を見返すだけだ。
ナルの名前も俺の名前も外に出る事はほぼ全くと言って良い程無い。宿泊施設、国や警察、病院以外が知っているとは思えない。ナルの場合はこちらで労働だか研究だかをしているのでもう少し幅広いだろうけれど。
麻衣は声を更に低くしながら、ナルの名前がオフレコだとか日本名を名乗っているだとか色々誤摩化しつつ翠に話していた。
仕事をサボっているというか、話に花を咲かせすぎた麻衣は戻って来たナルに一喝されて仕事に戻った。俺は手伝う気も無ければ、ナルも触らせる気は無いようなので翠と一緒にベースが出来上がる様子をぼんやり見ていた。
「広田さんって人、俺に何の用があったんですかね」
「え?」
「俺を訪ねて来たようだったってナルが言ってたから」
「あ、ああ……私もよくは分からないの。くんはその、同じ苗字だけれど……」
「養子なんです俺」
「そうなんだ」
ナルと俺があまりに似ていないから遠慮がちに問う。回答に翠は少し困ったような顔をしたが気にしないでくださいと言えば表情を取り繕った。
「俺、去年の夏と今、二週間くらいしか日本に滞在してないから……俺の名前知っているとしたら情報漏洩か……警察とかかなあ」
わざとぼんやり口に出せば翠は少しだけ狼狽していた。きっと口止めされているのだろう。
くんって電子機器類を見てくれるんだったわよね」
「そうです、あとで谷山さんが案内頼むと思うのでその時に一緒に」
そういえば、と前置いて翠は話をすり替えた。
「何度も修理に来てもらって、問題は見つからないって言うんだけれど」
「簡単にしか見てないんじゃないですかね」
「そうだと……良いけど」
「まあ、電子機器に異常が無いのに何かが起こるという結果がでても、それは糧になると思いますよ」
「ええ」
そんなやり取りをしている間に、ベースの設置があらかた終わりつつあった。
麻衣はクリップボードを手に、翠に家の中を案内してもらえるように頼み、あまりの機材量に驚いていた翠ははっと我に返った。
「あれが全部機材?」
「はい。びっくりしました?」
「ちょっとね」
軽いやり取りをしながら、俺は後ろを静かについて行った。それなりに人当たり良く接しているつもりだが、麻衣の方が人付き合いに長けているし、女性同士の方が気も和らぐだろう。
「ねえ、谷山さん?」
メジャーで部屋を計っていた麻衣の目をまっすぐ見て翠は問いかけた。
「谷山さんも除霊できるのよね?いわゆる霊能者なんでしょ?」
「どうかなぁ」
麻衣は一度浄霊に成功したことがあったが、俺はそれ以外知らないしどのくらいの技量かもわからない。本人も修行をしているわけでもなければ実績を積んでいるわけでもないということで、自信が無さそうに苦笑していた。
半人前でもいいから、と翠が麻衣に意見を仰ぐのを止めようか考えたが、麻衣は人を不安にさせることは言わないだろうし、きっと翠も少し前触れておきたいだけなのだろう。
「家に入る時、ちょっと変な気分がしました」
「変な……気分?」
「意味のある事かどうか、わかりませんけど。玄関から入るとき、凄く不安な気分がしたんです」
家の中に誰もいないような気がしたという麻衣と、俺も概ね同じような印象を抱いた気がする。ただ、俺は何故か家に帰って来たつもりになっただけだ。それで寂しくなったのだ。
だからやっぱり麻衣とは感じ方が全く同じと言う訳でもないし、俺にはESPは無いと思う。ジーンやナルのテレパシーやサイコメトリ然り、閉心術でESPを遮断しているのだと思う。

電子機器類の説明、部屋の間取り、それから麻衣と翠の他愛ない話を聞きながら計測は続けられた。
麻衣は採光と湿度も測っていたが床の傾斜を計っていなかったので一応口を出すと、思い出したように慌てて計り出した。
って調査に同行したことあるの?」
「今日ので三回くらい」
「うっ。あたしより少ないのによく覚えてるね」
くんは普段来ないのね」
「俺は霊感とかないし、そもそも働ける年齢でもないので」
旅行者として来ているのでビザも関係してくるのだが、結局年齢制限で労働できないので言っても仕方がない。
「働けない年齢、なの?」
「今十四歳です」
「谷山さんと同じくらいかと思ってたわ」
「アジア人と比べると、実年齢より上に見えますからね」
「ていうか身長伸びたよね」
「成長期ですから」
麻衣がちょこちょこ雑談を挟んで来る所為もあって、翠は和やかになって来た。
計測を終えた麻衣はナルに報告へ行き、俺は翠と共に特に異常である電子機器類を見る為にベースには戻らず家の中を再度まわった。
翠には口にしなかったが、電子機器類は普通に人為的な故障だった。テレビには磁石が入っているし、ブレーカーは十三アンペアの表示の癖に五アンペアの設定になったいた。アンテナを見に行くと故意に腐食させた跡もある。
深く溜め息をつくと、翠は不安げにどうかしたかと瞳を揺らした。ちょっと軽卒だったかなと思って、緩く微笑みながら目が疲れたと甘えた事を言っておく。
そのとき、インターホンが鳴り響き、翠は広田と中井の来訪だろうと言いながら玄関へ迎えに行った。
俺もどうせ挨拶するんだろうから一緒に出迎えることにした。

「きみは……」
・デイヴィスといいます」
「あ、ああ、俺は広田正義だ」
「あたしは中井咲紀よ、よろしくね」
ナルは自分の本名だと認めなかったようなので、俺が認めたことに驚いているのかもしれない。ちょっと戸惑い気味に二人は名前を名乗った。
「調査員ではないと聞いたんだが」
「昨日から旅行でたまたま日本に来てたところを呼ばれたんです」
行儀良く靴を脱いで家に上がる広田は俺をじっと観察しつつ咎めた。俺もナルも嘘は言っていない。
「なら何故ここへ?」
「広田さんって人が俺を探しているって聞いたので。電子機器類の調整というのもありますけど」
「電子機器類?」
「あ、そうです、くんに機械を見てもらってました」
ぴくりと眉をあげる。子供で、見るからに外国人な俺に頼るという概念が彼にはないのだろう。
居間に置いた機材を調整しているメンバーにも広田は顔に厳しい色を浮かべて向き合っていた。
お茶を入れて来ると翠は立ち上がり、俺も手伝いについて行く。広田はこの調査に関して反対らしいのだと、翠に軽く謝られる。
居間に戻ると、不良建築をつかまされて困っている人の弱みにつけ込んだ詐欺師呼ばわりをされている所だった為、俺よりも頼んだ翠が焦ったような声を上げ、広田を嗜めた。
「騙されているのが分からないんですか、阿川さんは。こんな子供に電子機器類を触らせたんでしょう?盗聴器を隠したのかもしれませんよ」
つまり、盗聴により情報を得て、身内しか知らない情報を言い当てて信用させ金銭をふんだくるというケースを想像したらしい。被害妄想過多というか、無礼者というか、頭でっかちだ。松山の事を思い出すが、まあ彼は正義感に満ちあふれている分松山よりはマシだ。
「わたし、くんが機械を見てくれてる時ずっと傍にいました。盗聴器を仕掛ける動作くらい見抜けます!」
誰よりも早く俺を庇ったのは、隣で見ていた翠だった。
「わたしが、お願いしたんです」
翠はきっぱりとした声で続けた。
「広田さんがご心配下さるのはありがたく思いますけど、わたしの好きにさせてくださいませんか?」
広田は、医者や弁護士を頼ればよかったのにと言いながら翠の願いを聞き入れない。
二人のやり取りを見ていると、やっぱりいとこ同士には見えないなあと思った。
その言い合いを中断させたのは、ダイニングへ続くガラス戸の前に立っている礼子だった。声に力はなく、表情もぼんやりとしている。
普段の様子など知らないが、おかしいということはなんとなく分かる。翠も不安げに礼子を見上げた。
そして言いたい事を言いきったあと、口をつぐんだ。翠はそっと礼子の肩を叩いて、宥めるように優しく声をかけながら部屋を出て行った。
俺たちは眉をひそめたまま、二人が居間を出て行くのを見送った。

next




Sep.2014