harujion

Mel

47

ーーー懐かしさと寂しさに押しつぶされそうだ。
おかあさん、という呼びかけが脳裏に響いた。日本語だったか、英語だったか、そんなことも認識できず、漠然と母を求めた。
おかあさんって誰だろう、と思っているのに、俺は母親に会いたくてたまらなかった。
ただいまと言いかけたことも、母を求めたことも、通常ではありえなかったが、ここにある何かがきっと俺をそんな気持ちにしたのだ。

(家族に会いたい)

でも、玄関から家の中に入ればすぐにその感情は薄ぼんやりとしてきて、家族の一人であるナルを見れば、ほっと安堵した。

電子機器類の整備を終えて、広田や中井に挨拶をしたあと、ナルが中井に何か言ったらしくて、彼女は不機嫌そうに家を出て行こうとしていた。
「帰るんですか?」
「ええ」
なんとなく玄関の所まで行くとどんどん寂しい気持ちになる。中井に帰らないで欲しいんじゃなくて、ナルのいるベースに戻りたいのだ。
冷静を装ったまま中井がドアを閉める様子をぼんやり見送る。
廊下には誰も居らず、本当に一人になると急激に不安が押し寄せてきた。
ベースに戻るため、足がそろりと動く。そしてナルの顔を見れば、またすっかり安心した。
明日以降ナルから離れて過ごすのが不安で、ナルにまだここに居られるように頼んだ。意味が分からないという顔をしていたが、最初は終日調査に同行する予定だった為帰れとは言われなかった。
翠はあっさり許可をしたし、麻衣も誰も、俺の様子に首を傾げる者は居なかった。

次の日坂内と久々に会って、買い物に付き合ってもらった。
相変わらず彼は俺の事を東條さんと呼び慕うけれど、一応実年齢は教えているしで良いとも言っているのだが慣れてしまったようだった。別になんと呼ばれても良いけれど。
夕方、阿川家へ戻ればちょうど広田が中年女性に絡まれている所だった。どういうことなんだろうと思いながら、遮るようにただいまと声を掛けた。
適当に女性を追い払えば、広田が軽く安堵の息を漏らしていた。
居間で少しナルと広田がやり取りをしていたが、従兄弟だとかそうでないとかいう内容に興味が持てず、俺はふらふらと部屋を出て行った。リンはまだベースで仮眠とっているかもしれないから邪魔するのも悪いなと廊下を歩いていた足を止める。そこは、玄関の近くに差し掛かった辺りで、このまま真っすぐ歩けば洗面所の方へ繋がっている。おずおずと足を運び、洗面所の戸をからりと開けるとすっぽりと何かが抜けてしまったような気分になった。
脱衣所の中でしゃがんでぼうっとする。思考が低迷して、まともな判断が出来ない。
その時、ポケットから携帯が落ちた。膝を立てたからだろう。
俺は反対側のポケットに入っているゴム手袋を探し出し、片手に嵌める。携帯は床に置いたまま、何となく操作をして電話をかけた。
『もしもし?』
暫く電子音が鳴り、数秒間止んだと思えば肉声とは少し違うけれど聞き慣れた口調と柔らかな声が携帯から聞こえた。もう一人の兄の声に、ほっとしている自分が居た。
「ジーン……おはよう」
『おはよう、どうしたの』
「やることなくて暇だったから……俺いま調査来てるんだ」
時差を考えるのを忘れていて咄嗟に計算して挨拶した。
さみしさは結局またどこかへ行ってしまい、ナルとジーンという存在だけが俺の中に残った。
他愛ない話や調査の話をした。ジーンが行っていた除霊の話も聞いて暫くしていると何度か廊下を人が通ったような気配がした。俺の事に気づく様子は無い。
『じゃあまたね』
「うん」
ずっと電話をしている訳にもいかず、けれど随分と長い時間話をしてから通話を切った。
ジーンの声は聞いたから、次はナルだ。ゆっくりと立ち上がり洗面所を出た。途中で苦い顔をした広田とすれ違うが声をかける気はない。襖を開けると麻衣とリンとナルがいて、俺はナルの隣に黙って座った。
その時、何かを叫んでいるような声がして、全員が顔を上げた。麻衣とナルはベースを出て行くので俺もナルについて行った。俺が行っても意味が無いし、何かをする事も無かったけれど、ナルについてまわっていた。
滝川達がやって来てお茶を入れろとナルが広田に言いつけたが、ついでに俺も行くように言われた。嫌だったのだが、行きたくない理由も分からず、数秒ほど口を開くのを躊躇ってから大人しく返事をした。
広田と俺と麻衣の三人でお茶を淹れに行き、麻衣の得意な雑談を少し交えながら台所に立つ。
コップをトレイにのせた広田は俺と麻衣を置いて先に行ってしまった。そして俺と麻衣がコップをもって向かうと、広田の怒鳴るような声が聞こえる。麻衣と一緒に慌ててベースを覗き込めば、広田はナルの胸ぐらをつかむような勢いで詰め寄っていた。
おおかた、ぼーさんに除霊するふりをしろと説明したのを聞いていたのだろう。深く話を聞かない人間だと呆れつつ、ナルを掴もうとする広田の腕を、素手で触った。
「やめろ」
咄嗟にあげられたナルの厳しい声。おそらく俺に向けられたものだった。
闇色の瞳がじっと俺を見ている。
「広田さんって、猪突猛進」
「なっ!」
溜め息まじりに呟けば広田は憤慨したように顔を歪める。ナルは、広田に触れている俺の手をさりげなく取り払った。
「へ?ぼーさんは偽薬じゃなかったの?」
その時上がった麻衣の声に、広田は俺とナルへの苛立ちを少し潜めた。しかし眉間に皺は刻まれたままである。
「どうしてこう、どいつもこいつも単純なんだ——座りなさい」
ナルは露骨に嫌な顔をして、溜め息をついた。

プラシーボ効果についてナル先生の講義がきっちり行われ、生徒達は難しい内容に首をひねりつつもひとつ賢くなった。
しかし滝川は祈祷だけして帰ることに抵抗を感じて渋る。その言葉にナルは肩をすくめながら、滝川の手を借りる程の事件ではないと零した。
俺が調べた電気類の故障原因が明らかに人為的なものだとを説明すれば、滝川が半分納得していた。けれどその嫌がらせの理由は不明だ。

とりあえず安原が調べて来たことを聞く番になった。壁際で窮屈そうに座っていた安原は急に話をふられて、慌てて背筋を伸ばして報告をした。
笹倉家の評判があまりよくないことや、加津美の少し異常な様子をみるとあの一家が全ての要因とも思えたが、この家の異変は笹倉家が引っ越して来るよりも前からだったのだ。それが何故なのか分からないうちは、俺たちの調査は終了したとは言えない。

夕方ごろ、最終的にナルも納得したが、広田が勝手に笹倉加津美を招き入れて、嫌がらせを問いつめた。
告訴するかと翠に問いかければ、加津美は半ば叫ぶようにもうやらないと約束し、慌てて家に帰って行った。
あっけない自白と事件の収束に打ち拉がれたのは、来たばかりの滝川だ。
「滝川さん仕事したいなら撤収作業手伝って」
「俺もっと自分を活かせる仕事がしたいっ」
「腕力を行かせるお仕事じゃないですか」
「しくしくしく。そんなんじゃ、やだもん」
にこやかな安原と、呆れた顔の俺に滝川はふざけ続けた。
「滝川さん泣きまねをしても同情するのは僕ぐらいだと思いますが」
「少年は同情してくれるのね……見なさいこの、の冷たい顔!」
「メル、まだ撤収はしない」
滝川と安原のコントの途中でナルが口を挟むので、俺は二人から離れてナルの元へ行った。
「なんで」
「釈然としない」
「何が?」
「さあ」
「なんだよ、それー」
俺たちのやり取りを聞いていた麻衣が講義の声をあげた。確かに釈然としない事は多い。この家の価値は安すぎるし、礼子はちょっと異常だし、安原の調査内容をふまえると引っかかりを覚える。
滝川はようやく安原との下らないやり取りを終えて少し真面目に話に加わったが、また麻衣とふざけ始めた。その時にふっとブレーカーが落ち、部屋も廊下も真っ暗になった。ベースの中の機材は別電源なためモニタの明りに照らされている。
「メル……直さなかったのか」
「直したよ」
馬鹿と言いたげなナルの顔がモニタに照らされて光っている。
返答をした瞬間、大きな悲鳴が聞こえた。

悲鳴の主は翠だった。
リンと麻衣がハンドライトを持って先を歩き、俺たちはその後に続く。ナルのシャツを握っていると皺になると怒られたので手をとった。廊下は暗いため顔は見えないが、溜め息の気配は感じられた。
構っている暇はないということか、俺の手を振りほどかずそのまま歩き続け、声のする洗面所へ向かう。
誰かが居たのだとおそるおそる口を開く翠に、誰もいないことを告げても、訴えを取り下げない。リンが翠の脇を通って洗面所の中に入り、部屋の隅々に光をあてると怯えたように声を上げた。
「——誰もいません」
「いたの……。さっき確かにみたんです」
翠は本当に怯えている声だったが、しっかりと意見をいう。
俺はその間に麻衣が持っていたライトを借りてブレーカーをあげた。するとすぐに洗面所が明るくなった。翠は目に見えてほっとして、広田の手をやんわりと放した。
「翠さんを居間へ。ブレーカーの調子を見ておきますから、ついていてあげてください」
ナルは冷静な声で広田にそう指示した。

ブレーカーの具合を見た後翠に説明と謝罪にいき、ナルのもとに戻った。麻衣と広田は翠に付き添っているのでそれ以外のメンバーが、翠の証言をもとに論議していた。リンは正体不明の霊は駄目だし、滝川は除霊ならできるが霊視は出来ない。俺と安原はほぼ一般人ということで口は出さないことにした。
結局安原は途中で調べ物を続けるといって家を出て行き、俺はそれを目だけで見送った。
その後、イギリスに居るジーンをすぐに呼び寄せることは出来ないため、真砂子を呼ぶ事にした。なんだかナルは真砂子が苦手のようなので一瞬嫌そうに眉をひそめた。

真砂子は十二時少し前に阿川家にやってきた。滝川や麻衣が対応していたが、あとからナルも立ち上がってベースから出て行こうとするので俺もそれに着いてく。廊下にひょっこりと顔を出すと、翠が、この家に来た時に誰もいないと思ったことを吐露した。
麻衣と翠と真砂子の意見に、概ね俺も賛成だった。これだけの人が思っているなら俺も思ってもしょうがないかもしれないし、口にしても意味が無いかもしれない。どうせ分かる事だ。俺の場合はただいまと口をついて出そうになったり、変なホームシックを感じたから彼女達とも違う点があった。ぼんやりとそのやりとりを聞いていると、広田は我慢の限界が来たらしく、しきりに翠の発言を否定して、俺たちを詐欺師呼ばわりした。
「うがちすぎではないでしょうか」
広田の意見に、礼子が困ったように笑みを見せながら口を挟んだ。
礼子は俺たちが来たばかりのころよりも少し笑みを見せるようになっていたし、俺たちが来て少なからず安心を得た。だからこそ俺たちを庇ってくれたのだが、広田は礼子のそんな様子が騙されている物だとした。
「そもそもあいつは渋谷などと言う名前ではありません。オリヴァー・デイヴィスというんです」
偽名だということに、礼子は目を見開いた。
そうだな?と広田は振り返りナルをみて、ナルは表情を変えずに肯定した。
一見して外国人に見えない為、名乗るとかえって不審に思われてしまうのだと、ナルはいけしゃあしゃあと言って退けた。半分は本心だけれど、名前が有名すぎるから内緒にしているのである。
礼子は日本語が上手だと褒めて、あまり人を頭から疑うもんじゃないと広田を嗜めた。しかしそれすらも気に食わなかったのか、広田は眉をひそめ、口をひらいた。

「おばさん、そいつは犯罪者です」

は、と俺だけが思い切り顔を顰め、ナルとリンは相変わらず無表情、他の皆は俺程ではないが釈然としない様子だった。
広田は東京地検特捜部の者だと自分で言った。そして、麻衣と滝川は一瞬の沈黙の後に声をあげた。
「……お前、脱税でもしたのか」
「身に覚えが無いが」
「じゃ、贈収賄」
「日本の政治家に金を贈って、それで拝み屋の便宜を図ってもらえるものなのか?」
「……無理だろうな、どー考えても」
滝川とナルののんきな会話に、広田は舌打ちをした。
「俺がきみに対し内偵を進めていたのは他でもない、四年もの間不法滞在してい・デイヴィスの重要参考人としてだ」
「本人に聞いたらどうですか」
「彼は当時十歳だ。そんな者が密入国できる訳が無い」
ナルは俺に投げるように一瞥くれたが、広田はどうも俺を侮ってくれているようだった。
「……そいつぁ、つまり、ナル坊が弟を日本に送り込んだ疑いがあるって意味か?」
あぜんとしつつも滝川が要約して広田に問う。
「むろん、そう言う意味だ」
「四年前っていやあ、ナルは十四歳だぜ?それに十歳のを送り込んでどーすんだ」
当の本人である俺とナルを差し置いてなぜか滝川が対応してくれるので俺たち二人はやりとりを見守った。
「彼は弟の居場所を知っていた。なぜ一人で四年も日本へ?年齢も詐称していた」
ナルは俺の居場所を知っていたわけではないし、サイコメトリしたときに俺と同じ能力を持った人間が日本に居たから来ただけであって、全くの偶然である。しかし調書を見るとナルが超能力で見つけたと言う話になっているようだ。
「こいつらには特殊な才能があってだな———」
「超能力で日本に来た、と言うのだろう。そして記憶喪失になり、またも超能力で場所を知ったと。調書にもそうあった。——だがそんなものは存在しない。ましてや、こいつらにそんな力があるなんて証拠がどこにある」
超能力じゃないとしたら、ナルが俺を日本に送り込みスパイのような真似をさせていたという、とてつもなく穿った意見を披露した。
「そもそもなんで東京地検が半年以上前の俺の密入国を調べてるんですかね」
「……うちの特捜部に三つの部署がある。知能犯係、財務経済係、直告係だ。その直告係の中に担当検事一名、事務官二名の部署が存在している。表向きには何の名称も無いが、心霊事件班、通称ゼロ班という」
「ふーん」
入国管理局じゃないんだということに意外性を感じて口を挟むと、広田は一応説明をしてくれた。よくわからないがとりあえず、そういう心霊事件班があったからそこにまわって来たのだろう。
「しかしまあ、それは超能力の存在を信じる信じないの問題もあるだろう。ちっとばかり狭量な理屈じゃないかえ?」
「……それはどうも、ご苦労なことです」
俺もナルもじゃあ調べれば良いんじゃないかと言いたげに広田を見返し、滝川は無関係ながらも大人な意見を返した。ナルと俺の態度が気に食わないのか、広田はナルを睨み見据えた。
「それで?密入国に成功し戸籍まで手に入れ順風満帆な生活を送っていた弟が急に強制送還の措置をとった理由は分かっているのでしょうね?」
「偽造パスポートを失くしたのだろう」
「そんなのまた作れば良い話だし、帰国の必要はないな」
俺がぽつりと呟けば、意志の強い瞳は俺にも向けられる。
「そもそも弟が消えた瞬間のビデオはお送りしてますし、日本で病院に搬送された時間の差はわずか二時間。本人であることはDNAや指紋採取の結果日本でも証明されています。どうやっても、その時間ではイギリスから日本に来られるわけがない」
ナルが隣で証拠を提出してあることを答えた。そこまでしていたのは知らなかったけど、そこまでしたのに信じない広田が狭量すぎて驚きだ。もうこの人一生疑ってればいいんじゃないかな。
それから、強制力を持ってこの場にいるわけではないという広田に、ナルはきっぱりと時間の浪費をするのは嫌いだといって仕事に戻る姿勢をしめした。
「勝手にどうぞって感じ」
俺の態度も悪いがナルの方が態度の方が悪いため、広田はナルを睨み付けた。仕事を、時間の浪費だと愚弄されたから顔が怒りにそまってる。

「お願い、——許して」

怒鳴りかけた広田の腕を掴み、声をあげたのは礼子だった。
必死の形相で、爪が食い込む程強く掴んでいるため、広田の顔は痛みに歪んだ。
「あの子だけは見逃して!お願いだから殺さないで!!」
その時、真砂子の凛とした声が場に響いた。
「ナル。——その方の背後に、女性が居ます。この家で殺された方の霊です」

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Oct.2014