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(麻衣視点)
当初、初日しか同行しないと言っていたは結局このまま続行することになったらしい。経緯は不明だけど、リンさんにちょこっと聞いた話によると、自分から言い出したのだとか。その割には外出したりと好き勝手している。でも帰って来てから、なんだかとても大人しく調査を手伝っていた。あまり計測や機材調整に動く事は無かったけど統計とか監視とかはずっとしていた。吉見家に調査に行った時みたいにリンさんにずっとくっついているように言われたのかなって思ったけど、礼子さんが声を荒らげた時はリンさんとベースに留守番ではなく、ナルについて来ていた。
ナルも何かに指示している様子も無いから、やっぱりリンさんと一緒に居るように言われた訳じゃないんだと納得する。
調査に芳しい結果は出ず、が電子機器類を調べた結果人為的な物が原因だったことが報告され、隣の家の笹倉夫人がナルと広田さんに問いつめられ屈した。
これで終わったと思いきやナルは思う所があるらしく今日はまだ撤収しないと言う。そんな話をしているといきなり家の電気が落ちた。ブレーカーの調子を直したと言うの不服そうな顔がモニタに照らされている。とにかくブレーカーをあげて来ようと言いかけた所で、翠さんの大きな悲鳴が上がり、あたしは大慌てで声のする方へ向かった。ハンドライトで照らすと、翠さんが踞って広田さんの手を掴んでいる。
何かが居たと彼女はしきりに訴えた。すくなくとも翠さんが見て叫ぶような何かは今ここにはいない。それでも、翠さんは本気で怯えて震えた声で言った。
「かして」
隣で小さな囁きが聞こえたと思ったら持っていたハンドライトを奪い取られ、光は壁の上の方を照らした。ゴム手袋の嵌められた手が、光で照らされた範囲に映り込んで、ブレーカーをあげる。
すぐに洗面所には光が戻り、翠さんを見下ろすと、彼女はほっとしたように表情を和らげた。ナルに言われて、広田さんとあたしは翠さんを居間に連れて行き、彼女が落ち着くのを待った。
暫くしてブレーカーの調子を見終わり、おそらくナルにも報告を終えたがそっと居間にやってきた。
「翠さん、ブレーカーはもう落ちないようにしましたから」
は翠さんの座るソファの前で、床に膝をついて翠さんの顔を覗き込んだ。
「何が原因だったんだ?きみが直したんじゃなかったのか?」
「新しい部品に付け替えたから、ちょっとびっくりしたみたいで……もう慣らしたけど。怖い思いをさせてしまいすみません」
「くんは悪くないのよ、電気が消えようが消えまいが、何かが出たのは変わらなかった」
「出たって、翠さんそれは幻ですよ、何も居なかった」
広田さんがあくまでも何も居ないと主張して余計な口を挟むので、あたしは今それどころじゃないでしょーがと言いたくて口を開きかけた。けれど、が翠さんを見上げていた目を広田さんにむけて、静かに彼を呼んだ。
「いま、それはどうでも良い問題です」
「なんだと?君たちはそれを調べに来ているんじゃないのか」
「勿論、俺たちが調べてます。結論はすぐには出せない。霊だったのか、幻だったのかなんて翠さんにとってはどっちでも良いことだと俺は思いますよ」
「どういう意味だ」
「彼女は怖い思いをした、ということをしっかり受け止めてあげなさい」
「……」
「俺たちがきちんと正体を疑ってかかっています。広田さんの仕事じゃなくて、俺たちの仕事です。広田さんは翠さんのことを疑ってはいけません」
東條さんだったとき、生徒や松山に接していたのと違う、真摯な態度だった。森さんが言っていた、ナルとジーンの半分って意味が少しわかったかも。素っ気ないところはナルみたいだけど、人に優しくてジーンみたいにあたたかい。
広田さんは真っすぐに言われて、口を閉ざした。その隙にはまた翠さんに視線を戻す。
「翠さん」
「は、はい」
「また怖い事があったら、大きな声を出してください。俺たちが駆けつけます。広田さんが慰めてくれます。だからあまり気にやまないで。ね?」
「ありがとう」
お礼を言う翠さんに小さく笑い返してからは立ち上がった。ナルの所に戻りますと言って居間を出て行く背中に、あたしはばいばいと手を振っておいた。
「優しいのね」
「とっても優しいですよ。基本は素っ気ないけど」
の姿がなくなると、翠さんが少しリラックスした声で呟いた。あたしは自分の事のように嬉しくて、得意気に笑ってしまう。
「彼は、……くんは、どういう子なのかな」
「へ?」
広田さんは翠さんを挟んだ向こう側でぽつりと呟いた。
「いや、今まであまり喋っているのを見た事がなかったから。リン同様」
取り繕うように理由をつけて、あたしを見た。でもなあ、あたしもそんなにに詳しいわけじゃないんだよね。
「聞き分けが良いように見えて我儘で、めんどうくさがりだけどいい加減な事はしません。あんな風に素っ気なくても、のことが大好きで、に救われたって人が沢山います」
「そうか」
自身のことは分からないけれど、の周りの人を見て、のして来たことを聞けば、彼の人柄が良いことは分かる。
「に優しくされると嬉しくなりません?あたしはちょっぴり嬉しくなります」
「あはは……たしかに」
翠さんもすっかり元気になったみたいで、二人で少しはしゃいでしまった。
広田さんがこの時、何故の事を聞いたのかが分かったのは、真砂子がやってきてからだった。
ひとしきり、幽霊を否定し、それを庇った礼子さんにナルの正体を吐いて自分の身分を宣言したのだ。さっきに、否定するのはこちらに任せろと言われたのに、やっぱり早々に人は変わらないなあ。が広田さんに対して猪突猛進って言っていたのを思い出して、再度納得した。
礼子さんの様子が見るからにおかしくて、礼子さんらしくない事を言い出した時、真砂子が凛とした声で女性の霊が居ることを告げた。
「お前ら、あのなあ!」
「広田さーん、夜分です、お静かにぃ」
ダイニングに閉め出した広田さんが大声を出すので、あたしは人差し指一本で静かにというジェスチャーをしながら隣の部屋に顔を出してまたすぐに閉めた。
礼子さんに憑いてるのは、この家で殺された女性で、子供の事を心配しているお母さんだそうだ。礼子さんも同じ母親だから憑かれたんじゃないかと真砂子は言っていた。
「降ろせますか」
「ええ。——ですけれど、これ以上のことがあたくしにわかるとは思えません。そういう霊では、そのひとつのこと意外は、とても聞き取りにくいものですから」
そう言いながら、真砂子は首を傾けた。
「その女性が叫んでいるのは二つです。———入ってきてはいけない、という声と」
「その子を見逃してほしい、と?」
「ええ」
「家に入った時、誰もいないような気がしたと言いましたね。——それは」
「わかりません」
ナルと真砂子は見えたもの、聞こえたもののことを話していた。ジーンだったらもっと明瞭に見えたのかな、と真砂子に言ったら絶対に不機嫌になりそうな事を考えた。でも真砂子は来て早々友達のあたしのことよりもナルのことを気にかけたんだから、あたしだって今この場に居ない好きな人の事を思っても良いよね。
とりあえずジョンを呼ぶことにして、電話をかけるよと答えたのだがナルが安原さんもと付け加えたので、電話する人数が増えた。
そんな時、また洗面所で大きな物音がした。何かあったのだと一番に出て行ったのはぼーさんで、あたしもその後に続く。ナルと、もついてきていた。
広田さんは、まるでこの世ならざるものでも見たかのように呆然とし、少し震えていた。足元は濡れ、バスタブの蓋は壊れている。
「———勝手にコーヒー、貰ってもいいですか?」
自分は何も見ていないと、多くを語ろうとしない広田さんは、ダイニングに入るとぎこちなく翠さんに声をかけて話をそらした。
コーヒーを淹れている最中も、飲んでいる最中も、どこか上の空のような広田さんはダイニングの廊下に通じる入り口に立っているナルと、なんだか口喧嘩をしているようだった。相変わらずが隣に居るのに、なんだか見慣れて来てしまった。
「憶測で他者を糾弾し、捜査の為なら進退窮まっている人々を利用することも辞さない。先入観でもって事にあたり、都合の悪い手がかりは隠匿する。———それが検察とやらのやり口なわけですね」
「なんだと」
「事実ではないのですか」
ナルの辛口が火を噴いている……と素直に思った。
「ナル、捜査なんて、疑ってかかって間違ったらごめんなさいで良いんだよ」
「……お前は黙ってろ。——捜査のためには手段を選ばないというなら、それも結構。日本の司法機関は有能なのだそうで。なにしろ犯人の検挙率は世界一だと言う事ですから。たとえ他人を陥れても有能のレッテルを守りたいと言うなら、好きにすれば良いでしょう。自ら品性をおとしめるのはそれこそ勝手というものです」
「——日本の司法機関を愚弄する気か」
「侮辱されて腹を立てるプライドをお持ちなら、それに相応のことぐらいはやっていただきたいものですが」
「なにを——」
「優秀な日本の司法機関のおかげで、僕はわざわざこの国に来てまで弟を探さなくてはならなかったのですよ」
「そんなことは」
言いかけた広田さんの言葉は、冷酷無比な声にたたき落とされた。
はえーと言いた気な顔をしてナルを見ているのが、酷く場違いに見えた。おいおい、自分のことだろうって。
「当初、メルの身元調査はされたはずだ。こんな容姿だったにも関わらず日本国内だけでの捜査、入出国を正規に認められた外国人との照合のみ、めぼしい国に手を伸ばさない。僕はイギリスだけではなくアメリカやヨーロッパ諸国へは捜索願を出していました。——それに、僕が現地に来て捜索願を出してもみつからない。聞けばどなたかが取り下げたようですが。……つまり、偶然会わなければ見つかったかも怪しい」
「それは——」
「四年もかかったんですよ、実際に」
ナルは、広田さんを睨め付けた。
罰が悪そうな顔をしているは一歩だけナルから離れてそっぽ向いて鼻の頭を掻く。四年間逃げてた張本人だもんなあ。
「日本の司法機関は世界一だったのではなかったのですか。せめて、見た目に相応しく人口の多いアメリカにでも届けを出していればすぐに見つかったかもしれないのに」
そんな時、まあまあとぼーさんが止めに入った。ってば、黙ってろと言われたからってここは黙ってなくてもいいなじゃないかなーと思いながら見守る。
「それは言ってもしょーがなかろう?それには結局元気に生きてて、帰って来たじゃねーの」
「そんなことじゃない!」
「は、……ハイ」
ナルの剣幕は弱まる事を知らず、ぼーさんをきっと睨みつけた。
「メルの瞬間移動能力はあの時初めて発揮され、稀に見る純度と精度で一万キロも離れた場所へ移動が出来た。そのときのカルテはあるが細かく数値をとっていない。療養の経過も曖昧だ。しかも十歳から十四歳の、思春期の力の変動を計測する事ができなかった。僕はPKの実験に興味は無いが、メルの能力を計測できなかったと言う痛手については、一研究者として憤慨すべきことなんだ」
の事心配してたんじゃないんか!という突っ込みを、誰もが飲み込んだ。なんだかが可哀相に見えてそれを指摘してはいけないんじゃないかなって思えたのである。
ていうか、怒っていいと思う。
「……、おじさんが近くのコンビニでおやつを買ってやろうな」
ぼーさんは何を言ったら良いか考え倦ねて、頭を掻いてからの肩をぽんと叩いて退室を促す。
「あ、あーあたしもなんかおやつ食べたくなっちゃった」
「あたくしも」
そそくさと真砂子とあたしも続いて、とぼーさんがいる廊下に出た。
「おやつより仕事して、仕事」
「なんかすげーが健気に見えて来たよおじさん。何あれ?マッドサイエンティストってやつ?」
「実際そうだけど、今のはちょっと違うと思う」
は飄々とした様子で、ベースに向かう為に足を進めた。なんだ、おやつは良いんだ、と珍しさを感じながらもさっきのナルの発言を振り返ったらおやつどころじゃない。
「そ、その、なんだ……元気出せ?」
「別に傷ついてないし」
「なあ、まさか解剖したいなんて言われてないよな……ジーンなんて興味の対象だろ」
「さあ?ナルより先に死んだら或は」
ナルの発言もそうだけど、のあっけからんとした物言いにも、あたしたちは唖然とした。
「とめてやってくれよな、や」
「死んだ後なら別に良いんじゃないの。ジーンに聞いておくね」
「それもやめなさい」
頭を撫でられて不愉快そうに避けながら、こくんと頷いたにあたしとぼーさんはこけそうになりながら必死にとめた。兄弟から死んだ後解剖していいかなんて聞かれたくないよ。
Oct.2014