50
ナルがサイコメトリをした内容が自分の中に流れ込んで来た。
小さな男の子が殺される寸前に夢は途切れ、ずっとずっと遠い昔の弟のことを思い出した。目をさました時、あり得ない、と思いながら顔に手をやった。前髪をくしゃりと握りつぶして、俯く。目に入るのは小柄な身体と、誰もいない部屋。なぜ、こんなにも寂しいのだろう。
皆の顔や、ナルを見ればまぎれるだろうか。ぼうっとして、頭がくらくらする中、ぺたぺたと階段を下りた。段々訳が分からなくなって、玄関の方へふらりと足が動く。
異常な孤独感に苛まれ、立っているのが億劫になり板の間に座り込み、壁に上半身を預けた。米神と壁の間の髪の毛が擦れて、ずるりと音を立てる。
———お母さん。
———おじいちゃん。いないの?
———お父さんも、実も……、だれか……どこ?
「くん、どうかしたの?———、」
「どこ?」
無意識に何かを考えている。何を考えているのか理解できない。けれど、どこ、という言葉が零れた。
誰かに話しかけられているけれどよくわからない。
「どこ……ナル、ナル」
咄嗟に兄を呼ぶ。視界がぼやけて、色や明暗しかわからない。
目を開けているのも、泣いているのも、後から気づいた。
悲しくて寂しくてたまらない。四年間も一人で過ごし、家族なんて作らないで生きようと思っていたこともあった。そのときよりも、ずっとずっと素直な感情が俺を支配した。
ーー独りは淋しい。
肩を掴まれ、ゆっくりとその手の方に身体を持って行く。人の気配がして呼吸の音が聞こえる。それがナルだと分かって、縋るように抱きついた。肩に顔を埋めればシャツに涙が吸われ、息を整えれば少し安心する。
女の子の霊が居たと真砂子が言うのを遠くに聞いて、俺はナルの生きている音を探し続けた。
どうやら俺には幽霊が憑いているらしい。麻衣や真砂子や翠が感じていたものよりも漠然としている割にダイレクトに伝わって来たのはその所為だったのだ。
後からやってきたジョンに祈祷してもらうと、心がすっきりとする。多分ジーンが俺に繋げられたのは気疲れしてて閉心術をしていなかったからなのかもしれない。以前は霊に憑かれていると分かっていたから剥がす為の抵抗はできたが、自覚をしていなかったので今回は仕方が無い。ナルは滅多に人のサイコメトリをしないが、今俺にされなくて本当に良かったとこっそり思った。
今までは無意識に、ナルの居る所に居なければと思っていたが、そんな気はもうしない。不安も倦怠感も何も無くて気分がいいくらいだ。
教会には初日以降連絡を入れていないため今日は子供達や神父様に会いに行って来ようとあっさりと心が決まった。やっぱり霊に憑かれるってそこまで行動が縛られるのだなあ、とのんきに考えていた。
夕方に帰って来ると、なんだか調査は結構進んでいて、俺よりも少し後に帰って来た広田が昔この家で起こった事件の調書を読み上げた。とても惨い事件だった。
最終的に広田の証言とナルの推理力でコソリの正体が分かった。ジーンが言っていた、危険かもしれないというのは関口の怨念だったのだろう。
次の日、広田は笹倉家に説得に行った。どうせ無理だろうとは思っているうちに綾子が到着したが、綾子もすがれる樹はないとのことでてんで意味が無い。
絶対相性の悪い広田と綾子は帰ってくるなり口喧嘩をしだし、周りがあきれかえってる。
「円滑にコミュニケーションはかれないわけ?日本人ってもっと奥ゆかしいんじゃなかったの?」
どうして挑発するんだろう、と息を吐く麻衣と苦笑するジョンに俺は純粋に尋ねた。ここのメンバーは我が強すぎると思う。日本人ではないジョンが一番淑やかだ。それともオーストラリア人は気性が穏やかなのだろうか。
「情報収集や公平な判断に必要なのは冷静な心だと思うけど、広田さんは根本的に駄目だね」
「なんだと」
広田は俺の言葉が聞こえたのか、綾子との言い合いを中断してこちらを睨みつけた。綾子は得意気に広田を一瞥して腕を組んだ。
「ほら、すぐ怒る」
「君が失礼な事を言うからだ」
「失礼かな?初対面で俺の仕事にケチつけるくらいフレンドリーなんだからこのくらい許してよ」
盗聴器を仕込んだかもしれない、と言った覚えのある広田はぐっと口を結んだ。別に俺は文句を言いたいわけではなかったのだけど。
「正義の味方は優しくなくちゃ」
「しかし」
「考えてもみなよ、いきなり松崎さんが来て『あんたが広田?』って言われるのと、原さんが来て『お尋ねしたい事があるのですが』って言われるのどっちがいい?どっちも美人だけど、絶対松崎さんはいやで……いた!」
ごん、と頭を叩かれてこれ以上言葉が紡げなかった。拳骨をくれたのは綾子である。
美人だと言ったのにお気に召さなかったらしい。真砂子はふふふと笑っていたので怒っていないようだ。
「ほら、こうやってすぐ怒る。二人はとても似てるね。潜入に向いてない」
綾子を親指でくいっとさすと、麻衣が隣でぶはっと笑った。
互いを見て己の振りを治してほしいものだと思いながら頭をさする。
「話の意味がわかんないわよ」
「あれ?ごめんね」
「君は、俺の態度に怒ってるんじゃ」
広田は少し狼狽しながら、俺に問う。
「別に。だって俺よりナルを疑ってるみたいだし、霊能者じゃないから否定的な事は言われていないし。でも見ていて良い気分ではないことは確かだよ。怒ってる人って関わりたくないし」
「……」
「俺にそう思われてるってことは内偵失敗だ。対象に距離とられてたら駄目でしょ」
ぽんぽん、と厚い胸板を軽く叩くと広田はぎょっと驚いて身をいた。
「距離をとる権利は自分で持っていなければ優位に立てないんですよ?」
首を傾げると、あたりの面々がしいんと静まり返った。
「そういえばお前ってそう言う奴だったよな。いつも無防備だから忘れてた」
ぽん、と俺の肩を叩いたのは滝川で、やれやれと首を振っている。
話し合いの末、リンが離れた所から除霊をすると言い出した。そんな話、リンに陰陽術を習っていた俺は聞いた事がない。しかしリンが堂々言い張りナルが言及しないなら俺は口出しすべきでは無いのだろう。
その日、阿川家の霊達はなぜか活発化していたが、ジョンの祈祷を聞いた俺や礼子がまた憑かれることはなく、ポルターガイストや人影、物音等だった。
ナルはその件数に眉を顰め、リンは何人か残らせようかと提案した。しかし力を分散させたくないというナルの判断に従う事にした。
「念のために言っておきますが、おとうさんとの約束を忘れないでくださいね」
ナルは一人でPKを使うとすぐ倒れるので、使わないようにマーティンと約束している。わかってる、と少し肩をすくませて言うナルに、リンはもし使ったら強制送還だと念押しした。
「———ところで、リン?」
「はい」
「距離があっても除霊できるのか?そういう話ははじめて聞いたが」
「できるはずがありませんね」
「だよね?」
「……以外に狸だな」
ナルと同時に俺も苦笑する。
広田はなるべく早く休ませ、この家に引き止めるらしい。いざとなれば俺が気絶させてあげるねと笑うと、ナルとリンはじっと俺を見てから溜め息をつく。どういう意味だ。
「むしろ俺、リン達と行こうか?」
「何を言ってるんです」
「笹倉家の鍵を開けてあげるよ」
「……」
リンは困ったようにナルをみて、ナルは眉間の皺を指で撫でながらやめろと言った。
「お前は僕と留守番だ。いざとなったらリン達を呼びに行ってもらえれば良い」
「はぁい……。でもリンも困ったら電話してね」
「わかりましたよ」
ゴム手袋は念のため片手につけておく。いや、むしろ念のため片方を外すのだ。携帯の時間や日付をぼんやり見ては、ヘルプがないかと確認しておく。一応音がなるようにはしているがハラハラしっぱなしである。
停電が起こり礼子がろうそくを持って来てくれた為互いに無事は確認できるし、携帯電話は問題なく使えるため光源は複数あった。ちょうど日付が変わった辺りでふと思いついて口にした。
「事件があったのって昨日今日だよね……なんか不吉」
そんな俺を隣のナルが凝視した。
「僕のミスだ……こんなことを見落とすなんて。お前ももっと早く言え!」
「たった今気づいたんだよ」
低レベルな言い争いを軽くしてると、広田がどういう意味だと尋ねて来る。
霊が活性化していたのは、娘が帰ってくる日にかけて。まさか関口に当てはまるかなんて話すが、勿論当てはまるだろう。十日の夜にすべてを終わらせなければならなかったのだから。
「それじゃあ、毎年この家では死人が出なきゃならない」
「トリガーがあるんだ!」
広田と同様ナルを見る。
「告訴するか、という広田さんの言葉ですよ。翠さんはしないと言ったが、笹倉たちがそれを信じたと言う保証は無い」
「……ぴりぴりしてるだろうね……」
俺の憶測に、ナルは静かに頷いた。
「条件は揃っている。連中が行動を起こさない方が不思議なくらいだ」
「行動——」
広田は言葉を反芻した。
「電線も電話線も、笹倉達がやったんだ。それ以外に考えられない」
「あ!」
「どうした」
「携帯も使えなくなった」
リンに電話をと思ったが携帯はうんともすんとも言わなくなってしまった。
「霊は電子機器類と相性が悪いから」
素手で触ってないのに、と思ってナルを見たが大した驚きもなく言われてしまい落胆した。
助けを呼ぶ為に飛び回るか、襲われた際に対応できるようにするか、考えたら後者が優先だった。リンは今移動中なのか待機中なのかわからない為移動しても無意味だと思うし、笹塚家がリンたちの目をかいくぐってこちらにやってくることは十分に考えられる。
「……コソリがいる」
二回に昇りきったところで、麻衣が震えて警告した。
Oct.2014