harujion

Mel

Ashputtel 02
(ジーン視点)

リンが怪我をしてしまい、ナルと僕は原因である少女の元へ向かった。
僕は別に責めるつもりはなかったんだけど、人手不足ということで、彼女には悪いけどナルの嘘を訂正しなかった。


二日目、ぼーさんと松崎さんに加えて女子生徒もやって来た。黒田さんという女の子だったけれど、特に霊が見えている様子は無い。そもそもこの旧校舎に霊は居ないと言うのが僕の見解だ。黒田さんは松崎さんに自己顕示欲だと言われて憤慨し、不穏な言葉を残して走り去って行った。
暫くして、車から機材を持って降りた所で、またしても人影がこちらに近づいて来た。
柔らかくて丁寧な言葉遣いで僕らに声を掛けたのは、小柄な女子生徒だった。先ほどの黒田さんのこともあって、またか、という顔を皆していたけれど、彼女の後ろに控えていた金髪碧眼の人物に僕らはすぐに目がいく。
どうやら同業者の案内に来たらしい少女は、とても礼儀正しく僕たちにジョン・ブラウンさんを紹介した。
「もうかりまっか」
深々と頭を下げた後に出て来た言葉に、皆も、ナルでさえもきょとんとしてしまった。
今のは、日本語、だったんだよね。
「彼は関西の方で日本語を学んだようです」
少女が答えると、ぼーさんと松崎さんと麻衣が笑った。その様子にブラウンさんは困惑して、少女は表情こそ変えなかったが少し冷めた瞳をして僕らを見た。
「大人げない」
ぼそ、っと呟いた言葉はきちんと聞こえて、今まで笑っていた人も、僕も、ブラウンさんも彼女を見た。
「彼らは人を笑う余裕があるようだから、きっと英語も堪能なんでしょう。ジョン、よかったね、英語で仕事ができるよ」
間違いなく嫌味なのだけどそう感じさせられないくらい優しい声色で、ブラウンさんに対してとても柔らかい態度をとった。確かに彼女の言う事はもっともで、頑張って覚えて来た日本語が方言だったからといって笑うのは、ブラウンさんに失礼なことだった。
思わず笑ってしまいそうになるくらい変な日本語ではあったけれど。
ナルがブラウンさんに質問をしていると、彼女は手持ち無沙汰にそっぽ向いた。細長い首や高い鼻は少し日本人離れしていて、正面から見てみると、やっぱり日本人にしては彫りが深い。肌色はとても白いし、もしかしたらハーフなのかもしれない。
長い前髪で瞳が隠れているのでよくは見えないけれど、なんだかメルに少しだけ似ていた。でも、目の前の流暢な日本語を操る彼女は記憶の中の小さなメルと完全に一致してはくれなかった。

彼女の家は教会らしく、ブラウンさんとは元々知人だったらしい。
「全くの偶然です。ね」
「はいです、僕はさんがこの学校の生徒さんっちゅーことも、知らんがなだったのどす」
彼女とブラウンさんは視線を合わせた。なんだか、彼女は懐っこいんだか冷たいんだか分からない。
多分知り合いに対しては優しいのだろう。僕らはまだ初対面だし、外部の業者ということで、あんなに丁寧なんだ。嫌味といい敬語といいちょっとナルに似ている。
さん、と呼ばれていたからそれが彼女の名前なのだと思うけど、結局彼女は自己紹介をしてはくれなかった。

じゃあ頑張ってね、とブラウンさんにだけ優しい顔をして去って行った彼女の後ろ姿を少しだけ眺めてから、僕らは仕事に戻る事にした。
相変わらずぼーさんと松崎さんは険悪で、旧校舎についてきたけれどナルが毒舌すぎて更に気を悪くして去って行ってしまった。
ブラウンさんは困ったように笑いながら、協力すると言った。

彼はファーストネームの方が慣れているのか、ジョンと呼んでくれと言った。麻衣と話していたことだったけれど僕とも目が合ったし、僕もそう呼ぶことにする。
「あの、さっきの人って何て人なの?」
さんですか?」
「うん」
麻衣も気になっていたのか、ジョンに尋ねる。手が止まっているとナルに怒られるかもと思いつつも、僕も作業を中断して話を聞いた。
「東條さん言うて、たしか、僕の一つ下やったから……十八歳でっしゃろか」
「え、三年生なんだ」
麻衣よりも小さいし、まだ十八歳には見えなかったから僕も少し驚いた。でも目の前に居るジョンがこの顔で十九歳なので驚きは和らぐ。
「よく教会の日曜教室なんかに、お手伝いできてくれはるさかい、顔見知りいうやつでんがなです」
普段から付き合いがあるわけではなく、知り合いだという事なのだろう。
そんな東條さんは、もう一度やって来た。着物姿の少女、原真砂子さんを連れて。
「一応誰かと合流するまでは、と」
「ありがとうございます」
東條さんは誰に言うでもなく、軽く自分が居る理由をいいながら、原さんを一瞥する。原さんも東條さんに会釈をした。
麻衣は原さんのことを見た事がないらしく、ナルと僕が紹介しようかと思ったが、原さんは自分の事は自分で言うと、赤い唇を開いた。
隣に居た東條さんは聞いてるのか分からないくらい我関せずといった顔で俯きがちにじっとしている。
ふいに、壁やガラスが叩かれる音と叫び声が聞こえた。松崎さんの声だとジョンが言うので全員で声のする方へ向かう。
どうやら教室に閉じ込められたらしく、ぼーさんがドアを蹴破って救出をし、事なきを得た。霊の気配はしなかったけれど、と思いながら当たりを見渡すと、視界の隅で誰かが屈んだのを見た。東條さんの小さな後ろ姿が丸まる。ナルもそれに気づいて彼女を見下ろした。
華奢で小振りな指先は、ドアの閾に刺さっていた釘を引っこ抜いた。
「こ、」
律儀に全員に伝えようとしてくれたのだけど、ナルは咄嗟にその釘を持つ手を抑えた。
少し驚いたようでびくっと震え、前髪の隙間から僕たちを見る。それから、手元に視線を落とせばナルもすぐに手を緩める。
「預けますね」
そっと囁くように言い、東條さんはナルの手に釘を置いた。

「そういや、嬢ちゃんはなんでここに?」
ぼーさんは、先ほど去っていったはずの東條さんを見下ろした。
「あたくしのご案内を校長先生に押し付けられてしまったんですわ」
「さっきと同じパターンか」
ご案内を、と本人が言っている声は原さんの言葉の影で萎んだ。ジョンのことも校長先生に頼まれていたようだけど、帰り道でまた会って頼まれたのだろう。ぼーさんは苦笑しつつ、ご苦労さんと労った。
「ねえ誰かコーヒー買って来てくれない」
松崎さんの言葉に、麻衣やぼーさん達は呆れる。僕が行こうかと言おうとしたけれどそれよりも早く、ジョンが返事をした。
「私も帰るから行きます。自販機の場所知ってるし」
「おおきにさんどす」
「東條さん」
ジョンと行こうとしていた東條さんはナルに呼び止められて振り向いた。
名前を知っていることは驚いていないのだろう、ナルが口を開くまで、彼女は唇を結んだままだった。
「学校の事が聞きたいので残ってくれないか」
東條さんがジョンをちらりと見ると、ジョンは大丈夫ですと笑ったので彼女は残る事になった。
ベースにしている実験室に連れて行き、古びた椅子に座ってもらう。
こうして見下ろすと、彼女はよりいっそうこぢんまりとして見えた。

彼女は聞かれた事にしか答えなくて、そういえば……なんて話題が展開されることもなく、ナルとの質疑応答はすぐに終わった。
去年校舎の取り壊しが行われた時にトラックが暴走して生徒らが九名死傷したが、東條さんは当事者ではなく、騒ぎがあったことを知っているだけだった。

ジョンが戻って来たと同時に彼女は立ちあがり、スカートの裾をそっと直した。
「じゃあそろそろ」
「ありがとうございました」
「気をつけて調査するんだよ、ジョン」
「?はいです」
何故ジョンだけ、とぼーさんは小さな声で突っ込みを入れていたけど、松崎さんはどういうことと首を傾げた。
「もしかしてあんたまで幽霊が見えるとか言い出さないわよね」
「見栄を張りたいならとっくに言ってますけど」
すっと細長い指で、松崎さんが持っている缶コーヒーをつついた。
「旧校舎という名の通り、古い。立て付けも悪いし、もしかしたら歪んでるかもしれない。取り壊す予定だったんだから、十分危険ですよ」
「……まあそうだけど」
「幽霊が居ようが居まいが、もしこの校舎にガタが来てたら意味が無い」
言い分は最もで、誰も反論はしなかった。

そして東條さんは今までで一番良い笑顔で、さようならと言って去って行った。

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Dec.2014