02
あれは、桜を喪って二十年くらい経った夏の夜の出来事だ。
木の上に座る十五、六歳くらいの男が目に付いた。あいつは、ずっと月を眺めているだけだった。
障りの無い死霊というのは総じて、未練や憂いが伴う。だから無表情に月を見ているあれは、珍しい物ではなかった。
ふいに、死霊がこちらを向いた。光の無い真っ黒な瞳は、ほんの少しだけ細められた。微笑んだとは言い難いその表情に、どうしてだか庇護欲がそそられた。
放っておいたら、闇に、妖に、憂いに喰われる。
そう思ったら、名を付けていた。
月音の人生が頭の中に流れ込んで来た。月音は今とは違う容姿をしていた。異国で暮らし、なにか大きな鉄のような物が迫り来る様子とともにその人生を終えた。真名は発音のしにくい聞いた事の無い響き。それだけでは飽き足らず、何度も月音が死んで行くのを見た。ある時には神器のような術を用いて兄弟を庇い死に、ある時は大くの人を殺して罪を背負い死んだ。何度も何度も、月音は死んだ。中には自分から命を絶たなければならない事もあった。それでも今神器となれたのは、最後に病死したからか、最初に事故で死んだからなのだと思う。
転生を繰り返す上に死霊となった月音は異質だった。オレの神器として姿をとったものは空を飛ぶ羽衣のような布で、これもまた異質だ。見て来た人生も、おかしなものが多かった。まるで夢物語のようなのだ。
後になって、月音が未来を生きていたことをひっそりと理解したが、いまだ本人に確認をとる事は出来ずにいる。そんなことをしてもし月音が妖に転じてしまったら嫌だからだ。
緋は最初は月音とあまり仲が良くはなかったが、オレが人を斬る時に月音が何も言わないのを知ると、桜ほど嫌がるそぶりはみせなくなった。いつの間にか三人で行動する事も多かったし、移動するときに月音にのった緋は空から見下ろす町をみて少し機嫌を良くしていた。
月音がオレを厭わないでくれて、ほっとした。桜の方が優しい考えなんだろうけど、桜みたいにしたくはなくて、月音が淡白なのが嬉しかった。緋とも親父とも、付かず離れずの関係を保てたし、オレのことを何より尊重してくれた。
「じゃあ、俺勉強の旅に出る」
「は?」
「頑張ってね」
もう数百年一緒に過ごしていたのに、オレと、新しい神器を見て、月音はけろっとした顔で片手をあげた。
「えええぇぇ!どうして!どうしてん!」
がしっと背中に抱きつくと、滅茶苦茶嫌な顔をされる。
「他の神器がいるのが嫌なのか!?」
「そんなわけないでしょ」
うんざりした顔で、オレを引きはがし、神器との両方を見比べた。
「俺はあいにく妖を斬れないけど、彼は出来るようだから夜トのことを任せられる。その間に俺は術をもっと学んで来るよ」
「うわあああああん月音ぇぇ!!!!」
じゃーね、とあっさり去って行った月音は長い事行方不明になった。
正直それってどうなんだ、無断欠勤とか、クビになっても仕方の無い事だ。でも、オレは月音を放たない。月音は必ずの所に帰って来るのだろうし、オレは月音を手放したくはない。
オレの神器は大抵長続きせず、一ヶ月とか、一週間のヤツも居た。
伴音は三ヶ月程神器としてやってくれたが、生理的に無理とか言って辞めて行った。
「うう……月音……」
貰い物のビールで月を見ながら月音を呼んだ。本気で喚べば、ここに連れ戻せない事は無い。だけど、月音が自分の足で帰って来る筈だから、それまでは呼べなかった。
伴音を放ったあとにひよりに出会い、偶然見つけた雪音を神器とした。父親に恵まれなかった雪音はオレに似ていて、面倒を見てやろうって気になった。凄く生意気だったが。
天神からの依頼を受けたとき、伴音が真喩という名を与えられていた。
ついでに思い出したように、天神は口を開く。
「そういえば夜トくん、月音くんは?」
「まだ帰ってこねーけど」
「そうなの?この間うちにお土産持って来てくれたけど」
「えええー!?月音ー!なんでオレにお土産はないんだぁ!」
天神とは古くからの顔見知りだし、勝手に神社で寝泊まりもしてるので何度か月音に会わせたことがある。
けど、月音が天神に会いに来たなんてのは初耳だ。オレだって一年くらい会ってないってのに。
「伴音!お前月音に会ったのか!?なんでオレのとこ行くように言ってくれなかったんだよ」
「知りませんよ!会いましたけど、夜トさんの神器だとは知りませんでしたし!」
「夜トの、神器?」
オレたちの会話を耳にして、ひよりと雪音が首を傾げた。そういや、言ってなかったか。
「あー、ずっと前から居るんだけど、一年くらい前から行方不明っつうか」
「え、そんなことあるんですか?」
ひよりは信じられない、といった感じに口元を手でおさえた。
「オレに神器がいることを確認してから行ったから、放っとかれたわけじゃねーし」
「でもころころ神器変わってるじゃないですか。ちゃんと月音さんに言わないと駄目なんじゃないですか」
伴音が口を挟んで来た。
多分誰もオレの周りに居ないと知ったら帰って来るんだろう。
いや本当、月音もいい加減帰って来ても良いと思うんだけどな。
雪音をちらりと見ると、不満そうに見返される。
死んだ時期は随分違うし月音は大人しく思慮深いヤツだが、雪音と年が近いから良い兄弟になってくれると思ったんだが。
早く帰ってこないかな、月音。
ぽっこぽこ時間が飛びます。
出会った時は夜トのがちょっと小さいくらいだったけど、原作軸では夜トより少し小さいです。
June.2015