01
王子と言われる鹿島は演劇部に所属し、ルックスのよさと抜群の演技力により主人公をつとめる事が多い。その相手役は様々であったが、春に新入部員が入ってからは一人の少女が舞台に立ち話題となった。鹿島の隣に立っても遜色ない容姿や、どこか庇護欲をくすぐられるつぶらな瞳が観客の胸を打った。
あの女生徒は誰なのかと多くの者が興味を持ったが、誰一人としてヒロインに会う事は無かった。容姿が分かっているにも関わらず、生徒の中にそんな女生徒は居ないのだ。
しかしある時から、その少女は時折放課後の学園内で見かけるようになった。
「あ、あの!この間ヒロインやってた子だよね」
出会した二人の男子生徒は、咄嗟に少女を呼び止めた。
しかし少女はこくりと頷くだけで、口を開く事は無い。
「名前は?一年生かな?今まで出てなかったし———あ、待っ」
質問には答えず少女は走り去って行く。追いかける機会を失った二人は茫然と、艶やかな髪の毛が揺れているのを見送ってしまった。
少女の噂は徐々に増えてきたが、誰もが彼女の名前を知らなかった。いつのまにかついた異名は放課後のなでしこ。幼気な顔立ちに黒く長い髪と口を開かない大人しい様子が由来であった。
「ただいま帰りました」
なでしこは演劇部の部室に戻るなり口を開いた。当然部員達はなでしこの正体を知っている。
「あつ……」
長い黒髪を掴んだなでしこはそのまま遠慮なく手を下ろす。その拍子に髪の毛はひっぱられ、ずるりと肩まで落ちて来た。
「あ〜乱暴なんだから」
「壊れちゃえばいいんですよ、こんなの」
ずり落ちたのは、鬘だった。なでしこと呼ばれる最もな所以である品の良いまっすぐな黒の長髪は、人工的なものなのだ。
「そうしたら髪型チェンジするだけよ」
先輩である女子生徒が鬘を受け取りブラシをかけて笑う。
「、ちょっとこっちこい」
「着替えてからにしてくださいよ」
部長の堀に呼ばれ、なでしこもといは遠慮なく口答えする。
なにせ今は女子生徒の制服を着ていて、本来は男子生徒であったからだ。
事の始まりはの入学式の日にまで遡る。部活動の勧誘が行われている人混みの中を、我関せずといった様子で人を避けて歩いていくを引き止めたのが堀だった。
「おまえ、ヒロインやってみないか!?」
「やってみません」
一年前に勧誘された鹿島とどこか似た出会いであったが、は鹿島のように乗り気ではなかった。そもそも部活に入る気もなかったし、ヒロインという単語にイヤな予感しか感じていなかったのだ。
すげなく断られたが、堀の琴線に触れてしまったはあの手この手で籠絡され、演劇部への入部を余儀なくされた。絶対に女装なんかしないし演技もしないと駄々を捏ねていたのを、堀は徐々に徐々に懐柔し、なんとか女子の制服を着せるところまで説得した。主に好物をやり、甲斐甲斐しく世話をやき、その流れで服を着替えさせると言う手段であり、がしっかりしていればスカートをはかされることにはならなかった。
が気づいた時にはもう鬘までつけられていた。
すっかり油断していたのだ。堀がただただ可愛がって世話をして来るだけだったから。
日頃、髪の毛を梳かれたり、爪の形を整えられたり、おやつを与えられたり、とれかけていたボタンの付け替えをしてもらったり、全身全霊で堀に寄りかかっていた。その所為で手渡された着替えの服に気づく事は無かったし、手伝われてしまえばろくに見る事も出来ず着せられていた。
「俺の目に狂いはなかったな」
「頭狂ってる……」
満足そうな堀と、喜ぶ演劇部員たちに囲まれてとうとう女装することになったは呟いたのだった。
とうとう、『喋らなくていいから鹿島の隣に立て』と堀が言うものだから仕方なく舞台に立った。主役では学園の王子と名高い鹿島だったのでにやることはない。
そんなこんなで、堀の手腕にまんまと丸め込まれたは、今も堀に言われて女子の格好をしていた。校内一周してくるたびに舞台でのセリフをへらしてくれるという、堀の妥協案をはのんで、せっせと放課後のなでしこを演じているのだ。舞台で喋ればその分正体がばれやすくなるが、校内一周するだけなら喋るも喋らないも自由であるからだ。
「———なんですかこれ」
堀に呼ばれたが着替えさせろと駄々を捏ねただったが、それは許されず格好のまま堀の前に立たされた。不服そうな顔をしつつも差し出された台本を素直に受け取りぱらぱらと眺めるが、は思い切り顔を歪めた。今回の役柄は、呪いをかけられて牛になった王子さまの呪いを解く為のヒロインだった。典型的な心優しい町娘で、勿論セリフはあるし、王子役である鹿島が牛になっている所為でヒロインのセリフは多い。
「セリフへらしてくれるって言ったじゃないですか。俺この二週間、毎日放課後練り歩いたのに」
「ちゃんと十個へらしたぞ?」
「そもそも鹿島先輩使いたいのに牛のシーンが長くてその顔使えないじゃないですか、やり直しましょう」
「もう書いてもらっちまったし、もそろそろ演技できるようになれ」
鹿島の顔が好きな堀は、鹿島メインの劇が多いため油断していた。
しかし堀は、鹿島の次にの顔も好きだったのだ。
「声だしたらバレるじゃないですか」
「それこそ演技だ。今からならまだ間に合う。俺が特訓してやる」
が演劇部を辞めないのは、堀に世話を焼かれることが当たり前になってしまったからだ。堀が居れば制服が破けていてもおなかがへっても、忘れ物をしても、眠くても、大体なんとかしてくれる。はすっかり堀の飼い猫になっていた。
女装好きですみません。すみません。
正体不明設定が好きです。
Aug.2015