オリーブの遺言 03
ヒロキが工藤夫妻のもとへきて三ヶ月ほど経てば、ヒロキの死亡のニュースが流れることはもうない。
一方シンドラーカンパニーは、経営に激震が走るほどの事態にも陥っておらず世間一般から見て特におかしなことはない。それが優作とヒロキには奇妙な静けさだと思ったが、今は内情を探るのは得策ではないため、の用意したパスポートを利用して三人は一度日本へ渡った。日本ではヒロキの顔を知っている人はそう多くない。
ちなみにアメリカの空港での出国審査は機械が行うため、それ以外は素顔を隠して事なきを得た。その分偽造パスポートのクオリティが問われるが、そちらも全く問題がなかった。
「日本、久しぶりにきた」
「行ってみたいところとかある?新ちゃんも連れて遊びに行きましょうよ」
「はは、それはいいな」
優作も有希子も、懐かしいというよりは物珍しそうに日本を見るヒロキに明るく接した。
アメリカでは外に出してやることがほとんどできなかったため、ヒロキは少しふさぎ込みがちだった。監視生活により精神的に追い詰められ、自殺しようとまでしたのだから、その生活では改善の兆しが見えないのは当たり前だろう。本人の口ぶりでは、十分気が楽だとのことだったが。
「でも、新一は受験生じゃないの?」
「一日くらい遊んだって平気よ、部活だってもう引退してるんだし」
「サッカーだよね?僕に教えてくれるかな」
「ええ、喜ぶと思うわ」
「そうだな、言ってみるといい」
三人は空港からタクシーに乗りこみ自宅へ向かった。
あらかじめ、依頼を受けて子供をしばらく保護することや、新一に会わせたい旨を説明してから帰国したため、新一は自宅で三人をまっていた。
両親の前では少し不愛想に見えたが、ヒロキに目線を合わせて挨拶をしたときは笑ってくれて、歓迎しているようだった。
「新一はサッカーが得意だって聞いたんだけど」
「お?まーな。体力づくりの一環だけどよ。今度一緒にやってみるか?」
二週間もすればヒロキも新一もすっかり慣れたように会話をしていた。
ヒロキにとってはサッカーを教えてと言葉にするのは難しく、遠回しな言い方になったが、新一は自然な流れでサッカーに誘った。
「あ、でも、体力ないんだ……僕」
「んなの、疲れたら休めばいいだけだろ?そしたらいえよ」
「下手だと思うし」
「最初からうまいやつなんていねーよ」
な、と後押しした新一に頭をくしゃくしゃにされたヒロキははにかみながら頷いた。
先日新一と有希子とショッピングモールへ買い物へ行ったときも、人混みに酔ってしまったり、歩き疲れたりした。もともと体が弱かったせいもあるが、普段も家からほとんど出ない生活をしているので仕方がない。
その時のことを負い目に感じているヒロキだったが、誰もそんなヒロキを面倒だとか手がかかるだなんて思っていなかった。
「体力はゆっくりつけていこうぜ」
「うん」
リビングで会話をする歳の離れた兄弟のような二人を、優作は少し離れたところでコーヒーを飲みながら見ていて微笑んだ。
そして有希子も同じだったことに気が付いて目配せをし合う。
「なんだか楽しそう」
「そうだな。今まで周りにいた人たちよりは年が近いからだろう」
「もう少し下の子じゃなくてよかったのかしら」
「それだと、ヒロキくんも慣れていなくて余計疲れるかもしれない。今は新一くらいでいいんじゃないか」
「そうねえ」
約束ができてうれしかったらしいヒロキは二人がお茶をしているところに新一とともにやってきた。
「こっち見てニヤニヤして、何の話だよ」
「ヒロキくんは同い年の子の友達が欲しいかなって話だ」
「ほら、新ちゃんって妙に大人ぶってるところあるでしょ」
「はあ?」
「たしかに大人ぶってるけど、本当に大人ってわけじゃないから面白いよ」
「おいオメー、そんな風に思ってたのか」
ヒロキはちらりと新一を見て笑ったが、頭をわしづかみにされてぎゅっと目をつむった。
さきほどくしゃくしゃにされた時よりも、強い力で揺さぶられたがヒロキは楽しそうだった。
予定していた滞在期間の最後の休日、新一とヒロキは二人で近くの公園へ行った。
「なあヒロキ、本当に同年代の友達はいらねーのかよ?」
「ほしくないわけじゃないよ」
ヒロキは両手で持ったサッカーボールを抱きしめる。
「まえに小学校通ってたんだろ?そん時の友達とかは」
「僕浮いてたし、すぐアメリカにいったから」
ヒロキはかつて日本の小学校に通っていた時から、小学校での教育が肌に合わないと感じていた。体が弱かったため体育の授業を見学していたが、その時に時間を効率的に使いたいと思ってコンピュータを開いてやりかけのプログラムを組んでいたところ、教師に叱られた。
遊んでいると決めつけられたことも、それきりパソコンを取り上げられたことも、親に電話をいれられたことも、同級生に奇異の目で見られたことも忘れていない。
そういう環境から解放され渡米した先では、たしかに自由にできた。
ヒロキの能力を否定する人はいなかったし、行動を制限することもほとんどない。
「向こうはいろんな意味で無関心だったから心地よかったよ。年上だけど友達もいたから寂しいとは思わなかったし」
「その友達が?」
新一が聞いた事情の中にある、唯一知らない名前がだった。ヒロキの一時的な保護者であり謎の人物であるについて興味があり、どんな人だったと重ねて問いかけた。
「は新一よりは大人で、サッカーをしてるの見たことなくて、ああ日本語もしゃべれたっけ」
「最初の一言余計だっつうの。……でも、その人日本語しゃべれたんだな、なんでだ?」
「さあ。でも、いろんな国の言葉を知ってたよ」
「へえ」
「だからはだれとでも話ができたんだ」
そこまで話したところで公園にたどり着く。
公園内にはほとんど人はいなかったが、砂場の方で遊んでいる幼児とその母親がいたため、新一はあまり強く蹴りすぎないように事前に注意した。
それからまずヒロキの持っていたサッカーボールを地面に置いて、足を乗せた。転がして操りながら、ボールと新一の足をじっと見つめるヒロキは次第に歓声をあげるようになる。
ボールを浮かせて膝や腰に頭などを使ってリフティングをすると、ヒロキはもっと喜んだ。
そして、いざヒロキがやってみる時になると、当然最初からリフティングが出来るはずがないので、パスやドリブルの練習を繰り返した。
しばらくしてボールの扱いに慣れてくると、新一からボールを取ってみることになった。新一は上手にボールを操ってヒロキを欺き、追い抜いたりしつつ、最後にはわざと隙をやってヒロキにボールをとらせた。
手加減があったことは目に見えているが、ヒロキはそれでもボールを奪えたことがうれしかったらしく、自分で取り返したボールを抱きしめた。
「新一、ありがとう」
「おー。あっち戻っても練習しとけよ、今度は手加減してやらねーからな」
「もちろんだよ。新一はもしかしたらより大人なのかな」
「なんでだ?」
家に帰る前に少し休憩だといってベンチに座った二人は、新一が自動販売機で買ってきた飲み物を並んで飲む。
「だっては遊ぶとき一度も勝ちを譲ってくれないからね」
「じゃあ負けず嫌いなんだな。どんな遊びするんだ?」
はおとなしい感じの青年だと聞いていた新一は、不思議そうに首を傾げた。
「基本はゲーム。負けず嫌いっていうか性格悪いんだよ」
「へ」
あけすけな物言いを聞いてぽかんとした顔の新一に、ヒロキは眉をきっと吊り上げてさらに言い募る。
「は僕を勝たせる気が全くないんだ。手加減は当然ないけど実力とか抜きにして、絶対に自分が勝つように仕向けてくる」
「はは、大人げね~」
ヒロキは根拠なくそう断言し、新一はまだ見ぬへの印象が余計定まらなくなった。
「新一はゲーム得意?と勝負するときは手を貸してよ」
「いいのかよそれ」
「いいんだよ。本人が言ってたんだ、何人でも連れてかかってきなって」
新一はその発言と、ヒロキの意気込みする様子にふっと笑った。
ヒロキは気づいていないようだが、のその言葉の裏には、優しい意味がある気がして。
新一とヒロキが一緒にいる光景想像したら、とても健康に良かった……。
ヒロキから新一への呼び方はアメリカ暮らしが長いので呼び捨てでいいかなって思ってる。
Dec.2023